2015-07-02 (Thu)

法隆寺(ほうりゅうじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町にある寺院。聖徳宗の総本山である。別名は斑鳩寺(いかるがでら、鵤寺とも)、法隆学問寺など。法隆寺は7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設であり、聖徳太子ゆかりの寺院である。創建は金堂薬師如来像光背銘、『上宮聖徳法王帝説』から推古15年(607年)とされる。金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられる。境内の広さは約18万7千平方メートルで、西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群である。法隆寺の建築物群は法起寺と共に、1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。建造物以外にも、飛鳥・奈良時代の仏像、仏教工芸品など多数の文化財を有する。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
知っているようで、実はキチンと知らない私たち日本の「国史」。
私たち日本人の祖先が、どのようにして歴史を紡いできたのでしょう。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 宗教という言葉は英語のリリジョン(religion)の訳ですが、これはラテン語のreligareからきた言葉で、「結びつける」「縛りつける」といった意味です。結びつける中心には一つ、絶対的なものがなくてはなりません。宗教の根本には一つの神、特定の教祖、経典が想定されているのです。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教には確かにそれがあります。仏教は釈迦の存在がその中心です。

イエス
こちらもご参照♥
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イエス・キリストは実在したのか? ♥ レザー アスラン
このように定義すれば、宗教が排他的にならざるを得ないのは当然ともいえます。古くは反イスラムのキリスト教十字軍、現在では非イスラムに対するイスラム原理主義者たちのテロなどが、その現れといえるでしょう。ほとんどの宗教が平和を説き、愛を説いています。にもかかわらず宗教間の争いが絶えないのは皮肉なことです。

こちらもご参照♥
↓
宮田 律 「ユダヤ人とイスラエル」がわかれば「世界の仕組み」が見えてくる ♥
日本に仏教が入ってきたとき、多少の衝突はありましたが、決定的な争いにはなりませんでした。それは【八百万(やおよろず)の神】の神道の寛容性です。これは宗教の中にあっては特筆すべきものであって、注目しなければなりません。しかし、それだけではありません。そこには聖徳太子という偉大な思想家の存在があったことを忘れてはなりません。

聖徳太子
各宗教に創始者はいます。しかし、【宗教の習合を説き、宗教間の壁を乗り越えて人間のあり方を追求した人はほかにいません】。

日本には世界的なスケールでの思想家はいないという学者がいます。そんなことはありません。【聖徳太子こそ世界史にそびえ立つ一大思想家】であり、その神仏習合思想――【「和」の思想こそ、人類の金字塔】というべきものです。

聖徳太子の思想は【十七条憲法】にはっきりと表れています。「十七条憲法」第三条までの抜粋を見てみましょう。
「第一条 和をもって貴しと為し、忤(さから)うこと無きを宗(むね)と為せ。人は皆党有れども、亦(また)達(さと)れる者すくなし」
これは普遍的な人倫を説いたものです。ここにある「党」は家族、仲間はもちろん、宗教党派、政治党派も意味しています。宗派間であれ政党間であれ、和を通わすことが大切だと説いているのです。
「第二条 篤(あつ)く三宝を敬え。三宝とは仏、法、僧なり」
ここでは、人々の心の拠りどころ、国の規範として仏の教えを敬うべきことを述べています。
「第三条 詔(みことのり)を承(う)けては必ず慎め。君則ち天にして、臣則ち地なり」
天皇政治を説いていますが、それ以上に神道政治のあり方を示したものだといえます。天と地が順行するように、君も臣も、精神的なものも物質的なものも調和していくという日本の国のあり方を明瞭に語っているといえるでしょう。

この憲法は、【民主主義をうたっている】といってよいでしょう。民主主義は近代の思想といいますが、それは法律的なことにすぎず、基本には人倫、道徳がなければなりません。制度がいくら出来ても、その基本が重要です。その基本を「和」を尊重する精神におくべしと聖徳太子は述べているのです。この【「十七条憲法」は、民主主義の根本を述べたものとして、世界的にも評価されるべき】です。』

いかがでしょうか?
聖徳太子の素晴らしさが伝わってきますね♥
ところが、偉人・聖徳太子を、全く理解できていない人物がいます。
これまで10冊以上は読んでみましたが、訳のわからない屁理屈本しか書けない、あの「内田樹」です。

こちらもご参照♥
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内田樹の限界
彼の思想の根っこには、「マルクス」があります。けれども、マルクス主義は批判するんですw
以下は、ウィキペディアからの抜粋です。
ウィキペディアより
政治的な立場
自民党と公明党による連立政権である安倍内閣に対して、独裁という強い表現を使って反対の立場を表明している。日本共産党に対して機関紙『赤旗』のインタビューで、「マルクスの教えのもっとも本質的なところ、すなわち「ものごとを根底的にとらえる」という意味でラディカルな政党であってほしい」と期待を表明している。
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「独裁」は「共産党・共産主義」の専売特許ですね? 選挙を通して選ばれた現内閣の、どこが独裁なんでしょうねw イミフですね♥そして、完全にマルクスに惚れていますw あの独裁政党・革命政党の共産党に期待している始末です^^
護憲派としての側面
護憲派であり、共著『9条どうでしょう』で独自の護憲論を展開した。『すばる』2007年1月号で高橋源一郎、矢作俊彦と対談した際、矢作が、有事に現自衛隊法では自衛隊員は銃を撃つこともできない、こういった「あいまいさ」は関東軍と同様で危険だ、という意見に対し、日本人は原理原則が行動原理ではないので、憲法もあいまいなままでよい、という立場を主張した。
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日本人こそ「原理原則」、つまり「基本的な決まり・規則」を非常に重視する国民ですね♥ だからこそ、ただの決まりごとでしかない「憲法」を、たったの一度も修正できないんですよね?原理原則が行動原理ではない、国際法を守らないのは、支那や朝鮮や西欧ですね?
世界最古の民主主義国家
保守的側面
初期の著作より一貫して、自身の経験とレヴィナスの思想をもとにマルクス主義批判(マルクス批判ではない)、学生運動批判、フェミニズム主義批判(フェミニズム批判ではない)を行なっている。『敗戦後論』を巡る中道派の加藤典洋と左派の高橋哲哉との論争に関して、加藤に対するシンパシーを、一方高橋に対しては強い違和感を表明している。ただし、『諸君!』、『正論』やネット右翼に対しては批判的である。
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彼は、ユダヤ人のマルクス同様、ユダヤ人のレヴィナスにも好意を抱いています。ユダヤ的な思考は、本来ユダヤ人のためにあるものです。彼は、そこにどっぷりと浸かっているんです♥ 決して、日本の保守とは呼べませんし、その「カケラ」もありません。
シナやヨーロッパでは、ほとんどあり得ないような話
教育問題における立場
教育/学習については、その効果は予見的に測定不可能である、との立場をとっている。「事後的に有用性が明らかになるモノを先見的に拾っておく」感性について繰り返し述べており、「その教育/学習はどのような効果が見込まれるのか」という問いを厳しく批判している。この観点から、アウトプットの定量を要求する経営主義的な学校運営に反対している。
教育行政については、一貫して政治や政治家は教育に関わるべきではないとする立場をとっている。学校教育という制度が、非常に惰性の強い制度であって、急激な変更はなじまないと考えている。つまり、政治家が替わるごとに教育に急激な変化が起こるのは、決して良いものではないという考えである。たとえば、大阪市長特別顧問に就任した際の記者会見において、平松市長に対してこう述べている。「私が市長にお願いしたいことが一つあります。一つだけです。それは地方自治体の首長は教育行政に関与して欲しくないということです。この“政治が教育行政に関わりすぎるべきではない”という点において、大阪維新の会の教育政策には批判的である。
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「経営主義」、つまり物事はすべて「経済的」、要するに「おカネ」に結び付けたがるのが「マルクス的思考」の表れです。 彼は、完全に染まっています♥
「アウトプット」、つまり「他人に対して発信できる=説明または教えることができる」ことを求めることが駄目だと言っていますが、説明できない・教えることができない状況で、本当に「学んだ=身に付いた」と言えるんでしょうか?まったく、摩訶不思議な屁理屈ですね♥
山本五十六の有名な言葉があります。
やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
内田樹とはまったく違った、本当の「教育」が感じられますね♥
内田樹には、教育者としての「資質」がありませんね♥
物事を「ユダヤ的な色眼鏡」で見ている彼は、すでに教育者としては「失格」です♥
こんな思想を押し付けられる「生徒」は、とても可哀そうです。
公立中学校での武道の必修化について
公立中学校での武道の必修化については、内田樹は反対の立場である。なぜなら、その目的が礼節や愛国心を身につけるためという功利的なものだからである。礼儀正しく振る舞うのは、手段であり目的ではない。したがって、武道の必修化では手段と目的が逆転しており、武道に対する敬意を欠いている、と主張する。
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「武道」で愛国心? 本当でしょうか? 彼は、合気道7段、居合道三段、杖道三段の武道家だと言われていますが、そんな彼自身、「愛国心を身につける」ことができていませんね? 「ユダヤ・マルクス信奉者」には、「武道」を語る資格は、「微塵」もありません♥
愛国心及び君が代起立問題
国家は私事であり擬制であるという意味で幻想である、という考えである。本質的に恣意的な構築物である国家に服従を強制すべきできないと考えている。その恣意的な「つくりもの」の国家を遠い昔からそこにあった自然物のように敬うことができるというのは、市民的成熟の一つであるとする。そのため、国旗国歌に対して敬意を抱けない人間は、ただ市民的未成熟の段階にあり、彼らに起立などを強制し、それに反するものは処罰をするということに反対している。
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これも、「国家を持たない」、流浪の民である「ユダヤ人的思考」ですね♥ 私たち日本人は、「ユダヤ人」ではありません^^ ユダヤ人の思考回路で、私たち日本人を考えないで欲しいですね♥
宮田 律 「ユダヤ人とイスラエル」がわかれば「世界の仕組み」が見えてくる
格差社会論批判
格差社会論を一貫して批判し続けている。格差社会は裏返せば拝金主義であり、金のことなど気にしなければ良い、と主張している。特に内田が問題視するのは朝日新聞の「ロスト・ジェネレーション」論を始めとする、「ロスト・ジェネレーション」と「団塊の世代」の世代間格差を問題視する論であり、内田は格差社会論は全てこのような「資源の不当な収奪への異議申し立て」であると定義し、こうした議論については徹底的な批判を加えている。その論法は教育論におけるそれと同様、「ロスト・ジェネレーション」の内面が「ロスト・ジェネレーション」の問題を創り出しているというものである。
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ここが、彼の「ジレンマ」です。彼が敬愛するユダヤ人・マルクスやユダヤ人・レヴィナスの思想を突き詰めれば突き詰めるほど、その思想とは正反対のユダヤ人、つまり「拝金主義のユダヤ人」が立ち塞がってくるんです♥ 彼が敬愛する「ユダヤ的思想」は、ユダヤ人だからこそ意味のある思想なんです♥ 私たち日本人には、まったく「当てはまりません」。国家を失ったユダヤ人は、自らを守る術は「おカネ」しかありませんでした。その点では、支那も朝鮮も、非常に似ています。彼が、ユダヤ的な思想で、私たち日本人を説明しようとしても、それは「不可能」なんです♥
まだまだ、続きがあるんですけど、面倒なので、この辺りまで♥
続きは次回に♥
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