2015-06-28 (Sun)

ひむか神話街道(公式HPはこちらから♥)
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
知っているようで、実はキチンと知らない私たち日本の「国史」。
私たち日本人の祖先が、どのようにして歴史を紡いできたのでしょう。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 須佐之男命(すさのおのみこと)はまた高天原(たかまがはら)から追放されてしまいました。高天原からこの世に降りてきて、行った先が出雲です。出雲は山の中ではなく、【海辺の場所】です。このことは須佐之男命が海からやってきたことを思わせます。

こちらもご参照♥
↓
古代日本海を代表する一つの強国
その出雲で事件が起きます。八岐大蛇(やまたのおろち)という大蛇が大暴れして人々を苦しめ、娘を生け贄に出せといっているというのです。須佐之男命はこの怪物を退治し、娘と結婚します。同じような英雄の怪物退治物語は、ギリシャやバビロニア、インド、ヒッタイトなどの【大陸文化圏】にたくさんあります。つまり、事件は須佐之男命の大陸的性格を示しています。

須佐之男命は土地の娘と結婚して子供をつくります。それが大国主命(おおくにぬしのみこと)です。大国主命もまた事件に遭いますが、これも日本で起こったとは思えないような事件です。有名な【因幡の白兎】の話です。

大国主命は鰐(ワニ)に皮を剥がされてひどい目に遭った白兎を助けます。そして、大国主命をねたむ八十神(やそがみ)を滅ぼします。最後は、狩りに出かけた大国主命が猪に似た大石に焼き殺されてしまいます。しかし、生き返るのです。このときにも、日本にいないはずの鰐の話が出てきます。

このように、日本の神話には【海につながる話】が多いのです。日本列島に、海の向こうから人々が渡ってきて日本をつくっていった、そういう歴史的事実がこれらの話に反映されているのでしょう。【海の向こうからやってきた人々、つまり神々が日本の風土に同化していく話】が、日本の神話のかなりの部分を占めています。

こちらもご参照♥ ⇒ ひむか神話街道 50の物語集 神話編 「海幸彦と山幸彦」(宮崎市)
【海幸彦(うみさちひこ)】、【山幸彦(やまさちひこ)】の物語もその一つだといえます。
二人は兄弟で、兄の海幸彦が海、弟の山幸彦が山と、それぞれが異なった場所で仕事をしているのですが、あるとき、釣り針と弓矢を交換します。ところが、山幸彦は釣り針をなくしてしまい、兄の海幸彦から返せと迫られます。困った山幸彦は海の神宮を訪れ、その娘と結婚しました。おかげで鯛ののどから釣り針を見つけ出し、兄の海幸彦に返すことができました。それだけではありません。海幸彦を服従させます。ここにも鰐の話が出てくるのですが、山幸彦が結婚した海の神宮の姫は、実は鰐の化身でした。
このことは、この物語が遠くの土地から渡ってきたことを示しています。
山幸彦は山の人です。海幸彦は海の人です。【海の人が山の人に従っていく、海の向こうからやってきた人が山の人に従って同化していく、というのがこの物語のパターン】です。そして、このパターンは【日本が統一されていく物語と重なる】のです。
こちらもご参照♥
↓
国譲り物語

神武東征
日本を統一する主人公は【神武天皇】です。この天皇は九州から出てきます。…神武天皇は祖先が高千穂峰に天孫降臨し、日向(ひむか)という山の国で力を蓄えてきました。【神武天皇は山の人】なのです。…

神武東遷お舟出の地にある「日本海軍発祥之地碑」(宮崎県日向市美々津町)

その神武天皇が即位された紀元前660年2月11日が、【日本の建国記念日】です。戦後のどの日本史の本にも、神武天皇は架空の天皇だと書いてありました。だから、…即位も架空で、これを建国記念日とするのは間違いだと主張する人がいます。【しかし、大和地方に支配圏を及ぼそうとする神武天皇の軍勢を阻もうとした人々が築いた防御の壁が発見されています】。【神武天皇の戦いが、つくられた話ではないことは、これからさらに明らかになっていくでしょう】。

ところで、日本の古名は大和です。この「やまと」の語源は漢字ではいろいろといわれていますが、その意味は「山の人」だと私は考えています。山の人―やまのひと―やまひと―やまと―大和という流れです。海の人が従い、同化していく。それを導いた「山の人」が国の名称になったのです。山の処、山の跡という意味だというのが通説のようですが、【あくまで主人公は人】です。』

いかがでしょうか?
私たちの国「日本」の成り立ちがお分かりいただけるのではないでしょうか?
よく誤解されているのが、日本人の祖先は「大陸から渡ってきた」という点です。
実は、古代の人口分布は、「東側」、つまり大陸から遠い方に多くの人々が住んでいました。

しかも、その中心地は、「関東」です。

関東には、「常陸(ひたち)」と呼ばる地域があります。常世(とこよ)の国の意味で、不老不死の聖地を指しています。
また、その読み方「ひたち」から、「日立」→「日が立つ」→「日が昇る」と想像できますね。それが、現在の茨城県です。
そして、そこには、「鹿島神宮」と「香取神宮」という2つの「神宮」が古くから存在しています。

鹿島神宮

香取神宮
その近くには、「高天原(たかまがはら)」という地名の場所も存在しています。
呼称に「神宮」が付くのは、最高に格の高い神社のみで、平安時代の『延喜式神名帳』で「神宮」の呼称で記されたのは、【鹿島、香取、伊勢の三社だけ】でした。そして、それは以後、明治までその扱いは変わっていませんでした。
もう、お分かりですね♥
日本人の祖先は、東に住んでいて、その子孫が「天孫降臨」で西(南九州)へと渡ったのです。
大陸から渡来したのではありません♥
九州北部や山陰地方の日本海側にも、住民が居ました。そこは、大陸とも活発に交流があったと考えられています。
その中心に位置したのが、出雲大社であり、宗像大社でした。

出雲大社

宗像大社
こちらもご参照♥
↓
宗像三女神
そこでは、多くの渡来人も住んでいましたし、交わりもありました。
こちらもご参照♥
↓
篠田 謙一 日本人になった祖先たち―DNAから解明するその多元的構造
そして、『古事記』『日本書紀』で大きなウェイトを占める【出雲神話】の登場です。「国譲りの神話」です。
大陸から入ってきた新しい弥生文化が西日本に発展します。
それは、従来の縄文文化が高度に発達していた東国とのあいだにせめぎ合いを引き起こします。
大和系と出雲系との対立、東国の縄文系と西国の弥生系との対立です。
高天原の天照大神は、葦原中津国を治めていた大国主命に迫って、【話し合いで】国の支配権を譲らせました。
まさに、この時、東と西、縄文と弥生が融合するんです♥
東の民の下に西の民が融合、縄文文化の民の下に弥生文化の民が、天照大神を中心として「まとまった」歴史です。
この時、中心的な役割を果たした二柱の神が、鹿島神宮と香取神宮の祭神なのです♥
ちなみに、東の神宮が「鹿島神宮」「香取神宮」ならば、西の神宮が「伊勢神宮」だと容易に想像ができると思いますが、それらには共通点があるんです。
平地から、「富士山」を拝むことができる東の端と西の端に、それらの神宮が位置しているんです。
中心が、富士山なんです♥
私たち日本人の「富士山」。
そして、私たち日本人は、「山の人」→「大和(やまと)」なんです♥
日本万歳♥
こちらもご参照♥
↓
田中英道 本当はすごい! 東京の歴史
続きは次回に♥
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