2015-06-21 (Sun)

サミュエル・フィリップス・ハンティントン(Samuel Phillips Huntington, 1927年4月18日 - 2008年12月24日)は、アメリカ合衆国の国際政治学者。コロンビア大学「戦争と平和」研究所副所長を経てハーバード大学教授。1986年から1987年まで、アメリカ政治学会会長を務めた。彼の研究領域は政軍関係論、比較政治学、国際政治学などに及び、軍事的プロフェッショナリズム、発展途上国における民主化、冷戦後の世界秩序での文明の衝突の研究業績を残している。
ハンティントンは1927年にニューヨーク市でホテル業界紙の発行者であった父親と小説家の母親との間に一人っ子として生まれた。1939年に第二次世界大戦が勃発したことを契機として国際問題への関心を深めた。18歳でイェール大学を優れた成績で卒業し、陸軍に志願する。復員してからシカゴ大学で修士号取得。ハーバード大学で政軍関係の研究に従事して博士号を取得した。1950年から1958年までハーバード大学政治学部の教員として教鞭を執った。しかし、ハーバード大学が終身在職権付与を拒絶したため、1958年からコロンビア大学政治学部准教授となり、同大学の戦争と平和研究所副所長も兼任した(1962年まで)。1963年、ハーバード大学からの終身在職権付招聘に応えてハーバードに復帰し終生在職した。1967年からジョンソン政権の国務省でベトナム戦争に関する報告書を執筆し、また大統領選でニクソンと争ったヒューバート・ハンフリー候補の選挙対策として演説原稿を執筆してもいる。カーター政権でもアメリカ国家安全保障会議に加わり、ブレジンスキーの下で勤務しており、ブレジンスキーと共に1978年に「アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁(FEMA)」を創設している。彼はハーバード大学での教育研究に尽力し、2008年にマサチューセッツ州の介護施設で死去した。
リアリズムを基調とした保守的な思想で知られる国際政治学の世界的権威である。彼はもともと近代化とそれに伴う社会変動や民主化の理論で政治理論家としての名声を築いた。しかしその名を一躍世界に広めたのはかつての教え子フランシス・フクヤマが提示した歴史の終わりに呼応する形でアメリカン・エンタープライズ研究所でのハンティントンの講義をもとに「フォーリン・アフェアーズ」誌に投稿した論文から派生した著書『文明の衝突』である。なお彼は、ホワイトハウスの政治顧問としても活躍した経験をもち、アメリカのアイデンティティの混迷を描いた『分裂するアメリカ』などの著書もある。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
今回の書物は、著者の主観が強くでていますので、ある程度割り引いて読んでいく必要があります。
主観的判断の部分は、飛ばし読みでも良いと思います♥
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 1960年代に流行した近代化論がケネディ政権の外交の基本的な考え方となった…

アメリカの考える近代化とは簡単に言うと民主政治体制(デモクラシー)と資本主義経済体制をある国に導入して根付かせることであり、冷戦下、これは「ある国を共産主義体制にしない」ということを意味した。この考えが推進されると、【ある国に介入してもいいという介入主義(interventionism)】となった。これが今でも【アメリカ外交の一つの潮流】となっている。ハンチントンの近代化論に対する批判は、こうした介入主義に対する批判ともなっている。

第三の波―20世紀後半の民主化
1991年、ハンチントンは、『第三の波(The Third Wave : Democratization in the Late Twentieth Century)』を出版した。この『第三の波』において、ハンチントンは、世界の民主化(democratization)の流れは、「民主化の波(wave of democracy)」と「揺り戻し(逆転)の波(reverse wave of democracy)」が交互に起こることで進んできたと主張した。
ハンチントンの主張は以下の通りである。民主化の第一の波は、1828年から1926年まで続いた。しかし、1922年から1942年にかけて、イタリアやドイツでファシズムが台頭したことで、第一の揺り戻しの波が起きた。そして、民主化の第二の波は1943年から1962年の間に発生した。この時期、敗戦国である日本、ドイツ、イタリアの民主化が進み、旧植民地諸国も民主国家として独立を果たした。しかし、1958年から1975年にかけて第二の揺り戻しの波が起きた。南米やアジア諸国で軍部によるクーデターなどで、民主体制が覆され、権威主義(authoritarianism)体制が確立していった。民主化の第三の波は、1974年のポルトガルでのクーデターから始まり、南欧、南米、アジア諸国、そして1980年代末の東欧共産主義諸国へと波及していった。

フランシス・フクヤマは、彼の論文「サミュエル・ハンチントンの遺産」の中で、ハンチントンが民主化の第三の波の波及においては、【キリスト教、特にカトリック(ローマ教皇とヴァチカン)が重要な役割】を果たしたという点を指摘していることが重要だとしている。それまでの民主化研究にはない新しい視点をハンチントンが提示したとフクヤマは述べている。

サン・ピエトロ広場と大聖堂
「民主化の波」という考えは、冷戦期に流行した、ドミノ理論(Domino Theory)によく似ている。冷戦期に流行したドミノ理論とは、
「ある地域のある国に社会主義政権ができてしまうと、ドミノ倒しのように近隣の国々も社会主義となってしまう」
という考え方だ。そして、これを更に進めると
「そうならないようにするために、社会主義の波及はその萌芽が見えた時点で食い止めなければならない」
という考え方になる。アメリカが泥沼のベトナム戦争にはまり込んだ背景にはこのドミノ理論があった。

1989年当時の東欧の社会主義諸国の政治指導者たちにとっては、民主化こそが「ドミノ倒し」だった。そして、ハンチントンは「民主化」と「ドミノ理論」を組み合わせて「民主化の波」理論を作った。「ある地域の一国で民主化がなされると、その周辺にも波及する」という考え方は冷戦期のドミノ理論の裏返しである。しかし、それに加えて、ハンチントンの弟子フランシス・フクヤマは、民主化の第三の波に関して、「キリスト教」という要素の重要性を指摘している。

民主化論というのもまた近代化論の一種であって、欧米で発達した民主的な政治体制を非欧米諸国にも移植し、反映させるという考えである。そのためには、民主政治体制が人類にとって普遍的なものでなければならない。これはつまり、民主政治体制がどんな歴史、伝統、文化、宗教を持っていても、世界の全ての国々に適用できるものでなければならないということだ。しかし、フランシス・フクヤマは、ハンチントンがそこに宗教、特にキリスト教という要素が重要性を持つということを主張した点を指摘している。』

十字架に磔(はりつけ)にされたのは、ある理由があったんです♥
いかがでしょうか?
「リベラルの牙城」であるハーバードで、アメリカ流の保守を貫いたハンチントン。
そしてその弟子、フランシス・フクヤマは、ハンチントンの主張のなかで、もっとも重要な要素が「キリスト教」だと断言しています。
一体、キリスト教って、どんなものなのでしょう?
ご参考までに、「キリスト教」の「神様」とされている「イエス」の実像に迫ってみようとする書物があります。
非常に、深い洞察ですので、とても参考になります♥
↓
えっ!実は「聖書」にも、朝日新聞みたいに「捏造」があったんです♥
あともう一つ、お隣の国でもキリスト教が盛んな様子が記されている書物をご紹介いたします♥
↓
韓国のキリスト教
続きは次回に♥
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