2015-06-05 (Fri)

昭和15年に創設された戦車第11連隊は「十一」を「士」と読み“士魂(しこん)部隊”と呼ばれていたが、昭和19年2月に満州から占守島(しゅむしゅとう)に配備された戦車部隊の精鋭であった。

画像はこちらからお借りいたしました♥⇒独立行政法人 北方領土問題対策協会


戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
戦前の日本人の祖先が、いかに自分たちを犠牲にしてまで、子孫である私たち現代人に、その希望を託していたのでしょう。
私たち日本人は、今の学校では決して教えない「本当の命の大切さ」を知らなければなりません。
それは、欧米や大陸流の「身勝手な個人主義」ではなく、「和を尊ぶ」「共同体を大切にする」という私たち日本人の素晴らしき伝統を知るということです。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 「攻撃っ 前進!」

池田末男大佐
池田大佐は日章旗を振り下ろして前進を命じる。すると、連隊長を中心に横一線に開いた戦車隊は、男体山方面へ向けて進撃した。ソ連兵はマンドリン銃や迫撃砲などで攻撃してくるが、霧の中から突然現れるソ連兵は、戦車で踏みつぶしたり砲塔から身を乗り出して拳銃などで撃った。すでに白兵戦で疲弊し、玉砕を覚悟していた村上大隊の将兵は、戦車隊の出現に歓喜の声を上げたという。

ソ連軍を追い払った戦車隊は四嶺山の山頂付近に戻った。しかし、このとき池田大佐と共に戦った丹生勝丈(にうかつたけ)少佐が、撃たれて戦死していた。

丹生勝丈少佐
丹生少佐は蘭印作戦でも活躍した猛者で、池田大佐が目をかけていた部下だった。池田大佐は丹生少佐を大の字に寝かせて砲塔のうしろにくくり付けた。そして、
「丹生、貴様も戦場に連れて行ってやるからなっ」
と叫ぶと、約40輛に増えていた戦車隊は、午前7時50分ごろ再度出撃する。しかし、このころすでにソ連軍は対戦車銃や45ミリ対戦車砲などを準備して日本軍を待ち構えていたのだ。

その後、池田大佐ほか数輛は女体山方面に向かう。これは、武器もなく取り残された第3特殊監視隊の将兵を救出するためだった。そのとき、池田大佐の戦車にソ連の対戦車砲が命中する。車内にあった弾薬の誘爆で戦車は炎に包まれ、ついに池田大佐は壮烈な戦死を遂げた。
池田大佐亡きあと、戦車隊の指揮を執ったのは内田少尉だった。このときの戦いは大野芳著『8月17日、ソ連軍上陸す』に詳しい。
「内田が砲塔から身を乗り出して拳銃で応戦していると、式町が足元に崩れおちた。胸部貫通、即死だった。内田は、式町の血を浴びた。代わって松島が砲座について撃ちつづけた。敵は、逃げ回りながら果敢に対戦車砲を発砲し、手榴弾を投げてきた」
とあり、最前線では戦車隊もソ連兵と肉弾戦を繰り広げていたことが分かる。結局、この戦いで戦車11連隊は96人が戦死し、21輛の戦車が擱座(かくざ)した。

やがて、独立歩兵第238大隊(竹田大隊)や店援軍などが加わって反撃したことで、午後12時ごろ、ソ連軍はじりじりと竹田浜方面に撤退しはじめた。もし、池田大佐が後続部隊を待って戦車隊の突入が遅れていたら、四嶺山はソ連軍に占拠されていただろう。…
なお、日魯漁業長崎工場の女子従業員400人は、ソ連軍の侵攻後、いち早く守備隊が防空壕に避難させた。そして、18日午後には船で島を脱出し、5日後に無事、北海道の根室港に到着している。こうして占守島の女子従業員は、ソ連兵から逃れることができたのだ。
ポツダム宣言を受け入れて武装解除すると思われていた日本軍の反撃は、ソ連軍にとって予想外のものであった。日本軍には18日16時に攻撃中止命令が出されていたが、自衛のための戦いは禁止されなかった。もちろん、【日本軍も何度か停戦交渉を試みたが、白旗を揚げている軍使が銃撃されたり、軍使が人質となって射殺されるなど、交渉は簡単にはまとまらなかった】。…

日本側の推定では、占守島の戦いでの日本軍の戦死者は約600人、ソ連軍は3000人の戦死者を出し日本軍が勝利したと見ている。その証拠にソ連政府機関紙は
「占守島の戦いは、満州・朝鮮における戦闘よりも損害がはるかに大きかった。8月19日はソ連人民の悲しみの日であり、喪の日である」
(上原卓著『北海道を守った占守島の戦い』)と伝えている。』

いかがでしょうか?
日本がポツダム宣言を受け入れた、「その後も」、ユダヤ共産党のソ連が日本の領土を侵略してきました。
彼らユダヤ共産党のソ連は、北海道の分割を目論んでいました。

ユダヤ共産党のソ連は、「武装解除をしていた」満州にも侵攻してきました。
武装解除をしていた日本軍は、一般市民を護ることができませんね♥
その結果、ユダヤ共産党ソ連の武装した兵士たちによって、略奪や強姦や虐殺が行われました。
アメリカ軍による民間人をターゲットとしたホロコーストの本土大空襲・原爆投下と同様に、満州においても民間人の犠牲者が多いのは、そのためなんです。


私たちの祖先が、日本の敗戦を受け入れた後、どのような辛苦を味わされたか。捕虜になった日本兵の取り扱われ方が、いかに不当であったのかが、この書籍には詳しく書かれていました♥
↓
丸谷 元人 日本軍は本当に「残虐」だったのか―反日プロパガンダとしての日本軍の蛮行
そして、そんな狂気な状況の中で、
『 民族の防波堤 』となって、『 後世の歴史に問わん 』として、
その尊い命を犠牲にして、 私たちの国を護ってくださったんです。
現在の陸上自衛隊・第11旅団・第11戦車大隊にも、【士魂】の精神は受け継がれ、道央道南の防衛の任に当たっています。


バトンを渡されたのは、今を生きている私たち日本人です。
英霊の犠牲に報いるためにも、今を生きている私たち日本人がやらなければないらないことはたくさんありますね♥
それが、子どもたちの未来にも繋がります。頑張りましょう♥
続きは次回に♥
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