2015-06-03 (Wed)

戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
戦前の日本人の祖先が、いかに自分たちを犠牲にしてまで、子孫である私たち現代人に、その希望を託していたのでしょう。
私たち日本人は、今の学校では決して教えない「本当の命の大切さ」を知らなければなりません。
それは、欧米や大陸流の「身勝手な個人主義」ではなく、「和を尊ぶ」「共同体を大切にする」という私たち日本人の素晴らしき伝統を知るということです。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 日本人であれば、ロシアに奪われたままの北方領土、すなわち択捉(えとろふ)島、国後(くなしり)島、色丹(しこたん)島、歯舞(はぼまい)群島のことは知っているだろう。

画像はこちらからお借りいたしました♥⇒独立行政法人 北方領土問題対策協会

そもそも、ロシアと日本の国境が定められたのは、1855年(安政元年)の日露和親条約で、このときロシアとの国境は択捉島と得撫(うるっぷ)島の間と決まった。その後、日露は外交交渉によって1875年(明治8年)の樺太・千島交換条約で、【千島列島は日本領】とする代わりに樺太をロシア領としたが、1905年(明治38年)の日露戦争に勝利した日本は、ポーツマス条約で北緯50度以南の南樺太を手に入れた。したがって、1945年(昭和20年)8月時点で、千島列島の最北端にあった占守島(しゅむしゅとう)は正式な日本の領土だったのである。

1945年(昭和20年)8月15日、日本がポツダム宣言を受け入れたことで…戦争は終結する…幸いにもドイツのように国家が分断されることはなかった。

だが、連合国の当初の計画には…分割占領計画が存在していたし、スターリンは8月16日に、アメリカ大統領ルーズベルトに対し、【北海道の釧路と留萌(るもい)以北をソ連が占領することを認めるように要求】している。ルーズベルトは千島列島の占領は認めたものの、北海道の占領は拒否したと言われているが、【実際にソ連は南樺太や千島列島の最北端にある占守島などに侵攻】している。…

終戦の5日前に、日ソ中立条約を一方的に破って日本に対して宣戦布告したソ連は、中国大陸の満州や内蒙古にも攻め込んできた。中でも、さほど抵抗せずに武装解除した満州では、【日本人の多くがソ連兵に財産を没収され、女性は凌辱される】などの被害に遭うが、当時、占守島にも日魯(ニチロ)漁業長崎工場で働いていた約400人の女子従業員がいた。…

日本軍がほんとうに残虐だったのかどうか、他国の軍隊はどうだったのか、この書籍には詳しく書かれていました♥
↓
丸谷 元人 日本軍は本当に「残虐」だったのか―反日プロパガンダとしての日本軍の蛮行

(※満州も圧倒的に”民間人戦没者”が多いです。つまり民間人が殺されたんです。)

8月9日、ソ連は日ソ中立条約を破棄して日本に宣戦布告する。大本営は直ちに、関東軍、支那方面軍、そして北海道、南樺太、千島列島を管轄する第五方面軍に
「兵力をもって敵の侵攻を破砕しつつ速やかに全面的な対ソ連作戦の発動を準備すべし」
と下命…このとき、第五方面軍司令官は樋口季一郎中将であった。

樋口季一郎中将
8月12日、樋口中将はさっそく
「宿敵ソ連を殲滅せよ」
と命令している。
そして8月15日、玉音放送によって…日本軍が戦争に負けたことを知った。…16日には部隊長が集められ…今後の方針が伝えられた。そして第五方面軍司令官・樋口中将の「一切の戦闘行為の停止」「やむを得ない自衛行動は妨げない」「その完全徹底は18日16時とする」との命令を下達した。これを受け、各部隊は武装解除の準備を始めることになる。
8月18日午前1時30分ごろ、カムチャツカ半島の南端にあるロパト砲台から、竹田浜に150発ほどの砲弾が撃ち込まれた。…この報告を聞いた独立歩兵第282大隊の村上大隊長は
「こんな夜中にアメリカ軍の軍使が来るはずはない」
と判断して、各部隊に直ちに戦闘配置命令を出した。

池田末男大佐
村上隊長の勘は当たっていた。8月17日夕方にカムチャツカ半島から出撃したソ連軍は、18日の午前2時頃には、占守島の北にある竹田浜沖に大挙して押し寄せていた。…これを受け、堤師団長は…戦車第11連隊隊長・池田末男大佐に出撃命令を出す。すでに弾薬や燃料を抜いて武装解除準備を進めていた守備隊は、大慌てで戦闘準備を始めることになったのである。

このとき日本軍は、まだ敵がソ連であることを確認できていなかったが、竹田浜に上陸してきたソ連軍は、男体山、女体山、二子山からなる四嶺(しれい)山の占拠を目指しており、ここが最大の激戦地となるのである。』

いかがでしょうか?
恥ずかしい話ですけど、「占守島」の一件を、この書物を読むまで、全く知りませんでした。
同じような人々が、まだまだ他にもたくさんいらっしゃるのではないでしょうか?
ネットで検索してみると、沢山の人が、「占守島」の激戦について、詳しく解説されています。
とても参考になりました。まだまだ、勉強不足だなぁ~♥
これからも、頑張って書物を読んでいきたいと思います。
続きは次回に♥
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