2015-04-20 (Mon)

宮崎県 高千穂町 「雲海の名所」 国見ヶ丘
写真はこちらからお借りいたしました♥⇒一般社団法人 高千穂町観光協会
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
さて、日本の中心地は、昔から「関西」だったのでしょうか?
これを確かめるためには、「関東」の歴史を理解する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
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『 8世紀に成立した『古事記』『日本書紀』といった日本の神話には、山に関わる重要な言葉として「高天原(たかまがはら)」が出てきます。人間の住む地上の葦原中津国(あしはらのなかつのくに)と区別して、天上の神々が住む世界のことを指し、地下にある死者の国「黄泉(よみ)」とも区別されます。

システィーナ礼拝堂主祭壇の『最後の審判』
これが西洋であれば、善と悪、天国と地獄のように、それぞれが別の世界として際立って対立した表現になるところでしょう。ところが「高天原」「葦原中津国」「黄泉」には、区別はあっても、はっきりとした対立の構図がありません。高天原も黄泉の国も、あたかも中津国と地つづきであるかのような現実性があるのです。ですから、スサノオノミコトのように高天原と中津国を往来する神もいる。

いったい「高天原」とは、どんな世界なのでしょうか。これについてはいまだに議論があって、その所在についても諸説あります。…
しかし、基本的にはやはり高いところであるはずです。となると当然、日本一高いところ、富士山以外に考えようがないのではないでしょうか。山を信仰する日本人にとって、もっとも重要で神聖な山といえば、富士山でしょう。

といっても、高天原は抽象的な想像の世界ですから、富士山そのものが高天原だと直接的に結び付けていたわけではありません。高天原の概念に富士山を重ね合わせて見てきたに過ぎないとは思います。超越的な世界のイメージの原形として富士山はとらえられてきたのでしょう。
高天原にしろ、中津国にしろ、なにしろ日本の神話ですから、身の回りの風景、日本という国にあるイメージのなかから造型されたに違いないのです。
『古事記』にも『日本書紀』にも「富士山」の記述がないことはよく知られています。しかし、同時代に編まれた『万葉集』では富士山を主題にした歌がしきりにつくられていますので、7、8世紀の奈良に住む人々が富士山を知らなかったはずはありません。…

実際に富士山を見てきた人の表現を通じて、都人(みやこびと)も富士山の存在を知ることができたのです。
「日の本の 大和の国の 鎮めとも います神かも」 (高橋虫麻呂 富士讃歌の一部)
という表現にもあるように、富士山には神がいると感じられていたのです。
高天原の概念そのものが富士山を基礎にしていたのではないかというとは、十分考えられることでしょう。高天原という世界を考えるときに、イメージとして一番に思い浮かべることができたのは、富士山だったのです。』

国際宇宙ステーションから見た富士山
いかがでしょうか?
高天原は富士山?ビックリですね♥
もう少し、読み進めてみましょう。
続きは次回に♥
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