2015-04-16 (Thu)

戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
私たちが本当の意味での「日本を取り戻す」ためには、
「国体」を理解する必要があります。
私たち日本の「国体」とは何か?
それでは、この書物を見ていきましょう!
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『 私たちは一人ひとりがかけがえのない個性を持っています。この個性は唯一無二なのです。したがって、それぞれが個性を発揮すれば、お互いに衝突するとことはないのです。なぜなら、一つとして同じ個性はないからです。各自の個性が発揮されることによって、全体の調和が達成されるわけです。

各自が個性に相応しい仕事に就き、その仕事に刻苦勉励する、すなわち個性を存分に発揮する。これが分掌・分業です。たとえばオーケストラを考えると理解しやすいでしょう。一つ一つの楽器が奏でる音色は異なっているが、オーケストラ全体として調和された音楽を作り上げているのです。このように、個と全体が調和するのです。その前提は、個がそれぞれの違った役割を果たすことにあります。それぞれが違った役割であるが故に、全体が調和することができるのです。ですから、調和を達成するには皆が同じことをすることでは決してありません。

皆が同じだったら・・・

この点は非常に重要です。皆が同じでないと調和がもたらされないとする考え方は、間違っているのです。

皆が同じだったら・・・

たとえば、学校教育において皆を同じにしようとする試みが現に行われています。競争で優劣をつけないようにするために、成績評価ではクラス全員を「3」にしたり、百メートル競争において最後は全員が手をつないでゴールするといった類のことです。言うまでもないことですが、このような状況は決して調和が取れたものとはいえず、【ましてや平等が達成されたわけでもありません】。差がないことが調和であり平等であると考えているのですが、この様な見方は、【物質的な考え方】です。目に見える物質的なものだけでは調和も平等も決して達成されないのです。

皆が同じだったら・・・

重要なことは、個性は決して同じではないということです。ということは、人間は誰しも決して同じではないのです。一人ひとりが違っているのです。しかし、【違いは決して上下の関係ではありません】。一人ひとりの個性も価値は人であり、個性が発揮された社会は調和のとれた社会であり、平等な社会なのです。』

いかがでしょうか?
日本人一人ひとりが、それぞれの個性を生かし、精一杯努力していく。
それが、本来の日本を取り戻すことにも繋がります♥
みなさん、頑張っていきましょう^^
続きは次回に♥
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No title * by Shinohara
資本主義国で平等なんて有り得ない。だからといって共産圏はいいかといえば、もっと悪い。一時期の日教組が「個性」「平等」を掲げ、運動会の徒競走も順位をつけなかった。そんな環境で育った子供が社会に出て戸惑うどころか挫折するのは当然の成り行きで、この間違った何十年かを取り戻すには何倍もの年月を要するでしょう。会社の入社式に両親同行って唖然です。