2015-04-10 (Fri)


伊耶那岐神(右)と伊耶那美神(左)
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
私たちが本当の意味での「日本を取り戻す」ためには、
「真の保守、真正保守」の考え方を理解する必要があります。
保守とは何か?その疑問を突き詰めていく、この書物を見ていきましょう!
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『 西南戦争の跡は、私もかなり克明に、時間をかけて四回に分けて辿りました。西郷さんが担がれてまず熊本鎮台に行く。それから熊本城を囲んで田原坂(たばるざか)で政府軍と激突します。
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西郷さんが軍略家ならば、決起直後、熊本は捨て置いて、まず長崎と小倉の港を取る手があった。そうすれば政府軍が来る前に九州を完全に統治できたはずです。なのにそうしなかった。はっきり言ってこの人には【軍略がない】んだ。周りに桐野利秋や篠原国幹(こっかん)もいて、優秀な留学帰りの、外国語を話せる人たちもたくさんいたにもかかわらず、そういうものが全然なかった。「新政府に尋ねたきことこれあり」。それが決起の理由でした…

しかし、西郷さんその人は、若い頃から軍略は勉強していました。…

本人が軍略を知らないからではなくて、要するにそういう軍略という発想を…。

戊辰戦争の時、陰謀をめぐらして軍事作戦を領導したのが西郷です。それが、突然、変わってしまった。この時はもう乗り越えてしまっている。新政府をつくって権力を握ったのだから、普通の人間なら自分の描いてきたグランドストラテジーに沿って今度はいろいろな政策を実行に移そうとするでしょう。それを見事にやっかたのが木戸孝允(たかよし)と大久保利通です。だけども、西郷さんは途中でそのことに興味をなくしてしまう。
西郷がいなければできなかった維新は、大政奉還から廃藩置県、…ここまでは西郷がいなかったらできなかった。明治維新は一種の革命ですから。
ところが、それ以降は間断なき調整というのか、こまごまとした政策議論になってしまい、国家の基本をどうするかという大本はすっぽり抜け落ちている。では、基本はどこか。明治維新の基本は【五箇条の御誓文】に完全に集約されていて、ここで西郷の役目は終わったと見るべきでしょう。そう見ないと、それから後の無謀な西南戦争で何の軍事的謀略も発揮せず、担がれて、人吉で政府軍の巨砲にやられて以後は、小林、宮崎、佐土原(さどわら)、延岡、そして山越えして再び小林から城山へと敗走するわけですが、その心情は何であったか、うまく説明できない。

幟仁親王が揮毫した御誓文の原本
しかも、西郷さんは50人のボディガードに隠れて前線に出てきませんでした。というのは、暗殺を恐れたからです。…これはもう戦国武将に帰ったようなもので、近代戦争ではない…戦国時代は大将の首さえはねれれば軍隊はおしまいです。それと同じ戦い方をしている。考えてみると非常に不思議です。…
それどころか、明治政府から下野した後、西南戦争に至るまでの西郷がどんなことを考えていたかということを示す記録は、ほとんど残っていません。…
西郷そのものが最後に何を考えていたかがわかるという書き物は何もない…唯一あるとすれば、敬天愛人でしょうか。』

いかがでしょうか?
西郷隆盛の役割の頂点、それが「五箇条の御誓文」だと書かれています。
五箇条の御誓文は、以下のような内容です。
一 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ
(広く会議を興し、万機公論に決すべし。 )
一 上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ
(上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし。)
一 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス
(官武一途庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。)
一 旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
(旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。 )
一 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ
(智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし。 )
次の勅語は、明治天皇が神前で五箇条を誓われたあとに下された言葉です。
(現代語表記)我が国未曾有の変革を為んとし、朕、躬を以て衆に先んじ天地神明に誓い、大にこの国是を定め、万民保全の道を立んとす。衆またこの趣旨に基き協心努力せよ。
(意味)我が国は未曾有の変革を為そうとし、わたくし(天皇)が自ら臣民に率先して天地神明に誓い、大いにこの国是を定め、万民を保全する道を立てようとする。臣民もまたこの趣旨に基づき心を合わせて努力せよ。
神前にて、天皇自らが、天地神明に誓われた「五箇条」。その内容は、要するに、日本が一つになって頑張ろう、というものですね♥
西郷隆盛は、この段階で自分のやるべきことが終わったと考えたのではないでしょうか?
西郷隆盛が、なぜ最後に戦わなかったのか。その答えも、ここにあるような気がします。
戦って日本を分断したくなかった。
日本に迫る外敵にこそ、その力を使いたかったのではないでしょうか。
ちなみに、上野にある西郷隆盛の像は、皇居の方角でも、鹿児島の方角でもなく、まっすぐ南の太平洋を望むように建っています。太平洋を渡り、侵略してくる外国の艦隊を見つめるように♥
続きは次回に♥
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