2014-12-21 (Sun)

明治4年銘の1圓金貨幣
日本の金貨(にほんのきんか)とは、日本で鋳造され発行、流通した金貨の総称であり、大判、小判、分金、本位金貨、記念金貨等がこれに相当する。明治政府は、それまでの小判、分金、穴銭などの貨幣に変えて近代的な洋式貨幣を発行すべく香港および英国から鋳造機を導入し明治3年11月27日から最初に銀貨の鋳造を初め、明治4年(1871年)8月から金貨が発行された。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
実は「お金」にまつわる嘘の報道も多いのです。
それでは、幕末から明治にかけた「お金」のお話しを、こちらの本で見ていきましょう!
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『 インフレは、紙幣価値の下落、つまり物価の騰貴をもたらす…米の値段を調べてみると、明治4年の米10㎏が36銭、10年は51銭と上がり、最もインフレの激しかった15年には86銭まで値上がりしたのである。
また、このインフレは地方の農村地帯にも多大な影響をもたらした。この頃、すでに田畑を持っていた自作農たちは、収穫した米を問屋に売り、現金収入を得ていた。その結果、米の価値の騰貴により、売って得る金額は以前に比べて多額になったが、税金として納める地租は以前のままであった。このため、米価の高騰は、自作農たちや、小作料として米の現物を受ける大地主たちの懐を肥やした。納める主要な税金である地租の額が変わらず、収入の現金が極端に増えたのである…
さらに、厳しい経済状態に陥ったのは、下級士族たちのような公債証書の受領者たちである。インフレの進行により、公債相場の下落が続いた。額面100円の7分利息付公債の実質的価値は…明治13年には、大きく額面割れして60円70銭までになった。 』

第一国立銀行
注:明治の国立銀行(こくりつぎんこう)とは、1872年(明治5年)の国立銀行条例に基づいて開設された金融機関である。当時の大蔵少輔・伊藤博文のもとで制度が創られた。
「国立銀行」とはアメリカのnational bank(現在では国法銀行と訳すことが多い)の直訳であり、「国法によって立てられた銀行」という意味である。したがって民間資本が法律に基づいて設立して経営したものであり、国が設立して経営した銀行ではない。金貨との交換義務を持つ兌換紙幣の発行権を持ち、当初は第一から第五の4行が設立された。

第一国立銀行の兌換券
いかがでしょうか?
大量の「紙のお金」が出回ったことで、インフレに襲われた日本。
そんななか、「農民」は大儲けになっていたんですね♥
続きは次回に♥
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