2014-12-17 (Wed)

万延小判(まんえんこばん)とは万延元年4月9日(1860年5月29日)から鋳造が始まり翌4月10日(5月30日)より通用開始された一両としての額面を持つ小判である。新小判(しんこばん)あるいは雛小判(ひなこばん)とも呼ばれる。また万延小判および万延一分判を総称して万延金(まんえんきん)と呼ぶ。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
実は「お金」にまつわる嘘の報道も多いのです。
それでは、幕末から明治にかけた「お金」のお話しを、こちらの本で見ていきましょう!
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『 万延小判(まんえんこばん)…万延元年(1860年)に発行された江戸時代最後の小判であり、それ以前に世に出た小判と比べて半分程度の大きさで、それだけ金の含有量も少なかった。

この劣悪な小判の発行は当時幕府が財政悪化に直面していたという事情に加えて、安政の開港以来、良質の小判が狡猾な外国商人によって海外に大量に持ち出されていたことに苦慮した幕府官僚が考え出した苦肉の策であった。
小型で金の含有量が少ない小判なら、海外に持ち出して銀貨に交換しようとしてもかつてのような儲けが出ない。この小判の発行でようやく日本からの小判の流出は収まった。
万延小判の鋳造が終わったのは、慶応3年(1867年)、まさに幕府の倒壊寸前の時であり、坂本龍馬や桂小五郎もあまりに小さいこの小判に驚きながら、日常の費用や討幕のための軍資金として、触れていたことだろう…

明治通宝札
維新を迎えて国際社会に船出した日本が、さまざまな試行錯誤を経て明治4年(1871年)に発行した新貨幣「円」は、14年後の明治18年(1885年)に「日本銀行券」として姿を変え、わたしたちの日常に息づいている。
維新という日本の世直しを見つめた外国人は、当時の日本に溢れていた形も値打ちも違う多種多様な金貨や銀貨、それに銅銭や鉄銭などの流通に驚いた。さらに、かれらは、江戸や東国では両という名の金貨が主に使われ、大坂を中心とした西国では銀何貫目という目方で価値を示す銀貨が使われていることを不思議に思ったという。

明治維新を成し遂げていく過程で、新政府は財政不如意を乗り切るために紙の金(カネ)である太政官札(だじょうかんさつ)を発行した。それに幕政時代の遺物である全国二百種類の藩札が加わり、お金の混乱は極度に達していた。そこで、新政府は国家統一のためには、まず国際基準に沿った「円」のという名の金貨を発行し、さらに円表示の紙幣である「明治通宝札(めいじつうほうさつ)」を発行していく。

太政官札
いかがでしょうか?
かつて、日本には多種多様な「お金」が存在していたことが良く分かりますね♥
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