2014-11-22 (Sat)

ミズーリから発射されたトマホーク
湾岸戦争(わんがんせんそう、アラビア語: حرب الخليج الثانية、ペルシア語: جنگ خلیج فارس、英語: Gulf War)は、1990年8月2日にイラクがクウェートに侵攻したのを機に、国際連合が多国籍軍(連合軍)の派遣を決定し、1991年1月17日にイラクを空爆した事に始まった戦争。

米ソ二カ国による演出だった「東西冷戦」、
「東西冷戦」は欺瞞だった。。。と著者は言っています。
こんなことは、「学校の先生」は、まったく教えてくれませんね♥
朝鮮戦争、ベトナム戦争、オイルショックに続き、
今度は冷戦後の謎に焦点を当てています。
さあ、一緒に、見ていきましょう!
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朝鮮戦争のミステリー①♥

サダム・フセイン
『 これからは、冷戦終了後の世界の謎に迫りたいと思います。
冷戦が終了し、これで世界は平和になるのではと期待された直後に、イラクのサダム・フセインはクウェートに侵攻し、1991年1月に湾岸戦争が勃発しました。
湾岸戦争は、その後の「テロとの戦い」から今日に至るアメリカの世界戦略を読み解くカギであると思います。したがって、湾岸戦争の内実を検証することは、現在の世界を理解する上で必須なのです。また、湾岸戦争への過程でなぜアメリカが日本とドイツを特に強く非難した理由も明らかになってきます。
結論から先に述べます。アメリカがドイツを強く非難した理由は、統一ドイツが新生ロシアと手を結ぶことを恐れたからです。この「独露同盟」の脅威を英米共同で除去するために、産油地帯の湾岸が選ばれたと考えられるのです。ロシアとドイツが同盟する悪夢は、第一次大戦直後、ドイツとソ連間で結ばれたラッパロ条約(1922年)を彷彿とさせるものです。やはり、歴史は繰り返すのであり、私たちが歴史に学ばなくてはならない理由がここにも見出されるのです。

いかがでしょうか?
アメリカとイギリスは、何かにつけ、共謀していることが分かりますね♥
続きは次回に♥
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