2014-11-19 (Wed)

デイヴィッド・ディーン・ラスク(David Dean Rusk, 1909年2月9日 - 1994年12月20日)は、アメリカ合衆国の官僚。ケネディ及びジョンソン政権で国務長官(1961年 - 1969年)を務めた。国務長官の在任期間はコーデル・ハルに次いで歴代2位の長さである。朝鮮半島の分断線を北緯38度(38度線)と決定したのはラスクであるといわれている。その後ジョージ・マーシャルに引き抜かれる形で1945年2月に国務省へ移り、国連局で国連の設立に携わった後、特別政治問題局長になった。1949年に国務次官代理、1950年に極東担当国務次官補となり、朝鮮戦争に関するアメリカの決定に影響力を及ぼした。また同時期に、戦後の日本海の日本領土(竹島を含む)に関して韓国にラスク書簡を発行している。ラスクは1950年にロックフェラー財団の理事、さらに1952年には国務省を辞して理事長の職に就いた。1960年の大統領選でケネディが勝利するとその年の12月12日に国務長官に指名された。さらに外交問題評議会(CFR)とビルダーバーグ会議の正式メンバーにもなった。国務長官としての彼は一貫して、共産主義との対抗に軍事行動をためらわないタカ派で、キューバ危機では当初、即時の軍事攻撃を主張したが、程なく外交交渉へと転じている。ベトナム戦争に当たってはアメリカの行動への弁明ゆえに、しばしば反戦主義者から攻撃の的となった。
ラスク書簡(ラスクしょかん)とは、第二次世界大戦後、サンフランシスコ講和条約を起草中であったアメリカ合衆国政府へ大韓民国政府からよせられた日本国の領土や、韓国政府が戦後に享受する利益に関する要望書に対し、1951年8月10日、米国が最終決定として回答した文書。当時の米国国務次官補ディーン・ラスクから通達されたことからラスク書簡と呼ばれる。原本はアメリカ国立公文書記録管理局 (NARA)に保管されている。現在、日本政府と韓国政府の間で竹島(韓国名:独島)の領有権をめぐる対立(竹島問題)があるが、この文書では竹島に対する韓国政府の要望を明確に退けており、日本の主張を裏付ける史料の一つとして考えられている。

前回からの続きです♥
米ソ二カ国による演出だった「東西冷戦」、
「東西冷戦」は欺瞞だった。。。と著者は言っています。
こんなことは、「学校の先生」は、まったく教えてくれませんね♥
さらに話は続き、朝鮮戦争の謎に焦点を当てています。
さあ、一緒に、見ていきましょう!
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『 さて、どこが謎なのでしょうか。
そもそも、南朝鮮はアメリカの防衛線外との発信自体、戦争を挑発する目的でしたが、より大きな謎はアメリカは当然勝てた戦争なのになぜ勝とうとしなかったのかということです。

アメリカはマッカーサー司令官に必要な武器人員を供与せず、国連軍の名の下にあったアメリカ軍が戦闘で勝利を収めるのを故意に妨害したとみられることです。そして、余計な犠牲を強いながら、戦争を三年の長きにわたって長引かせました。その結果といえば、戦争前の三八度線に戻ったというまったくの消耗戦だったのです。

アメリカはなぜ勝とうとしなかったのでしょうか。
誰が、アメリカの勝利を妨害したのでしょうか。
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マッカーサーは回想録の中で、常識では信じられない事実を明かしています。つまり、マッカーサーの作戦行動の詳細は、ディーン・ラスク国務次官補を通じてイギリスに流出していたのです。そして、イギリス(情報部)から、ソ連、インドを通じ中共軍と北朝鮮軍に流れていたのです。
マッカーサーは「中共軍が大挙して鴨緑江を渡っても、満州内部の補給線を爆撃される心配はないということを、中共側は明らかに知っていた」として、林彪将軍が自らの補給線へマッカーサーが攻撃するのをワシントンは許さないという保証があったからこそ、部下を犠牲にすることなく攻撃に参加させることができたと、中共内部で述べていたとのエピソードを紹介しています。
マッカーサーはトルーマン大統領によって派遣されたアベレル・ハリマンとの会談を回想してこう述べています。
「ワシントンでは、外国、特に英国の影響が非常に強く働いている。共産勢力に対する攻撃を強化することにはあまり関心がない。…トルーマン大統領は蒋介石を非常に嫌っており、蒋総統と仲良くする者は大統領の怒りを買うことを覚悟せねばならない。」(『マッカーサー回想記』)

大韓民国の国民防衛軍(1951年1月) ↑これで軍隊なんでしょうか?
いかがでしょうか?
朝鮮人が日本と戦ったと思い込んでいる朝鮮戦争ですが、
きっかけは、アメリカが南朝鮮侵略のOKサインを出したことでした。
ところが、参戦したアメリカ軍は、イギリスの圧力で勝つことを許されなかったんです!
驚きの事実ですね♥
続きは次回に♥
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