2014-11-19 (Wed)

ディーン・グッダーハム・アチソン(Dean Gooderham Acheson、1893年4月11日 - 1971年10月12日)は、アメリカ合衆国の弁護士、政治家。ハリー・S・トルーマン大統領の下で国務長官を務めた。アチソンは冷戦の闘士として知られ、しばしばトルーマンよりもトルーマン・ドクトリンに、ジョージ・C・マーシャルよりもマーシャル・プランに対して責任を負ったと評される。その政治的キャリアの中では一貫して反共主義の立場を取ったが、上院議員ジョセフ・マッカーシーによるマッカーシズムが吹き荒れたときは、アルジャー・ヒスなど、名指しされた国務省職員を擁護する姿勢を見せた。

前回からの続きです♥
米ソ二カ国による演出だった「東西冷戦」、
「東西冷戦」は欺瞞だった。。。と著者は言っています。
こんなことは、「学校の先生」は、まったく教えてくれませんね♥
さらに話は続き、謎の多い朝鮮戦争に焦点を当てています。
さあ、一緒に、見ていきましょう!
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『 朝鮮戦争も謎だらけの戦争です。
朝鮮戦争は第二次大戦後、アメリカ軍が本格的に戦闘に参加した最初の戦争でした。大戦終了後五年、厭戦気分がまだまだ強く残っていたにもかかわらず、アメリカは戦争に突入してゆきます。その契機となったのが、有名なアチソン演説です。
1950年1月12日、アチソン国務長官は
「中国大陸から台湾への侵攻があっても、台湾防衛のためにアメリカが介入することはない。アメリカのアジア地域の防衛線には南朝鮮を含めない」
と演説しました。
これは、朝鮮半島について極めて重要なメッセージでした。要するに、韓国はアメリカの防衛線の外にあるということであり、北朝鮮に韓国侵攻のゴーサインを出したも同然なのです。

案の定、この演説から約5ヶ月後の6月25日、金日成の北朝鮮軍は三八度線を突破して韓国侵略を開始しました。
装備に劣る韓国軍は結局南端の釜山まで後退します。
その後、マッカーサー指揮下の国連軍が仁川に上陸して巻き返し、北朝鮮軍を中国との国境付近まで追い詰めます。
ここで、中国軍(義勇軍と称した)が介入し、一進一退を繰り返した末三八度線を巡り膠着状態に陥り、1953年7月に休戦協定が締結されます。

大韓民国の国民防衛軍(1951年1月) ↑これで軍隊なんでしょうか?
いかがでしょうか?
朝鮮人が日本と戦ったと思い込んでいる朝鮮戦争ですが、
きっかけは、アメリカが南朝鮮侵略のOKサインを出したことだったんですね♥
近いうちに同じようなことが起きるのかも知れませんね^^
続きは次回に♥
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