2014-11-19 (Wed)

対支21ヶ条要求(たいし21かじょうようきゅう)は、第一次世界大戦中、日本が支那国(中華民国政府)とおこなった外交交渉において提示した21か条の要求と希望のこと。この交渉では直接の懸案である山東ドイツ権益の善後処理だけでなく、従来からの懸案であった満蒙における日本の権益問題や在支日本人の条約上の法益保護問題についても取り扱われた。

戦後の日本が学校で教わって来た「歴史」は、客観的ではありません。このことに、「教える側である先生自身」が全く気が付いていないのです。同じ事はメディアにも言えます。
私たち日本人は、親日的な立場に立って正しく認識し直し、客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、日本と支那の現代史を見ていきましょう♥
「民族戦」長野朗(昭和16年著)
(漢民族発展の経過)
大正八年から起こって慢性的に断続してきた排日運動について見るに、その原因は種々あり、又各時機に応じ当局者或いは反対派その他により種々利用されはしたが、これを民族戦の立場から見れば、日本民族の大陸進出に恐れをなし、支那従来の歴史から見て、東方からの勢力に絶えず脅かされているために、日本の進出を同様に考え、支那を侵略するものとしてこれ(日本)に対する民族戦を始めたのである。
日清戦争前までは、支那人は大国として日本を蔑視し、日本又支那に敬意を表していたが、日清戦争の結果、その位置は転倒した。次いで北清事変(1990年の義和団事件)、日露戦争を経て日本の地位が益々向上するに従い、支那はその積弱(だんだんダメな国になっていること)を暴露してきた。
かくて日本が朝鮮を合邦し、関東州を得、満鉄に拠って満州に進出し、更に日独戦により山東にまで迫るに及び支那の恐怖は漸く増大した。彼等は日本の進出を名づけて蚕食(さんしょく)といい、蚕が桑の葉を食うように、朝鮮から満州、満州から北支那、中支那と次第に侵略の歩を進めると誤解し、又そう論じている。
然るに大正四年の日支交渉は最後通牒の手段により二十一箇条条約を支那に認めさせたため、支那人は甚だしき不満を抱いたが、時あたかも欧州戦(第一次世界大戦)の最中で、東亜は日本の一人舞台であったため、隠忍して軽い排日をやっただけであった。然るに欧州大戦が終わって英米が東亜にやってきたのと、支那人の思想が世界思潮の変化につれて変わったために、俄然排日の空気が勃発するに至った。

いかがでしょうか?
支那人は日本を誤解し、
英米の加勢もあって排日に傾倒していったことが良く分かりますね♥
すべては、誤解から始まっていて、
このような無益な対立は、止めなければなりませんね♥
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