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     >  支那 >  支那人の侵略の手口に注意しましょう♥

    支那人の侵略の手口に注意しましょう♥

    ミャオヤオ語族
    分布図 赤:ミャオ語、紫:ヤオ語
    ミャオ・ヤオ語族は中国南部から東南アジア北部の山岳地帯に分布する少数民族の言語からなる語族である。代表的な言語としてミャオ語(ミャオ族)とヤオ語(ヤオ族)、さらにシェ語(福建などに住むシェ族)がある。この地域には、シナ・チベット語族やタイ・カダイ語族に属する言語が多く、これらに比べるとミャオ・ヤオ語族の言語数・話者数ははるかに少ない。かつてはシナ・チベット語族に含められたが、現在では別の語族とされる。故地は中国中部から南部と考えられるこの語族の住民は現在、中国南部の雲南、貴州、広西、湖南、湖北、四川などの地域に多く住んでいるが、歴史的には漢民族に圧迫されて南に移動したといわれており、現在ではさらに南のタイ、ミャンマー、ラオス、ベトナムの山岳地帯にも住んでいる

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      戦後の日本が学校で教わって来た「歴史」は、客観的ではありません。このことに、「教える側である先生自身」が全く気が付いていないのです。同じ事はメディアにも言えます。
      私たち日本人は、親日的な立場に立って正しく認識し直し、客観的に情勢を判断する必要があります。
      それでは、支那人の侵略の歴史を見ていきましょう♥

     
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    (2012/08/10)
    西尾幹二

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    「民族戦」長野朗(昭和16年著)

    (漢民族発展の経過)

     支那民族というのは漢民族である農業の民である…支那が数千年にわたって周辺の民族を侵略し得たのは、支那が農業の民であるのに、周辺の民は多く牧畜又は遊牧をやっていたからで牧畜は農業にはかなわないのである。鍬(くわ)の向かうところ土地は耕されて牧場を失い、次第に奥地に退いたのである。支那民族の発展(=侵略)は鍬をもってなされた

     剣をもって建てた国は剣の力が衰ふれば消え去るが鍬を大地に打ち込んだものは永久に土と結着して動かない

     漢人が外国の民族に対する場合そこに二つの見方があった。一つは支那の中華思想であり、周囲の民族を夷狄(いてき、野蛮人)視し、自己を中華の民とし、夷狄が次第に中華の化(=文化)に潤って支那の範囲は拡大する。すなわち民族同化が出来たところが中華で、しからざるものは…化外(けがい、支那文化の及ばないところ)の民であり、夷狄となした。すなわち天下思想であり…国家ではなくて…あくまで民族中心の動きであり中華民族による世界侵略であるから、国境の存在のごときは眼中になく民族として東西南北世界中に発展(=侵略)していく

     一つは華夷分たずの思想で、これは中華と夷狄を差別せず…夷狄を劣等視せず同等に待遇するもので…唐代の観念はこれで我が安部仲磨(あべのなかまろ)のごときも外国人として高官に昇った。

     しかし、この思想も支那の民族発展とは衝突しない。ただ夷狄の差別観と平等無差別観だけである(両者の違いは差別の有無で、自分たちと野蛮人とを区別する点は同じ)。

    かいしそう

     南支の広東広西等は元来苗族(ミャオ族)の血統に属していたが、戦国の際(紀元前3~4世紀の支那の戦国時代)に楚(そ)の支配下に入り秦に至って大規模の植民を企て、流民五十万人を移して(=苗族を大々的に他の地へ移民させ)、これ(苗族)を攻略したが、漢に至り、一部の土着民族をやはり揚子江北岸に移し(今度は揚子江の北に移した)、その跡に漢人を入れて雑居させ逐次これを同化するに至った。かくて漢人の勢力は南方に伸びた。支那人は牧畜民族はこれを容易に駆逐し得たが、農耕の土着民族に対しては以上のような非常手段を常套し、民族の大移動整理を行い、手強い民族に対しては、その民族の全部をあげて他住せしめたことがある。これを「洗国(せんこく)」といった。

     以上の例によっても明らかなるごとく、支那人と多民族との闘争は多く数百年を要し、極めて気長く行われている支那は古来幾多の民族を同化せしめた経験上、一民族を同化するには「八代三期説」なるものがあり、八代を三つ重ねた二十四代を要し、一代を二十五年とすれば、六百年を要しなければ完全なる同化は出来ないものとした。

     清は満人(満州族)をもって支那人(漢人)を統一し、且つ広く四方を征服したため、その民族と広大なる版図とは挙げて漢人の所有に帰し
     
     支那の今日の領土と大民族とを造り上げ、自らも(満州民族も)漢民族に同化されて民族的に滅亡し、歴史に清朝三百年の統治を留むるのみとなった。


    驚き顔

    いかがでしょうか?
    支那人の他民族侵略の方法が、同化政策だったことが良く分かりますね♥

    今現在も、中国は、少数民族を同化政策で支配しようとしていて、このような非人道的で残虐な中国人の行為は、止めさせなければなりません




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