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     >  世界史 >  ウクライナ紛争を引き起こした張本人は誰?

    ウクライナ紛争を引き起こした張本人は誰?

    A storm is coming 602

    本日のキーワード : ウクライナ、ネオナチ、インテグラル・ナショナリスト、ドミトロ・ドンツォフ、ユダヤ人、レオ・シュトラウス、シュトラウス派、歴史修正主義、ロシア、中国



    Who are the Ukrainian integral nationalists ?
    ウクライナのインテグラル・ナショナリストとは誰か? ⑦

    Who knows the history of the Ukrainian "integral nationalists", "Nazis" according to the terminology of the Kremlin? It begins during the First World War, continues during the Second, the Cold War and continues today in modern Ukraine. Many documents have been destroyed and modern Ukraine forbids under penalty of imprisonment to mention their crimes. The fact remains that these people massacred at least four million of their compatriots and conceived the architecture of the Final Solution, that is, the murder of millions of people because of their real or supposed membership in the Jewish or Gypsy communities of Europe.
    クレムリンの用語によれば 「ナチス」 であるところのウクライナの 「インテグラル・ナショナリスト (integral nationalists / 統合主義者 / 統合民族主義者)」 の歴史を知っている人はいるだろうか? それは第一次世界大戦中に始まり第二次世界大戦中冷戦中そして現代のウクライナにおいても継続している多くの資料が破棄され現代のウクライナでは彼らの犯罪について言及することが禁じられしかも投獄の罰則付きであるしかしこれらの連中が少なくとも 400 万人の自国民を虐殺しヨーロッパのユダヤ人やジプシーのコミュニティーの一員であるという理由により何百万人もの人々を殺害するという究極的解決策の計画を立てたことは事実である

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    The German agent, thinker of Ukrainian “integral nationalism” and criminal against humanity, Dmytro Dontsov (Metipol 1883, Montreal 1973).
    ドイツの工作員であり、ウクライナの 「統合民族主義」 の思想家であり、人道に対する犯罪者であるドミトロ・ドンツォフ (メリトポリ 1883 年生, モントリオール 1973 年没)

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    Vladimir Jabotinsky, born in Odessa, thinker of "revisionist Zionism". For him Israel was "a land without a people, for a People without a land".
    ウラディーミル・ジャボチンスキーはオデッサに生まれ、「修正主義的シオニズム」 の思想家である。彼にとってイスラエルは「土地なき民のための、民なき土地」 であった

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    Simon Petliura took over northern Ukraine. Protector of the "integral nationalists", he sacrificed Galicia and Volhynia to fight the Russians.
    シモン・ペトリューラはウクライナ北部を占領した。「インテグラル・ナショナリスト」の庇護者であった彼はロシアと戦うためにガリツィアとヴォルィーニを犠牲にした

    ヴォルィーニ
    ヴォルィーニ

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    野村 真理  ガリツィアのユダヤ人(新装版): ポーランド人とウクライナ人のはざまで

    ガリツィアのユダヤ人(新装版): ポーランド人とウクライナ人のはざまで

    At that time, the "integral nationalists" proclaimed "independence" from the Soviet Union in the presence of Nazi representatives and Greek Orthodox clergy, not in Kiev, but in Lviv, on the model of the Hlinka Guard in Slovakia and the Ustasha in Croatia. They formed a government under the leadership of Providnyk (guide) Stepan Bandera, whose friend Yaroslav Stetsko was Prime Minister. Their support in Ukraine is estimated at 1.5 million people. That is, the "integral nationalists" have always been in the minority.
    当時、「インテグラル・ナショナリスト」 は、スロバキアのフリンカ警備隊やクロアチアのウスタシャを模倣して、キエフではなくリヴィウでナチスの代表やギリシャ正教の聖職者の立会いのもとソ連からの 「独立」 を宣言した彼らは、プロヴィドニク (Providnyk / 指導者・リーダー) であるステパーン・バンデーラの指導の下政府を形成し、その友人のヤロスラフ・ステツコが首相を務めたウクライナにおける彼らの支持者は 150 万人と推定されている。つまり「インテグラル・ナショナリスト」 は昔から少数派であったことがわかる

    ステパーン・バンデーラ
    ステパーン・バンデーラ

    ヤロスラフ・ステツコ
    ヤロスラフ・ステツコ

    バンデライト(バンデーラ派極右)
    バンデリスト (バンデーラ派極右)

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    Celebration of independent Ukraine with Nazi dignitaries. Behind the speakers, the three portraits displayed are those of Stepan Bandera, Adolf Hitler and Yevhen Konovalets.
    ナチスの要人を招いてのウクライナ独立の祝賀会。スピーカーの後ろに、ステパーン・バンデーラアドルフ・ヒトラーイェヴヘーン・コノヴァーレツィの 3 人の肖像画が飾られている。

    イェヴヘーン・コノヴァーレツィ
    イェヴヘーン・コノヴァーレツィ

    The Nazis were divided between the Reich Commissioner for the Ukraine, Erich Koch, for whom the Ukrainians were subhuman, and the Minister for the Occupied Eastern Territories, Alfred Rosenberg, for whom the "integral nationalists" were true allies. Finally, on July 5, 1941, Bandera was deported to Berlin and placed under Ehrenhaft (honorable captivity), i.e., under house arrest as a high-ranking official. However, after the members of OUN-B murdered the leaders of the rival faction, OUN-M, the Nazis sanctioned Stepan Bandera and his organization on September 13, 1941. 48 of their leaders were deported to a prison camp in Auschwitz (which was not yet an extermination camp, but only a prison). The OUN-B was reorganized under German command. At that time all Ukrainian nationalists took the following oath: "Faithful son of my Fatherland, I voluntarily join the ranks of the Ukrainian Liberation Army, and with joy I swear that I will faithfully fight Bolshevism for the honor of the people. This fight we are waging together with Germany and its allies against a common enemy. With loyalty and unconditional submission I believe in Adolf Hitler as the leader and supreme commander of the Liberation Army. At any time I am prepared to give my life for the truth.
    ナチスは、ウクライナ人を人間以下の存在とみなす帝国ウクライナ担当委員エーリヒ・コッホと、「インテグラル・ナショナリスト」 を真の同盟者とみなす占領下東部領土担当大臣アルフレート・ローゼンベルクの間で意見が分かれていた。最終的に、1941 年 7 月 5 日、バンデーラはベルリンに強制送還され、エーレンハフト (名誉ある捕虜)、すなわち高官として軟禁されることになった。しかし、OUN - B のメンバーが対立派閥である OUN - M のリーダーを殺害した後、ナチスは 1941 年 9 月 13 日にステパーン・バンデーラとその組織を公認した。彼らの指導者 48 人はアウシュビッツの収容所 (まだ絶滅収容所ではなく、監獄に過ぎなかった) に強制収容された。OUN - B はドイツの指揮下で再編成されたその時すべてのウクライナのナショナリストたちは次のような宣誓をしたのである : 「祖国の忠実な子供たちよ、我は自ら進んでウクライナ解放軍の隊列に加わり、喜びをもって、民族の名誉のためにボルシェビズムと断固として戦うことを誓う。この戦いは、ドイツおよびその同盟国とともに、共通の敵に対して行うものである。我は忠誠と無条件的服従を以って解放軍の指導者であり最高司令官であるアドルフ・ヒトラー閣下を信奉する。我は、いつでも、真実のために命を捧げる覚悟である。」

    エーリヒ・コッホ
    エーリヒ・コッホ

    アルフレート・ローゼンベルク
    アルフレート・ローゼンベルク

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    The oath of loyalty to Führer Adolf Hitler by members of the OUN.
    OUN のメンバーによるアドルフ・ヒトラー総統への忠誠の誓い

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    Hitler.jpg 習近平思想の着想者であり、中国的特徴を持つ社会主義の提唱者である習近平総書記

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    Who are the Ukrainian integral nationalists ?



    本日の書物 : 『謀略と捏造の二〇〇年戦争 釈明史観からは見えないウクライナ戦争と米国衰退の根源』 馬渕睦夫、渡辺惣樹 徳間書店



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 馬渕 : ところが、クリミア併合後もロシア系住民への迫害は続いたのです。

     たとえば、二〇一四年五月には、ウクライナ南部の港湾都市オデッサで、労働組合ビルにロシア系住民を追い込みビルに放火して焼死者三二人を含む四六人が死亡したと言われる惨劇が起きています (オデッサの虐殺)

     大きな転機となったのが二〇一五年二月の 「ミンスク合意」 です。暫定政権の後、二〇一四年五月に大統領に当選したポロシェンコとプーチン大統領が、ドイツのメルケル首相とフランスのオランド大統領の立会いのもと署名したもので、ウクライナ東部での包括的な停戦の実施、新ロシア派武装勢力が占領するウクライナ東部に地域 (ドネツク、ルガンスク州の一部) に対する幅広い自治権を認める 「特別な地位」 の付与などが合意されました。

     しかしこの内戦状態を解決する 「ミンスク合意」 に反対し破棄を訴えたのがジョージ・ソロスです。そして欧米に対しウクライナへの大規模な軍事支援を要求しました。

    A storm is coming 601
     
     つまりソロスはウクライナにロシア系住民との戦闘を続けさせようと画策したのです。その狙いは、プーチンを介入させることにありました。

     実際、これに応える形でアメリカはウクライナにロシア攻撃の軍事基地を建設してゆきました。そして、これらの基地を運営していたのがアゾフ大隊だった。…

    渡辺 : ジョージ・ソロスは今回のウクライナ戦争においても徹底抗戦を呼びかけていますね。二〇二二年五月に開催されたダボス会議では、戦争継続は望ましくないとしたヘンリー・キッシンジャーとの意見の対立が鮮明化しました。

     最近でも 「リベラルでなくリアリストであればウクライナ戦争を防げた」 と批判をしています。さすがのキッシンジャーもネオコンがここまで愚かだったとは認識していなかったのでしょう。』

    日の丸

    レオ・シュトラウスの薫陶を受けた人たち

    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、何事も自分自身の頭で考えることができない “無自覚なイワシ” に分類される方々にお薦めの良書で、必ずしも意見が一致しているわけではない二人の著者による分かり易い対談を通じて、世間一般に流布されている “無自覚なイワシ” 向けの 「潮流 (プロパガンダ) 」 とは全く異なる世界観のその一部を垣間見ることができ、自分自身の頭で考えることの大切さがご理解頂けるようになると思われます。

    読書 10-168





    さて、これまでの流れを、簡単に確認しておきますと、まず、出発点として、カール・マルクス (1818 - 1883) が生まれる約 200 年ほど前の時代 (日本で言えば、戦国時代から江戸時代初期にかけての時代) に、ドイツの神秘主義者であるヤーコプ・ベーメ (ヤコブ・ベーメ、1575 - 1624) という名の人物がいて、その後の 「ドイツ思想」 に決定的な影響を与えた 「キリスト教神智学 (Christian theosophy) 」「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 なるものが世に生まれることになります。(詳しくはこちらから💓

    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)
    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)

    そのベーメの言っていたことというのは、次のようなものでした。

    世界は本来壊れているものであり、それを直すことができるのは正しい者だけである詳しくはこちらから💓

    そして、その影響を受けたのがプロイセン (ドイツ) の哲学者イマヌエル・カント (1724 - 1804) で、彼が言っていたことは、次のようなものでした。

    イマヌエル・カント
    イマヌエル・カント

    たとえ世界を直すことができなくても、私たちは常に世界を直すことができると仮定して行動しなければならない詳しくはこちらから💓

    また、ドイツ観念論を代表する思想家ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル (1770 - 1831) も影響を受けていて、そんな彼が言っていたことは、次のようなものでした。

    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル

    世界が固定されていたとしても、私たちは無意識のうちに分裂を起こし、世界が再び崩壊し始めることになる詳しくはこちらから💓

    で、この流れを受け継いでいるのがカール・マルクスであり、ウラジミール・レーニン (1870 - 1924) で、彼らが言っているのは次のようなことです。

    カール・マルクス
    カール・マルクス

    私たちには、世界を壊したいという衝動はない。もし私たちが世界を壊すとすれば、それは私たちが社会とその主人たちからそうすることを学んだからである

    ウラジーミル・イリイチ・レーニン 1
    ウラジーミル・イリイチ・レーニン

    われわれは、世界を固定するために、意識の統一を強行しよう詳しくはこちらから💓

    このように、ドイツで生まれた 「キリスト教神智学 (Christian theosophy) 」 ・ 「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 を出発点として、その後、人為的に造り出された “幻想” であるところのマルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想が生み出されることとなります。ここで重要な点は、そもそも全知全能なる神が創り賜うた世界にあって、なぜ悪が存在するのか、という疑問から生じた 「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 が、ユダヤ・キリスト教的 “善悪二元論” をより一層強化し、世界を完全に良くするために 「悪なるもの」 を消し去らねばならない、といった浅はかな思考へと陥る人々を生じさせたことです。多くの一般的な人々も陥りやすい誤った思考ですが、特に 「極左おパヨク」 と呼ばれる連中はその影響をもろに受けてしまうほどの 「おバカ」 で、さまざまな “アイデンティティ” を次から次へと粗製濫造することで、ユダヤ・キリスト教的な 「贖罪(しょくざい)」 の対象物として “罪” を創り出し、その罪に対する償 (つぐな) い・贖 (あがな) いを果たねばならない、と妄信させることによって、「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」 の下で人々に対して自己抑圧的な態度の徹底を促し ( ← これが、ポリコレw)人々の “自由” を奪う極めて 「権威主義的な統制社会の再構築」 を目指す連中の思う壺となっていて、それはまさに現在私たちが普通に目にすることができる状況にあります。つまり、もはや隠そうともしていないという状況にあるということです。

    Hunter Biden Soros Linked to Biolabs in Ukraine





    その 「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」 については、ドイツ出身の社会学者・歴史学者かつマルクス主義者であり、エリート理論の信奉者で、さらにはファシズム (全体主義者) でもあったロベルト・ミヒェルス (ロベルト・ミヘルス) が提唱した仮説である 『寡頭制の鉄則』 (iron law of oligarchy) を確認をしてきましたが、そこにもやはり 「キリスト教神智学 (Christian theosophy) 」 ・ 「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 の影響を見ることができます。(詳しくはこちらから💓

    ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)
    ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)

    また、「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー) 」 と同根の言葉である 「オリガルヒ (oligarch) 」 につきましても、ロシア詳しくはこちらから💓) やウクライナ詳しくはこちらから💓) の事例から、そこには少なからぬ 「ユダヤ人 ( = ユダヤ教徒)」こちらもご参照💓) が存在していることも判明しました。

    A storm is coming 245





    さらには、ウクライナとユダヤ人 ( = ユダヤ教徒) と特異な関係を、ウマン (ウーマニ) 巡礼の形成の歴史を通じて確認しました。 (詳しくはこちらから💓

    ウーマニ

    そこで、現在 “ユダヤ人” (民族としては定義され得ない、単なる宗教信者のグループ) という存在に着目し、より一層理解を進めるために様々な論文を見ているところとなります。

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    『現代アメリカ政治とレオ・シュトラウス政治哲学』石崎 嘉彦

    それでは早速、続きを見て参りましょう。

    『 7. 「注意深い読解」 による思想史研究と新たなロゴスの可能性

     何よりも、S・ベナルデート (Seth Benardete)、E・フォーティン (Ernst Fortin)、S・ピネス (Shlomo Pines) 、M・マハディ (Mushin Mahdi)、R・ラーナー (Ralph Lerner)、E・ブラン (Eva Brann) などのギリシア・中世の古典やユダヤ・イスラーム思想の研究者たちがシュトラウスの薫陶を受けた人たちのなかから出てきたことは特筆されるべきことであろう。そういった研究者たちとともにアメリカの哲学と教育の伝統のなかに以前とは異なった哲学や思想研究の領野が開かれていった。古典の読解による過去の偉大な精神との対話として行われるリベラル・エデュケーションをとおして独特の思想史研究の領野が開かれる。そしてそこに、哲学探究が同時に有為なる人物たち (地の塩) の育成となりうる教育と学問探究の場が形成され、そのなかから政治的提言や実際的活動を行う人物たちが現れ出てきた
     

    レオ・シュトラウス
    レオ・シュトラウス

     しかし、そういった現象の一部をとらえて、シュトラウシアンたちが師匠の意を体して政治的実践に取り掛かったとするような理解は、この思想運動の本質を理解したものであるとは言えない。というのも、この学派が目指していることは、どちらかといえば、政治体制とその社会政策それ自体の変革であるよりもそういった体制あるいは政策の策定に携わる人間の思考とそれを支えるロゴスの変革だからである。そういった視点から見れば、この教育は、一方では、古典哲学が重視した愛知的態度や理想主義、中庸や矜持といった古典的徳を回復させながら、他方では、その徳を裏付ける新たなロゴスを探り出すことによって、それを確固としたものとなす作業として推し進められたと言ってよい。そのようなロゴスによって、「正義 (justice) 」、「節度 (moderation) 」、「寛厚 (magnanimity) 」、「友愛 (friendship) 」、「気概 (spiritedness) 」等々のわれわれの時代の人間的実践に関わる精神的 「体質 (constitution) 」 を規定する諸概念が、新たな意味を付与されることになった。シュトラウスがそのような諸概念に新たな意味付与するために注目したのが、デカルト的 「明晰判明」 とは対照的で、ニーチェのディオニュソス的なものに通じる 「腹蔵のなさ (parrhesia, Freimütigkeit, outspokenness) 」 の概念であった。
     シュトラウスとその学派によって新たな意味を付与された倫理的諸概念とアメリカ政治の精神的体質転換との関わりは、この 「腹蔵のなさ」 という概念をキーワードとして理解するとき、うまく理解できる。シュトラウスがその語をプラトン 『法律』 で述べられている 「ディオニュソス的なもの」 との関わりで理解している事実を考慮に入れて考えるとき、われわれは、シュトラウスがアメリカの政治に何を移植しようとしたのか、あるいはまた、シュトラウシアンたちがアメリカ政治に与えた衝撃がいかなる種類のものであったかを、かなり適切な仕方で理解できることになろう。その概念をとおしてわれわれは、彼らがアメリカの政治的精神に対して提示した、科学的政治学のロゴスとも歴史主義やマルクス主義の弁証法のロゴスとも、実存的決断主義の 「ロゴス」 とも異なる、新たなロゴスを理解することができるからである。』


    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。









    続きは次回に♥




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