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    親子チョコ💗(500冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  世界史 >  ロシアとドイツが手を結んで困るのは、どこの国でしょう?

    ロシアとドイツが手を結んで困るのは、どこの国でしょう?

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    本日のキーワード : ウクライナ、ネオナチ、インテグラル・ナショナリスト、ドミトロ・ドンツォフ、ユダヤ人、レオ・シュトラウス、シュトラウス派、歴史修正主義、ロシア、中国



    Who are the Ukrainian integral nationalists ?
    ウクライナのインテグラル・ナショナリストとは誰か? ④

    Who knows the history of the Ukrainian "integral nationalists", "Nazis" according to the terminology of the Kremlin? It begins during the First World War, continues during the Second, the Cold War and continues today in modern Ukraine. Many documents have been destroyed and modern Ukraine forbids under penalty of imprisonment to mention their crimes. The fact remains that these people massacred at least four million of their compatriots and conceived the architecture of the Final Solution, that is, the murder of millions of people because of their real or supposed membership in the Jewish or Gypsy communities of Europe.
    クレムリンの用語によれば 「ナチス」 であるところのウクライナの 「インテグラル・ナショナリスト (integral nationalists / 統合主義者 / 統合民族主義者)」 の歴史を知っている人はいるだろうか? それは第一次世界大戦中に始まり第二次世界大戦中冷戦中そして現代のウクライナにおいても継続している多くの資料が破棄され現代のウクライナでは彼らの犯罪について言及することが禁じられしかも投獄の罰則付きであるしかしこれらの連中が少なくとも 400 万人の自国民を虐殺しヨーロッパのユダヤ人やジプシーのコミュニティーの一員であるという理由により何百万人もの人々を殺害するという究極的解決策の計画を立てたことは事実である

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    The German agent, thinker of Ukrainian “integral nationalism” and criminal against humanity, Dmytro Dontsov (Metipol 1883, Montreal 1973).
    ドイツの工作員であり、ウクライナの 「統合民族主義」 の思想家であり、人道に対する犯罪者であるドミトロ・ドンツォフ (メリトポリ 1883 年生, モントリオール 1973 年没)

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    Vladimir Jabotinsky, born in Odessa, thinker of "revisionist Zionism". For him Israel was "a land without a people, for a People without a land".
    ウラディーミル・ジャボチンスキーはオデッサに生まれ、「修正主義的シオニズム」 の思想家である。彼にとってイスラエルは「土地なき民のための、民なき土地」 であった

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    Simon Petliura took over northern Ukraine. Protector of the "integral nationalists", he sacrificed Galicia and Volhynia to fight the Russians.
    シモン・ペトリューラはウクライナ北部を占領した。「インテグラル・ナショナリスト」の庇護者であった彼はロシアと戦うためにガリツィアとヴォルィーニを犠牲にした

    ヴォルィーニ
    ヴォルィーニ

    こちらもご参照🌸

    野村 真理  ガリツィアのユダヤ人(新装版): ポーランド人とウクライナ人のはざまで

    ガリツィアのユダヤ人(新装版): ポーランド人とウクライナ人のはざまで

    Petliura fled to Poland and then to France, where he was murdered by a Jewish anarchist from Bessarabia (now Transnistria). During the trial, the latter assumed his crime and pleaded to have avenged the hundreds of thousands of Jews murdered by the troops of Petliura and Dontsov. The trial had a great impact. The court acquitted the murderer. The League against Pogroms, later Licra (International League against Racism and Anti-Semitism), was founded on this occasion.
    Not only were the nationalists defeated, but the anarchists as well. Everywhere the Bolsheviks triumphed and chose, not without debate, to join the Soviet Union.
    ペトリューラはポーランドに逃亡し、その後フランスに渡り、ベッサラビア (現在のトランスニストリア) 出身のユダヤ人無政府主義者に殺害されることになる。裁判の中で、後者は自分の罪を認め、ペトリューラドンツォフの軍隊に殺された数十万人のユダヤ人の仇を討ったと弁明している。この裁判は大きな反響を呼んだ裁判所は殺人犯に無罪を言い渡した。このとき、ポグロムに反対する連盟、後のリクラ (人種差別・反ユダヤ主義に反対する国際連盟) が設立された。民族主義者だけでなく、無政府主義者も敗れ去った。ボリシェヴィキはあらゆる場所で勝利を収め議論の余地なくソビエト連邦に加盟することを選択したのである

    シモン・ペトリューラ
    シモン・ペトリューラ

    Dmytro Dontsov published literary magazines that fascinated the youth. He continued to promote a Central Europe dominated by Germany and became closer to Nazism as it rose. He soon referred to his doctrine as Ukrainian "integral nationalism ". In doing so, he referred to the French poet, Charles Maurras. Indeed, the logic of both men was initially identical: they sought in their own culture the means to affirm a modern nationalism. However, Maurras was a Germanophobe, while Dontsov was a Germanophile. The expression "integral nationalism" is still claimed today by Dontov’s followers, who, after the fall of the Third Reich, are careful to refute the term "Nazism" with which the Russians describe it, not without reason.
    ドミトロ・ドンツォフは、若者を魅了する文芸誌を発刊した。彼は、ドイツによって統治される中央ヨーロッパを提唱し続けナチズムが台頭するにつれてナチズムに接近していった。やがて彼は自らの理念をウクライナの 「インテグラル・ナショナリズム」 と呼ぶようになった。その際、彼はフランスの詩人、シャルル・モーラスに言及した。つまり、近代的な民族主義 (ナショナリズム) を実現するための手がかりを自国の文化に求めていたのである。しかし、モーラスはドイツ嫌いであったのに対し、ドンツォフはドイツ好きであった。「インテグラル・ナショナリズム」 という表現は今日でもドンツォフの信奉者によって名乗られ第三帝国の崩壊後ロシア人がそれを形容する 「ナチズム」 という用語に慎重に反駁しているがそれは決して根拠がないことではない

    シャルル・モーラス
    シャルル・モーラス

    ドミトロ・ドンツォフ
    ドミトロ・ドンツォフ

    According to him, "Ukrainian nationalism" is characterized by:
    彼によれば、「ウクライナ民族主義」 は次のような特徴を持つ :

    "the affirmation of the will to live, power, expansion" (it promotes "The right of strong races to organize peoples and nations to strengthen the existing culture and civilization")
    "the desire to fight and the awareness of its extremity" (he praises the "creative violence of the initiative minority").
    「生きる意志、力、拡大に対する肯定」 ( 「既存の文化と文明を強化するために、民族と国家を束ねる強靭な民族の権利」 をアピール)
    「戦いへの意欲とその極限への意識」 (彼は 「主導的な少数民族のクリエイティブな暴力」 を賞賛している)


    Its qualities are:
    その特徴は :

    "fanaticism" ;
    " immorality".
    「狂信性」 ;
    「不道徳」


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    Hitler.jpg 習近平思想の着想者であり、中国的特徴を持つ社会主義の提唱者である習近平総書記

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    Who are the Ukrainian integral nationalists ?



    本日の書物 : 『謀略と捏造の二〇〇年戦争 釈明史観からは見えないウクライナ戦争と米国衰退の根源』 馬渕睦夫、渡辺惣樹 徳間書店



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 渡辺 : ところで、今回の爆破騒動で犯人と目された国の一つポーランドです。

     その理由は爆破された日の翌日の二七日、ノルウェーからポーランドに天然ガスを供給するパイプライン 「バルティック・パイプ」 が開通していたからです。タイミングがよすぎたので疑われた。二本のノルドストリームに比べると一〇分の一程度の供給能力しかありませんが、ポーランドの国内需要を満たすには十分のようです。

     ポーランドは歴史的に反ロシアであるとともに反ドイツです。しかし忘れてはならないのは反ウクライナでもあるということです。

     ウクライナ西部は一九四五年にソ連邦に加わるまではポーランドの統治下にありました。ノルドストリームの破壊はその三国を苦境に追いやるだけでなくポーランドを経由しないパイプラインの存在自体が同国にとっては邪魔だったロシアの石油パイプラインにはポーランドを経由するものもある通過料を得ることができた

     今回のウクライナ戦争は、ウクライナをかませ犬にして、ロシアとエネルギー政策で何らかの妥協点を見出そうとしているドイツを潰すための対独戦争ではないかと、評している識者もいます。

    馬渕 : ロシアとドイツが手を結ぶのは欧米にとって悪夢ですから当然といえば当然です。』

    日の丸

    レオ・シュトラウスと 「僭主 (せんしゅ) 政治」、そしてアメリカ政治の簒奪

    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、何事も自分自身の頭で考えることができない “無自覚なイワシ” に分類される方々にお薦めの良書で、必ずしも意見が一致しているわけではない二人の著者による分かり易い対談を通じて、世間一般に流布されている “無自覚なイワシ” 向けの 「潮流 (プロパガンダ) 」 とは全く異なる世界観のその一部を垣間見ることができ、自分自身の頭で考えることの大切さがご理解頂けるようになると思われます。

    読書 10-163





    さて、これまでの流れを、簡単に確認しておきますと、まず、出発点として、カール・マルクス (1818 - 1883) が生まれる約 200 年ほど前の時代 (日本で言えば、戦国時代から江戸時代初期にかけての時代) に、ドイツの神秘主義者であるヤーコプ・ベーメ (ヤコブ・ベーメ、1575 - 1624) という名の人物がいて、その後の 「ドイツ思想」 に決定的な影響を与えた 「キリスト教神智学 (Christian theosophy) 」「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 なるものが世に生まれることになります。(詳しくはこちらから💓

    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)
    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)

    そのベーメの言っていたことというのは、次のようなものでした。

    世界は本来壊れているものであり、それを直すことができるのは正しい者だけである詳しくはこちらから💓

    そして、その影響を受けたのがプロイセン (ドイツ) の哲学者イマヌエル・カント (1724 - 1804) で、彼が言っていたことは、次のようなものでした。

    イマヌエル・カント
    イマヌエル・カント

    たとえ世界を直すことができなくても、私たちは常に世界を直すことができると仮定して行動しなければならない詳しくはこちらから💓

    また、ドイツ観念論を代表する思想家ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル (1770 - 1831) も影響を受けていて、そんな彼が言っていたことは、次のようなものでした。

    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル

    世界が固定されていたとしても、私たちは無意識のうちに分裂を起こし、世界が再び崩壊し始めることになる詳しくはこちらから💓

    で、この流れを受け継いでいるのがカール・マルクスであり、ウラジミール・レーニン (1870 - 1924) で、彼らが言っているのは次のようなことです。

    カール・マルクス
    カール・マルクス

    私たちには、世界を壊したいという衝動はない。もし私たちが世界を壊すとすれば、それは私たちが社会とその主人たちからそうすることを学んだからである

    ウラジーミル・イリイチ・レーニン 1
    ウラジーミル・イリイチ・レーニン

    われわれは、世界を固定するために、意識の統一を強行しよう詳しくはこちらから💓

    このように、ドイツで生まれた 「キリスト教神智学 (Christian theosophy) 」 ・ 「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 を出発点として、その後、人為的に造り出された “幻想” であるところのマルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想が生み出されることとなります。ここで重要な点は、そもそも全知全能なる神が創り賜うた世界にあって、なぜ悪が存在するのか、という疑問から生じた 「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 が、ユダヤ・キリスト教的 “善悪二元論” をより一層強化し、世界を完全に良くするために 「悪なるもの」 を消し去らねばならない、といった浅はかな思考へと陥る人々を生じさせたことです。多くの一般的な人々も陥りやすい誤った思考ですが、特に 「極左おパヨク」 と呼ばれる連中はその影響をもろに受けてしまうほどの 「おバカ」 で、さまざまな “アイデンティティ” を次から次へと粗製濫造することで、ユダヤ・キリスト教的な 「贖罪(しょくざい)」 の対象物として “罪” を創り出し、その罪に対する償 (つぐな) い・贖 (あがな) いを果たねばならない、と妄信させることによって、「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」 の下で人々に対して自己抑圧的な態度の徹底を促し ( ← これが、ポリコレw)人々の “自由” を奪う極めて 「権威主義的な統制社会の再構築」 を目指す連中の思う壺となっていて、それはまさに現在私たちが普通に目にすることができる状況にあります。つまり、もはや隠そうともしていないという状況にあるということです。

    Hunter Biden Soros Linked to Biolabs in Ukraine





    その 「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」 については、ドイツ出身の社会学者・歴史学者かつマルクス主義者であり、エリート理論の信奉者で、さらにはファシズム (全体主義者) でもあったロベルト・ミヒェルス (ロベルト・ミヘルス) が提唱した仮説である 『寡頭制の鉄則』 (iron law of oligarchy) を確認をしてきましたが、そこにもやはり 「キリスト教神智学 (Christian theosophy) 」 ・ 「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 の影響を見ることができます。(詳しくはこちらから💓

    ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)
    ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)

    また、「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー) 」 と同根の言葉である 「オリガルヒ (oligarch) 」 につきましても、ロシア詳しくはこちらから💓) やウクライナ詳しくはこちらから💓) の事例から、そこには少なからぬ 「ユダヤ人 ( = ユダヤ教徒)」こちらもご参照💓) が存在していることも判明しました。

    A storm is coming 245





    さらには、ウクライナとユダヤ人 ( = ユダヤ教徒) と特異な関係を、ウマン (ウーマニ) 巡礼の形成の歴史を通じて確認しました。 (詳しくはこちらから💓

    ウーマニ

    そこで、現在 “ユダヤ人” (民族としては定義され得ない、単なる宗教信者のグループ) という存在に着目し、より一層理解を進めるために様々な論文を見ているところとなります。

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    『現代アメリカ政治とレオ・シュトラウス政治哲学』石崎 嘉彦

    それでは早速、続きを見て参りましょう。

    『 6. 「自然権」 と 「アメリカの国制」 の問題

     ところで、シュトラウスが 『自然権と歴史』 の 「序文」 で言及しているアメリカの社会科学、わけても政治学においてすら、「自然権」 を否定する傾向が顕著であるという指摘は、言うまでもなく、第二次大戦でリベラル・デモクラシーの大義のために献身したアメリカにおいてすら 「全体主義」、つまり 「近代的僭主政治」 の危険から自由ではありえないことを確認するものであったが、『僭主政治について』 もまた、20 世紀の二つの公然たる僭主政治とともにアメリカ政治に密かに忍び寄りつつある新たなる 「僭主政治」 を迎え撃つための理論の領野における政治的実践であったと言うことができる。同じことは、もう一つの著作である 『迫害と著述の技法』 にも言いうる。それが、迫害のなかにあっても哲学することが可能であることを示すことを課題としたものであったところから、一見、言論の自由が現に存在しているアメリカのリベラル・デモクラシーのなかでの迫害に向けられたものであることを見逃しがちであるが、『自然権と歴史』 が 20 世紀のアメリカ社会科学における自然権否定の問題を意識したものであったことを考えに入れるならば、シュトラウスにはリベラル・デモクラシーのなかでの言論抑圧あるいは 「寛容」 という本来自然権の伝統に根拠をもつ価値から発する全体主義の問題が意識されていたことは間違いない。そういった意味からすれば、この著作でも、現代に立ち現れつつあった 「迫害」 が彼の念頭にあったことは明らかである。
     

    レオ・シュトラウス
    レオ・シュトラウス

     シュトラウスが、自らの僭主政治についての研究を古典的議論の読解として行う理由を、「最初の政治学者たちによってなされた僭主政治の分析はたいへん明確であり包括的であり忘れがたく表現されていたので、現実の僭主政治を直接的にはまったく経験しなかった諸世代によっても記憶され、理解されてきた」 と言い表していたことは、シュトラウス政治哲学のアメリカ政治への関与を理解するうえで極めて重要な意味をもっている。つまりクセノフォン対話の読解から得られる 「僭主政治」 の概念は普遍的なものであると言うことである。それゆえ、シュトラウスの僭主政治研究は、その引用句に明示されているように、明らかに 「始まり」 の探究という性格をもっていたのである。それは、近代的自然権が 「自然状態」 というフィクションから始められたことに対する対案提示という意味をもっているのである。それゆえ、シュトラウスによる僭主政治の研究も著述の技法の研究も、自然権についての研究と同様、最初からワシントンを見据えていたということができる。一言でいえば、シュトラウスがアメリカに渡って以後彼の政治哲学は常に一貫してアメリカ政治を見据えた政治的実践であったと解しうるのである。
     これまでの議論から明らかなように、シュトラウスが僭主政治の分析と自然権の擁護を通してアメリカ政治にもたらそうとしたものは、「王」 と 「僭主」 の違いを無視することによって近代社会科学の先駆けとなりえたマキアヴェッリの知的モデルを超えるモデルを提出するとともに、マキアヴェッリが同時に提出しようとした 「善悪の彼岸」 にある 「力」 の原理をアメリカ政治のなかに見届けようとするものであった。そしてそのためには、彼は、「価値自由」 的社会科学に代わる知的モデルと、その知に基づく政治的実践のモデルを提出しなければならなかったが、そのような知つまり理論と実践の基準となりうるものが自然権の原理であった。そしてその知は、それ自身のうちに、反僭主政治という実践的主張を含むものでもあったのである。』


    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。









    続きは次回に♥




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