FC2ブログ

    親子チョコ💗(500冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  世界史 >  アメリカの 「代弁者」 「操り人形」 の大統領って誰?

    アメリカの 「代弁者」 「操り人形」 の大統領って誰?

    A storm is coming 597

    本日のキーワード : ウクライナ、ネオナチ、インテグラル・ナショナリスト、ドミトロ・ドンツォフ、ユダヤ人、レオ・シュトラウス、シュトラウス派、歴史修正主義、ロシア、中国



    Who are the Ukrainian integral nationalists ?
    ウクライナのインテグラル・ナショナリストとは誰か? ②

    Who knows the history of the Ukrainian "integral nationalists", "Nazis" according to the terminology of the Kremlin? It begins during the First World War, continues during the Second, the Cold War and continues today in modern Ukraine. Many documents have been destroyed and modern Ukraine forbids under penalty of imprisonment to mention their crimes. The fact remains that these people massacred at least four million of their compatriots and conceived the architecture of the Final Solution, that is, the murder of millions of people because of their real or supposed membership in the Jewish or Gypsy communities of Europe.
    クレムリンの用語によれば 「ナチス」 であるところのウクライナの 「インテグラル・ナショナリスト (integral nationalists / 統合主義者 / 統合民族主義者)」 の歴史を知っている人はいるだろうか? それは第一次世界大戦中に始まり第二次世界大戦中冷戦中そして現代のウクライナにおいても継続している多くの資料が破棄され現代のウクライナでは彼らの犯罪について言及することが禁じられしかも投獄の罰則付きであるしかしこれらの連中が少なくとも 400 万人の自国民を虐殺しヨーロッパのユダヤ人やジプシーのコミュニティーの一員であるという理由により何百万人もの人々を殺害するという究極的解決策の計画を立てたことは事実である

    218391-1-88b14.jpg
    The German agent, thinker of Ukrainian “integral nationalism” and criminal against humanity, Dmytro Dontsov (Metipol 1883, Montreal 1973).
    ドイツの工作員であり、ウクライナの 「統合民族主義」 の思想家であり、人道に対する犯罪者であるドミトロ・ドンツォフ (メリトポリ 1883 年生, モントリオール 1973 年没)

    A young poet, Dmytro Dontsov, was fascinated by the avant-garde artistic movements, believing that they would help his country to escape from its social backwardness. Since the Tsarist Empire had been immobile since the death of Catherine the Great, while the German Empire was the scientific center of the West, Dontsov chose Berlin over Moscow.
    若き詩人ドミトロ・ドンツォフは、前衛的な芸術運動に魅了され、それが自国の社会的後進性からの脱却に役立つと信じていた。エカチェリーナ大帝の死後、ツァーリズム帝国は停滞している一方で、ドイツ帝国は西欧の科学の中心地であったため、ドンツォフはモスクワではなくベルリンを選択した。

    1780年代、エカチェリーナ2世
    エカチェリーナ 2 世

    When the Great War broke out, he became an agent of the German secret service. He emigrated to Switzerland, where he published, on behalf of his masters, the Bulletin of the Nationalities of Russia in several languages, calling for the uprising of the ethnic minorities of the Tsarist Empire in order to bring about its defeat. This model was chosen by the Western secret services to organize the "Forum of Free Peoples of Russia" this summer in Prague.
    第一次世界大戦が勃発すると、彼はドイツの諜報部員となったスイスに移住した彼は、上司の指示で 『ロシア・ナショナリティーズ公報』 を数カ国語で発行し、ツァーリズム帝国の少数民族の蜂起を呼びかけその打倒を目指したこのモデルを欧米の秘密機関が採用しこの夏プラハで 「ロシア・フリー・ピープルズ・フォーラム」 を組織したのである。

    In 1917, the Bolshevik revolution turned the tables. Dontsov’s friends supported the Russian revolution, but he remained pro-German. In the anarchy that followed, Ukraine was divided de facto by three different regimes: the nationalists of Symon Petliura (who imposed themselves in the area held today by the Zelensky administration), the anarchists of Nestor Makhno (who organized themselves in Novorosssia, the land that had been developed by Prince Potemkin and that had never known serfdom), and the Bolsheviks (especially in the Donbass). The war cry of Petliura’s followers was "Death to the Jews and Bolsheviks". They perpetrated numerous murderous pogroms.
    1917 年ボルシェビキ革命によって、立場は逆転した。ドンツォフの仲間たちはロシア革命を支持したが、彼は引き続き親ドイツ派であった。その後の無政府状態でウクライナは事実上3 つの異なる政権によって分割された : シモン・ペトリューラの民族主義者 (彼らは現在のゼレンスキー政権が支配する地域で権力を握った)、ネストル・マフノの無政府主義者 (彼らはポチョムキン公爵が開発し、農奴制など存在しなかったノヴォロシアで勢力を張った)、そしてボルシェビキ (特にドンバス地方) の 3 つ だ。ペトリューラの信奉者たちの鬨 (とき) の声は「ユダヤ人とボリシェヴィキに死を」 というものであった彼らは数々の殺人的ポグロムを実行したのであった。

    シモン・ペトリューラ
    シモン・ペトリューラ

    ネストル・マフノ
    ネストル・マフノ

    グリゴリー・アレクサンドロヴィチ・ポチョムキン
    グリゴリー・アレクサンドロヴィチ・ポチョムキン

    Dmytro Dontsov returned to Ukraine before the German defeat and became the protégé of Symon Petliura. He participated briefly in the Paris peace conference but, for some unknown reason, did not remain in his delegation. In Ukraine, he helped Petliura to ally with Poland to crush the anarchists and Bolsheviks. After the capture of Kiev by the Bolsheviks, Petliura and Dontsov negotiated the Treaty of Warsaw (April 22, 1920): the Polish army undertook to push back the Bolsheviks and to liberate Ukraine in exchange for Galicia and Volhynia (exactly as the Zelensky administration is negotiating today the entry of Poland into the war against the same lands). This new war was a fiasco.
    ドミトロ・ドンツォフはドイツの敗戦前にウクライナに戻りシモン・ペトリューラの子飼いとなった。彼はパリ講和会議に短期間ながら参加したが、理由は定かではないが、その代表団に留まることはなかった。ウクライナではペトリューラに協力してポーランドと同盟を結び無政府主義者とボリシェヴィキを弾圧したボリシェヴィキがキエフを占領した後ペトリューラドンツォフはワルシャワ条約 ( 1920 年 4 月 22 日) を交渉した : ポーランド軍はボリシェヴィキを撃退しガリツィアとヴォルィーニと引き換えにウクライナを解放することを約束した (まさに今日、ゼレンスキー政権が同じ土地に対する戦争にポーランドを参戦させる交渉を行っているように)この新たな戦争は大失敗に終わった

    ヴォルィーニ
    ヴォルィーニ

    こちらもご参照🌸

    野村 真理  ガリツィアのユダヤ人(新装版): ポーランド人とウクライナ人のはざまで

    ガリツィアのユダヤ人(新装版): ポーランド人とウクライナ人のはざまで

    Is Zelensky a Cousin of George Soros?

    Hitler.jpg 習近平思想の着想者であり、中国的特徴を持つ社会主義の提唱者である習近平総書記

    岸田内閣


    Who are the Ukrainian integral nationalists ?



    本日の書物 : 『謀略と捏造の二〇〇年戦争 釈明史観からは見えないウクライナ戦争と米国衰退の根源』 馬渕睦夫、渡辺惣樹 徳間書店



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 渡辺 : 実はウクライナ戦争後の三月末の時点では、口頭ベースでウクライナとロシアとの間では停戦に向けての合意が形成されていたと報じられていました。

     ① ウクライナは NATO に加入しないことを和平条件として提示し、代わりに 「安全保障国」 をつくる。② その国とロシアの了解なく軍事演習はしない。③ 外国軍によるウクライナ軍の基地の不使用。④ 安全保障を担保する国の保障はドンバス地方に適用しない。⑤ クリミアに関しては一五年間の冷却期間を設けるなど…。ロシア側もそれを受け、ウクライナの EU 加入は認めるというところまで容認・譲歩していたといいます。

     ところがロシア側が文書化を要求すると交渉が停止してしまった。第一章で述べたように横やりを入れたのは当時イギリス首相だったボリス・ジョンソンで、直接キーウに乗り込んだという話です。それも三回も。また、トルコの仲介も続いているものの、英米の嫌がらせがひどい。

     つまりゼレンスキーは実質交渉者ではないということでしょう。ゼレンスキーはアメリカの 「代弁者」 にすぎず、言ってみれば 「操り人形」 ですよ。

     五月一日にウクライナを訪問した米下院議長のナンシー・ペロシはキーウで演説した際、「ウクライナの人々を支援するために必要な行動をとる用意がある。戦いに勝利するまで支援は続く」 と語っています。一見、ウクライナを手厚く支援しているようで、要は 「勝つまで戦い続けろ」 ということです。「国が滅亡してでも戦い続けろ」 と言っているに等しいわけですが、これがネオコンの総意なのでしょう。』

    日の丸

    レオ・シュトラウスと 「悪しき政治」

    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、何事も自分自身の頭で考えることができない “無自覚なイワシ” に分類される方々にお薦めの良書で、必ずしも意見が一致しているわけではない二人の著者による分かり易い対談を通じて、世間一般に流布されている “無自覚なイワシ” 向けの 「潮流 (プロパガンダ) 」 とは全く異なる世界観のその一部を垣間見ることができ、自分自身の頭で考えることの大切さがご理解頂けるようになると思われます。

    読書 10-181





    さて、これまでの流れを、簡単に確認しておきますと、まず、出発点として、カール・マルクス (1818 - 1883) が生まれる約 200 年ほど前の時代 (日本で言えば、戦国時代から江戸時代初期にかけての時代) に、ドイツの神秘主義者であるヤーコプ・ベーメ (ヤコブ・ベーメ、1575 - 1624) という名の人物がいて、その後の 「ドイツ思想」 に決定的な影響を与えた 「キリスト教神智学 (Christian theosophy) 」「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 なるものが世に生まれることになります。(詳しくはこちらから💓

    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)
    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)

    そのベーメの言っていたことというのは、次のようなものでした。

    世界は本来壊れているものであり、それを直すことができるのは正しい者だけである詳しくはこちらから💓

    そして、その影響を受けたのがプロイセン (ドイツ) の哲学者イマヌエル・カント (1724 - 1804) で、彼が言っていたことは、次のようなものでした。

    イマヌエル・カント
    イマヌエル・カント

    たとえ世界を直すことができなくても、私たちは常に世界を直すことができると仮定して行動しなければならない詳しくはこちらから💓

    また、ドイツ観念論を代表する思想家ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル (1770 - 1831) も影響を受けていて、そんな彼が言っていたことは、次のようなものでした。

    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル

    世界が固定されていたとしても、私たちは無意識のうちに分裂を起こし、世界が再び崩壊し始めることになる詳しくはこちらから💓

    で、この流れを受け継いでいるのがカール・マルクスであり、ウラジミール・レーニン (1870 - 1924) で、彼らが言っているのは次のようなことです。

    カール・マルクス
    カール・マルクス

    私たちには、世界を壊したいという衝動はない。もし私たちが世界を壊すとすれば、それは私たちが社会とその主人たちからそうすることを学んだからである

    ウラジーミル・イリイチ・レーニン 1
    ウラジーミル・イリイチ・レーニン

    われわれは、世界を固定するために、意識の統一を強行しよう詳しくはこちらから💓

    このように、ドイツで生まれた 「キリスト教神智学 (Christian theosophy) 」 ・ 「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 を出発点として、その後、人為的に造り出された “幻想” であるところのマルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想が生み出されることとなります。ここで重要な点は、そもそも全知全能なる神が創り賜うた世界にあって、なぜ悪が存在するのか、という疑問から生じた 「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 が、ユダヤ・キリスト教的 “善悪二元論” をより一層強化し、世界を完全に良くするために 「悪なるもの」 を消し去らねばならない、といった浅はかな思考へと陥る人々を生じさせたことです。多くの一般的な人々も陥りやすい誤った思考ですが、特に 「極左おパヨク」 と呼ばれる連中はその影響をもろに受けてしまうほどの 「おバカ」 で、さまざまな “アイデンティティ” を次から次へと粗製濫造することで、ユダヤ・キリスト教的な 「贖罪(しょくざい)」 の対象物として “罪” を創り出し、その罪に対する償 (つぐな) い・贖 (あがな) いを果たねばならない、と妄信させることによって、「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」 の下で人々に対して自己抑圧的な態度の徹底を促し ( ← これが、ポリコレw)人々の “自由” を奪う極めて 「権威主義的な統制社会の再構築」 を目指す連中の思う壺となっていて、それはまさに現在私たちが普通に目にすることができる状況にあります。つまり、もはや隠そうともしていないという状況にあるということです。

    Hunter Biden Soros Linked to Biolabs in Ukraine





    その 「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」 については、ドイツ出身の社会学者・歴史学者かつマルクス主義者であり、エリート理論の信奉者で、さらにはファシズム (全体主義者) でもあったロベルト・ミヒェルス (ロベルト・ミヘルス) が提唱した仮説である 『寡頭制の鉄則』 (iron law of oligarchy) を確認をしてきましたが、そこにもやはり 「キリスト教神智学 (Christian theosophy) 」 ・ 「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 の影響を見ることができます。(詳しくはこちらから💓

    ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)
    ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)

    また、「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー) 」 と同根の言葉である 「オリガルヒ (oligarch) 」 につきましても、ロシア詳しくはこちらから💓) やウクライナ詳しくはこちらから💓) の事例から、そこには少なからぬ 「ユダヤ人 ( = ユダヤ教徒)」こちらもご参照💓) が存在していることも判明しました。

    A storm is coming 245





    さらには、ウクライナとユダヤ人 ( = ユダヤ教徒) と特異な関係を、ウマン (ウーマニ) 巡礼の形成の歴史を通じて確認しました。 (詳しくはこちらから💓

    ウーマニ

    そこで、現在 “ユダヤ人” (民族としては定義され得ない、単なる宗教信者のグループ) という存在に着目し、より一層理解を進めるために様々な論文を見ているところとなります。

    ehdppl.jpg
    『現代アメリカ政治とレオ・シュトラウス政治哲学』石崎 嘉彦

    それでは早速、続きを見て参りましょう。

    『 5. 理性的と現実的は等置可能か

     しかし、シュトラウスの政治哲学がそのような哲人統治や 「理性的なもの」 と 「現実的なもの」 との合一を要求するものであったかどうかは、再考を要する。というのも、シュトラウスは、ルソーやニーチェとともに、政治的なものの否定であるヘーゲル的 「和解」あるいは絶対的統治や永遠平和へ向けての上昇の否定のうえになお 「政治的なもの」 が存立すべき地平を見ようとしていたからである。彼にそのことを示唆したのは、カール・シュミットであった。シュミットにとってと同様、シュトラウスにとって近代が悪しきものであるのはそれが理想を掲げて政治的なものを否定しようとしたからであるつまり近代が善き近代の名のもとに悪しき政治を否定しようとしたからである。しかし、シュトラウスからすれば悪しきものとしての政治はまたその悪しきものとしての政治によって否定されるよりほかないのである
     

    レオ・シュトラウス
    レオ・シュトラウス

     このことは、「近代性の三つの波」 と題された論文の最後のところで、シュトラウスが、ニーチェがナチズムに責任があるとは言いえないことを認めながら、しかし、ルソーがジャコバン主義に対して責任があるというのと同じような意味では責任があるという主旨のことを述べていることのなかに読み取ることができる。ニヒリズムの到来を見据えたニーチェも自然状態からの堕落を難じなければならなかったルソーも、悪しき近代の超克を口にした。その超克を実行に移そうとした者たちはいずれも、悪しき政治に解決を求めた。それをシュトラウスとワシントンの関係に当て嵌めてみるとき、そこに見えてくるのは、ソクラテスがその弟子アルキビアデスの行ったことに責任がないのと同様、ネオコンと呼ばれた一部の人間の政治的 「実践」 に対して、シュトラウスに直接の責任はないことになろう。とはいえ、シュトラウスにはルソーがジャコバンに責任があるのと同様あるいはニーチェがファシズムやナチズムに責任があると彼が言ったのと同様の意味で責任があると言わねばならないであろう。そこで問題となるのは、ニーチェのナチズムに対する責任、ルソーのジャコバンに対する責任とは何であるかということである。
     したがって、この問題は、ソクラテスとアルキビアデスの問題と同様、哲学と政治の関わりの問題、言い換えれば、知恵の探求と正しい生き方の問題を考えるうえで避けて通ることのできない問題である。しかもその問題は、ソクラテスが都市から死の宣告を受けたその原因と理由を思考するなかからいっそう洗練された哲学的思惟が生じてきたことが示すように、われわれを最も 「善き生」 である哲学することへと誘う問題でもある。したがって、シカゴからワシントンへという問題を考えることは、哲学と人間的生あるいは人間的 「実践」 の問題を考える善ききっかけとなるはずである。』


    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。









    続きは次回に♥




    ランキング参加中で~す^^ ポチっとお願いします♥
    ↓↓↓↓↓↓↓

    にほんブログ村 本ブログへ
    にほんブログ村


    人気ブログランキング



    PVアクセスランキング にほんブログ村
    関連記事

    コメント






    管理者にだけ表示を許可する