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    親子チョコ💗(500冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  世界史 >  そもそも、「ロシアへの制裁」 は、国連憲章に違反しているという事実

    そもそも、「ロシアへの制裁」 は、国連憲章に違反しているという事実

    A storm is coming 573

    本日のキーワード : ウクライナ、ステパーン・バンデーラ、バンデリスト、ネオナチ、ユダヤ人、レオ・シュトラウス、シュトラウス派、歴史修正主義、ロシア、中国



    How to Stop the Escalation to War
    戦争へのエスカレーションを如何にして止めるか ③

    The Ukrainian conflict is turning into a war between the West on one side and Russia and China on the other. Each side is convinced that the other one wants its loss. And fear is a bad advisor. Peace can only be preserved if each side recognizes its mistakes. This must be a radical change, because today neither Western discourse nor Russian actions correspond to reality.
    ウクライナ紛争は一方は欧米他方はロシアと中国という戦争になりつつある。それぞれの側は、相手が自国の敗北を望んでいると確信している。そして、恐怖心は悪しきアドバイザーである。平和は、それぞれの側が自らの過ちを認識した場合にのみ維持される。これは根本的な変化でなければならない。なぜなら、今日、西側の言説もロシアの行動も、現実には対応していないからである。

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    The Russian and Chinese presidents, Vladimir Putin and Xi Jinping. The straussians of the State Department, Antony Blinken and Victoria Nuland.
    ロシアと中国の首脳、ウラジーミル・プーチン、習近平。国務省のシュトラウス派アントニー・ブリンケンとヴィクトリア・ヌーランド

    レオ・シュトラウス
    レオ・シュトラウス

    The West recognized the Soviet referendum in Ukraine in 1990, but not the one in 2014. Yet the right of peoples to self-determination does apply to the Crimeans. The West argues that many Russian soldiers were present without wearing their uniforms. True, but the results of the two referendums in 1990 and 2014 were similar. There is no room for suspicion of fraud.
    欧米諸国は 1990 年にウクライナで行われたソ連の住民投票を認めたが2014 年の住民投票は認めていない。しかし、人民の自決権はクリミア人にも適用される。欧米諸国は、多くのロシア兵が制服を着ずに参加したと主張する。確かにそうだが、1990 年と 2014 年の 2 つの住民投票の結果は似たようなものだった不正を疑う余地はないのである

    To show that they did not accept this "annexation", the West collectively imposed sanctions on Russia, without authorization from the Security Council. These sanctions violate the UN Charter, which gives exclusive authority to the Security Council.
    この 「併合」 を受け入れないことを示すために欧米諸国は安保理の承認を得ずに一斉にロシアに制裁を課したこれらの制裁は安保理に独占的な権限を与えた国連憲章に違反する

    The Donetsk and Luganks oblasts have also rejected the 2014 coup government. They proclaimed their autonomy and posed as resisters to the "Nazis" in Kiev. Equating "integral nationalists" with "Nazis" is historically justified, but does not allow non-Ukrainians to understand what is going on.
    ドネツク州とルガンクス州も2014 年のクーデター政権を拒否した彼らは自治を宣言しキエフの 「ナチス」 に対して抵抗する姿勢を示した「統合主義者」「ナチス」同一視することは歴史的に見ても妥当だがウクライナ人以外には何が起こっているのかを理解することはできない

    The "integral nationalist" was created in Ukraine by Dmytro Dontsov at the very beginning of the 20th century. Initially, Dontsov was a left-wing philosopher, only gradually moving to the extreme right. He was a paid agent of the Second Reich during the First World War, before participating in the Ukrainian government of Symon Petliura, which arose during the Russian Revolution of 1917. He participated in the Paris Peace Conference and accepted the Treaty of Versailles. During the inter-war period, he exercised a mastery over Ukrainian youth and became a propagandist of fascism, then of Nazism.
    この 「統合主義者」20 世紀初頭にドミトロ・ドンツォフによってウクライナで生み出されたドンツォフは当初左翼の哲学者だったが次第に極右に傾倒していくばかりだった第一次世界大戦中は第二帝国の有給工作員であったが1917年のロシア革命で誕生したシモン・ペトリューラ政権に加わった。パリ講和会議に参加し、ヴェルサイユ条約を受諾した。戦間期にはウクライナの若者を支配しファシズムそしてナチズムの宣伝者となった

    ドミトロ・ドンツォフ
    ドミトロ・ドンツォフ

    シモン・ペトリューラ
    シモン・ペトリューラ

    He became violently anti-Semitic, preaching for the massacre of the Jews long before this theme was supported by the Nazi authorities, who spoke only of expulsion until 1942. During the Second World War, he refused to take over the leadership of the Organization of Ukrainian Nationalists (OUN), which he entrusted to his disciple Stepan Bandera, assisted by Yaroslav Stetsko. Almost all the documents about his activity within Nazism have been destroyed. It is not known what he did during the war, except for his active participation in the Reinhard Heydrich Institute after the latter’s assassination. The newspapers of this anti-Semitic organ gave him a lot of space. At the Liberation, he fled to Canada, under the protection of the Anglo-Saxon secret services, and then to the United States. At the end of his life, he was still as virulent as ever and had evolved into a form of Viking mysticism, preaching the final confrontation against the "Muscovites. Today, his books, especially his Nationalism, are required reading for militiamen, especially those in the Azov Regiment. Ukrainian "integral nationalists" massacred at least 3 million of their fellow citizens during World War II.
    ナチス当局は 1942 年までユダヤ人を追放することだけしか主張しなかったが彼は激しく反ユダヤ主義を主張しナチス当局がそれを支持するずっと以前からユダヤ人の虐殺を説いていた第二次世界大戦中彼はウクライナ民族主義者組織 (OUN) の指導を拒絶し弟子のステパーン・バンデーラとヤロスラフ・ステツコのアシストに任せたナチズム内での彼の活動に関する文書はほとんど全て破棄されてしまった。ラインハルト・ハイドリヒ暗殺後の研究所への積極的な参加を除いては、戦時中に彼が何をしたかは分かっていない。この反ユダヤ主義的な機関の新聞では、彼に多くのスペースを割いていた。解放後、彼はアングロサクソンの諜報機関の保護を受けてカナダに逃げその後アメリカに渡った。その生涯の終わりには、彼は相変わらず悪意に満ちた、ヴァイキングの神秘主義に展開し、「モスクワ人」 との最終対決を説いていた。今日彼の著書特に 『ナショナリズム』 は民兵特にアゾフ連隊の兵士たちの必読書となっているウクライナ「統合主義者」第二次世界大戦中少なくとも 300 万人の同胞を虐殺した

    ステパーン・バンデーラ
    ステパーン・バンデーラ

    ヤロスラフ・ステツコ
    ヤロスラフ・ステツコ

    ラインハルト・ハイドリヒ
    ラインハルト・ハイドリヒ

    バンデライト(バンデーラ派極右)
    バンデリスト (バンデーラ派極右)

    アゾフ大隊のエンブレム(2014年夏~2014/2015冬まで使用)
    アゾフ大隊のエンブレム(2014年夏~2014/2015冬まで使用)

    アゾフ連隊のエンブレム(2015年春から使用)
    アゾフ連隊のエンブレム(2015年春から使用)

    A storm is coming 222

    Washington reads this history differently. For it, the "integral nationalists" certainly made mistakes, but they were fighting for their independence against both the German Nazis and the Russian Bolsheviks. The CIA was therefore right to host Dmytro Donsov in the USA and to employ Stepan Bandera on Radio Free Europe. And even more, to create the World Anti-Communist League around the Ukrainian Nazi Prime Minister, Yaroslav Stetsko, and the leader of the Chinese anti-communist opposition, Chiang Kai-shek. Today, again according to Washington, these facts belong to the past.
    ワシントンはこの歴史を違った風に解釈している。「統合主義者」は確かに過ちを犯したが、彼らはドイツのナチスやロシアのボルシェビキの両方に対して、独立のために戦っていたのだ。したがって、CIAがドミトロ・ドンツォフをアメリカで受け入れ、ステパーン・バンデーラをラジオ・フリー・ヨーロッパで雇用したのは正しいことだった、と。さらに、ウクライナのナチス首相ヤロスラフ・ステツコと支那の反共反対派のリーダー蒋介石を中心とする世界反共同盟を創設したこともそうである、と。今となっては、ワシントンに言わせれば、またしてもこれらの事実は過ぎ去った過去の出来事なのである。

    Is Zelensky a Cousin of George Soros?

    Hitler.jpg 習近平思想の着想者であり、中国的特徴を持つ社会主義の提唱者である習近平総書記

    岸田内閣







    How to Stop the Escalation to War



    本日の書物 : 『戦争を始めるのは誰か 歴史修正主義の真実』 渡辺 惣樹 文藝春秋



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 ブリット大使は赴任地のパリに戻ると (一九三九年二月)ポーランド駐仏大使ユリウシュ・ウカシェヴィチ (Juliusz Lukasiewicz) に対しても「戦いが始まればアメリカはすぐにでも英仏の側に立って参戦する」 と語りアメリカ (FDR) の決意を伝えた。  

    フランクリン・デラノ・ルーズベルト (FDR)
    フランクリン・デラノ・ルーズベルト (FDR)

     FDR はポーランドへの圧力をかけながら同時にチェンバレン政権への工作も進めた。三月一五日、FDR は英国ハリファックス外相に対してイギリスがその対独外交方針を変更しなければ米国世論は反英国に傾くと脅したFDR はドイツから英国大使を引きあげ外交関係を断つことまで要求した。しかし、ハリファックス外相は、「英国民は外交の重要性についてはよくわかっている。アメリカ国民ほど無知ではない」 と皮肉交じりに答え大使を召還する愚策はとらなかった。アメリカは一九三八年一一月には駐独大使ヒュー・ウィルソンを召還し、対独外交を麻痺させていた。その愚かな外交にイギリスは追随することを拒否した。

     ただハリファックス外相はネヴィル・ヘンダーソン駐独大使をロンドンに打ち合わせと称して短期間呼び戻すことには同意したその上でチェンバレン首相が、対独外交方針を大きく変える演説を一七日の夜に行うことを約束したのである
     
    ネヴィル・チェンバレン
    ネヴィル・チェンバレン

    先に、三月一七日に、チェンバレン首相が故郷のバーミンガムで「これが (ヒトラーの) ヨーロッパの小国に対する最後の侵攻なのか? 次の動きがあるのか? あるいは武力による世界制覇を狙っているのだろうか?」 と演説したと書いた。これはルーマニア公使の虚偽の情報に基づいてなされたとも書いた。しかし同時にFDR の意向がハリファックス外相からチェンバレンに伝えられていたからだったつまり英国の対独宥和外交を変えたのは FDR の意向が強く働いていたのだ

     英国の対独宥和政策は破棄され強硬策に変わった釈明主義に立つ歴史家はこの理由をヒトラーの要求がエスカレートしたのが原因だとしか書かないしかし英国のチェンバレン首相やハリファックス外相はベルサイユ体制の不正義が解消されない限りヨーロッパの和平に安定はないことを知っていたしダンツィヒ・ポーランド回廊問題は外交的手続きを平和的手段で行えばドイツ領に服させるべきだとも言っていた英国のそうした意志はヒトラーには明確に伝わっていた英国の対独外交方針の唐突な転換をFDR の裏工作やチャーチルらの反独勢力の動きを語ることなく説明するためにチェコスロバキアの解体はヒトラーの世界制覇の野望実現の一里塚だったと説明するFDR の不審な動きに触れないしかしチェコスロバキア解体の実態は人工国家チェコスロバキアの自壊であった。ヒトラーはその自壊を早めたに過ぎなかった。

     この節に書いた内容に関わる資料を米国国務省は公開していないそのため歴史修正主義に立つ歴史家が外部に存在する資料を蒐集 (しゅうしゅう) することでFDR 外交の実態に迫ったのである。…チェンバレンのポーランド独立保障宣言は天下の愚策だったしかしその愚策の設計者は FDR だったのである。』

    日の丸

    神的法と預言者的指導者

    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、米軍占領下の政策の流れをそのまま引き継いでいるわが国の “暗記するだけ” の歴史教育でお勉強をしてきた ( = したつもりになっている) だけのヒトには決して知り得ない実際に起きていたことそしてその流れが現代にも連なっているということ (例えば、アメリカ (とイギリス) が引き起こしたウクライナ紛争) を理解できるようになる 『学び』 のために必須の書物になります。具体的に申しますと、アメリカ (とイギリス、そしてその背後に隠れているユダヤ人) が捏造し流布してきた “通説的歴史” を、膨大な証拠や根拠を提示しながら非常に高度により論理的により科学的に解析を行うことで “通説的歴史” の誤り・嘘を糺し『正しい歴史認識』 を人びとに知らしめる学問的立場である 『歴史修正主義』 に基づく当ブログお薦めの良書になります。ちなみに・・・ですが、“通説的歴史” を主張し続けているような “自称専門家” 連中の知的能力では、『歴史修正主義』 の主張に反論することも論破することも不可能で、せいぜいトンチンカンな “レッテル貼り” をするのが精一杯だ、という現実は、世に知られるところでもあります。ということで、是非一度、お手に取ってご覧頂きますように🌸





    読書6-56

    それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。

    (死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)

    ※(  )内は前回の数値

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    Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE

    アメリカ : 1,116,174(1,115,005)÷103,050,830(102,947,834)=0.0108・・・(0.0108) 「1.08%(1.08%)」
    loohgfed1.jpg

    イタリア : 187,551(187,551)÷25,519,067(25,519,067)=0.0073・・・(0.0073) 「0.73%(0.73%)」
    loohgfed2.jpg

    日本 : 71,316(71,144)÷33,063,105(33,041,758)=0.0021・・・(0.0021) 「0.21%(0.21%)」
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    さて、これまでの流れを、簡単に確認しておきますと、まず、出発点として、カール・マルクス (1818 - 1883) が生まれる約 200 年ほど前の時代 (日本で言えば、戦国時代から江戸時代初期にかけての時代) に、ドイツの神秘主義者であるヤーコプ・ベーメ (ヤコブ・ベーメ、1575 - 1624) という名の人物がいて、その後の 「ドイツ思想」 に決定的な影響を与えた 「キリスト教神智学 (Christian theosophy) 」「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 なるものが世に生まれることになります。(詳しくはこちらから💓

    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)
    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)

    そのベーメの言っていたことというのは、次のようなものでした。

    世界は本来壊れているものであり、それを直すことができるのは正しい者だけである詳しくはこちらから💓

    そして、その影響を受けたのがプロイセン (ドイツ) の哲学者イマヌエル・カント (1724 - 1804) で、彼が言っていたことは、次のようなものでした。

    イマヌエル・カント
    イマヌエル・カント

    たとえ世界を直すことができなくても、私たちは常に世界を直すことができると仮定して行動しなければならない詳しくはこちらから💓

    また、ドイツ観念論を代表する思想家ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル (1770 - 1831) も影響を受けていて、そんな彼が言っていたことは、次のようなものでした。

    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル

    世界が固定されていたとしても、私たちは無意識のうちに分裂を起こし、世界が再び崩壊し始めることになる詳しくはこちらから💓

    で、この流れを受け継いでいるのがカール・マルクスであり、ウラジミール・レーニン (1870 - 1924) で、彼らが言っているのは次のようなことです。

    カール・マルクス
    カール・マルクス

    私たちには、世界を壊したいという衝動はない。もし私たちが世界を壊すとすれば、それは私たちが社会とその主人たちからそうすることを学んだからである

    ウラジーミル・イリイチ・レーニン 1
    ウラジーミル・イリイチ・レーニン

    われわれは、世界を固定するために、意識の統一を強行しよう詳しくはこちらから💓

    このように、ドイツで生まれた 「キリスト教神智学 (Christian theosophy) 」 ・ 「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 を出発点として、その後、人為的に造り出された “幻想” であるところのマルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想が生み出されることとなります。ここで重要な点は、そもそも全知全能なる神が創り賜うた世界にあって、なぜ悪が存在するのか、という疑問から生じた 「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 が、ユダヤ・キリスト教的 “善悪二元論” をより一層強化し、世界を完全に良くするために 「悪なるもの」 を消し去らねばならない、といった浅はかな思考へと陥る人々を生じさせたことです。多くの一般的な人々も陥りやすい誤った思考ですが、特に 「極左おパヨク」 と呼ばれる連中はその影響をもろに受けてしまうほどの 「おバカ」 で、さまざまな “アイデンティティ” を次から次へと粗製濫造することで、ユダヤ・キリスト教的な 「贖罪(しょくざい)」 の対象物として “罪” を創り出し、その罪に対する償 (つぐな) い・贖 (あがな) いを果たねばならない、と妄信させることによって、「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」 の下で人々に対して自己抑圧的な態度の徹底を促し ( ← これが、ポリコレw)人々の “自由” を奪う極めて 「権威主義的な統制社会の再構築」 を目指す連中の思う壺となっていて、それはまさに現在私たちが普通に目にすることができる状況にあります。つまり、もはや隠そうともしていないという状況にあるということです。

    Hunter Biden Soros Linked to Biolabs in Ukraine





    その 「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」 については、ドイツ出身の社会学者・歴史学者かつマルクス主義者であり、エリート理論の信奉者で、さらにはファシズム (全体主義者) でもあったロベルト・ミヒェルス (ロベルト・ミヘルス) が提唱した仮説である 『寡頭制の鉄則』 (iron law of oligarchy) を確認をしてきましたが、そこにもやはり 「キリスト教神智学 (Christian theosophy) 」 ・ 「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 の影響を見ることができます。(詳しくはこちらから💓

    ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)
    ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)

    また、「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー) 」 と同根の言葉である 「オリガルヒ (oligarch) 」 につきましても、ロシア詳しくはこちらから💓) やウクライナ詳しくはこちらから💓) の事例から、そこには少なからぬ 「ユダヤ人 ( = ユダヤ教徒)」こちらもご参照💓) が存在していることも判明しました。

    A storm is coming 245





    さらには、ウクライナとユダヤ人 ( = ユダヤ教徒) と特異な関係を、ウマン (ウーマニ) 巡礼の形成の歴史を通じて確認しました。 (詳しくはこちらから💓

    ウーマニ

    そこで、現在 “ユダヤ人” (民族としては定義され得ない、単なる宗教信者のグループ) という存在に着目し、より一層理解を進めるために様々な論文を見ているところとなります。

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    『現代ユダヤ思想における神権政治をめぐる論争 : ブーバー、ヴァイレル、ラヴィツキーの理解を中心に』 平岡 光太郎

    それでは早速、続きを見て参りましょう。

    『 第六章 マイモニデス理解

    第三節 人間の政治的な本性の問題

     ラヴィツキーの特徴は人間の政治的本性についてのマイモニデスの理解を矛盾と見做す点にある彼によるとマイモニデスは人間の本性に政治的性質と同時に社会を解体へと至らせる極度の多様性を見出したここでマイモニデスはこの矛盾をいかに克服し人間の破壊的で非理性的な本性をいかに解決できるかを問い法 ( החוק ) と指導者による解決をもってその答えとしたとラヴィツキーは主張する。すなわち法と指導者は社会に一体性をもたらし人間がその政治的本性を実現するのを助けるこのゆえにこの二つはあらゆる政治的教説の中心に立つと見做しラヴィツキーは以下のとおり述べる
     

    ラビ・モーシェ・ベン=マイモーン (マイモニデス)
    ラビ・モーシェ・ベン=マイモーン (マイモニデス)


     ここでの私たちの関心は、マイモニデスがこれら二つの機関政治的法と社会的指導を宗教的概念の体系の内に組み込んだ方法に特別な重要性を関係づけることにある。言い換えると、彼がこの特定の法 ( חוקה ) を神的法と、また特定の指導者を預言者的指導者と特徴づけた方法を、私たちは強調する必要がある (Ravitzky 1998 : 20 )。


     ラヴィツキーの強調するところによればマイモニデスは法と指導者の二つの機関を宗教的な概念で捉えそれぞれ神的法と預言者的指導者と捉えたこれはヴァイレルのそれと鋭く拮抗するマイモニデス理解であるつまりヴァイレルの理解によるとマイモニデスは必須のものを供給できるのであればトーラーに依拠する特定の政治秩序を要求しないがこれに対しラヴィツキーによるとマイモニデスは神的法と預言者的指導者という特定の機関を求めたのである。ラヴィツキーの 「特定の」 という表現も、ヴァイレルの議論を踏襲した意図的なものと思われる。』


    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。









    続きは次回に♥




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