2014-10-18 (Sat)

ドナルド・キーン(1922年6月18日 - )は、アメリカ合衆国出身の日本文学者・日本学者。日本文学と日本文化研究の第一人者であり、文芸評論家としても多くの著作がある。日本国籍取得後、本名を出生名の「Donald Lawrence Keene」から、カタカナ表記の「キーン ドナルド」へと改めた。通称(雅号)として漢字で鬼怒鳴門(きーん どなるど)を使う。コロンビア大学名誉教授。日本文化を欧米へ紹介して数多くの業績があり数多くの大学や研究施設から様々な受賞経歴を持つ。
『 ドナルド・キーンは…アメリカ海軍日本語学校に入学し
…情報将校として、太平洋戦線で通訳を務めた。
日本軍捕虜の聞き取り調査をし、
日本兵の遺体から奪った日記や、手紙を訳した。
それらの手紙や日記は血まみれで、異臭を放っていた。
腐敗した遺体から奪ったものだった。
翻訳は、日本軍がどのような現状に置かれているか、どのような戦闘行動に出てくるのか、それらを知るのが目的だった。
日本軍にとって何が有利で、何が不利かつかむためだった。
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キーンは、それから日本人の気高さに、打たれた。
著書「日本との出会い(MeetingWithJapan)」のなかで、述懐している。
「ガダルカナルを餓島と呼んだ日本軍の兵士たちの耐えた困苦は、
圧倒的な感動を呼び起こした。
アメリカ軍の兵士の手紙には何の理想もなく、
ただ゛元の生活に戻りたい゛とだけ書かれていた。」
「大義のために滅私奉公する日本人と、
゛帰郷゛以外のことには全く関心を持たない大部分のアメリカ人。
日本の兵に対しては゛賛嘆゛を禁じ得なかった。
そして結局、゛日本人こそ勝利に値する゛のではないかと信じるようになった。」
日本軍は補給を完全に断たれ、餓死する兵が続出していた。
だがキーンは、まさに超人的な精神力で戦った日本兵を、目の当たりにした。
20歳にも満たない兵士も多くいた。
彼らは親兄弟から遠く離れた戦地で、
勇敢に戦って、命を落としていったのだった。
ドナルド・キーンは、2012年に、日本国籍を取得した。
「余生を日本で暮らす」という宣言は、広く報じられた。』

ヘンリー・S・ストークスさんの説明ですと、キーンさんが、最後に日本国籍を取得したかった理由が良くわかりますね♥
でも、朝日新聞の下記の記事を読んでみると、どうでしょう?
文章の流れが歪(いびつ)で、どうして日本国籍を取得したかったのか、まったく伝わりません。
結局、記事を書く段階で「戦争で人間が嫌になった」ってコジツケをやっているからなんでしょうね♥レベル低~い^^

⇒東京で著述生活へ ドナルド・キーン教授、4月末に退職
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