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     >  世界史 >  ある有名なインド人が日比谷公会堂で言ったこと♥

    ある有名なインド人が日比谷公会堂で言ったこと♥

    Subhas_Chandra_Bose.jpg
    スバス・チャンドラ・ボース(Subhas Chandra Bose、ベンガル文字:সুভাষচন্দ্র বসু 、1897年1月23日 - 1945年8月18日)は、インドの独立運動家インド国民会議派議長(1938 ~1939年)、自由インド仮政府国家主席兼インド国民軍最高司令官。民族的出自はベンガル人。ネータージー(指導者、नेताजी, Netāji。ネタージ、ネタジ とも)の敬称で呼ばれる
    1921年にマハトマ・ガンディー指導の反英非協力運動に身を投じた。ボース自身は「ガンディーの武力によらぬ反英不服従運動は世界各国が非武装の政策を心底から受け入れない限り、高遠な哲学ではあるが、現実の国際政治の舞台では通用しない。イギリスが武力で支配している以上、インド独立は武力によってのみ達成される」という信念を抱いており、ガンディーの非暴力主義には強く反対していた

    Gandhi_and_Bose_at_the_Indian_National_Congress,_1938
    マハトマ・ガンディー(左)とボース(右)

    『 1869年にマハトラ・ガンジーが生まれ、

    1897年に、チャンドラ・ボースが誕生しています。

    1877年、イギリスが直接インド全土を統治するインド帝国が成立し、

    (英)ビクトリア女王が「インド皇帝」として即位しました。

    つまり、ボースはイギリスのインド植民地支配の絶頂期生をうけたのです。

    ボースは今でも、インドで「ネタージ」と呼ばれています。

    ネタージとは「偉大な指導者」という意味です。

    ゛日本゛の支援を得てボースはINA(Indian National Army インド国民軍)を結成しました。

    イギリスの植民地支配と非暴力主義で戦ったガンジーとは対照的に、

    ボースは司令官として戦闘を戦いました。』

    Hibiya_Kōkaidō

    ボースは1943年5月16日に来日し、…日比谷公会堂で公演し、

    そのメッセージは当時のアジアの人々の気持ちを代弁していました

    「約40年前、小学校に通い始めた頃に、アジア人の国が世界の巨人・白人帝国のロシアと戦いました

    このアジアの国はロシアを大敗させましたそしてその国が、日本だったのです

    このニュースがインド全土に伝わると興奮の波がインド全土を覆いました

    インドのいたるところで、旅順攻撃や、奉天大会戦、日本海海戦の勇壮な話によって、沸き立っていました

    インドの子供たちは、東郷元師や乃木大将を素直に慕いました

    親たちが競って、元師や大将の写真を手に入れようとしましたが、できませんでした

    その代わりに市場から日本製の品物を買ってきて、家に飾りました。」

    ボースは「日本はアジアの希望の光だった」とハッキリと語りました。 』

    日本は希望の光だったんですね♥

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