2022-05-29 (Sun)

本日のキーワード : 隷従への道、ハイエク、自由主義、経済的自立、経済的保障、イギリス型社会、、ドイツ型社会、岸田文雄、官僚国家
Breaking the Spell
呪縛を解く ⑰
The Holocaust: Myth and Reality, Overview of the book by Dr. Nicholas Kollerstrom
ホロコースト : ニコラス・コラーストロム博士の著書 「神話と現実」 の概要

Final Thoughts
最終的な考察
In writing a critique of this sort, that is, one that strikes at the heart of such a longstanding and sacred societal myth, such cannot help but conjure at some level, and at certain moments, a measure of doubt. Questions tickle the fancy. Am I wrong? Is the author wrong? Have we all just been seduced by a good story, a coherent but unknowingly flawed argument? And, indeed, if one is an honest person, the answer to those questions must be, ‘perhaps’.
この種の批評を書く場合、つまり、このような長年にわたる神聖な社会的神話の核心を突く批評を書く場合、あるレベルでは、そしてある瞬間には、疑念を抱かずにはいられないのである。疑問は心をくすぐる。私は間違っているのだろうか? 著者は間違っているのか? 私たちは皆、いい話や、首尾一貫しているが無意識に欠陥のある議論に誘惑されてきただけなのだろうか。そして実際、もし人が正直な人間であるならば、これらの問いに対する答えは 「おそらく」 であるに違いない。
Still, having crossed this bridge many times in my undistinguished muckraking career, I have settled upon a consolatory process of simply sitting back and reviewing the fundaments of the evidence and argument, their weight and measure, all rounded off and seasoned with a certain amount of intangible instinct – and coming to a reasoned decision. In the end, as Nietzsche was so fond of pointing out, we must act – on imperfect knowledge.
しかし、私はこの橋を何度も渡り歩いた結果、単純に腰を落ち着けて、証拠と議論の基本、その重みと尺度、そしてある種の無形の直感で丸められ味付けされたものを見直すという、心を慰めるプロセスに落ち着いたのだ。 - そして、理性的な決断を下すのだ。結局、ニーチェが好んで指摘したように、私たちは不完全な知識に基づいて行動しなければならないのだから。
But I will confess that even were the Revisionist case eventually be proved to be wrong, and Orthodoxy prevail, I could only but smile and think of Ernst Mach who once said,
しかし、仮に修正主義者の主張が誤りであることが証明され、正統派が勝利したとしても、私はただ微笑みながら、かつてエルンスト・マッハが言ったことを思い出すだけであることを告白しよう。
“Should these concepts turn out to be true, I shall not be ashamed to be the last one to believe.”
これらの概念が真実であると判明した場合、私は信じる最後の一人であることを恥じることはないだろう。

But if the Revisionist case is true, then it is not just the tragic victims of the camps themselves who have been so cynically used in a seventy-five- year game of Western and Zionist imperial propaganda; in a game of smoke and mirrors in the service of deflecting attention from many a real holocaust – like Vietnam, or Indonesia or Iraq – under cover of a fake one; in a game of cruel irony where one historical fascism has been misrepresented and harnessed in the service of a future fascism. No, it is not just they, like Anne Frank herself, who have been so cruelly misused, but it is we, all of us, who have been played like suckers in one of the greatest swindles of all time; one that has warped our minds and souls not only into believing in fairy tale horrors that corrupt our very view of what it means to be human, but that has seduced us into a malignant and fatal self-righteousness where we have arrogantly come to believe that, as Carl Jung once wrote, “All evil lies just a few miles behind enemy lines.”
しかし、もし修正主義者の主張が本当なら、収容所の悲劇的な犠牲者たちだけでなく、西洋とシオニストの帝国宣伝の 75 年にわたるゲームに冷酷に利用された人々もいることになる。ベトナムやインドネシアやイラクのような本物のホロコーストから、偽物のホロコーストに隠れて注意をそらすための、巧妙に仕掛けられたゲームである。ある歴史的なファシズムが、未来のファシズムのために虚偽の説明をされ、利用されるという残酷な皮肉のゲームである。いや、アンネ・フランクのように、残酷に悪用されたのは彼らだけではない、我々、我々全員が、史上最大の詐欺の一つでカモのように踊らされてきたのだ。私たちの心と魂を歪めて、人間であることの意味を蝕むおとぎ話の恐怖を信じ込ませただけでなく、私たちを悪質で致命的な独善へと誘惑し、カール・ユングがかつて書いたように、「すべての悪は敵陣のわずか数マイル先にある」 と傲慢にも信じ込むようになったのだ。

I hope at this juncture then, having become acquainted with some of the primary source documents, i.e., the Arolsen Archives, the Soviet ‘Death Books’, the Leuchter and Rudolf Reports, the three-volume 1948 Red Cross Report, the British Intel Decrypts, the counter-eyewitness testimony, the origins of the ‘six million’ meme etc., that any reasonable person would now entertain, at the very least, reasonable doubt on this subject. But, of course, in many parts of the world, reasonable doubt is not allowed. In much of Europe, doubt is prohibited by law. Here in North America doubt is not allowed by custom, by ingrained prejudice, and by enforced, widespread censorship.
私はこの時点で、いくつかの一次資料、すなわちアロルセン文書館、ソ連の 「死者の記録」、ロイヒターとルドルフの報告、3 巻の 1948 年赤十字報告、英国情報機関の暗号解読、反対目撃証言、「 600 万人」 ミームの起源などを知って、どんな合理的な人でも少なくとも、このテーマについて相応の疑いを持つようになればよいと思う。しかし、もちろん、世界の多くの地域では、合理的な疑いを持つことは許されていない。ヨーロッパの多くでは、疑うことは法律で禁止されているのだ。ここ北米では、慣習によって、染み付いた偏見によって、そして強制的で広範な検閲によって、疑うことが許されていないのです。
And perhaps, after all, this is the greatest outrage, for we have been told, yes, told – what we are to believe, and what we are not to believe, and that the matter is not open for discussion – at all. Case closed. Forever. No debate for you. As Dr. Kollerstrom pointedly asks,
そしておそらく、結局のところ、これが最大の暴挙でなのだろう。私たちは、何を信じるべきで、何を信じてはいけないか、そしてこの問題は議論の余地がないことを、そう、告げられたのだから。事件は解決した。永遠に。議論する余地もない。コラーストロム博士の問いかけによれば、こうだ。
“Who is in control of the past? Does somebody own it? Will they put you in jail if you disagree?”
「過去を支配しているのは誰なのか? 誰かが所有しているのか? 異論を唱えると刑務所に入れられるのか?」
Cast unto a dark, three-quarter century enchantment, the author enjoins us to wave the wand of reason, and break the spell.
4 分の 3 世紀の暗い魔法にかけられた著者は、理性の杖を振って、その魔法を解くことを私たちに勧めているのです。



☆『Breaking the Spell』 The Unz Review • An Alternative Media Selection
☆投資家サーベイ結果発表 「岸田政権、支持しますか?」
本日の書物 : 『隷従への道』 フリードリヒ・ハイエク 日経BP
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 【経済的自立】よりも【経済的保障】のほうを重んじるような【社会の構造変化】とはどういうものか。それを理解するには、20 年ほど前までよく言われた【イギリス型社会】と【ドイツ型社会】を比較してみるのが一番である。イギリス人はドイツ社会を 「軍隊のようだ」 と感じている。たしかにドイツでは軍部の影響が大きいが、ドイツ社会の性格がそれに由来すると考えるのは大きなまちがいだ。両国のちがいはもっと根が深く、【ドイツ社会に固有の性格】は、【軍の影響を強く受けた集団だけでなく、そうでない集団にも見受けられる】。ドイツでは、ほとんどの時代に他国よりも多くの人が戦時体制に動員されてきたことは事実だが、それがドイツ社会特有の性格を形成したわけではない。それよりも、【戦争以外の目的の下でも軍隊型の組織が活用されてきたことが大きな原因】である。【ドイツ】では他国以上に【市民生活の多くの要素】が【上層部によって巧妙に組織され】ており、【市民の大部分が、自立した生活者というよりも政府から任命された公務員だと自分を位置づけ】ている。【このことが、ドイツ社会の構造に固有の性格を与えた】。ドイツ人自身が誇らしげに語るように、【ドイツは長らく官僚国家だった】のであり、【厳密な意味での公務員だけでなく、市民の大半が所得も地位も上層部から割り当てられ、保障されてきた】のである。

どの国であれ、自由の精神が力ずくで根絶やしにされることがあり得るとは思えない。だが、【ドイツのように自由の精神がゆっくりと窒息死させられていく過程に誰もが頑強に抵抗できるかということになると、甚だ心許ない】。【国家から俸給をもらう公務員になることだけが名誉と地位を手にするほぼ唯一の道になったら】。自分を活かせる分野を選びとるより、【割り当てられた義務をこなすほうが立派だと評価されるようになったら】。公的な階層の中でしかるべき地位を得られない試みや、安定所得の権利を獲得できない仕事は、すべて見下され、外聞が悪いとされたら。そうなったとき、多くの人がそれでもなお保障より自由を選ぶと期待すべきではあるまい。国家に依存して保障を得る道を選ばないとすれば、もうほかにひどく不安定な仕事しかない。その仕事に失敗すればもちろん、成功しても軽蔑されるとなったら、保障を捨ててまで自由を選ぶ人はごくごくわずかだろう。それどころか、事態がそこまで進行したら、自由を選ぶのはほとんどばかげた行為になってしまう。この世で手に入るよきものをほぼ全部諦めない限り、自由を確保することはできないからだ。こうなったら、【経済的保障なき自由は 「持つに値しない」 とばかり、さっさと自由を投げ捨てて保障を得ようとする人が増えてもふしぎではない】。』

ガリツィアの王都レンベルク (現ウクライナのリヴィウ) とオイル・フィーバー
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、資本主義を研究する学問である経済学において、偉大なる経済学者の一人であるフリードリヒ・ハイエクが、ナチズム (あるいはファシズム) と社会主義・共産主義の類似性を明らかにしつつ、 それらの集産主義体制が必然的に全体主義へと至ってしまう危険性について警鐘を鳴らした、非常に有名な書物で、本書を通じて、『 「法の支配」 に基づく自由民主主義』 がいかに大切なものであるのかを改めて理解することができ、財務官僚如きにコントロールされ、「法の支配」 を無視した勝手な決定を次々と行っている (例 : ウクライナへの軍事物資支援 = 戦争行為)、トコトン無能な “岸田政権” も、実は、ハイエクが警鐘を鳴らしたものに、まさしく繋がっているという現状が良く分かるようになる、当ブログお薦めの良書になります。無能で危険極まりない岸田一派は、政権のみならず、政界そのものから抹消することが、私たち日本国民の喫緊の課題となりますので、是非広く日本国民の皆様にお読みいただきたいと思います。

それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。
(死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)
※( )内は前回の数値

☆Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE
アメリカ : 1,002,047(1,001,828)÷83,252,657(83,141,628)=0.0120・・・(0.0120) 「1.20%(1.20%)」

イタリア : 165,918(165,827)÷17,229,263(17,205,017)=0.0096・・・(0.0096) 「0.96%(0.96%)」

日本 : 30,287(30,256)÷8,583,048(8,547,200)=0.0035・・・(0.0035) 「0.35%(0.35%)」

さて、これまでの流れを、簡単に確認しておきますと、まず、出発点として、カール・マルクス (1818 - 1883) が生まれる約 200 年ほど前の時代 (日本で言えば、戦国時代から江戸時代初期にかけての時代) に、ドイツの神秘主義者であるヤーコプ・ベーメ (ヤコブ・ベーメ、1575 - 1624) という名の人物がいて、その後の 「ドイツ思想」 に決定的な影響を与えた 「キリスト教神智学 (Christian theosophy) 」・「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 なるものが世に生まれることになります。(詳しくはこちらから💓)

ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)
そのベーメの言っていたことというのは、次のようなものでした。
世界は本来壊れているものであり、それを直すことができるのは正しい者だけである (詳しくはこちらから💓)
そして、その影響を受けたのがプロイセン (ドイツ) の哲学者イマヌエル・カント (1724 - 1804) で、彼が言っていたことは、次のようなものでした。

イマヌエル・カント
たとえ世界を直すことができなくても、私たちは常に世界を直すことができると仮定して行動しなければならない (詳しくはこちらから💓)
また、ドイツ観念論を代表する思想家ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル (1770 - 1831) も影響を受けていて、そんな彼が言っていたことは、次のようなものでした。

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
世界が固定されていたとしても、私たちは無意識のうちに分裂を起こし、世界が再び崩壊し始めることになる (詳しくはこちらから💓)
で、この流れを受け継いでいるのがカール・マルクスであり、ウラジミール・レーニン (1870 - 1924) で、彼らが言っているのは次のようなことです。

カール・マルクス
私たちには、世界を壊したいという衝動はない。もし私たちが世界を壊すとすれば、それは私たちが社会とその主人たちからそうすることを学んだからである

ウラジーミル・イリイチ・レーニン
われわれは、世界を固定するために、意識の統一を強行しよう (詳しくはこちらから💓)
このように、ドイツで生まれた 「キリスト教神智学 (Christian theosophy) 」 ・ 「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 を出発点として、その後、人為的に造り出された “幻想” であるところのマルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想が生み出されることとなります。ここで重要な点は、そもそも全知全能なる神が創り賜うた世界にあって、なぜ悪が存在するのか、という疑問から生じた 「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 が、ユダヤ・キリスト教的 “善悪二元論” をより一層強化し、世界を完全に良くするために 「悪なるもの」 を消し去らねばならない、といった浅はかな思考へと陥る人々を生じさせたことです。多くの一般的な人々も陥りやすい誤った思考ですが、特に 「極左おパヨク」 と呼ばれる連中は、その影響をもろに受けてしまうほどの 「おバカ」 で、さまざまな “アイデンティティ” を次から次へと粗製濫造することで、ユダヤ・キリスト教的な 「贖罪(しょくざい)」 の対象物として “罪” を創り出し、その罪に対する償 (つぐな) い・贖 (あがな) いを果たねばならない、と妄信させることによって、「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」 の下で、人々に対して自己抑圧的な態度の徹底を促し ( ← これが、ポリコレw)、人々の “自由” を奪う極めて 「権威主義的な統制社会の再構築」 を目指す連中の思う壺となっていて、それはまさに現在、私たちが普通に目にすることができる状況にあります。つまり、もはや隠そうともしていない、という状況にあるということです。

その 「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」 については、ドイツ出身の社会学者・歴史学者かつマルクス主義者であり、エリート理論の信奉者で、さらにはファシズム (全体主義者) でもあったロベルト・ミヒェルス (ロベルト・ミヘルス) が提唱した仮説である 『寡頭制の鉄則』 (iron law of oligarchy) を確認をしてきましたが、そこにもやはり 「キリスト教神智学 (Christian theosophy) 」 ・ 「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 の影響を見ることができます。(詳しくはこちらから💓)

ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)
また、「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー) 」 と同根の言葉である 「オリガルヒ (oligarch) 」 につきましても、ロシア (詳しくはこちらから💓) やウクライナ (詳しくはこちらから💓) の事例から、そこには少なからぬ 「ユダヤ人 ( = ユダヤ教徒)」 (こちらもご参照💓) が存在していることも判明しました。

さらには、ウクライナとユダヤ人 ( = ユダヤ教徒) と特異な関係を、ウマン (ウーマニ) 巡礼の形成の歴史を通じて確認しました。 (詳しくはこちらから💓)

そこで、現在 “ユダヤ人” (民族としては定義され得ない、単なる宗教信者のグループ) という存在に着目し、より一層理解を進めるために、様々な論文を見ているところとなります。

☆『分水嶺レンベルク : 象徴としての地誌』伊狩 裕

それでは早速、続きを見て参りましょう。
『 2.
・・・レンベルク (※ウクライナ語でリヴィウ、ドイツ語でレンベルク (Lemberg)、ポーランド語でルヴフ (Lwów) ) も 1870 年 10 月に 「定款都市」 (Statutarstadt) の地位を獲得し、その自主的な権限は大幅に拡大した。「王国首都レンベルクに対する定款」 (Statut für die königliche Hauptstadt Lemberg) 第 30 条によれば、「市道、橋、街路、広場の建設と維持に対する配慮、同様に道路交通と水域の安全と快適に対する配慮」 は 「自主的権能範囲」 (Selbständiger Wirkungskreis) に含まれ、市のインフラ整備のためにはもはやウィーンの官僚主義的繁文縟礼に煩わされることなく、自主的に、迅速に市の改造を進められるようになった。

リヴィウ (レンベルク、ルヴフ) の位置
財政的にはオイル・マネー、政治的にはガリツィアの自治の拡大、そして行政的にはレンベルクの定款という 3条件がそろい、市はポルトヴァの埋設を含む都市改造を始めることができるようになった。

1914年におけるオーストリア=ハンガリー帝国中のガリツィア・ロドメリア王国
定款の 2 年後の 1872 年、これはポルトヴァ最後の氾濫の年にもあたるが、この年にポズナニ出身でベルリンで建築を学んだポーランド人建築家ユリウス・ホホベルガーが市の建設局長に就任し、レンベルク工科大学 (ポリテクニカ) に建築学科が新設され、レンベルク出身のアルメニア系ポーランド人建築家ユリアン・ザハリエーヴィチがその初代の正教授となる。ユリアン・ザハリエーヴィチはウィーン大学の建築学科を卒業後、同地で鉄道建設管理部門に勤務しながらレーオポルト・エルンストの建築事務所で研鑽を積み、1871 年にレンベルクにリングシュトラーセの歴史主義の美学を持ち帰ったのであった。この年をもってレンベルクの近代都市への歩みが加速する。市の近代化が進行した 1869 年から 1910 年の間にレンベルクの人口は 87,100 人から 206,100 人と 2.5 倍近く増加している。水が低い所に着くように、人々がガリツィアの各地から、飢餓やポグロムを逃れて、建設ラッシュの谷間の町に集まってきたのである。

現代ヨーロッパにおけるガリツィアの位置

ポルトヴァの埋設と上下水道の整備は町の南、アカデミク通りから始まり、19 世紀末にはその北、ヘチマン堤に沿って、すなわち、ポルトヴァを下るかたちで進められていった。埋設の跡地は緑地帯や広場となり、道路が拡幅された。ヘチマン堤は両側の道路カール・ルートヴィヒ通りとヘチマン通りを含めて整備され、周辺には金融機関、ホテル、劇場、博物館、パサージュ、百貨店、映画館、カジノ、カフェなどが新たに建設され、人々の流れは、16 ~ 17 世紀のイタリアの建築家によるルネサンス建築に囲まれた市庁舎周辺から西へ移動する。
ホホベルガーは、ウィーンを意識しつつ、ルネサンス様式の 「フランツ・ヨーゼフ・ギムナジウム」 ( 1876 年竣工)、古典主義的な 「ガリツィア領邦議会」 ( 1881 年。現リヴィウ大学) などの設計も担当している。領邦議会の建築のコンペにはウィーンからオットー・ヴァーグナーも応募していたがレンベルク市当局は、地元のホホベルガーの案を選んだ。ユリアン・ザハリエーヴィチの設計になるものには、母校であるウィーン工科大学を髣髴させるルネサンス様式の 「リヴィウ工科大学 (ポリテクニカ) 」 ( 1877 年)、「ガリツィア貯蓄銀行」 ( 1891 年。オーナーはマルティン・ブーバーの祖父ザロモン・ブーバー。現 「民俗・工芸博物館」 ) などがあるが、いずれもウィーンとレンベルクの連続を物語っている。この時期に同様にウィーンの歴史主義の様式に倣って建てられた建築には、「ガリツィア抵当銀行」 ( 1872 年。F.ポクティンスキー)、「ガリツィア信用銀行」 ( 1877 年。F.クシエンジャルスキー)、「ガリツィア総督府」 ( 1884 年。F.クシエンジャルスキー)、「オーストリア・ハンガリー銀行」 ( 1898 年。ウィーンの建築家F.フェルナーとH.ヘルマー。これもオーナーはザロモン・ブーバー)、ザッハー = マゾッホの生家である警察庁舎跡地に建てられた、シンプルなルネサンス様式の 「ホテル・セントラル」 ( 1884 年。E.ガル) とバロックの要素も併せもった 「グランド・ホテル」 ( 1893 年。E.ヘルマントニークとL.マルコーニ)、ルネサンス様式の 「民族博物館」 ( 1903 年。J.K.ヤノフスキーとL.マルコーニ)、重厚なバロック様式の外観に、瀟洒なユーゲントシュティールの内装を備えた 「貴族カジノ」 ( 1898 年。F.フェルナーとH.ヘルマー) などを挙げることができよう。そして埋め立てられたポルトヴァの真上には、ヘチマン堤の北端を画して、ポルトヴァに対する記憶を永遠に封印し重石するかように、壮麗なバロックとルネサンス様式の円柱とアレゴリーに飾られた 「オペラ劇場」 ( 1900 年。Z.ゴルゴレフスキー) が聳えた。

リヴィウ・オペラ・バレエ劇場
同時期に市の電化も進み、1881 年にはガリツィア領邦議会の議場に電灯がともり、1883 年には市庁舎にレンベルク最初の電話が設置され、市参事会と消防署を始めとするいくつかの施設とを結び、1894 年に全ガリツィア博覧会の開催にあわせて中央駅と博覧会場を結ぶ路面電車が走り、レンベルクは、オーストリア・ハンガリー帝国において、ウィーン、ブダペスト、プラハについで、路面電車が走る 4 番目の都市となり、1900 年には最初の電気の街灯が町を照らしたのであった。J.プルフラは、「クラカウが第 1 次世界大戦勃発まで結局ほとんど封建的な都市であり続けたのに対して、レンベルクにおいてはすでに一歩進んで、迅速に成熟しつつある資本主義的諸関係に支えられたダイナミックな成長の段階が始まっていた。ボリスラフとドロホーヴィッチの油田地帯におけるオイル・フィーバーは、1900 年頃に金融と産業の中心地へとレンベルクの発展を加速させた」、とガリツィアの 2 大都市クラカウとレンベルクを対比している。』
ということで、本日はここまでとさせて頂きます。
続きは次回に♥
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