2022-03-30 (Wed)

本日のキーワード : 宗教、戒律、規範、法律
中国共産党㉞
History
沿革 (四)
Long March
長征
The Long March was a 6,000 mile retreat of the Chinese Communist Army back to northwest to Outer Mongolia and the Soviet Union after it being routed by the Kuomintang in October 1933 to January 1934. In the fifth operation by the KMT, which aimed to encircle and annihilate the CCP, the CCP lost its rural strongholds one after another. With its base areas continually shrinking, the main Red Army had to flee. The “Long March” was aimed at breaking out of the encirclement and fleeing to Outer Mongolia and the Soviet Union along an arc that first went west and then north. Once in place, the CCP could escape into the Soviet Union in case of defeat.
長征とは、1933 年 10 月から 1934 年 1 月にかけて国民党に敗走した中国共産党軍が、外蒙古とソ連を目指し北西へ後退する 6,000 マイルの道のりのことである。中国共産党を包囲殲滅することを目的とした国民党の第 5 次作戦で、中国共産党は農村の拠点を次々と失っていった。拠点地域が縮小し続ける中、紅軍本隊は逃げ出さざるを得なかった。「長征」 は、包囲網を突破し、まず西へ、次に北へと弧を描くように外蒙古、ソ連への逃亡を目指したものであった。中国共産党が敗北した場合、いったんソ連に逃げ込むことができる。

逃亡する毛沢東
The Long March travelled through Shanxi and Suiyuan where no Japanese troops were deployed. Along the way the Army of the CCP claimed to be fighting the Japanese. A year later, when the CCP finally arrived at Shanbei (northern Shaanxi province), the main force of the Central Red Army had decreased from 80,000 to 6,000 people. The Communists in 1949 rallied to conquer mainland China, and all the Communist leaders of the country after 1949 were on the Long March; by the 1960s, the children of people on the March started to gain power.
長征は日本軍の配備されていない山西省、水源省を通過した。その道中、中国共産党軍は日本軍と戦っていると主張した。1 年後、中国共産党がようやく山北 (陝西省北部) に到着した時、中央紅軍の主力は 8 万人から 6 千人にまで減っていた。1949 年の共産党は中国大陸を征服するために結集し、1949 年以降の共産党指導者はすべて長征に参加した。1960 年代になると、長征に参加した人々の子供たちが力を持ち始める。
Second Sino-Japanese War
支那事変 (大日本帝国V.S.中華民国 [現台湾])
When the war against Japan broke out in 1937, the Kuomintang (KMT) had more than 1.7 million armed soldiers, ships with 110,000 tons of displacement, and about 600 fighter planes of various kinds.
1937 年の対日戦争勃発時、中国国民党 (中華民国の政党) は 170 万人以上の武装兵と 11 万トンの排気量の船舶、約 600 機の各種戦闘機を持っていた。
The total size of the CCP Army, including the New Fourth Army, which was newly formed in November 1937, did not exceed 70,000 people. Its power was weakened further by internal fractional politics; it could have been eliminated in a single battle. If the CCP were to face the Japanese in battle, it would not be able to defeat a single division of Japanese troops. Sustaining its own power rather than ensuring the survival of the nation was the central focus and the reason for its emphasis on “national unity.”
1937 年 11 月に新たに編成された新四軍を含めても、中国共産党軍の総規模は 7 万人以下である。その力は内部の分派政治によってさらに弱体化し、一回の戦闘で消滅する可能性もあった。もし中国共産党が日本軍と戦えば、日本軍の 1 個師団 (1 ~ 2 万人) を倒すことはできないだろう。国家の存続よりも自らの勢力を維持することが中心であり、「民族の団結」 を強調することの理由であった。
After the Japanese occupied the city of Shenyang on Sept. 18, 1931, thereby extending Japanese control over large areas in northeastern China, the CCP fought alongside Japanese invaders to defeat the KMT. The CCP exhorted people in the KMT-controlled areas to rebel against the KMT, calling on “workers to strike, peasants to make trouble, students to boycott classes, poor people to quit working, soldiers to revolt” so as to overthrow the Nationalist government.
1931 年 9 月 18 日、日本軍が瀋陽を占領し、中国東北部の広い範囲に日本の支配が及ぶと、中国共産党は日本軍と一緒に戦い、中国国民党を打ち負かすことになった。中国共産党は、中国国民党政権を打倒するために、中国国民党支配地域の人々に 「労働者はストライキを、農民は騒ぎを、学生は授業をボイコットし、貧民は働くのをやめ、兵士は反乱を起こす」 ように呼びかけ、中国国民党に反抗するよう促した。
The KMT Army was essentially alone on the frontlines fighting the Japanese, losing more than 200 marshals in the war. The commanding officers on the CCP side bore nearly no losses. However, the textbooks of the CCP have constantly claimed that the KMT did not resist the Japanese and that it was the CCP that led the great victory in the war against Japan.
中国国民党軍は、日本軍との戦いの最前線では実質的に孤立し、200 人以上の元帥を失った。中国共産党側の指揮官はほとんど犠牲になっていない。しかし、中国共産党の教科書は、「中国国民党は日本に抵抗しなかった」 「対日戦争で大勝利を導いたのは中国共産党である」 と常に主張してきた。



☆“Chinese Communist Party” Conservapedia
☆投資家サーベイ結果発表 「岸田政権、支持しますか?」
本日の書物 : 『戦争と国際法を知らない日本人へ』 小室 直樹 徳間書店
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 【人間イエスは神である】。ゆえに、その言動を記した【 『福音書』 (Gospel) は最高の啓典である】。
【イスラム教では、マホメット (ムハンマド) は神ではない】。最高の預言者ではあるが、【ただの人間にすぎない】。ゆえに、彼の言動を記した【 『スンナ』 は、啓典ではない】。第二聖典、第二法源にすぎない。
この【福音書】であるが、【戒律、法律、規範については全くふれられていない】。外面的行動 (overt behavior) に関する命令、禁止は一言も述べられていないのである。
と断言すれば、あるいは反論があるかもしれない。
福音書にも、「狭き門から入れ」 という命令があるではないか、と。『トーラー』 (モーセ五書、旧約聖書のはじめの五章) や 『コーラン』 『スンナ』 …などとくらべてもみよ。「狭き門」 とは、幅が何センチ (単位は何でもいいが) 以下とか、明確に誤解がないように記されていなければならない。そうでないことには、命令 (禁止) が守られたのかどうか判定のしようがないではないか。
【ユダヤ教やイスラム教では、戒律と規範と法律とは同一である】。その外面的行動についての命令は、誤解がないように具体的に正確に記してある。必要とあらば具体手に数値をかかげてある。
これらと比較すれば、「狭き門から入れ」 とは、比喩か、内面的な心がけに関することである。この意味で、「明日のことを思いわずらうことなかれ」 というのと同じことである。
つまり、ユダヤ教やイスラム教の啓典とはちがって、【福音書は法律 (法律の根本) とはなり得ない】のである。新約聖書の福音書以外の部分も、やはり、法源とはなり得ない。それだけでなく、【社会の根本規範 (グルント・ノルム) も戒律も生まない】のである。
【これが、キリスト教の特徴である】。
【この特徴があるゆえに、キリスト教共同体 (コルプス・クリスティアヌム) から、近代法、近代政治 (とくにデモクラシー)、近代経済 (資本主義 moderner Kapitalismus) が生まれてきて、近代国際社会を形成し、その諸原則がヨーロッパの外にも波及してゆくことになったのであった】。』

Adefa の後継拡大組織である ADEBE
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、ロシアによるウクライナ侵攻という歴史的な出来事を理解する上で必要不可欠な要素であるにもかかわらず、特に戦後の日本人に欠けている、「戦争・国際法・国際政治・国際経済」 の基礎に歴として存在しているのが 「キリスト教」 という宗教である、という歴史認識を、著者独特の表現で事の本質を見事に射貫く解説がなされている書物になります。「宗教」 あるいは 「哲学」、はたまた 「法律」 というものを、いわゆる “文系アタマ” の人々は、主観的な感覚・感情によって “自分勝手な” 解釈をしがち (例 : ☆入試国語選択問題の「正解」について――早稲田大学教育学部の説明責任) なのですが、「宗教」 にも 「哲学」 にも 「法律」 にも、「数学」 的 (= 論理的) な要素が多分に含まれていて (というか、それそのものですがw)、“自分勝手な” 解釈は何ら意味をなさないものである、ということが本書を通じて広く日本国民全体で共有できるように、という願いを込めて当ブログはお薦めさせて頂きます。

それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。
(死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)
※( )内は前回の数値

☆Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE
アメリカ : 971,162(971,046)÷79,733,159(79,722,700)=0.0121・・・(0.0121) 「1.21%(1.21%)」

イタリア : 157,785(157,692)÷13,861,743(13,800,179)=0.0113・・・(0.0114) 「1.13%(1.14%)」

日本 : 27,122(27,056)÷6,100,331(6,060,771)=0.0044・・・(0.0044) 「0.44%(0.44%)」

さて、これまで、ドイツで生まれた「キリスト教神智学(Christian theosophy)」・「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」を出発点として、その後、人為的に造り出された “幻想” であるところのマルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想を経て、ソ連崩壊とともに死滅したかに思われたものの、現在に至るまで一貫して受け継がれていく “信仰” が存在していて、その根底にある、ユダヤ・キリスト教的な 「贖罪(しょくざい)」 の意識により、さまざまな “アイデンティティ” を次から次へと粗製濫造することによって、「贖罪」の対象物として “罪” を創り出し、自らの罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いを果たそうと躍起になっている、そんな 「極左おパヨク」 に繋がる一連の系譜について確認して参りました。
ここで御理解頂きたいのは、そんなおバカな 「極左おパヨク」 は、飽くまでも、ある連中が果たそうとしている、ある目的の達成のための道具でしかないということです。
その目的とは、さまざまな “アイデンティティ” を意図的に粗製濫造することで、社会分断を行い、到底達成不可能な目標である “平等 (equality)” を強要(←全人類の均一化・同質化などは不可能であることは自明です!)し、多くの人々に対して自己抑圧的な態度の徹底を促し(←これが、ポリコレw)、人々の “自由” を奪う極めて権威主義的な統制社会の再構築を目指す、というものです。
では、なぜ、それを目指そうとするのでしょうか?
それは、「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」のもとで、ある連中にとって非常にコントロールしやすい社会が構築できるからです。

その「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」については、これまたドイツ出身の社会学者・歴史学者であり、マルクス主義者で、エリート理論の信奉者で、ファシズム(全体主義者)でもあったロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)が提唱した仮説である 『寡頭制の鉄則』 (iron law of oligarchy)について確認をしてきましたが、そこにもやはり「キリスト教神智学(Christian theosophy)」・「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」の影響を見ることができました。

ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)
また「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」と同根の言葉である「オリガルヒ(oligarch)」につきましても、ロシアやウクライナの事例を参照して、それがいまから数十年前に、マルクス主義が生み出した “社会主義・共産主義の幻想” が瓦解・崩壊する過程で作り出されたものであることを確認し、そこには少なからぬ 「ユダヤ人 (=ユダヤ教徒)」 が存在していることも判明いたしました。さらには、ウクライナとユダヤ人 (=ユダヤ教徒) と特異な関係を、ウマン (ウーマニ) 巡礼の形成の歴史を通じて確認することができました。
そこで、現在 “ユダヤ人” (民族としては定義され得ない、単なる宗教信者のグループ) という存在に着目し、より一層理解を進めるために、、次の論文を見ているところとなります。

☆『ナチ・ドイツにおける経済の脱ユダヤ化 ― 1938年十一月ポグロムの社会経済的背景 ―』 山本達夫
それでは早速、続きを見て参りましょう。
『 第6章 営業経済組織秩序への挑戦 ― Adefa と ADEBE ―
4.ADEBEとドイツ繊維・衣料業界再編の試み
Adefa との関わりにみられるように,ユングにおいては党の反ユダヤ・イデオロギーと四カ年計画が要求する経済的合理主義・業績原理の追求とが結びついていた。ユングは 1937 年末ごろまでに,Adefa のスローガンである 「原料納入者から消費者まで」 をさらに進めて,繊維経済部門のすべての段階を包括する新たな 「共同事業団」 の構想を具体化させ始める。この構想を具体化させたものが ADEBE (社団法人ドイツ紡績原料,衣料及び皮革経済企業共同事業団) *500 ) であった。

ユングとともに ADEBE 構想を練った男がいた。専門集団繊維小売業理事長と経済集団小売業理事長を兼務するテンゲルマン Tengelmann, Herbert 〔写真〕 *501 ) である。テンゲルマンは,ベルリン商工会議所副会頭 (のち会頭),商工会議所小売業局長でもあり,また理事長としては専門集団衣料・繊維,皮革経済産業商業部門, 経済集団衣料工業,さらにベルリン・ブランデンブルク経済会議所顧問も兼務していた。 *502 ) 要するにドイツ衣料業界の重鎮の一人である。

のちにテンゲルマンがライヒ経済省の担当者 (バールト営業経済組織担当課長補佐) にのべているところによると,テンゲルマンは当初ナチ党から小売業界に課せられていた 「商品はアーリア人の商店からのみ購入する」 という義務を果たそうとしたという。しかし繊維小売業界においてはこの目標の達成はきわめて困難であった。衣料品製造の 75 %がユダヤ営業経営の手中にあったからである。 *503 )
そこでテンゲルマンはナチ党経済政策委員長であったベルンハルト・ケーラー Köhler, Berhhard *504 ) に,小売業者にあることを提案してもらいたいと依頼した。すなわちアーリア企業と非アーリア企業から購入する割合を報告することである。依頼を受けたケーラーが GWB であるユングに相談したところ話が急展開したという。 *505 )
テンゲルマンは 1938 年 2 月 9 日付けのライヒ経済省あて書簡におて 「ADEBE の構想は自分が思いついたものである」 と報告している。 *506 ) しかしライヒ経済省の担当官が記録したテンゲルマンの説明を読むかぎり,ADEBE 構想実現には,たしかにテンゲルマンの関与も認められるものの,どちらかといえば Adefa 理事長ユングのイニシアティブが大きかったことが確認できる。
ユングやテンゲルマンの構想を具体化したものが,Adefa の後継拡大組織である ADEBE であった。ユングらはドイツ企業が高い業績をあげ,衣料産業部門における 「ユダヤ人の支配的な地位」 を打破るためにはドイツ人も連帯する必要があると考えた。そこで Adefa の標語である 「原料納入者から消費者まで」を拡げて,繊維・衣料・皮革経済部門のすべての段階,すなわち生産者,流通業者,消費者からなる「共同事業団」 を結成しようとしたのである。テンゲルマンはライヒ経済省の担当者あての書簡において 「アーリア繊維 (衣料) 小売業をますます先鋭化する状況から解放し,アーリア衣料小売業に平穏な活動の可能性をあたえる」 ことが目標であると明言している。 *507 )
ADEBE の初代理事長にはユングが就任することになった。ユングは大胆な性格の男であった。1938 年 2 月下旬,ベルリンで繊維・衣料専門集団の会議が開催されている。衣料専門集団副団長のほか,ライヒ経済省,DAF の関係者らも出席したこの会議の席上,ユングはこう発言しているのである。
「ユダヤ人問題が国法の枠内でのみ解決されるよう監視していくことは国家の課題でありますが,経済の領域では,解決されるべき問題が法律による解決を見るまで手をこまねいているわけにはいかないのであります」。 *508 )
*500 ) Arbeitsgemeinschaft Deutscher Unternehmer der Spinnstoff-, Bekleidungs- und Lederwirtschaft e.V.
*501 ) Westphal, Uwe, Berliner Konfektion und Mode 1836-1939. Die Zerstörung einer Tradition (Berlin, 1992, 2. Afl., p. 124). テンゲルマンは 1896 年,ヴェストファーレンのビッケルンBickern 生まれ。1933 年 3 月 1 日ナチ党入党,党員番号1506207。1923 年以降ベルンヴァルト・リンネル織布合資会社 Bernward Leineweber KG を所有し,ベルリン商工会議所副会頭,商工会議所小売業局長であった。BArch. NSDAP-Mitgliedskartei, W0092. 1923, Das deutsche Führerlexikon 1934/35 (Berlin, 1934).
*502 ) Wer Leitet? Die Männer der Wirtschaft und der einschlä- gigen Verwaltung 1940 (Berlin, 1940 ) ( 1941 / 42, Berlin, 1942 ).
*503 ) テンゲルマンが 1938 年 2 月にライヒ経済省の担当者に語った ADEBE 設立の経緯説明文より。BA. R 3101-9158, 158.
*504 ) 1932 年末にフンクのもとでナチ党経済政策委員会委員長代理を務め,翌年 7 月,ナチ党経済政策委員会委員長に就任していた。Das Deutsche Führerlexikon 1934/35 (Berlin, 1934), Stockhorst, Erich, 5000 Köpfe. Wer war was im 3. Reich (Kiel, 1985 ).
*505 ) BA. R 3101-9153, 156-157.
*506 ) BA. R 3101-9153, 157. ただし,「 〔ADEBE 構想の〕 成り行きについては,ユングとの意思の疎通はまったくできていなかった」 と述べている。Ibid., 156.
*507 ) Ibid, 157.
*508 ) Protokoll über die Beiratssitzung der Fachgruppe 28: Textilien und Bekleidung am 23. Feburuar 1938 in Berlin, Hotel "Russischer Hof" um 11 Uhr. in: BA. R 3101-9153, 52. 』
ということで、本日はここまでとさせて頂きます。
続きは次回に♥
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