2022-03-27 (Sun)

本日のキーワード : 公理、カルケドン信条、人間且つ神
中国共産党㉜
History
沿革 (二)
Mao era
毛沢東
Soviet Comintern affiliate
ソ連邦コミンテルン傘下
The All-Russian Communist Party (Bolshevik) (later known as the Communist Party of the Soviet Union), was obsessed with ambition for China. In 1920, the Soviet Union established the Far Eastern Bureau, a branch of the Third Communist International, or the Comintern. It was responsible for the establishment of a Communist party in China and other countries. Sumiltsky was the head of the bureau, and Grigori Voitinsky was a deputy manager. They began to prepare for the establishment of the CCP with Chen Duxiao and others. The proposal they submitted to the Far Eastern Bureau in June 1921 to establish a China branch of the Comintern indicated that the CCP was a branch led by the Comintern. On July 23, 1921, under the help of Nikolsky and Maring from the Far East Bureau, the CCP was officially formed.
全ロシア共産党 (ボルシェビキ) (後のソビエト連邦共産党) は、中国に対する野心に取り憑かれていた。1920 年、ソ連は第三共産主義インターナショナル (コミンテルン) の支部である極東局を設立した。それは中国や他の国々などで共産党の設立を担当した。スミルツキーが局長、グリゴリー・ヴォイチンスキーが副局長であった。彼らは、陳独秀 (ちんどくしゅう) らと中国共産党設立の準備を始めた。彼らが 1921 年 6 月に極東支局に提出したコミンテルン中国支部設立案は、中国共産党がコミンテルンの主導する支部であることを示すものであった。1921年7月23日、極東支局のニコルスキーとマーリンの協力のもと、中国共産党は正式に結成された。
Marxism with its declaration to “use violent revolution to destroy the old state apparatus and to establish a dictatorship of the proletariat” was a completely foreign concept in China. Mao Zedong said, "The social scum and hoodlums have always been spurned by the society, but they are actually the bravest, the most thorough and firmest in the revolution in the rural areas." The lumpen proletariat enhanced the violent nature of the CCP and established the early political power of the communist party in rural areas. The word “revolution” in Chinese literally means “taking lives.” In a debate over the term “lumpen proletariat” during the Cultural Revolution, the CCP felt that “lumpen” did not sound good, and so the CCP replaced it with “proletariat” simply.
マルクス主義は、「暴力革命によって古い国家機構を破壊し、プロレタリアート独裁を確立する」 と宣言しているが、中国にとってはまったく異質な概念であった。毛沢東は、「社会のクズやチンピラはいつも社会から疎まれているが、実は農村の革命では最も勇敢で、最も徹底的で、最も堅固な存在である」 と言った。ルンペンプロレタリアートは中国共産党の暴力性を高め、農村における共産党の初期の政治権力を確立した。中国語の 「革命」 という言葉は、文字通り 「命を奪う」 という意味である。文化大革命の時、「ルンペンプロレタリアート」 という言葉をめぐる論争で、中国共産党は 「ルンペン」 は響きが良くないと感じ、単純に 「プロレタリアート」 に置き換えた。
The CCP raised funds by robbing banks and kidnapping. Those kidnapped were kept alive to be ransomed back to their families for continued monetary support for the army. It was not until either the Red Army was satisfied or the kidnapped families were completely drained of resources that the hostages were sent home. Some had been tortured so badly that they died before they could return.
中国共産党は銀行強盗と誘拐で資金を集めました。誘拐された人は生かし、身代金の見返りとして家族に返し、軍への資金援助を続けました。人質を返すのは、紅軍が満足するか、誘拐された家族の資源が完全に枯渇してからでした。中には、ひどい拷問を受けて、返される前に死んでしまった人もいた。
In 1935, Mao and Zhou Enlai were elected to the Executive Committee of the Comintern in Moscow. They remained on this committee until it was publicly disbanded in 1943. A Moscow message to all stations on 12 September 1943, message number 142, relating to this event is one of the most interesting and historically important messages in the enter corpus of VENONA translations. This message clearly discloses the KGB's connection to the COMINTERN and to the national Communist parties.
1935 年、毛沢東と周恩来は、モスクワのコミンテルン執行委員会のメンバーに選出された。彼らは、1943 年に公に解散させられるまで、この委員会に留まった。この出来事に関する 1943 年 9 月 12 日のモスクワから全局へのメッセージ (メッセージ番号 142 ) は、ヴェノナの暗号解読の入力コーパスの中で最も興味深く、歴史的に重要なメッセージの一つである。このメッセージは、KGBがCOMINTERNや各国の共産党とつながっていることを明確に開示している。
Edgar Snow introduced Mao and Zhou Enlai to American readers in 1937 in his book, Red Star Over China, shortly after the Chinese Red Army’s route by Chiang Kai-shek in 1934 and their year long retreat to Yan'an known as the Long March. Snow wrote, "the political ideology, tactical line and theoretical leadership of the Chinese Communists have been under the close guidance, if not positive detailed direction, of the Communist International, which during the last decade has become virtually a bureau of the Russian Communist Party." And he further declared that the CCP had to subordinate itself to the "strategic requirements of Soviet Russia, under the leadership of Stalin."
エドガー・スノーは、1934 年に蒋介石による中国紅軍のルート、長征として知られる延安への 1 年間の撤退の直後、1937 年に彼の著書 『中国上空の赤い星』 で毛沢東と周恩来をアメリカの読者に紹介した。スノーは、「中国共産党の政治思想、戦術路線、理論的指導は、積極的な詳細な指示はないにしても、共産主義インターナショナルの密接な指導の下にあった。この 10 年間は、事実上ロシア共産党の事務局と化していた。」 そしてさらに、中国共産党は 「スターリンの指導下にあるソビエト・ロシアの戦略的要求 」に従属しなければならないと断言した。

中国共産党の旗



☆“Chinese Communist Party” Conservapedia
☆投資家サーベイ結果発表 「岸田政権、支持しますか?」
本日の書物 : 『戦争と国際法を知らない日本人へ』 小室 直樹 徳間書店
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 はじめにヨーロッパありき
【日本人の国際法、国際政治音痴と無知、戦争アレルギー、むべなるかな】、とはいっても、徳川の鎖国時代でもあるまいし、現代の国際社会において、これは【困りもの】である。
もとよりここで【国際法】というのは、【ヨーロッパにおいて発達してきた近代欧米の国際法のこと】をいっている。では、当然、ここではじめに、疑問が出てくる。【近代ヨーロッパで発達してきた国際法が、何で全世界の国際法になるのか】。
簡単に考えられる理由の一つは、歴史的にヨーロッパの文明が圧倒的に強く、それが全世界を覆いつくすかのようになっているからである。それともう一つは、【ヨーロッパが世界中でもまれに、国際法が発達しやすいという根本的な土壌をもっていた】。すなわち、【近代国際法は中世の終わりぐらいから発達】してきたのだが、【ヨーロッパはそれ以前から国際社会であった】ということである。結論から先に言うと、【はじめにヨーロッパありき】。【後に国が出てきた】。【近代国家 (ネーション・ステート) ができる前にヨーロッパがあった】。
それはどういうことかというと、まず【カトリック教会】。カトリック教会が【全ヨーロッパ的な存在】であり、【近代国家にいちばん近かった】といえる。それに、【神聖ローマ帝国】。
それに対して、例えばアジア。アジアは国際社会であったのか。
そうではなかった。第一に鎖国した時期が長いということもあった。
鎖国といえば、誰もが日本の徳川時代のことを思い浮かべるだろうが、平安時代から日本はずっと鎖国していた。菅原道真が遣唐使をやめさせてからずっと鎖国。高麗、朝鮮以外の外国とは正式な国交がなかった。
中国も、例えば明は鎖国している。清もそうだ。国民が外国と自由に交流することを正式には禁じていた。
では【ヨーロッパ】はどうだったか。【 「国際」 社会がむしろ 「国」 より前に存在していた】。
それにしても【なぜ、キリスト教が戦争、国際法、国際政治、国際経済の基礎となり得たのか】。イスラム教、ユダヤ教、仏教、儒教などとは違った役割を演じ得たのか。
初めに、キリスト教の理解を徹底しておきたい。
【キリスト教の本質は何か】。
【カルケドン信条である】。
カルケドン信条とは何か。
【イエス・キリストは神であるという信条である】。すなわち、【 「イエスは完全な人間であり、完全な神である」 という信条である】。』

Adefa 理事長オットー・ユングとナチ党
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、ロシアによるウクライナ侵攻という歴史的な出来事を理解する上で必要不可欠な要素であるにもかかわらず、特に戦後の日本人に欠けている、「戦争・国際法・国際政治・国際経済」 の基礎に歴として存在しているのが 「キリスト教」 という宗教である、という歴史認識を、著者独特の表現で事の本質を見事に射貫く解説がなされている書物になります。「宗教」 あるいは 「哲学」、はたまた 「法律」 というものを、いわゆる “文系アタマ” の人々は、主観的な感覚・感情によって “自分勝手な” 解釈をしがち (例 : ☆入試国語選択問題の「正解」について――早稲田大学教育学部の説明責任) なのですが、「宗教」 にも 「哲学」 にも 「法律」 にも、「数学」 的 (= 論理的) な要素が多分に含まれていて (というか、それそのものですがw)、“自分勝手な” 解釈は何ら意味をなさないものである、ということが本書を通じて広く日本国民全体で共有できるように、という願いを込めて当ブログはお薦めさせて頂きます。

それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。
(死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)
※( )内は前回の数値

☆Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE
アメリカ : 970,405(969,136)÷79,696,030(79,654,801)=0.0121・・・(0.0121) 「1.21%(1.21%)」

イタリア : 157,607(157,442)÷13,724,411(13,645,834)=0.0114・・・(0.0115) 「1.14%(1.15%)」

日本 : 26,952(26,796)÷6,016,178(5,967,069)=0.0044・・・(0.0044) 「0.44%(0.44%)」

さて、これまで、ドイツで生まれた「キリスト教神智学(Christian theosophy)」・「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」を出発点として、その後、人為的に造り出された “幻想” であるところのマルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想を経て、ソ連崩壊とともに死滅したかに思われたものの、現在に至るまで一貫して受け継がれていく “信仰” が存在していて、その根底にある、ユダヤ・キリスト教的な 「贖罪(しょくざい)」 の意識により、さまざまな “アイデンティティ” を次から次へと粗製濫造することによって、「贖罪」の対象物として “罪” を創り出し、自らの罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いを果たそうと躍起になっている、そんな 「極左おパヨク」 に繋がる一連の系譜について確認して参りました。
ここで御理解頂きたいのは、そんなおバカな 「極左おパヨク」 は、飽くまでも、ある連中が果たそうとしている、ある目的の達成のための道具でしかないということです。
その目的とは、さまざまな “アイデンティティ” を意図的に粗製濫造することで、社会分断を行い、到底達成不可能な目標である “平等 (equality)” を強要(←全人類の均一化・同質化などは不可能であることは自明です!)し、多くの人々に対して自己抑圧的な態度の徹底を促し(←これが、ポリコレw)、人々の “自由” を奪う極めて権威主義的な統制社会の再構築を目指す、というものです。
では、なぜ、それを目指そうとするのでしょうか?
それは、「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」のもとで、ある連中にとって非常にコントロールしやすい社会が構築できるからです。

その「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」については、これまたドイツ出身の社会学者・歴史学者であり、マルクス主義者で、エリート理論の信奉者で、ファシズム(全体主義者)でもあったロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)が提唱した仮説である 『寡頭制の鉄則』 (iron law of oligarchy)について確認をしてきましたが、そこにもやはり「キリスト教神智学(Christian theosophy)」・「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」の影響を見ることができました。

ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)
また「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」と同根の言葉である「オリガルヒ(oligarch)」につきましても、ロシアやウクライナの事例を参照して、それがいまから数十年前に、マルクス主義が生み出した “社会主義・共産主義の幻想” が瓦解・崩壊する過程で作り出されたものであることを確認し、そこには少なからぬ 「ユダヤ人 (=ユダヤ教徒)」 が存在していることも判明いたしました。さらには、ウクライナとユダヤ人 (=ユダヤ教徒) と特異な関係を、ウマン (ウーマニ) 巡礼の形成の歴史を通じて確認することができました。
そこで、現在 “ユダヤ人” (民族としては定義され得ない、単なる宗教信者のグループ) という存在に着目し、より一層理解を進めるために、、次の論文を見ているところとなります。

☆『ナチ・ドイツにおける経済の脱ユダヤ化 ― 1938年十一月ポグロムの社会経済的背景 ―』 山本達夫
それでは早速、続きを見て参りましょう。
『 第6章 営業経済組織秩序への挑戦 ― Adefa と ADEBE ―
3. オットー・ユングと Adefa
・・・Adefa 理事長オットー・ユングとはどのような人物だったのか。ドイツ連邦文書館 (旧ベルリン・ドキュメント・センター) のナチ党中央検索カードの記載から以下の事実がわかる。ユングは商学士 Dip. Kfm.の称号をもち,1896 年 3 月 20 日,西南プファルツ (ラインラント = プファルツ州南部) のペータースベッヒェル Petersbächel で生まれた。1925 年 6 月 20 日にナチ党に入党し,党員番号は 8394 番とかなり若い。 *492 ) またシュトックホルスト編纂による第三帝国人名辞典 *493 ) ならびに 『経済界指導者名鑑』 *494 ) の記述によると,1930 年代後半時点でのユングの 「ナチ党関係」,「ライヒ経済省関係」,「私経済関係」,「その他」 のおもな肩書きはつぎの通りであった。

〔1.ナチ党関係〕
① シュヴァーベン大管区ナチ党大管区経済顧問 Gauwirtschaftsberater der NSDAP im Gau Schwaben
② ナチ党経済政策委員会専門担当官Sachbearbeiter in der Kommission für Wirtschaftspolitik der NSDAP
③ ドイツ労働戦線衣料および皮革専門局長代理Stellvertretender Leiter des Fachamtes Bekleidung und Leder in der DAF
〔2.国家機関 (ライヒ経済省) 関係〕
① ドイツ衣料工業全国連盟理事長 Geschäftsführender Direktor des Reichsverbandes der deutschen Bekleidungsindustrie, Berlin.
② 経済集団衣料工業主任理事 Hauptgeschäftsführer der Wirtschaftsgruppe der Bekleidungsindustrie
③ 衣料工業輸出検査局ライヒ全権委員 Reichsbeauftragter der Prüfungsstelle Bekleidungsindustrie.
④ 衣料工業輸出品検査局 (ベルリン) 局長 Prüfungsstelle Bekleidungsindustrie, Berlin
⑤ 衣料品点数計算所 Punktverrechnungsstelle für Bekleidung, Berlin
⑥ 衣料品類輸入品監視局内衣料品分配所 Verteilungsstelle für Bekleidung bei der Reichsstelle für Kleidung und verwandte Gebiete
⑦ ブランデンブルク経済地区経済院工業部門顧問 Industrieabteilung bei der Wirtschaftskammer für den Wirtschaftsbezirk Brandenburg, Berlin
⑧ シュヴァーベン労働院,ライヒ労働院,国家業績向上委員会の各委員 Arbeitskammer Schwaben, Reichsarbeitskammer, Reichsausschuß für Leistungssteigerung
〔3.私経済関係〕
① エミール・ケスター株式会社監査役 Emil Köster AG.
② ライプツィヒ繊維見本市有限会社監査役 Leipziger Textil- Meßhäuser GmbH in Leipzig
③ 中央繊維有限会社支配人 Zentraltextilgesellschaft mbH. (gemeinnütziges Unternehmen), Berlin
④ ゲデッケ化学工場 (輸出) 株式会社監査役会筆頭監査役 Gödecke & Co. Chemische Fabrik und Export AG. Berlin
〔4.その他〕
① 『ドイツ衣料工業全国連盟報』 編集者 Mitteilungen des Reichsverbandes der deutschen Bekleidungsindustrie
② 雑誌 『ドイツ完成品』 共同編集者 Die Deutsche Fertigware
これをみると,ユングが党の再建時からのナチ党員であり,繊維・衣料産業につよい利害関係をもつ人物であったことがわかる。また彼が党と国家にまたがって繊維・衣料産業部門の要職を占めていたこともわかる。このことからユングは,自らが抱えるふたつの課題,すなわちナチ党サイドが主張する経済活動からのユダヤ人の排除と,四カ年計画の枠内における繊維・衣料産業部門の業績向上・効率化促進を達成する鍵を Adefa の活動に見い出したのではないかと推測できる。またユングが管区指導者らに送った回覧通達や文書の日付からすると,おそくとも 1937 年の半ばごろまでには,彼は Adefa の活動に積極的に関わるようになっていたと考えられる。 *495 )
*492 ) BA. (ehem. BDC), NSDAP-Zentralkartei. Otto Jung. in: K0130, J0054.
*493 ) Stockhorst, Erich, 5000 Köpfe. Wer war was im Dritten Reich (Kiel, 1985).
*494 ) Wer Leitet? Die Männer der Wirtschaft und der einschlägigen Verwaltung 1940 (Berlin, 1940), 1941/42 (Berlin, 1942).
*495 ) GWB 282, 424. 』
ということで、本日はここまでとさせて頂きます。
続きは次回に♥
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