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    中国の特色ある社会主義 ~ それは、まさに典型的な国家社会主義 (ナチズム) です! 

    A storm is coming 192

    本日のキーワード : 国家社会主義 (ナチズム)、中国の特色ある社会主義 (ナチズム)



    National socialism
    国家社会主義 ⑦

    Socialism with Chinese characteristics
    中国の特色ある社会主義

    National socialist images of a sacred bloodline have become a feature of CCP ideology. Su Jingzhuang, from the Central Party School, wrote an article on Xi Jinping Thought in the Study Times, arguing: "Red genes are a genetic factor that has taken root in the body of our party and flows through the blood vessels of CCP cadres; they [form] the spiritual lineage of the Chinese races’ coexistence and co-prosperity, and [they are] a core political advantage in realizing the great rejuvenation of the Chinese nation."
    聖なる血統という国家社会主義的なイメージは、中国共産党の思想の特徴となっている。中央党校の蘇敬装氏は、『学習時報』 に習近平思想に関する記事を書き、こう主張した。「赤い遺伝子は、我が党の体に根付き、中国共産党幹部の血管を流れる遺伝的要素であり、中華民族の共存共栄の精神的系譜を形成しており、中華民族の偉大な若返りを実現するための核心的な政治的優位性である。」

    The national socialist mission of unifying race, party, nation and state have taken on singular import for the CCP, while its Leninist role of securing a path to communism has been subordinated. Nationalism is no longer a necessary step on the road to communism, but the driving force behind Chinese socialism.
    中国共産党にとって、民族、党、国家、国を統一するという国家社会主義的な使命は特別な意味を持ち、共産主義への道を確保するというレーニン主義的な役割は従属させられているナショナリズムは、もはや共産主義への道の必要なステップではなく、中国社会主義の原動力となっている。

    Under Xi Jinping, the CCP has proven all too willing to incorporate aspects of Hitlerian national socialism into its mode of governance. Carl Schmitt, known as the ‘crown jurist of national socialism’, was cited by legal advisers to China’s leadership to rationalize the CCP’s imposition of a new national security law on Hong Kong in 2020. Schmitt’s central argument was that the sovereign, as someone who decides on exceptions to rules, has a necessary power to suspend civil liberties. That the CCP is now incorporating Schmitt’s fascist jurisprudence into its legal regime indicates that China’s ruling elite has been influenced not only by the ideological elements of national socialism but also by Nazism’s governmental aspects.
    習近平政権下の中国共産党は、ヒトラー的な国家社会主義の側面を統治様式に取り入れることを厭わないことを証明している。「国家社会主義の冠たる法学者」 として知られるカール・シュミットだが、中国共産党が2020年に香港に新たな国家安全法を課すことを合理化するため、中国指導部の法律顧問が引用した。シュミットの中心的な主張は、主権者は規則の例外を決定する者として、市民的自由を停止する必要な力を持っているというものであった。中国共産党がシュミットのファシズム法学を法体系に取り入れようとしていることは、中国の支配エリートが国家社会主義のイデオロギー的要素だけでなく、ナチズムの政府的側面からも影響を受けていることを示している。

    カール・シュミット
    カール・シュミット

    According to the official state-run media organ Xinhua, "The essence of patriotism is having unified love for the country, the Party and socialism, Xi added, urging young Chinese to follow the instructions and guidance of the Party, and remain dedicated to the country and the people." John Xenakis writing in Breitbart observed:
    国営メディアの新華社によると、「愛国心の本質は、国、党、社会主義への統一された愛を持つことだと、習氏は付け加え、中国の若者に党の指示と指導に従い、国と人民のために献身的であり続けるよう求めた。」 ジョン・クセナキスはブライバートに寄稿し、次のように述べている。

    "I was in school in the 1950s-60s, I was repeatedly told that the difference between Communism and Nazism was that in Communism the government owned all the businesses (which was "good"), while in Nazism it was still a capitalist system (which was "bad"), but the government still controlled everything. That's exactly the economic system that China has today. It's pure National Socialism (Nazism).
    Xi's Thoughts are actually about Nazism with Chinese Characteristics, and it's a very scary development because they provide an ideological framework to justify any military action at any time."
    「私は 1950 年代から 60 年代に学校に通っていましたが、共産主義とナチスの違いは、共産主義では政府がすべての企業を所有していること (これは 「良い」)、ナチスで依然としては資本主義システムであること (これは 「悪い」) に変わりはないが、政府がすべてをコントロールしていることだと繰り返し言われました。現在の中国の経済システムは、まさにそれです。それは純粋な国家社会主義 (ナチズム) です。

    習氏の思想は、実際には中国的特徴を持つナチズムについてのものであり、いつでもどんな軍事行動でも正当化できるようなイデオロギー的枠組みを提供しているので、非常に恐ろしい展開となっています。


    Hitler.jpg 習近平思想の着想者であり、中国的特徴を持つ社会主義の提唱者である習近平総書記

    パペット岸田・林

    “National socialism” Conservapedia



    本日の書物 : 『 世界は 「関係」 でできている : 美しくも過激な量子論』 カルロ・ロヴェッリ NHK出版



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 物理学の実験室で原子やツァイリンガーのレーザーに含まれる光子といった【きわめて小さな対象物を調べる場合、誰が “観測者” なのかははっきりしている】観測するのは、対象となる量子を準備し、観察し、測定する【科学者である】。彼らは測定機器を用いて、原子が発する光を検知したり、光子が到達する位置を検出したりする。

     【だがこの広大な世界は、実験室の科学者や測定機器だけでできているわけではない】。だとすれば、観察する科学者がまったくいない場での観察とは、いったい何なのか。【誰も観察していないとき、量子論はわたしたちに何を教えてくれるのか】。ほかの銀河で起きていることについて、いったい何を教えてくれるのだろう。

     その【答えの鍵】、とわたしが信じているのは ―― 同時にこの本のさまざまな着想の要でもあるのだが ―― 【科学者も測定機器と同じように自然の一部である】、という単純な観察だ【そのとき量子論は、“自然の一部が別の一部に対してどのように立ち現れるかを” 記述する】

     量子論の関係を基盤とする解釈すなわち【関係論的 (リレーショナル) な解釈の核】には、この理論が、量子的な対象物の “わたしたち” (あるいは 「観測」 という特別なことをする特別な実体) に対する現れ方を記述しているわけではない、という見方がある。【この理論は、一つ一つの物理的対象物が、ほかの任意の物理的対象物に対してどのように立ち現れるかを記述する】。つまり、【好き勝手な物理的存在が、“別の好き勝手な” 物理的存在にどう働きかけるかを記述する】のだ。

     わたしたちはこの世界について、【さまざまな対象物や事物や存在 (物理学で 「物理系」 と呼ばれるもの) 】の面から考える。光子、猫、石、時計、木、少年、村、虹、惑星、銀河団、などなど…。だがこれらは、おのおのが尊大な孤独のなかに佇んでいるわけではない。むしろ逆に、【ただひたすら互いに影響を及ぼし合っている】。自然を理解したければ、孤立した対象物ではなく、この【相互作用に注目する必要がある】。猫は、チクタクという時計の音に耳を澄ます。少年は、石を投げる。石は飛んで、空気を動かし、別の石に当たって、その石を動かしてから落ち、その場所の地面を押す。一本の木が、太陽の光からエネルギーを得て酸素を作り、村人はその酸素を吸いながら、星を観察する。そして星たちは、他の星の重力に引っ張られ、銀河のなかを動いていく・・・【わたしたちが観察しているこの世界は、絶えず相互に作用し合っている】。それは、【濃密な “相互作用” の網なのだ】

     【一つ一つの対象物は、その相互作用のありよう “そのもの” である】。ほかといっさい相互作用を行わない対象物、何にも影響を及ぼさず、光も発せず、何も引きつけず、なにもはねつけず、何にも触れず、匂いもしない対象物があったとしたら・・・その対象物は存在しないに等しい。決して相互作用しない対象物について語ることは、たとえそれが存在していたとしても、自分たちと無関係なものについて語ることであって、そのような対象物が 「存在する」 という言葉の意味すら判然としない。わたしたちが知っているこの世界、わたしたちと関係があってわたしたちの興味をそそる世界、【わたしたちが 「現実」 と呼んでいるものは、互いに作用し合う存在の広大な網なのである】【そこにはわたしたちも含まれていて、それらの存在は、互いに作用し合うことによって立ち現れる】。わたしたちは、この網について論じているのだ。』

    日の丸

    ナチ・ドイツのニュルンベルク法の一般的な誤謬


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、理論物理学者の著者が量子論の誕生から約 100 年間にわたる量子論をめぐる解釈の流れをまるで小説でも読んでいるかのように感じさせるストーリー展開で描きながら難しい数式もほとんど登場せずその一方で量子論から導かれる新しい世界観を見事に腑に落ちる形で指し示した良書になります。本書を読み終えてみて思い出されるのは日本が誇る天才数学者の岡潔さんがすでに半世紀ほど前に指摘されていたことで漸く西洋人が日本人に追いついてきたということなのでしょう

    こちらもご参照💗

    西洋的自然科学にみられる決定的矛盾

    西洋の「ギリシャ論理学」 VS 東洋の「インド論理学」

    読書6-34

    それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。

    (死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)

    ※(  )内は前回の数値

    neosconasgds.jpg
    Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE

    アメリカ : 919,342(918,760)÷77,716,950(77,668,969)=0.0118・・・(0.0118) 「1.18%(1.18%)」
    neosconasgds1.jpg

    イタリア : 151,015(150,824)÷12,105,675(12,053,330)=0.0124・・・(0.0125) 「1.24%(1.25%)」
    neosconasgds2.jpg

    日本 : 20,371(20,234)÷3,919,931(3,842,551)=0.0051・・・(0.0052) 「0.51%(0.52%)」
    neosconasgds3.jpg

















    さて、これまで、ドイツで生まれた「キリスト教神智学(Christian theosophy)」「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」出発点として、その後人為的に造り出された “幻想” であるところのマルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想を経て、ソ連崩壊とともに死滅したかに思われたものの現在に至るまで一貫して受け継がれていく “信仰” が存在していて、その根底にあるユダヤ・キリスト教的な 「贖罪(しょくざい)」 の意識により、さまざまな “アイデンティティ” を次から次へと粗製濫造することによって、「贖罪」の対象物として “罪” を創り出し自らの罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いを果たそうと躍起になっているそんな 「極左おパヨク」 に繋がる一連の系譜について確認して参りました。



    ここで御理解頂きたいのは、そんなおバカな 「極左おパヨク」 は、飽くまでも、ある連中が果たそうとしている、ある目的の達成のための道具でしかないということです。

    その目的とは、さまざまな “アイデンティティ” を意図的に粗製濫造することで、社会分断を行い到底達成不可能な目標である “平等 (equality)” を強要(←全人類の均一化・同質化などは不可能であることは自明です!)し、多くの人々に対して自己抑圧的な態度の徹底を促し(←これが、ポリコレw)、人々の “自由” を奪う極めて権威主義的な統制社会の再構築を目指す、というものです。

    では、なぜそれを目指そうとするのでしょうか?

    それは、「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」のもとである連中にとって非常にコントロールしやすい社会が構築できるからです。

    ポイント 女性

    その「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」については、これまたドイツ出身の社会学者・歴史学者であり、マルクス主義者で、エリート理論の信奉者で、ファシズム(全体主義者)でもあったロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)提唱した仮説である 『寡頭制の鉄則』 (iron law of oligarchy)について確認をしてきましたが、そこにもやはり「キリスト教神智学(Christian theosophy)」「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」の影響を見ることができました。

    ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)
    ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)

    また「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」同根の言葉である「オリガルヒ(oligarch)」につきましても、ロシアやウクライナの事例を参照して、それがいまから数十年前にマルクス主義が生み出した “社会主義・共産主義の幻想” が瓦解・崩壊する過程で作り出されたものであることを確認し、そこには少なからぬ 「ユダヤ人 (=ユダヤ教徒)」 が存在していることも判明いたしました。さらにはウクライナとユダヤ人 (=ユダヤ教徒) と特異な関係をウマン (ウーマニ) 巡礼の形成の歴史を通じて確認することができました。



    そこで、現在 “ユダヤ人” (民族としては定義され得ない、単なる宗教信者のグループ) という存在に着目し、より一層理解を進めるために、次の論文を見ているところとなります。

    egdhsied.jpg
    『ナチ・ドイツにおける経済の脱ユダヤ化 ― 1938年十一月ポグロムの社会経済的背景 ―』 山本達夫

    それでは早速、続きを見て参りましょう。

    『 第 2 章ニュルンベルク法

    3.「国家の敵」 と 「民族の敵」
     ところが 「民族の敵 = ユダヤ人」 に襲いかかる 「国家の敵 = ドイツ人」 を警察が制止するという当局にとって 「最も望ましくない事態」 が報告されるにいたる。 *217 ) ベルリン市警察長官代理ヘルドルフ Helldorf, Graf von は 8 月 22 日付のフリックあての秘密報告で同様の事態を伝えている。彼は報告のなかで,一方でナチ党が対ユダヤ人闘争を激しく煽っていることと他方で国家組織による闘争の後押しがないことを国民が遺憾に思っていることとの間の隔たりを指摘し,「いや増す憤激でつのった国民の気分は,反ユダヤデモを 『ある種の自助行動』 と解釈させている」 とのべている。また,ユダヤ商店に群がる群衆に向けて投入された警察が 「きわめて困難な状況に追いやられ」 ており,警官たちが群衆から 「ユダヤ人の僕 Judenknechte」 と罵倒されている様子も記している。ヘルドルフのみるところ,「例外なく平服を着込み,何の記章も付けていない」 反ユダヤデモ参加者のなかには,「反国家的な分子がおり,連中は暴動を自己目的に利用しようとしている」 のだった。そのため 「衝突が起こったのを機に,制服を着用した党員と突撃隊員が保安警察の群衆整理に手を貸すようになった」 と。 *218 )
     こうしたなか排除の主体と客体とのあいだの境界が消滅するおそれのある 「まったくの混沌」 (レーゼナー) *219 ) に秩序をもたらすため新たな法律の制定が不可欠になったこれが 1935 年 9 月 15 日,ニュルンベルクにおけるナチ党全国大会 「自由」 の議事日程に合わせて急きょ作成,発布されたニュルンベルク法と通常呼ばれるふたつの法律 *220 ) ,すなわち 「国家公民法」 *221 ) 〔史料編 4 ) 〕 と 「ドイツ人の血とドイツ人の名誉を守るための法」 ( 「血液保護法」 ) *222 ) 〔史料編 5 ) 〕 である。 *223 )
     ニュルンベルク法はおよそ第三帝国のユダヤ人政策を論じる研究であれば必ず言及される法律である。それでは,いかなる意味で重要なのだろうか一般的な見解によれば,同法によってユダヤ人の定義がおこなわれたことが決定的だとされる。たとえば,ニュルンベルク法によって 「 『ドイツ人』 と 『ユダヤ人』 のあいだに明確な線引き」 がなされ 「 『最終解決』 にいたる迫害の標的がはっきりと確定された」 たことは 「その後の反ユダヤ政策の機動的な執行に際して重要な意味をもった」 という具合である。 *224 ) あるいは 「行政的持続性をもつ定義という措置は犠牲者に対するさらなる行為に不可欠であり,『絶滅過程』 の重要な一歩を形成した」 *225 ) という論調などもそうである。
     だが私はこうした解釈は第三帝国のユダヤ人政策についてのポピュラーな誤謬のひとつだと考えている実際には 「国家公民法」 も 「血液保護法」 も上のような意味でのユダヤ人の定義はしていないからであるすなわち 「血液保護法」 は 「ユダヤ人」 と 「ドイツまたはこれと同類の血を有するドイツ国籍所有者」 とのあいだの接触・交渉を禁じたものであり「国家公民法」 は 「国家公民 Reichsbürger」 と 「国籍所有者 Staatsbürger」 の定義を試みたものであって「ユダヤ人」 を標的としているわけではないしかしこの事実はニュルンベルク法の性格を考える上で重要である


    *217 ) アンハルト・デッサウ州のゲシュタポが 1935 年 8 月 28 日付でシャハト宛に送った文書からの引用。Pätzold, Verfolgung, Dok. 62, pp. 103-104.

    *218 ) Essner, op. cit., pp. 109-110.

    *219 ) Ibid., pp. 108-109.

    *220 ) 厳密にはこれに 「国旗法」 (ユダヤ人にドイツ国旗を掲げることを認めず,ユダヤ人の旗のみの掲揚を許可した法律) が加わる。

    *221 ) Reichsbürgergesetz vom 15. September 1935. in: RGBl., I, p. 1146 f.

    *222 ) Gesetz zum Schutz des Deutschen Blutes und der Deutschen Ehre vom 15. 9. 1935. in: RGBl., I, pp.1146 f.

    *224 ) 南利明 『ナチス・ドイツの社会と国家』 (勁草書房,1998 年) 416 頁。

    *225 ) ヒルバーグ,望田他訳 『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅 (上) 』 (柏書房,1997 年) 42-43 頁。 』


    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。









    続きは次回に♥




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