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     >  経済学 >  左翼のナチ・ドイツとホモセクシュアリティ (同性愛) ~ ヒトラーは、掘ったの? それとも掘られたの?

    左翼のナチ・ドイツとホモセクシュアリティ (同性愛) ~ ヒトラーは、掘ったの? それとも掘られたの?

    A storm is coming 181

    本日のキーワード : ナチ・ドイツ、同性愛、第三の性、ゲイの権利



    Nazi Germany and homosexuality
    ナチ・ドイツとホモセクシュアリティ (同性愛)

    Moral decline prior to Nazi Germany, which spawned an increase in the acceptance of homosexuality in German society, occurred about 35 years before the Nazis took power and it paved the way for the Nazis to take power. A large part of the increase of support for homosexuality beforehand, including Germany becoming the birthplace of the so-called "Gay Rights" movement, originated with a particular man, Karl Heinrich Ulrichs, who had been molested by his riding instructor at age 14 and attributed his homosexuality to a "third sex" instead of his molestation. The Nazis were rabid evolutionists who insisted that the "German master race" should dominate other so-called inferior races. Belief in evolution has been linked to a decline of morality.
    ドイツ社会同性愛の受容が進むきっかけとなったナチ・ドイツ以前のモラルの低下は、ナチが政権を握る約 35 年前に起こり、ナチ政権への道を切り開くことになった。ドイツいわゆる 「ゲイの権利」 運動の発祥の地となるなど、事前に同性愛への支持が高まったのは、14 歳の時に乗馬の教官から痴漢行為を受け、自分の同性愛を痴漢行為ではなく 「第三の性」 に帰結させたカール・ハインリッヒ・ユルリクスというとある男性に端を発している。ナチは狂信的な進化論者であり、「ドイツ支配者民族」 が他のいわゆる劣等民族を支配すべきであると主張した。進化論への信奉は、道徳の衰退と結びついています。

    カール・ハインリッヒ・ユルリクス
    カール・ハインリッヒ・ユルリクス

    The American journalist H. R. Knickerbocker wrote about the homosexual Nazi leader Ernst Röhm: Röhm's "chiefs, men of the rank of Gruppenfuehrer or Obergruppenfuehrer, commanding units of several hundred thousand Storm Troopers, were almost without exception homosexuals. Indeed, unless a Storm Troop officer were homosexual, he had no chance of advancement."
    アメリカのジャーナリスト、H・R・ニッカーボッカーは、ナチの同性愛指導者エルンスト・レームについて次のように書いている。レームは、「ナチ党親衛隊数十万人の部隊を指揮するグルッペンフューラーやオーベルグーペンフューラーという階級の幹部は、ほとんど例外なく同性愛者であった。実際、ナチ党親衛隊の幹部は、同性愛者でない限り、昇進のチャンスはありませんでした」

    エルンスト・レーム
    エルンスト・レーム

    Ernst Röhm was the only Nazi leader to address Hitler by his first name "Adolf" rather than "mein Führer" which helped prompt rumors that Hitler was a homosexual. The historian Lothar Machtan and others have uncovered historical evidence that suggest Adolf Hitler may have been a homosexual.[4] However, the sexuality of Hitler is a matter of scholarly debate and historians are divided on whether Hitler was homosexual, bisexual, heterosexual or asexual.
    エルンスト・レームは、ナチスの指導者の中で唯一、ヒトラーを 「我が総統」 ではなく 「アドルフ」 とファーストネームで呼んでいたため、ヒトラーが同性愛者ではないかという噂を助長した。歴史学者のローター・マッハタンらは、アドルフ・ヒトラーが同性愛者であった可能性を示唆する歴史的証拠を発見している。 しかし、ヒトラーのセクシュアリティについては学者の間でも議論があり、ヒトラーが同性愛者であったのか、両性愛者であったのか、異性愛者であったのか、無性愛者であったのかについては歴史学者の間でも意見が分かれている。

    アドルフ・ヒトラーとエルンスト・レーム
    アドルフ・ヒトラーとエルンスト・レーム

    Later when Adolf Hitler came into power, he chose to persecute homosexuals in order to advance his notions of racial struggle.[6] Yet at the same time, Hitler retained some sexual deviants in positions of power within the Nazi leadership. For example, Hermann Goering was known to dress in drag, paint his nails and put rouge on his cheeks. Another example is the case of Max Bielas who "had a harem of little Jewish boys. He liked them young, no older than seventeen. He had a kind of parody of the shepherds of Arcadia, their role was to take care of the camp flock of geese. They were dressed like little princes...Bielas had a little barracks built for them that looked like a doll's house...Bielas sought in Treblinka only the satisfaction of his homosexual instincts."
    後に政権を握ったアドルフ・ヒトラーは、人種闘争を進めるために同性愛者を迫害することを選択しました。しかしその一方で、ヒトラーはナチスの指導者の中に性的倒錯者を権力の座に据えていた。例えば、ヘルマン・ゲーリングは女装し、爪を塗り、頬にルージュを塗ることで知られていた。もうひとつの例は、マックス・ビエラのケースである。彼は、「ユダヤ人の少年たちをハーレム状態にしていた。彼は 17 歳以下の若い男の子が好きだった。彼はアルカディアの羊飼いのパロディのようなものを持っていて、彼らの役割はキャンプのガチョウの群れの世話をすることでした。彼らは小さな王子様のような服を着ていた...ビエラは彼らのために人形の家のような小さなバラックを作らせた・・・ビエラはトレブリンカで自分のホモセクシャルな本能を満たすことだけを求めていた」。

    “Nazi Germany and homosexuality” Conservapedia  

    ヘルマン・ゲーリング
    ヘルマン・ゲーリング

    本日の書物 : 『 「日本型格差社会」 からの脱却』 岩田 規久男 光文社



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 世界の先進資本主義国にはさまざまな形態の資本主義があるが、【所得再分配後の格差を比較】すると、一般的にスカンジナビア諸国やオランダ、ドイツ、フランスなどの北欧諸国の格差が小さく、アメリカとイギリスに代表されるアングロ・サクソン国の格差が大きい。そうした中、【日本の格差はどちらかというとアングロ・サクソン国に近い】

     しかし、右に述べた特徴を持つ【 1990 年代以降の日本の格差の原因】は北欧ともアングロ・サクソン国とも異なり【デフレを伴った長期経済停滞にある】日本の 1 人当たり実質GDP成長率は、【 80 年代】 ( 81 年から 1 人当たりGDPがピークに達した 92 年までの期間をとる) は【年率平均 3.6 %でG 7 中最大】であった。ところが【 93 年から 19 年は年率 0.8 %と約 5 分の 1 に低下】し【G 7 中でイタリアに次ぐ低成長の国に転落】してしまった



     この 90 年代以降の 1 人当たり成長率の低下がどれほどのものであるかを知るために、【 1 人当たりGDPが 2 倍になる期間】を比べてみよう【 80 年代のペースで成長すると、日本の 1 人当たりGDPは 20 年で倍になる】つまり子供が生まれて成人する頃には1 人当たりGDPは生まれたときの倍になっているところが【 90 年代以降の成長ペースでは、1 人当たりGDPが 2 倍になるためには 93 年、つまりほぼ 1 世紀かかる】。ちなみに、アメリカとドイツが 90 年代のペースで成長すると、それぞれ 44 年と 59 年で 1 人当たりGDPは倍になる。アメリカは半世紀も経たないうちに、ドイツは半世紀と 9 年で 1 人当たりGDPは倍になるわけである。以上から分かるように、【 1990 年代以降のほぼ 30 年弱の間に、日本はかなり貧しくなってしまった】日本は信じられないくらい 「貧しい国」 になってしまったのである。』

    日の丸

    ナチ・ドイツ、ライヒ政府の 「道具」


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、世界標準の経済学の知見 ( 「デフレは悪である」 ) によれば1990 年代以降我が国において 「格差」 と 「貧困」 の問題が顕在化しているその根本原因が 「デフレ」 にあるということが明白であるにもかかわらず、それが理解できない “ガラパゴス的思考” に憑りつかれた多くのお馬鹿な経済学者 (財務省の御用学者を筆頭にw) が世に蔓延っている状況に警鐘を鳴らしつつ、「経済無知」 のいわゆる “自称リベラル” な方々のために「世界標準の経済学とはこうである!」 と中学生が読んでも理解できるほど平易な内容で書かれている書物で、“マル経 (マルクス主義経済学)” といった現実解を何ら提示することができない似非経済学ではなく「資本主義を研究する学問」 である世界標準の 「経済学」 からみた我が国の 「格差」 と 「貧困」 の問題への対処方法が提示されているお薦めの良書になります。

    読書6-20

    それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。

    (死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)

    ※(  )内は前回の数値

    wwwjapl.jpg
    Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE

    アメリカ : 895,801(892,460)÷75,798,111(75,483,395)=0.0118・・・(0.0118) 「1.18%(1.18%)」
    wwwjapl1.jpg

    イタリア : 147,734(147,320)÷11,348,701(11,235,745)=0.0130・・・(0.0131) 「1.30%(1.31%)」
    wwwjapl2.jpg

    日本 : 19,054(18,964)÷3,019,169(2,914,824)=0.0063・・・(0.0065) 「0.63%(0.65%)」
    wwwjapl3.jpg















    さて、これまで、ドイツで生まれた「キリスト教神智学(Christian theosophy)」「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」出発点として、その後人為的に造り出された “幻想” であるところのマルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想を経て、ソ連崩壊とともに死滅したかに思われたものの現在に至るまで一貫して受け継がれていく “信仰” が存在していて、その根底にあるユダヤ・キリスト教的な 「贖罪(しょくざい)」 の意識により、さまざまな “アイデンティティ” を次から次へと粗製濫造することによって、「贖罪」の対象物として “罪” を創り出し自らの罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いを果たそうと躍起になっているそんな 「極左おパヨク」 に繋がる一連の系譜について確認して参りました。



    ここで御理解頂きたいのは、そんなおバカな 「極左おパヨク」 は、飽くまでも、ある連中が果たそうとしている、ある目的の達成のための道具でしかないということです。

    その目的とは、さまざまな “アイデンティティ” を意図的に粗製濫造することで、社会分断を行い到底達成不可能な目標である “平等 (equality)” を強要(←全人類の均一化・同質化などは不可能であることは自明です!)し、多くの人々に対して自己抑圧的な態度の徹底を促し(←これが、ポリコレw)、人々の “自由” を奪う極めて権威主義的な統制社会の再構築を目指す、というものです。

    では、なぜそれを目指そうとするのでしょうか?

    それは、「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」のもとである連中にとって非常にコントロールしやすい社会が構築できるからです。

    ポイント 女性

    その「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」については、これまたドイツ出身の社会学者・歴史学者であり、マルクス主義者で、エリート理論の信奉者で、ファシズム(全体主義者)でもあったロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)提唱した仮説である 『寡頭制の鉄則』 (iron law of oligarchy)について確認をしてきましたが、そこにもやはり「キリスト教神智学(Christian theosophy)」「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」の影響を見ることができました。

    ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)
    ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)

    また「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」同根の言葉である「オリガルヒ(oligarch)」につきましても、ロシアやウクライナの事例を参照して、それがいまから数十年前にマルクス主義が生み出した “社会主義・共産主義の幻想” が瓦解・崩壊する過程で作り出されたものであることを確認し、そこには少なからぬ 「ユダヤ人 (=ユダヤ教徒)」 が存在していることも判明いたしました。さらにはウクライナとユダヤ人 (=ユダヤ教徒) と特異な関係をウマン (ウーマニ) 巡礼の形成の歴史を通じて確認することができました。



    そこで、現在 “ユダヤ人” (民族としては定義され得ない、単なる宗教信者のグループ) という存在に着目し、より一層理解を進めるために、次の論文を見ているところとなります。

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    『ナチ・ドイツにおける経済の脱ユダヤ化 ― 1938年十一月ポグロムの社会経済的背景 ―』 山本達夫

    それでは早速、続きを見て参りましょう。

    『 第 1 章 職業官吏制度再建法と官吏のナチ化

    3. 職業官吏制度再建法の影響
     職業官吏制度再建法は発布後多くの改訂法や遂行規定によって補足・拡充された。 *156 ) 同法による解職の対象となった官吏は以下の通りである

    1 ) 官吏としての専門教育を受けていない者 (第 2 条)

    2 ) 共産主義者 ( 1933 年 7 月 20 日付改訂法による第 2 条 a 項)

    3 ) 非アーリア系の出自の者 (第 3 条)

    4 ) 政治的活動歴に問題のある者 (第 4 条)

    5 ) 他部署への降格異動を受諾しなかった者 ( = 実質的な退職強要) (第 5 条)

    6 ) いわゆる行政の簡素化のための解任 (第 6 条)。

     これをみると職業官吏制度再建法がナチズムの政治的・世界観的敵対者たちすなわち共産党員社会民主党員ユダヤ人をはじめ民主主義者反政府主義者人道主義者さらにナチ党員であっても党の方針にしたがわない者などを中央と地方の行政機構から一掃することを狙ったものであったことがわかる
     望ましくない官吏の排除は官吏の組織化および規律化と並行しておこなわれた従来の官吏の諸組織は政治的影響力を剥奪された上でナチ党に従属する官吏連盟に統合された官吏連盟はライヒ政府の 「道具」 であったその最重要の課題は官吏を自らの意志をもたない服従へ再教育することナチ党の世界観の普及ならびに強化を目標として官吏を訓練することにあった。ライヒ内務省も総統代理ヘスも,古参の官吏たちを政治的に感化することは困難であると考えた。たとえばヘスの代理人ゾンマー Sommer, Walther は,「彼ら 〔官吏たち〕 はナチ党員にはなったのだろうが,ナチ主義者にはならなかった」 と述べたという。 *157 ) そこで彼らは,専門能力があり,政治的に信頼の置ける後継者を養成することにとくに力を入れたのである。 *158 )
     官吏をナチ組織の網の目 (突撃隊SA や親衛隊SS,ナチ法曹家連盟NSRB *159 ) ,ナチ教師連盟 NSLB *160 ),ナチ自動車軍団NSKK *161 ),ナチ国民福祉団NSV *162 ),全国防空連盟RLB *163 ) など) に組み入れることは,とりわけ職務上の 「勧奨」 をとおしておこなわれた。他方で官吏がナチ党以外の団体や組織へ関与することは,ライヒ内務省の回覧通達その他によって禁じられた。 *164 ) こうした直接間接の圧力によって官吏のナチ化が段階的に進められるとともに,第三帝国指導部に対する抵抗が広範にわたって排除されたのだった。職業官吏制度再建法は,官吏層の 「新秩序」 形成のための法的な基礎を築いたのである。 *165 )
     とはいえ職業官吏制度再建法に対する抵抗や実際の施行に際しての限界もあった。同法を実際に運用したのは官吏であり,行政の最前線で勤務し,法の実務的運用方法や行政的決定の段取りを熟知していた官吏は,さまざまなかたちで 「消極的抵抗」 を試みたといわれる。 *166 ) また,専門職官吏の不足のために職業官吏制度再建法の適用が緩和されたり,いったん解任された官吏が再雇用されたりすることもあった。 *167 ) ただし,再雇用された官吏に対しては数年にわたって再教育が施され,ナチ党や関連組織で試験されたり監視が付けられたりした。このため再雇用といっても,これはナチの官吏政策の挫折を意味するのではなく,むしろ第三帝国行政の人的および制度的拡大の過程における恒常的な (とくに開戦後の) 後継者不足を示したのである。 *168 )


    *156 ) 同法の改訂法は 6 次にわたって出され,さらに 7 つの遂行規定 (うち第二遂行規定に関しては 6 つの改訂令が出された),その他多くの付随規定が追加された。

    *157 ) Mühl-Benninghaus, pp. 133-134.

    *158 ) Ibid,. p. 191.

    *159 ) Nationalsozialistischer Rechtswahrerbund. フランクにより 1928 年に創設された国民社会主義ドイツ法律家連盟 (Bund Nat.-soz. dt. Juristen: BNSDJ) の 1936 年以降の名称。法曹領域のすべての職業連盟を強制的同質化するための手段として機能した。加盟員数 : 233 人 ( 1930 年),1374 人 ( 1932 年),8 万 2807 人 ( 1935 年)。連盟の総裁はフランク ( 1928 - 42 ) とティーラック ( - 1945 )。

    *160 ) Nationalsozialistischer Lehrerbund. 1929 年にシェムSchemm, Hans ( 1891 - 1935 ) によってナチ教育者の組織として創設されたナチ党に付属する連盟。本部はバイロイト ( 「ドイツ教育の家」 )。35 年のシェムの死後はヴェヒター Wächter, Fritz が連盟の全国指導者を引き継いだ。同連盟の主たる課題は全教師にナチ的世界観を植え付けることにあった。

    *161 ) Nationalsozialistisches Kraftfahrkorps. 1931 年 4 月にヒューンライン Hühnlein, Adolf ( 1881 - 1942 ) の指揮下に,ナチ自動車軍団 Nat.-soz. Automobilkorps から分設されたSA の特別編成部隊 ( 34 年 8 月にSA 自動車部隊に統合)。設立当初は政治宣伝的な色合いがあったがのちに国防政策的観点が重視され,青年の自動車運転教習と陸軍の自動車運転要員の教育がその重要な任務となり,陸軍や空軍の輸送業務に従事した。開戦時の隊員数は約 50 万人。

    *162 ) Nationalsozialistische Voklswohlfahrt. 約 1700 万人の加盟員 ( 1943 年) を擁し,ドイツ労働戦線DAF に次ぐ最もポピュラーなナチの大衆組織。1931 年ベルリンで地方的な自助組織として設立されたが,1933 年 5 月ヒトラーの命令によりナチ党全国指導部国民福祉局長ヒルゲンフェルト Hilgenfeldt, Erich を指導者として全国組織として組織された。「国民社会主義の福祉厚生に関わるすべての問題」 を扱うとされたNSV は,内政的には社会政策の手段として機能し,冬季救済事業,母子援助事業など多くの支援活動を通して,ナチズムを 「行動の社会主義 Sozialismus der Tat」 と宣伝した。一見非イデオロギー的なNSV の福祉活動は,体制に距離を置く国民にとっても受け入れやすいものであったが,実際にはNSV の活動はナチの人種・遺伝生物学的な選別基準によって規定され,また扶助も個々人の困窮に対してではなく,「ドイツ民族のできうる限りの業績達成」 のために行なわれた。

    *163 ) Reichsluftschutzbund. 1933 年 4 月にゲーリングによってライヒ航空省の組織として設置された公の防空連盟で,空軍最高司令官の指揮下におかれた。1935 年 5 月 26 日の防空法をへて開戦時には1300 万人以上が加盟し,全国 3800 の特殊学校で訓練が施された。開戦後RLB は公法上の団体となり,44 年にナチ党がこれを引き継いだ。

    *164 ) Mühl-Benninghaus, p. 191.

    *165 ) Ibid., pp. 83, 91.

    *166 ) ミュール=ベニングハウスはこの理由として,円滑な業務遂行,同僚としての連帯感や人道主義的または民主主義的な動機をあげている。また職業官吏制度再建法とその関連法令は多義に解釈できる条項が多数あったが,官僚たちは法的不確定性,法的矛盾,未定義の部分を自らの関心に即して解釈し,自らの経済状態と地位の保全を図ろうとしたのであった。Ibid., p. 86.

    *167 ) 新規採用された 「古参党員」 たちは絶対服従と政治的信頼性という点では問題がなかったが,専門的適正という点では前任者に劣っていることがしばしばあった。人手不足はとくに中下級の職で顕著であり,上級職や政治部門,教職部門では人員不足問題はなかった。Ibid., p. 87.

    *168 ) 再雇用規定は,行き過ぎた解職処分を修正する可能性をもつものであった。また,そこには服務可能な官吏への恩給支給という財政的な問題があったことをミュール = ベニングハウスは指摘している。Ibid., pp. 92-93. 』


    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。











    続きは次回に♥




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