2022-01-29 (Sat)

本日のキーワード : 共産主義、ナチズム、全体主義
Communism and Nazism
共産主義とナチズム(国家社会主義)
Communism and Nazism are totalitarian twins.
共産主義とナチズムは全体主義の双生児である。
Yet:
しかし
“Our horrified reflection on Nazism seems to even gain in breadth and depth each year.” On the other hand, Communism, “although still fresh and just recently fallen, benefits from an amnesia and an amnesty that receive the almost unanimous consent, not only of its supporters — because they still exist — but of its most determined enemies, and even its victims.”
「ナチズムに対する我々の恐ろしいまでの反省は、年々その幅と深さを増しているようにさえ見える。」 一方、共産主義は、「まだ凋落して間もないとはいえ、記憶喪失と、その支持者 ― なぜなら、彼らはまだ生存しているから ― だけでなく、その最も強固な敵、そしてその犠牲者からでさえ、ほぼ全員一致の同意を受ける恩赦の恩恵を得ているのである」。
Nazis versus Communists is no different from Trotskyists versus Stalinists. Leftism is a worldview that favors collectivism over individualism so they live in this fantasy world where we can agree with each other 100% of the time. According to Ludwig Von Mises, an agnostic Jew who made the Austrian School of Economics founded by Carl Menger in his image, the Nazis followed eight out of ten planks of the Communist Manifesto, except for planks one and three, which called for the abolition of private property and inheritance rights, although the Nazis did say that they were going to follow all ten planks. Benito Mussolini, whose philosophy was "Everything within the state, nothing outside the state, and nothing against the state", was a member of the Marxist Italian Socialist Party, but during World War I, the pro-war socialists split from the party and formed the Fascist Party. To get to know Mussolini better, you can read The Fascist Manifesto of 1919, written in the Fascist Party newspaper The People by Mussolini himself. For evidence that Hitler was a leftist, read the twenty-five points of the NSDAP program.
ナチス対共産主義者は、トロツキスト対スターリン主義者と何ら変わらない。左翼は個人主義より集団主義を好む世界観なので、お互いに 100 %同意できるような空想の世界に住んでいるのだ。カール・メンガーが創設したオーストリア経済学派をイメージした不可知論者のユダヤ人、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスによれば、ナチスは共産党宣言 (コミュニスト・マニフェスト) の 10 項目のうち、私有財産と相続権の廃止を求めた 1 項目と 3 項目を除いた 8 項目に従ったというが、ナチスは 10 項目すべてに従おうと言っているのである。ベニート・ムッソリーニは、「すべては国家の内にあり、国家の外には何も無い。国家に反するものは何も無い」 を理念とし、マルクス主義のイタリア社会党に属していたが、第一次世界大戦中に戦争推進派の社会党が党から分裂し、ファシスト党を結成する。ムッソリーニのことをよく知るには、ムッソリーニ自身がファシスト党の新聞 『人民』 に書いた 1919 年の 『ファシスト宣言』 を読むといい。ヒトラーが左翼であった証拠としては、NSDAP綱領の 25 箇条を読めばよい。
The Nazi propaganda minister Joseph Goebbels, who headed the Marxist faction of the Nazi Party, stated, "We really are Communists. That is why we call ourselves a ‘worker’s party’." He also wrote a letter to the New York Times titled "Hitlerite Riot" in Berlin on November 28, 1925 shortly after Lenin died saying, "On the speaker’s assertion that Lenin was the greatest man, second only to Hitler, and that the difference between communism and the Hitler faith was very slight."[3] The difference he was referring to was Nazism's opposition to internationalism, something that Hitler believed was un-German. Communism in theory is internationalist, but in reality, it is nationalist. Except for international socialists Lenin and his right-hand man Leon Trotsky, all other Communist heads of state were national socialists because nationalism helps them promote loyalty to their government. That is why nationalism and socialism are allies, not rivals. This also defines the difference between Trotskyism, which is internationalist, and Stalinism, which is patriotic and has the idea of socialism in one country. In addition, the Nazi flag's predominantly red color was due to them being reused from the red flags of the Communist Party of Germany.
ナチス党のマルクス主義派を率いた宣伝相ヨーゼフ・ゲッペルスは、「われわれは本当に共産主義者だ。だから我々は “労働者の党” と名乗っているのだ。」 と述べている。また、レーニンが亡くなった直後の 1925 年 11 月 28 日、ベルリンで 「ヒトラー派の暴動」 と題する手紙をニューヨーク・タイムズに書き、こう述べている。 「レーニンはヒトラーに次ぐ偉大な人物であり、共産主義とヒトラー信仰の違いはごくわずかであるとする話者の主張について」。彼が言っていた違いは、ナチズムが国際主義に反対していたことで、ヒトラーはドイツ人らしくないと考えていたことである。共産主義は理論的には国際主義であるが、現実には民族主義である。国際社会主義者のレーニンとその右腕であったレオン・トロツキー以外の共産主義者の国家元首はすべて国家社会主義者であり、ナショナリズムが政府への忠誠心を高めるのに役立つからである。だから、ナショナリズムと社会主義は、ライバルではなく、同盟者なのである。これは、国際主義のトロツキズムと、愛国主義で一国社会主義の思想を持つスターリン主義との違いも定義している。また、ナチスの旗が赤を基調としているのは、ドイツ共産党の赤い旗を再利用しているためである。
Liberals regard these as opposites of left and right, but Conservatives agree with Hannah Arendt that they belong at the same end of the political spectrum.
リベラル派はこれらを左右の反対と見なすが、保守派はハンナ・アーレントと同じように政治スペクトルの端に属すると考える。
Communism redefined the political spectrum; first falsely attaching Nazism to capitalism, and later to fascism, to fit its propaganda needs, Communism always placed socialist Nazism on the far right, opposite socialist Communism on the far left. This Communist classification has become fixed in Western thought, with Communism on the left, liberal democracies and their left and right parties in the middle, and Nazism and other forms of fascism on the right. Besançon concludes that the correct classification, one proposed by Hannah Arendt earlier, groups the two totalitarian regimes of Communism and Nazism at one end, places liberal regimes in the middle, and groups authoritarian regimes at the other extreme.
共産主義は政治スペクトルを再定義した。最初はナチズムを資本主義に、後にはファシズムと偽って結び付け、プロパガンダの必要性に合わせて、共産主義は常に社会主義のナチズムを右端に、社会主義の共産主義を左端に位置づけたのである。この共産主義の分類は、西欧の思想に固定化され、共産主義が左、自由民主主義とその左右の政党が中、ナチズムと他の形態のファシズムが右とされるようになったのである。ブザンソンは、正しい分類は、先にハンナ・アーレントが提案したもので、共産主義とナチズムという二つの全体主義体制を一端に、自由主義体制を中間に置き、権威主義体制をもう一方の極にグループ化するものだと結論付けている。
☆“Communism and Nazism” Conservapedia

本日の書物 : 『米国共産党調書 外務省アメリカ局第一課作成』 江崎 道朗 扶桑社
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 この【共産党の成立に対し、時の米国政府 (編者註・民主党のウッドロウ・ウィルソン) は強硬な弾圧政策を採った】。1919 年はストライキの数が多く、米国史上未曾有の年であり、国を挙げて混沌たる状態にあった。

ウッドロウ・ウィルソン
そこでウィルソン政府は、ストライキ扇動者に弾圧を加えたが、このため投獄された者は 4,138 名、追放された者は 505 名に及んだ。このような弾圧は、共産運動にとって火の洗礼ともいうべきもので、【これによって党は地下に潜り、却ってその団結力や闘争心を強固にさせ、党員もまた約 1 万名に達した】。
ルーゼンバーグが共産党内の二派を合同させ、その書記長となったのは、このような事態の下においてである。

チャールズ・ルーゼンバーグ
1921 年、【共産党は産業組合教育連盟 (Trade Union Educational League) を吸収】し、また同年夏の【社会党の再分裂に当たりトラヒテンバーグのような有力な指導者並びにその指導下にある社会党員を入党させる】ことで、【大いに党勢を拡大強化した】。そのように【共産党が社会主義者あるいは労働運動指導者を獲得する都度、これら指導者を慕う一群の配下をも獲得したことは銘記すべきことである】。…

☆【CLP騒動】陳さんとSEALDs残党が立憲民主党を食い物に?謎の工作機関「ブルージャパン」へ億単位の政治資金移動
さて前述の通り、共産党は 1921 年、産業組合教育連盟 (TUEL) を合併し、この時から産業組合闘争に活発な役割を演じ始めたが、【産業組合運動への参加は党の指導者間に軋轢 (あつれき) を醸 (かも) すこととなった】。つまり産業組合の重要性並びにこの運営方法に関して意見の相違があったが、【 1923 年、この軋轢はようやく重大性を加え、党の一切の工作に対し大きな妨害となった】。
そして【共産党】は【ルーゼンバーグ・ラブストーン・ワインストン・ペッパー派】 (The Ruthenberg-Lovestone-Weinstone-Pepper) 並びに【ビッテルマン・ブラウダー・ダン・フォスター派】 (The Bittleman-Browder-Dunne-Foster) の【二派に分かれ】、1923 年から 1929 年に至る六年間、【激烈な内紛を続け、派閥抗争は一切の党細胞 (編者註・末端組織) 内まで及んだ】。

ウィリアム・Z・フォスター

☆【津Dappi 騒動】立憲 泉代表 幕引きへ「我が党の説明は終了した」「第三者による調査も必要ない」
こうして党内には二つの候補者予選委員会が併存し、また党の規律は党派的規律よりも軽視され、党の利害よりは党派的利害が重視されるようになった。…
六年にわたる内紛によって党の存在は常に危険に曝され、その活動は阻害され、かつ党員は漸減して 1929 年には 7 千人に下った。

☆立憲民主党・泉代表、日本学術会議について「6人を速やかに任命すべき」「政府の説明も不十分だ」 =ネットの反応「CLP、ブルージャパンの説明は?」「共産党と手を切れてないのがよくわかってよろしい」
このような内部闘争およびこれに伴う凋落 (編者註・落ちぶれること) にもかかわらず、【米国共産党はボルシェヴィズムの方向に着々前進を続け、またコミンテルンとの関係をますます密接にさせていった】。』

なぜ、ナチ・ドイツの 「ユダヤ人政策」 が生み出されたのか?
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、かつての我が国が保持していたインテリジェンス能力の高さが示されている良書で、大東亜戦争突入前に、すでにアメリカ合衆国内において、世界中の共産党の親玉・ソ連を護るべく、アメリカ共産党が様々な浸透工作を行っていて、その結果、本来であれば全人類の敵である 「共産主義」・「社会主義」・「全体主義」・「独裁主義」の国家であるソ連 から目を逸らさせ、ソ連にとって脅威以外の何ものでもなかった大日本帝国やドイツに攻撃の目を向けさせることに成功し、悲惨な大戦が引き起こされた、つまり 「共産主義者」 が引き起こした戦争であったという歴史的事実を認識することができるお薦めの書物になります。その卑劣な 「共産主義者」 たちの系譜が、今なお続いていることは、現在のアメリカの惨状をみれば明々白々で、今こそ、人類にとっての敵である 「共産主義」・「社会主義」・「全体主義」・「独裁主義」 といった危険な思想 (その亜流も含めて) を地球上から葬り去らなければならない、その必要性を認識しなければならない、と当ブログでは考えております。

それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。
(死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)
※( )内は前回の数値

☆Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE
アメリカ : 851,226(850,434)÷66,198,486(65,526,274)=0.0128・・・(0.0129) 「1.28%(1.29%)」

イタリア : 141,391(141,104)÷8,790,302(8,706,915)=0.0160・・・(0.0162) 「1.60%(1.62%)」

日本 : 18,433(18,429)÷1,902,304(1,881,481)=0.0096・・・(0.0097) 「0.96%(0.97%)」

さて、これまで、ドイツで生まれた「キリスト教神智学(Christian theosophy)」・「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」を出発点として、その後、人為的に造り出された “幻想” であるところのマルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想を経て、ソ連崩壊とともに死滅したかに思われたものの、現在に至るまで一貫して受け継がれていく “信仰” が存在していて、その根底にある、ユダヤ・キリスト教的な 「贖罪(しょくざい)」 の意識により、さまざまな “アイデンティティ” を次から次へと粗製濫造することによって、「贖罪」の対象物として “罪” を創り出し、自らの罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いを果たそうと躍起になっている、そんな 「極左おパヨク」 に繋がる一連の系譜について確認して参りました。
ここで御理解頂きたいのは、そんなおバカな 「極左おパヨク」 は、飽くまでも、ある連中が果たそうとしている、ある目的の達成のための道具でしかないということです。
その目的とは、さまざまな “アイデンティティ” を意図的に粗製濫造することで、社会分断を行い、到底達成不可能な目標である “平等 (equality)” を強要(←全人類の均一化・同質化などは不可能であることは自明です!)し、多くの人々に対して自己抑圧的な態度の徹底を促し(←これが、ポリコレw)、人々の “自由” を奪う極めて権威主義的な統制社会の再構築を目指す、というものです。
では、なぜ、それを目指そうとするのでしょうか?
それは、「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」のもとで、ある連中にとって非常にコントロールしやすい社会が構築できるからです。

その「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」については、これまたドイツ出身の社会学者・歴史学者であり、マルクス主義者で、エリート理論の信奉者で、ファシズム(全体主義者)でもあったロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)が提唱した仮説である 『寡頭制の鉄則』 (iron law of oligarchy)について確認をしてきましたが、そこにもやはり「キリスト教神智学(Christian theosophy)」・「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」の影響を見ることができました。

ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)
また「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」と同根の言葉である「オリガルヒ(oligarch)」につきましても、ロシアやウクライナの事例を参照して、それがいまから数十年前に、マルクス主義が生み出した “社会主義・共産主義の幻想” が瓦解・崩壊する過程で作り出されたものであることを確認し、そこには少なからぬ 「ユダヤ人 (=ユダヤ教徒)」 が存在していることも判明いたしました。さらには、ウクライナとユダヤ人 (=ユダヤ教徒) と特異な関係を、ウマン (ウーマニ) 巡礼の形成の歴史を通じて確認することができました。
そこで、現在 “ユダヤ人” (民族としては定義され得ない、単なる宗教信者のグループ) という存在に着目し、より一層理解を進めるために、、次の論文を見ているところとなります。

☆『ナチ・ドイツにおける経済の脱ユダヤ化 ― 1938年十一月ポグロムの社会経済的背景 ―』 山本達夫
それでは早速、続きを見て参りましょう。
『 序章 第三帝国の社会史と経済の脱ユダヤ化
3. 研究史の検討
第三帝国のユダヤ人政策の研究は,ナチズムの激越な反ユダヤ主義の存在を認めたうえで,その時どきの効果を書きしるすというものが大勢を占めていた。第三帝国のユダヤ人政策の研究という場合,原点はホロコースト (ユダヤ人絶滅政策) であり,ホロコーストの圧倒的な現実は研究に一定の方向性をもたせることになった。つまりホロコーストの現実があまりにも非日常的なものであったので,その原因も非日常的・非現実的,あるいは非合理的なもののなかに探し求められたのである。
最初,それは 「ヒトラーの反ユダヤ主義」 に求められた。ヒトラーの狂信的な反ユダヤ的な煽動演説,突撃隊員やナチ党員による街頭での公然たる反ユダヤ行動の蛮行は人びとの記憶に鮮明に残っていた。ホロコーストは,これら一連の出来事の延長線上に漠然とおかれた。「ユダヤ人問題の最終解決」 を起点として過去の歴史のなかにつぎつぎと 「根源」 が探し求められたのは当然のなりゆきであった。マルティン・ルターのパンフレットにも見られる反ユダヤ的な言辞の数々がドイツ史をさかのぼって探し出され,ホロコーストとの関連でとらえ直され,特別な含意が付与されていった。 *35 ) 近代反ユダヤ主義が出現した 19 世紀半ば以降のドイツにおける反ユダヤ主義的な言説やさまざまな社会現象は,ホロコーストに直結するものと解釈された。こうした理解が可能となったのは,「反ユダヤ主義」 を時空を越えて偏在する抽象的な存在と考えたからである。

アドルフ・ヒトラー

マルティン・ルター
「ユダヤ人の存在が解決されるべき問題として意識される」 ようになったことが,近代反ユダヤ主義の始まりであるといわれる。 *36 ) しかし注意すべきは,こうした意識が生じたのは一定の歴史的・社会的な諸条件のもとにおいてであった。社会現象としての反ユダヤ主義が具体的にどのような形態で,いかなる現れ方をするのかはすぐれて歴史被制約的なものであり,それ自体ひとつの歴史的な過程である。反ユダヤ主義はそれぞれの時代に特有なものであり,時代の特殊な要請のなかから生まれる。フォルコフが適切にのべているように,「ナチズム以前に存在した反ユダヤ主義は,なるほど指摘し得る連続性という次元においては,ナチズムの政権掌握とそのユダヤ人政策の重要な 『背景』 として見なすことはできる。けれどもその現象の 『説明』 として,ましてや 『完璧な説明』 と考えられてはならない」 *37 ) のである。
従来,第三帝国のユダヤ人政策の研究は,政策の展開過程の分析を軸にすすめられてきた。これは第三帝国のユダヤ人政策遂行に関わった諸機関,なかんずく親衛隊をヒトラーの反ユダヤ主義的意志の直接的な執行者ととらえたからである。そこで問題になったことはもっぱら,ユダヤ人絶滅政策にいたる,あるいはいたらざるをえなかった経緯を政策決定史として示すことであった。
政策決定史の研究手法は,第三帝国のユダヤ人政策をいくつかの段階に分けて考えるというものだった。まず,政権掌握直後のユダヤ人経営の商店に対するボイコット行動,職業官吏制度再建法を鏑矢とするユダヤ人の法的定義付けの試み,さらにニュルンベルク法に代表される公生活からの排除の段階,これにつづいてアーリア化と呼ばれる経済活動からのユダヤ人の排除ならびにユダヤ人財産の奪取の段階,そして最終的に強制国外移住,強制移送・強制収容の段階にいたる,というものである。 *38 )
ユダヤ人政策の段階設定とならんで行われたのが,政策が段階的に進んでいく過程についての研究である。政策を一段階すすめる原動力となっていたものは何か。当初ヒトラー個人の反ユダヤ主義をその答えとしていた研究も,彼の意志を実行する政策担当者や遂行者,諸機関・組織が視野に入ってくると,政策決定・遂行における多元性の問題と直面することになった。
以上のような経緯で,ユダヤ人政策史の研究は,第三帝国の支配構造について一定の見解なしには論じられない性格のものとなった。1970 年代後半からドイツ連邦共和国を中心に展開された研究史上有名な論争は,ユダヤ人政策に関していえば上のようなことが背景にあった。私は,いくぶん長く続いた (現在も継続中) この論争には,第三帝国のユダヤ人政策の研究を進化させるという点では,肯定的な面とならんで否定的な面,そして限界があったと考えている。
論争の肯定的な面としては,ヒトラーの世界観 *39 ) を構成する要素として理解された反ユダヤ主義に焦点が当てられたことを指摘できる。論争が第三帝国の意図主義的解釈と機能主義的解釈の優劣をめぐって展開したからである。過度の白熱化という側面を割り引いても,論争によってユダヤ人政策を考察する視野がひろがり,絶滅政策の起源を多角的に考察する下地がつくられたことは,肯定的に評価してもよい。 *40 )
逆に否定的な面としては,意図主義的アプローチにせよ機能主義的アプローチにせよ,第三帝国における抽象的な 「ユダヤ人政策」 を前提とし,これを議論の出発点としていたことをあげることができる。現時点から見れば,このことは論争の性格からして避け難いものであったかもしれない。しかしその結果,ユダヤ人政策とこれを生み出した社会経済構造・状況との関係が後景に退いてしまった。そして,あたかもユダヤ人政策が社会構造・状況とは無関係に,一方では 「ヒトラーの反ユダヤ主義」 (意図主義的解釈) のなかで,他方では互いに競合する政策担当諸機関 (機能主義的解釈) のあいだで自立化し,絶滅政策へと自己変容するものとして描かれてしまったのである。
意図主義的アプローチをとる研究者は,第三帝国のユダヤ人政策を過激化するものとはとらえず,「機が熟し展開していく過程 Reifungs - und Entfaltungsprozeß 」 と理解する。それは彼らが政策の進展を,ヒトラーの反ユダヤ主義の貫徹を「妨げるものが欠落していく Fortfall von Hindernissen 」 過程とみなすからである。 *41 ) 意図主義的アプローチにおいては 「機会だけが問題」 *42 ) なのである。
他方,政策の過激化という点について機能主義的アプローチが示すモデルは,R・ヒルバークのように,独裁者の意図を最短コースで遂行する能力を備えた第三帝国の絶滅遂行機構そのものをその原動力と見なす立場, *43 ) 複数の政策担当機関の間の 「派閥の消長」 (H・ヘーネ) のなかで,個々の局面で相対的にもっとも力のあるものが他を押さえつつ自らの政策を貫徹していくなかで過激な政策が推進されていくというモデルを提示する研究, *44 ) あるいは 「諸機関のカオス Ämterchaos 」 (H・モムゼン) が必然的に生み出す機能を重視し,これが結果的に 「累積的過激化」 *45 ) をもたらしたとする立場などがある。 *46 )
機能主義的な説明の仕方には,ニュアンスや力点の置き方に相違がある。たとえば,ヒルバークの見るところでは,ナチ党員 (ナチ主義者) によって行なわれた個別行動は,行政の次元からみると重要性はなく,行政過程における階梯を形成しなかったとされる。 *47 ) ところがモムゼンの研究では,個別行動も含めた諸機関の活動の全体が,累積的過激化の原因として考察されているのである。
問題は,モムゼンのテーゼにしても,全体的なカオスという無計画性のなかから最終解決の起源がいわば 「デウス・エクス・マキーナ」 *48 ) のごとく出現せざるをえない疑似体系的な考察方法であるということだ。 *49 ) つまり,なぜ混沌状態のなかから最終的に特定の政策が選択されたのかという問いに満足のいく解答を与えるものではないのである。
*35 ) ジョンソンは,ルターの 「ユダヤ人とその嘘 Von den Juden und ihren Lügen ( 1543 ) 」 という小冊子を,「現代的な意味におけるアンティ・セミティズムの萌芽,あるいはホロコーストへの布石」 とのべている。P・ジョンソン/石田,阿川,池田,山田訳 『ユダヤ人の歴史 (上巻) 』 (徳間書店,1999 年),403 頁。こうした考えに対しては,ルターが宗教改革の渦中でユダヤ人をキリスト教に改宗させる試みが失敗した文脈において考察すべきだとする意見もある。L・ズィーヴェルス/清水健次訳 『ドイツにおけるユダヤ人の歴史』 (教育開発研究所,1990 年),84 頁。
*36 ) 下村由一 「反ユダヤ主義とシオニズム」 江口朴郎編 『民族の世界史 15 ― 現代世界と民族』 (山川出版社,1987 年) 所収,146 頁。
*37 ) Volkov, Shulamit, Kontinuität und Diskontinuität im Deutschen Antisemitismus 1978-1945, in: Vierteljahrshefte für Zeitgeschichte (VjZG), 33Jg. 1985, pp. 224, 243.
*38 ) Hilberg, Raul, The Destruction of the European Jews. rev. and definitive ed. Vol.1 (London, 1985) pp. 53-55. 望田,原田,井上訳 『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅 (上) 』 (柏書房,1997 年) 42-43 頁。Schleuness, Karl A., The Twisted Road to Auschwitz. Nazi Policy toward German Jews 1933-1939 (Urbana,1970).
*39 ) 反ユダヤ主義とならんで重要なものは,東方におけるゲルマン人の生存圏 Lebensraum の獲得である。Jäckel, E. Hitlers Weltanschauung. Entwurf einer Herrschaft (Stuttgart, 1969),滝田毅訳 『ヒトラーの世界観』 (南窓社,1991)
*40 ) Jäckel, E., Rohwer, J. (ed.), Der Mord an den Juden im Zweiten Weltkrieg (Stuttgart, 1985).
*41 ) Graml, Hermann, Zur Genesis der Endlösung, in: Büttner, Ursula (ed.), Das Unrechtsregime. Interna- tionale Forschung über den Nationalsozialismus. Bd. 2 (Hamburg, 1986) pp. 3, 7.
*42 ) Dawidowitz, Lucy, The War Against the Jews 1933-1945 (New York, 1975) p. 202, 221. 大谷堅志郎訳 『ユダヤ人はなぜ殺されたか』 (サイマル出版会,1978 年) 221, 239 頁。
*43 ) Hilberg, op. cit., Vol. 1. p. 9. Marrus, Michael, The History of the Holocaust: A Survey of Recent Literature, in: Journal of Modern History, 59, March, 1987, p. 129.
*44 ) Höhne, Heinz, Der Orden unter dem Totenkopf. Die Geschichite der SS (München, 1981) 森亮一訳 『髑髏の結社SS の歴史』 (フジ出版社,1984 年)。
*45 ) Mommsen, Hans, Die Realisierung des Utopischen: Die 'Endlösung der Judenfrage' im 'Dritten Reich,' in: Geschichte und Gesllschaft (GG.) 9 (1983), pp. 381-420.
*46 ) 若干のニュアンスの違いはあるが以下の研究もこれに属する。Schleuness, The Twisted Road. op. cit., Adam, Uwe, Judenpolitik im Dritten Reich (Düsseldorf, 1979), Broszat, Martin, Hitler und die Genesis der Endlösung. Aus Anlaß der Thesen von David Irving, in: VjZG 25 (1977), pp. 737-775.
*47 ) Hilberg, op. cit., Vol.1. p. 53.
*48 ) Deus ex machina 古代ギリシア演劇における機械仕掛けの神で,劇の内容が錯綜した局面でいきなり現われ,混乱した状況に解決を下して物語を収束させ,急場を救ってくれる神。
*49 ) Kulka, Otto D., Die deutsche Geschichtsschreibung über den Nationalsozialismus und die Endlösung.in: Historische Zeitschrift (HZ.) 240 (1985), p. 629. 』
ということで、本日はここまでとさせて頂きます。
続きは次回に♥
ランキング参加中で~す^^ ポチっとお願いします♥
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村

人気ブログランキング


- 関連記事
-
- 国家社会主義のナチ・ドイツと共産主義のソ連が “共有” していた 「反ユダヤ主義の根」 (2022/02/05)
- 米国共産党が支持した 「ニューディール政策」 という社会主義的政策 (2022/02/04)
- マルクスの 『共産党宣言』 とヒトラーの 『ナチ党綱領』 (2022/02/03)
- スターリン = ヒトラーの協定 [ コミュナチ協定 (共産主義・ナチズム協定) ] (2022/02/02)
- ゴミは捨てなきゃ! ~ 社会主義者の言いなり “パペット・キシダ” 率いる ≪ 弱小派閥 ≫ の 『宏池会 (こうちかい) 』 というゴミ (2022/02/01)
- 深酷な不況は共産主義培養の理想的条件 ~ 経済破綻がなければ、ヒトラーが政権を握ることはなかったかもしれない (2022/01/31)
- 無神論と共産主義とナチ・ドイツが創造した “ユダヤ人 ( = ユダヤ教徒)” (2022/01/30)
- 共産主義とナチズムは “全体主義の双生児” である (2022/01/29)
- ヒトラーが公言していた事実 ~ 「ナチス思想は “マルクス主義” と同系統である」 → 知ってたwwwwwwww (2022/01/28)
- “一国一城の主” が多かった、ナチ・ドイツ ( 「第三帝国」 ) 以前のユダヤ系ドイツ人 (2022/01/27)
- 極左過激派のヘレン・ケラー (2022/01/26)
- 親分のソ連・コミンテルン、その子分に過ぎない米国共産党と中国共産党 (2022/01/25)
- パペット・キシダの “新しい資本主義” と “ニューディール” (2022/01/24)
- 「戦争」 を引き起こした 「国際共産主義運動」 (2022/01/22)
- 中共(CCP)の海洋進出に立ちはだかる国々 ~ 中共(CCP)の終わりの始まり(笑) (2021/01/03)