2022-01-25 (Tue)

本日のキーワード : コミンテルン、米国共産党、中国共産党
Comintern
コミンテルン
The Comintern, or Communist International, was an international Communist organization founded by and controlled by the Soviet Union. It was first established in 1919, as a way for the Soviet Union to "export revolution abroad" in its policy of overthrow legitimate regimes; to aid revolutionary Communist parties in other countries and to use foreign Communist parties for espionage and subversion to further Communist goals.
コミンテルン (または国際共産党) は、ソビエト連邦によって設立され、支配されていた国際共産主義組織である。1919 年に初めて設立され、ソ連が合法的な政権を転覆させる政策として 「革命を海外に輸出」 し、他国の革命的な共産党を援助し、外国の共産党をスパイや破壊活動に利用して共産主義の目標を達成するための手段であった。
With his seizure of power in Russia, Soviet General Secretary V.I. Lenin turned immediately to his real goal, world revolution. He invited members of all the old socialist parties to join the Comintern. Many did, and new parties were formed—the Communist Party of France (CPF), the Communist Party of China (CCP), the Communist Party of the United States (CPUSA), the Communist Party of Canada (CPC) and so on, all under the control of the mother party in Moscow (CPSU).
ソビエト書記長レーニンは、ロシアで権力を掌握すると、直ちに彼の真の目標である世界革命に目を向けた。彼は、すべての旧社会主義政党の党員にコミンテルンに参加するよう呼びかけた。フランス共産党 (CPF) 、中国共産党 (CCP) 、アメリカ共産党 (CPUSA) 、カナダ共産党 (CPC) など、モスクワの母体政党 (CPSU) の支配下にある新党が結成されたのである。
Joseph Stalin dissolved the Cominterm in 1943, as the program was designed to infiltrate western democracies, which had wound up to be is allies in the Second World War. He formed the Cominform in 1947 as a succesor, but the Cominform was mainly made up of parties from inside the Soviet Bloc.
ヨシフ・スターリンは 1943 年にコミンテルムを解散した。このプログラムは、第二次世界大戦で同盟国となった西側民主主義国に潜入するためのものだったからだ。スターリンは 1947 年にコミンフォルムを結成したが、コミンフォルムは主にソ連圏内の政党から構成されていた。
The openly proclaimed aim of the Comintern was the overthrow of all "capitalist" governments and the establishment of a universal state under Communist domination. The founding documents of the Comintern explicitly declared that the member parties and movements were to use whatever means, legal or illegal, peaceful or violent, might be appropriate to their situations at any given time.
コミンテルンの公然の目的は、すべての「資本主義」政府の打倒と共産主義支配の下での普遍的国家の樹立であった。コミンテルンの設立文書には、加盟する政党や運動は、合法、非合法、平和的、暴力的にかかわらず、その時々の状況に応じて適切な手段を用いることが明確に宣言されている。
This was the stark specter facing the non-Communist nations in the decades before World War II: a power covering one-sixth of the earth's surface had at its command a global movement that was fighting to wrest control of organized labor everywhere, fomenting revolutions in the colonial regions, vying for the allegiance of the western intelligentsia, and planting spies wherever it could—all with the goal of bringing about Bolshevism to the all of the world's peoples.
第二次世界大戦前の数十年間、非共産圏の国々は厳しい状況に直面していた。それは、地球の 6 分の 1 を占める権力が、世界各地の組織労働者の支配権を奪い、植民地地域で革命を起こし、西側知識人の忠誠を競い、可能な限りスパイを送り込み、世界のすべての人民をボルシェビズムに引き込むことを目標とする世界規模の運動を指揮していたのである。
The Comintern Electronic Archives cites the organization as "The General staff of the world revolution".
コミンテルン電子公文書は、この組織を「世界革命の参謀」と称している。
When the Soviet Union itself was invaded on June 22, 1941, the Comintern switched its position to one of active support for the Allies. A document dated July 11, 1941 making a strategic assessment for the United States War Department entitled Military Intelligence Estimates Prepared by G-2 states “The Comintern through the Soviet Regime is striving for a world revolution in the interests of Communism.
1941 年 6 月 22 日にソ連自身が侵攻される (独ソ戦) と、コミンテルンは連合国を積極的に支援する立場に転じた。1941 年 7 月 11 日付の 「 G - 2 が作成した軍事情報推定」 という米陸軍省向けの戦略評価文書には、「コミンテルンはソ連政権を通じて、共産主義の利益のために世界革命を目指している」と記されている。
The Comintern was publicly disbanded in 1943, however its underground apparatus remained active throughout World War II and into the Cold War era.
コミンテルンは 1943 年に公式に解散したが、その地下組織は第二次世界大戦中も、冷戦時代も活動を続けていた。
The Chinese Communist Party (CCP) was founded as an eastern branch of Soviet Communism, carrying out the imperialism of the Russian Red Army. The CCP constitution passed by the First Congress of the CCP was formulated by the Comintern. The CCP copied the secret and underground means from the Soviet model by which an external illegal organization survived, adopting extreme surveillance and control measures.
中国共産党は、ロシア赤軍の帝国主義を貫くソビエト共産主義の東部支部として設立された。中国共産党第1回大会で可決された中国共産党憲法は、コミンテルンによって策定されたものである。中国共産党は、外部の非合法組織が生き残るための秘密・地下手段をソ連モデルから模倣し、極端な監視・統制策を採用した。
☆“Comintern” Conservapedia
本日の書物 : 『米国共産党調書 外務省アメリカ局第一課作成』 江崎 道朗 扶桑社
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 【日本の外務省】は、【ルーズヴェルト民主党政権とソ連、米国共産党との関係】と、それが【日米関係にどのような影響を与えるのか】、という点に注目し、【次のように指摘】している。
《 1933 年春、ルーズヴェルト大統領が米ソ国交回復を断行したのは、国内の余剰物資の捌け口を求め、ソ連に輸出することで景気回復を図るとともに、満洲問題を中心とした極東政局において日本を牽制しようとしたからだ。
米ソ国交樹立の結果、国内の共産主義運動が活発になる恐れがあるが、ルーズヴェルト大統領はそうした危険性を軽視したわけではない。現に【米ソ国交樹立に際して米国は、米国内で共産主義宣伝をしないことを条件として提示】している。
しかし、【ソ連はその条件を守らず、コミンテルンによる対米工作は強化され、米国内での共産主義運動は活発になってきている】。【しかもルーズヴェルト政権の労働者保護政策は、共産主義者の乗ずるところであり、労働運動も一層激化していく恐れがある】 》 『米国ニ於ケル共産主義運動』
この頃、対中政策をめぐって日米関係は悪化しつつあったのだが、この【日米対立を意図的に煽っている存在こそ米国共産党であり、コミンテルンである】と訴え続けた外交官がいた。在ニューヨーク総領事の【若杉要】である。…

若杉要
語学が得意であった若杉は、商業高校卒でありながら外務書記生として外務省に採用され、米国で苦学をしながら外交官試験に合格し、中国の上海と北京、満洲のハルビン、ロシアのイルクーツク (シベリア) 、イギリスのロンドンなど海外で外交交渉の実務を担当してきた。
若杉は1936 (昭和十一) 年 12 月、専任総領事としてニューヨーク在勤を命じられ、翌年 4 月に着任した。【当時のニューヨークは米国共産党の本部があったところ】であり、【同時に反日親中の宣伝活動もかなり活発であった】。若杉は米国での反日宣伝活動を調べていく過程で米国共産党の存在に気づき、本格的に調査を行ったと思われる。
『米国共産党調書』 が作成されたのは、若杉が外交官として二度目のアメリカ勤務をしたニューヨーク総領事時代のことだ。総領事に着任する前、コミンテルンと中国共産党の活動拠点である上海とハルビン、シベリアなどで対外折衝にあたり、文字通り、国際共産主義運動と戦う最前線にいたわけだ。その豊富な経験があってこそ、あれほど視野の広い、しかも的確な調書の作成も可能になったと思われる。この調書は、内務省警保局と外務省が実に二十年にわたって調査を続けたインテリジェンス活動の集大成ともいうべきものだ。』

少数派のドイツ人の迫害を通したすべてのドイツ人の支配と抑制
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、かつての我が国が保持していたインテリジェンス能力の高さが示されている良書で、大東亜戦争突入前に、すでにアメリカ合衆国内において、世界中の共産党の親玉・ソ連を護るべく、アメリカ共産党が様々な浸透工作を行っていて、その結果、本来であれば全人類の敵である 「共産主義」・「社会主義」・「全体主義」・「独裁主義」の国家であるソ連 から目を逸らさせ、ソ連にとって脅威以外の何ものでもなかった大日本帝国やドイツに攻撃の目を向けさせることに成功し、悲惨な大戦が引き起こされた、つまり 「共産主義者」 が引き起こした戦争であったという歴史的事実を認識することができるお薦めの書物になります。その卑劣な 「共産主義者」 たちの系譜が、今なお続いていることは、現在のアメリカの惨状をみれば明々白々で、今こそ、人類にとっての敵である 「共産主義」・「社会主義」・「全体主義」・「独裁主義」 といった危険な思想 (その亜流も含めて) を地球上から葬り去らなければならない、その必要性を認識しなければならない、と当ブログでは考えております。

それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。
(死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)
※( )内は前回の数値

☆Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE
アメリカ : 845,707(843,590)÷63,617,210(62,712,731)=0.0132・・・(0.0134) 「1.32%(1.34%)」

イタリア : 140,188(139,872)÷8,155,645(7,971,068)=0.0171・・・(0.0175) 「1.71%(1.75%)」

日本 : 18,412(18,408)÷1,808,501(1,789,824)=0.0101・・・(0.0102) 「1.01%(1.02%)」

さて、これまで、ドイツで生まれた「キリスト教神智学(Christian theosophy)」・「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」を出発点として、その後、人為的に造り出された “幻想” であるところのマルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想を経て、ソ連崩壊とともに死滅したかに思われたものの、現在に至るまで一貫して受け継がれていく “信仰” が存在していて、その根底にある、ユダヤ・キリスト教的な 「贖罪(しょくざい)」 の意識により、さまざまな “アイデンティティ” を次から次へと粗製濫造することによって、「贖罪」の対象物として “罪” を創り出し、自らの罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いを果たそうと躍起になっている、そんな 「極左おパヨク」 に繋がる一連の系譜について確認して参りました。
ここで御理解頂きたいのは、そんなおバカな 「極左おパヨク」 は、飽くまでも、ある連中が果たそうとしている、ある目的の達成のための道具でしかないということです。
その目的とは、さまざまな “アイデンティティ” を意図的に粗製濫造することで、社会分断を行い、到底達成不可能な目標である “平等 (equality)” を強要(←全人類の均一化・同質化などは不可能であることは自明です!)し、多くの人々に対して自己抑圧的な態度の徹底を促し(←これが、ポリコレw)、人々の “自由” を奪う極めて権威主義的な統制社会の再構築を目指す、というものです。
では、なぜ、それを目指そうとするのでしょうか?
それは、「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」のもとで、ある連中にとって非常にコントロールしやすい社会が構築できるからです。

その「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」については、これまたドイツ出身の社会学者・歴史学者であり、マルクス主義者で、エリート理論の信奉者で、ファシズム(全体主義者)でもあったロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)が提唱した仮説である 『寡頭制の鉄則』 (iron law of oligarchy)について確認をしてきましたが、そこにもやはり「キリスト教神智学(Christian theosophy)」・「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」の影響を見ることができました。

ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)
また「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」と同根の言葉である「オリガルヒ(oligarch)」につきましても、ロシアやウクライナの事例を参照して、それがいまから数十年前に、マルクス主義が生み出した “社会主義・共産主義の幻想” が瓦解・崩壊する過程で作り出されたものであることを確認し、そこには少なからぬ 「ユダヤ人 (=ユダヤ教徒)」 が存在していることも判明いたしました。さらには、ウクライナとユダヤ人 (=ユダヤ教徒) と特異な関係を、ウマン (ウーマニ) 巡礼の形成の歴史を通じて確認することができました。
そこで、本日からは “ユダヤ人” (民族としては定義され得ない、単なる宗教信者のグループ) という存在に着目し、より一層理解を進めるために、、次の論文を見て参りたいと思います。

☆『ナチ・ドイツにおける経済の脱ユダヤ化 ― 1938年十一月ポグロムの社会経済的背景 ―』 山本達夫
それでは早速、見て参りましょう。
『 序章 第三帝国の社会史と経済の脱ユダヤ化
1.本研究の目的
本研究は,ナチ・ドイツ ( 「第三帝国」 *1 ) ) における経済の脱ユダヤ化 Entjudung der Wirtschaft とよばれる局面を考察するものである。ユダヤ系ドイツ人住民から財産・生活手段を奪った経済の脱ユダヤ化は,ユダヤ人絶滅政策 (ホロコースト) の開始前では最大規模かつ深刻なユダヤ人迫害であった。
生活基盤を根こそぎ剥奪する経済の脱ユダヤ化は,ドイツ・ユダヤ人にとって文字通り死活問題であった。同時に経済の脱ユダヤ化は,ドイツ人の人生設計も崩壊させるものであった。長田は 『われらユダヤ系ドイツ人』 において,ドイツ・ユダヤ人が 「ユダヤ系のドイツ国民」 であった事実をふまえ,ホロコーストが 「多数派のドイツ人による少数派のドイツ人の殺害」 であったと喝破している。*2 ) 長田にならっていうと,経済の脱ユダヤ化は 「少数派のドイツ人の迫害を通したすべてのドイツ人の支配と抑制」 であったといえる。ある経営者が 「ユダヤ人」 とされたり,ある経営が 「ユダヤ営業経営」 と定義されたりした場合,その経営は一部を除いて清算または閉鎖され,その経営を生活基盤としていたドイツ人従業員も同時に解雇または他所に労働投入されたからである。
経済の脱ユダヤ化は,ドイツ・ユダヤ人のみならずドイツ経済社会全体にも大きな影響を与えた政策であった。ところがわが国のドイツ現代史研究は,この問題をユダヤ人政策の一部としてのみとりあつかい,これを独立した研究として考察することはなかった。*3 )
本研究は,これまで等閑視されてきた経済の脱ユダヤ化の局面を,第三帝国の社会経済体制をとおして分析することを目的とする。そのさい,ドイツ・ユダヤ人がドイツ繊維・衣料産業分野において占めた特別な地位をかんがみて繊維・衣料産業を考察の中心におく。この考察をとおして,1938 年11 月のユダヤ人ポグロム (いわゆるクリスタルナハト) の原因を社会経済的に明らかにしたい。本研究は,経済社会的な観点からするホロコースト研究の新しい視点を補強するはずである。
ホロコースト研究の新しい視点とは,ドイツの研究者ゲッツ・アリ Aly, Götz らが提唱する方法である。従来のホロコースト研究は,反ユダヤ・イデオロギーから説明する研究が圧倒的に多かった。これに対してアリは,「ホロコーストの経済」 という観点から,ユダヤ人絶滅政策を東方占領地政策 (経済振興政策や都市計画) 全体の枠内で考察することを提唱した。ホロコーストが,反ユダヤイデオロギーを基礎としつつも,他面では冷酷な経済合理性の枠内で計画的に実行されたことを解明したのである。*4 ) こうした研究によってアリは,ホロコースト研究に新たな視点から切り込む研究者として知られるようになった。アリは最近の第三帝国のユダヤ人政策研究についてつぎのように論じている。
「ナチ・ドイツのユダヤ人政策が,直接 『ユダヤ人問題』 に関係する文書から解明されないということは,いまでははっきりしている。むしろ最終的に殺人的迫害政策に流れ込んだ多くの政治的,物質的利害が研究の自明の構成部分となってきている。こんにち,まじめな歴史家であれば,『ヒトラーの偏執狂』 や 『親衛隊の人種妄想』 にヨーロッパ・ユダヤ人殺害の主たる責任,いわんや唯一の責任を負わせることはないだろう」。*5 )
アリのこの提言は,1980 年代以降の研究史の文脈からいえば,第三帝国の社会史・日常 (生活) 史研究の進展がもたらしたものである。1970 年代後半の経済成長の停滞とともに顕在化したさまざまな問題が,ヨーロッパの 「近代」 に対する反省として問い直されることになった。こうした時代状況のもと,地域や女性,家族,日常生活,広い意味での文化に注目する動きが出てきた。*6 ) 民衆の目線に立って彼らの行動様式に注目する研究は,政治・社会体制の違いを超えた 「近代社会」 の性格を人びとの生活態度をとおして浮き彫りにすることになった。こうした展望はイデオロギーや政策決定過程のみを重視する従来の研究からは生じえなかったものである。
「下からの社会史」 研究の進展は,第三帝国のユダヤ人政策に関していえば以下のような成果をもたらした。まず,従来の研究においてもその事実は知られていたものの,相互の関連が必ずしも明確にされないまま個別に考察されてきた事象が注目されるようになったことである。たとえば,安楽死政策,社会経済政策,福祉政策,労働政策,統計行政,都市住宅行政,占領地行政などが,ユダヤ人政策との関連において新たな意味をもつようになった。もうひとつは,第三帝国の 「近代的」 「合理的」 な側面と暴力的・野蛮的な側面を見据えながら諸政策相互の背景と意味が総合的に分析されるようになったことである。つまり一見合理的・進歩的にみえるものの中にひそむ野蛮性が注目され,「近代」 や 「近代性」 がナチズムと現代をつなぐ共通の指標として認識されるようになったのである。*7 ) 第三帝国のユダヤ人迫害は,「野蛮」 な 「前近代」 から 「合理的で洗練された」 「近代」 の日常生活のなかに入り込んでくることになる。
第三帝国のユダヤ人政策を考察する場合,絶滅政策がまだ開始されない戦前期を 「ふつう」 の状況とみなすのは常識的な理解であろう。「下からの社会史」 研究の進展によって,第三帝国の 「日常 (ふつう) 」 と 「非日常」 とのあいだの境界があいまいであることが明らかになった。すると 「ふつうの状況」 をつくり出し,維持した社会経済的基盤や人びとの意識構造が注目されるようになった。「犠牲者たちはまず,行政的見地からだけではなく社会的にも,多数派社会から排除された状態に置かれる必要があった。そうしてはじめて最終的に犠牲者たちの絶滅ということが起こり得たのである」 という社会心理学者ヴェルツァーの指摘 *8 ) は,この意味において重要である。
「まだ比較的文明の灯りの見えていたふつうの状況」 (H・ゲンシェル) *9 ) に,あらためて注目する意義はここにある。第三帝国における経済の脱ユダヤ化の分析は,これを可能にした客観的諸条件,その社会経済的背景の解明をとおして,爛熟期の第三帝国の社会史研究へつながっていく。具体的な反ユダヤ行動の現れ方を分析することで第三帝国の社会の実態を解明することが可能になる。第三帝国下のさまざまな機関,組織,多数の個人が関与し,またユダヤ営業経営の定義問題をはじめ,ナチ社会経済体制を根底から揺るがしかねない多くの問題が未解決のまま断行された経済の脱ユダヤ化は,ユダヤ人政策という視角から矛盾に満ちたナチ体制を照射する分析素材なのである。
*1 ) 「第三帝国」 は,現在わが国においてドイツ史の時期区分として通用している。もともとはフィオレ Fiore, Joachim von ( 1130 頃 ~ 1202 ) などの中世神学者の終末思想において 「父の国」 「子の国」 に続く 「精霊の国」 として想定されていた。近代に入るとロマン主義者や保守革命の主唱者がこのことばを使い,たとえばブルック Bruck, Arthur Moeller van den (1876 - 1925 ) は,神聖ローマ帝国 ( 962 - 1806 ),ドイツ帝国 ( 1871 - 1918 ) に連なる新国家の建設を求めた。「第三帝国」 は,ナチ党の政権掌握局面ではそれなりに有効であったが,現実のナチ党支配の中で新鮮みを失った。ライヒ宣伝省は 1939 年 7 月,「第三帝国」 に代えて 「Großdeutsches Reich」 ( 「大ドイツ国」 ) を称揚するよう指示した。F・スターン / 中道寿一訳 『文化的絶望の政治 ― ゲルマン的イデオロギーの台頭に関する研究 ― 』 (三嶺書房,1988),246-349 頁。
*2 ) 長田浩彰 『われらユダヤ系ドイツ人 ― マイノリティからみたドイツ現代史 1893 - 1951 ― 』 (広島大学出版会,2011 年),464 頁。
*3 ) 大野英二 『ナチズムと 「ユダヤ人問題」 』 (リブロポート,1988 年),栗原優 『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ― ホロコーストの起源と実態 ― 』 (ミネルヴァ書房,1997 年),南利明 『ナチス・ドイツの社会と国家 ― 民族共同体の形成と展開 ― 』 (勁草書房,1998 年)。個別研究としては,拙稿 「四カ年計画下の第三帝国のユダヤ人政策 ― 『偽装アーリア化』 と 『六月行動』 ― 」『千葉史学』 19 (1991 年12 月),同 「クリスタルナハトとホロコースト ― 過去のイメージと歴史の研究 ― 」,同 「第三帝国における 『経済の脱ユダヤ化』 関連重要法令Ⅰ・Ⅱ」 『総合人間科学』 2,3 ( 2002 年,2003 年),同 「第三帝国の社会史と 『経済の脱ユダヤ化』 」 『東亜大学紀要』 5 ( 2005 年11 月)。なお,この問題にかんする最近の論考は補償問題を軸とした実証研究である。武井彩香 『戦後ドイツのユダヤ人』 (白水社,2005),同 『ユダヤ人財産はだれのものか ― ホロコーストからパレスティナ問題へ ― 』 (白水社,2008 年)
*4 ) Aly, Götz, Heim, Susanne (et. al.), Sozialpolitik und Judenvernichtung. Gibt es eine Ökonomie der Endlösung ? (Berlin, 1983 )
*5 ) Aly, Götz, Die vielfachen Tatbeiträge zum Mord an den europäischen Juden. Diesseits von Hitler und der SS: Zum sechzigsten Mal jährt sich am 20. Januar der Tag, an dem die Wansee-Konferenz stattfand.in: Frankfurter Allgemeine Zeitung vom 15. Januar 2002.
*6 ) D・ポイカート / 木村靖二・山本秀行訳 『ナチス・ドイツ ― ある近代の社会史 ― 』 (三元社,1991 年) 山本秀行による 「訳者解説」 432-433 頁。
*7 ) 川越修,矢野久編 『ナチズムのなかの 20 世紀』 (柏書房,2002 年),川越修 『社会国家の生成 ― 20 世紀社会とナチズム ― 』 (岩波書店,2004 年)
*8 ) Welzer, Harald, Vorhanden / Nichtvorhanden. Über die Latenz der Dinge. in: Fritz Bauer Institut (ed.), "Arisierung" im Nationalsozialismus. Volksgemeinschaft, Raub und Gedächtnis (Frankfurt/M., 2000), pp.294-295.
*9 ) Genschel, Die Verdrangung der Juden aus der Wirtschaft im Dritten Reich (Göttingen, 1966 ), p. 3. ゲンシェルはこれを,「戦争という例外状況」 と明確に区別している。 』
ということで、本日はここまでとさせて頂きます。
続きは次回に♥
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