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    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  国際 >  「民主主義のための国家基金 (NED) 」 とアメリカの干渉主義者 (ネオコン)

    「民主主義のための国家基金 (NED) 」 とアメリカの干渉主義者 (ネオコン)

    NED logo

    本日のキーワード : 全米民主主義基金 (NED)、ネオコン、干渉主義



    全米民主主義基金(ぜんべいみんしゅしゅぎききん、National Endowment for Democracy, NED 「民主主義のための国家基金」レーガン政権時代の1983年に「他国の民主化を支援する」名目公式には「民間非営利」として設立された基金実際の出資者はアメリカ議会でありこれは基金の年次報告書に掲載される会計報告で確認出来る

    1982 年にレーガン政権により 「アメリカ政治財団」 (American Political Foundation) の研究による提案という形で設立が決定されたそれはこれまでアメリカ中央情報局 (CIA) が非公然でやってきたことを公然とやる目的をもったものだった

    NED は多くの場合他国の野党の候補に資金提供を続けてきた直接政党に交付することは法に触れるため多くの場合例えば学生による投票キャンペーンのような形で行われる

    2008 年には国境なき記者団への支援が暴露されている

    2011年10月、「アラブの春」のリーダーの一人でチュニジアの活動家 Jamel Bettaieb に賞(2011 Oxi Day Award)を授与するNED代表カール・ジャーシュマン(左から2人目)。
    2011年10月、「アラブの春」のリーダーの一人でチュニジアの活動家 Jamel Bettaieb に賞(2011 Oxi Day Award)を授与するNED代表カール・ジャーシュマン(左から2人目)



    本日の書物 : 『アメリカ民主党の崩壊 2001 - 2020 』 渡辺 惣樹 PHP研究所



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 結局、【オバマ】新政権は、【イラク戦争は成功だったとする解釈を前提にした外交を開始】した。【それが 「ヒラリー外交 ( 「アラブの春」 外交) 」である】アラブ諸国のレジームチェンジを念頭に、各地で民主化運動を支援した。

    オバマ 内緒

     【アラブの春はチュニジアから始まった】。2010 年 12 月 17 日、露天商モハメド・ブアジジが焼身自殺した。腐敗した政府への抗議の死だったと報道された。チュニジアでは、この事件をきっかけに反政府運動に火がつき、翌 11 年 1 月 14 日には、ベン・アリー大統領は国外に逃亡した。23 年間最高権力者にあった男はあっけなく消えた。【チュニジアの 「民主化」 成功 (ジャスミン革命) は、中東各国に飛び火した】オマーン、エジプト、モロッコ、シリア、ヨルダンで反政府運動が始まった

    オバマ 123

     2 月 11 日、エジプトのムバラク大統領が辞任し、すべての権限は軍最高評議会(SCAF)に移譲された。この 4 日後にはリビアで反カダフィ (最高指導者) の武装闘争が始まった。リビア北部の首都 (港湾都市) トリポリで火のついた闘争は次第に各地に飛び火した。8月に入ると、トリポリ攻防戦が始まった。反政府グループ (国家権限移譲委員会 NTC : National Transitional Council) とカダフィ勢力の戦いは、20 日から 28 日まで続いた。NTCがトリポリを制圧するとカダフィは逃亡し、同政権は崩壊した。10 月 20 日、逃亡していたカダフィは、スルト (北部港湾都市) で拘束され、嬲 (なぶ) り殺された。これほどあっけなくカダフィ政権が崩壊したのは、2011 年 3 月から国連安保理決議に基づいてNATO軍が反政府組織を援護する空爆を続け、政府軍を弱体化させていたからだった (リビア崩壊の顛末については次章で詳述する)。

     シリアのアサド大統領は【中東各地で広がる反政府運動の後ろ】に【外国勢力の暗躍がある】ことを見て取り全国民が結束して反政府運動に抵抗しなくてはならないと訴えた ( 2011 年 1 月 10 日)。2 月 3 日、アサドは、反政府勢力 (自由シリア軍) の蔓延 (はびこ) る西部の町ホムスを攻めた。

     同年 6 月、【エジプトで大統領選挙】があった。【新大統領にはアメリカで教育を受けた、ネオコンお気に入りのムハンマド・ムルシーが当選】した。シリア (アサド大統領) は【アラブの春の背後に蠢 (うごめ) くアメリカの干渉主義者 (ネオコン) の動き】を確信した

    ムハンマド・ムルシー
    ムハンマド・ムルシー

     一人の露天商の自殺をきっかけに、【なぜ中東各国で反政府運動が同時的に起きたのだろうか】。みなイスラム国であり、独裁体制が続いていたとはいえ、その成り立ちや経済状況あるいは独裁の程度などにはばらつきがある。【各国の反政府運動が一斉に活発化したのはなぜなのか】その不思議さを解く鍵は【ネオコン主導で創設】された【アメリカ国内のNGO (非政府組織) 諸グループの動き】にあった中でも注目すべきなのが【 「民主主義のための国家基金 ( NED : National Endowment for Democracy) 」 】であった【NEDが 「アラブの春」 なる交響曲の指揮者だった】。』

    日の丸

    アメリカへの入国を禁止された人々


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、アメリカ民主党およびネオコンが、どのような考え方に基づき過去さまざまな悪事を働いてきたのか、そして、何故前回のアメリカ大統領選挙において大規模な不正工作を行ってまでも権力を奪取しようとしたのかそこに至る大きな流れを時系列で詳細に解説がなされた良書で、現在のアメリカで何が起こっているのかを正確に理解するための必須の書物になります。

    読書 10-072

    それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。

    (死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)

    ※(  )内は前回の数値

    allocart.jpg
    Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE

    アメリカ : 726,919(725,821)÷45,083,555(45,019,416)=0.0161・・・(0.0161) 「1.61%(1.61%)」
    allocart1.jpg

    イタリア : 131,655(131,585)÷4,722,188(4,719,493)=0.0278・・・(0.0278) 「2.78%(2.78%)」
    allocart2.jpg

    日本 : 18,156(18,129)÷1,716,117(1,715,745)=0.0105・・・(0.0105) 「1.05%(1.05%)」
    allocart3.jpg















    egdusyed.jpg
    【日本語訳】 U.S. DEPARTMENT of STATE / Fact Sheet : Activity at the Wuhan Institute of Virology  (米国務省 / ファクトシート : 武漢ウイルス研究所での活動)

    さて、これまで、ドイツで生まれた「キリスト教神智学(Christian theosophy)」「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」出発点として、その後人為的に造り出された “幻想” であるところのマルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想を経て、ソ連崩壊とともに死滅したかに思われたものの現在に至るまで一貫して受け継がれていく “信仰” が存在していて、その根底にあるユダヤ・キリスト教的な 「贖罪(しょくざい)」 の意識により、さまざまな “アイデンティティ” を次から次へと粗製濫造することによって、「贖罪」の対象物として “罪” を創り出し自らの罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いを果たそうと躍起になっているそんな 「極左おパヨク」 に繋がる一連の系譜について確認して参りました。



    ここで御理解頂きたいのは、そんなおバカな 「極左おパヨク」 は、飽くまでも、ある連中が果たそうとしている、ある目的の達成のための道具でしかないということです。

    その目的とは、さまざまな “アイデンティティ” を意図的に粗製濫造することで、社会分断を行い到底達成不可能な目標である “平等 (equality)” を強要(←全人類の均一化・同質化などは不可能であることは自明です!)し、多くの人々に対して自己抑圧的な態度の徹底を促し(←これが、ポリコレw)、人々の “自由” を奪う極めて権威主義的な統制社会の再構築を目指す、というものです。

    では、なぜそれを目指そうとするのでしょうか?

    それは、「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」のもとである連中にとって非常にコントロールしやすい社会が構築できるからです。

    ポイント 女性

    その「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」については、これまたドイツ出身の社会学者・歴史学者であり、マルクス主義者で、エリート理論の信奉者で、ファシズム(全体主義者)でもあったロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)提唱した仮説である 『寡頭制の鉄則』 (iron law of oligarchy)について確認をしてきましたが、そこにもやはり「キリスト教神智学(Christian theosophy)」「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」の影響を見ることができました。

    ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)
    ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)

    また「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」同根の言葉である「オリガルヒ(oligarch)」につきましても、ロシアやウクライナの事例を参照して、それがいまから数十年前にマルクス主義が生み出した “社会主義・共産主義の幻想” が瓦解・崩壊する過程で作り出されたものでることを確認し、そこには少なからぬ 「ユダヤ人 (=ユダヤ教徒)」 が存在していることも判明いたしました。さらにはウクライナとユダヤ人 (=ユダヤ教徒) と特異な関係をウマン (ウーマニ) 巡礼の形成の歴史を通じて確認することができました。

    そこで、現在そのユダヤ人 (=ユダヤ教徒) なるものに焦点をあてているところになります。参考にさせて頂いているのは次の論文になります。

    gefsfdujaw.jpg
    『アメリカにおける日系人差別とユダヤ人 -1906年から1988年を中心に-』駒込 希



    それでは早速、続きを見て参りましょう。

    『 第 4 章 アメリカのユダヤ人と 1952 年移民国籍法

    第 1 節 アメリカの移民法の変遷と 1952 年移民国籍法の制定

     1952 年移民国籍法を検証する上でアメリカにおける移民法の変遷を整理することは必要不可欠であるよってここでは日本人のアメリカへの本格的な移住が開始された 19 世紀後半から 1952 年移民国籍法制定までの主要な移民法の変遷をたどる

     19 世紀後半実際に機能するものとしてはじめて規制的移民法がアメリカで制定された。それは、1882 年移民法 (Immigration Act of 1882) である1882 年移民法は有罪判決が確定している既決囚精神異常者心神喪失者そして生活保護に頼らざるを得ない者のアメリカへの入国を禁止した





    そして、その後、1882 年移民法は 1885 年移民法 (Immigration Act of 1885) と 1887 年移民法 (Immigration Act of 1887) で修正され、契約労働者の入国が禁止された。また、1888 年移民法 (Immigration Act of 1888) での修正では、移民法に違反して入国した者の国外追放が可能となり、その後も、この法律は 1889 年移民法 (Immigration Act of 1889)、1891 年移民法 (Immigration Act of 1891)、そして、1895 年移民法 (Immigration Act of 1895) とさらなる修正が加えられていった (蓑原 2002, 79-80)。

     さらに、1882 年には、排華移民法が制定された。蓑原によれば、「これは、アメリカ移民法史における、最初の差別的移民法であった」 という (蓑原 2002, 79)。この排華移民法は、19 世紀半ばのゴールド・ラッシュの影響により、大量の中国人移民がアメリカへ入国したこととアメリカの経済不況に起因する。中国人移民の多くは、アメリカ社会に同化せず母国の文化を維持し、また、低賃金労働者であったため、白人労働者の不満が高まったのであった。

     20 世紀に入り、1903 年移民法 (Immigration Act of 1903) では、入国者の政治思想、病気、経済状況なども規制の基準とされ、入国規制の枠が拡大されていった。その後、1907 年移民法 (Immigration Act of 1907) において 1903 年移民法が修正され、アメリカ本土以外を目的地とした旅券によるアメリカ本土への入国を拒否できる条文が加えられた。この 1907 年移民法のアメリカ本土以外を目的地とした旅券に関する条文は、本研究の第 2 章第 1 節で詳述した学童隔離事件とのかかわりが深い。これは、1908 年に締結された日米紳士協定の交渉における重要事項であり、アメリカによる最初の日系人の入国規制であった。

     このように、アメリカでは移民を規制する動きが強まっていったが、それはアジア系の移民に限ったことではなかった。1890 年代後半からは、ヨーロッパからの新移民を規制するために、幾度となく識字テストの移民法への導入法案が議会に提出されていた。移民法への識字テストの導入を試みた法案は、しばらくの間、これを阻止しようとする団体 (41) や大統領の拒否権により立法化されることはなかったものの、1917 年移民法 (Immigration Act of 1917) において現実のものとなった。1917 年移民法は、識字テストの導入のほかに、日本、中国、フィリピンを除くアメリカへの入国を認めないアジア地域を指定し、アジア禁止地帯を設定した。この 1917 年移民法について、蓑原は 「中国人移民は、排華移民法によって締め出され、他方、アメリカの植民地であったフィリピンからの移民も、読み書き能力試験、および極貧困者入国禁止条項によって事実上入国を拒否されていた。そのため、一九一七年移民法は、日本人を除く完全な東洋人移民排斥法に等しかった。つまり、同移民法は、移民として相応しいか否かを判断する新基準として、人種を基礎移民法に取り入れたことを意味したのである」 と述べる(蓑原 2002, 86)。


    注 (41)
     髙佐によれば、1906 年およびその後の識字テストに関する法案を廃案に追い込む運動をリードしたのは、ユダヤ人が主催した全国自由移民同盟 (National Liberal Immigration League) であった (髙佐 1998, 54)。 』


    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。









    続きは次回に♥




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