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    親子チョコ💗(400冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

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    ミクロ経済学で考える 「価格切り下げ競争」 ~ 客 (大衆) は馬鹿ではありません!

    A storm is coming 14

    本日のキーワード : 価格競争、寡占、寡頭制、デモクラシー



    価格競争(かかくきょうそう、英: price competitionとは商品・サービスの市場における競争のうち、価格の安さを競うもの「値引き競争」「値引き合戦」とも

    価格競争が行われるとたいていは商品ごとの粗利が小さくなり営業利益を押し下げしばしば企業の経営状態を悪化させひどい場合は企業は赤字や倒産に陥る競合企業の全てが価格競争にばかり注力すると過熱ししばしば泥沼のような価格競争に陥る





    本日の書物 : 『ミクロ経済学 戦略的アプローチ』 梶井 厚志 松井 彰彦 日本評論社



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 【市場に複数だが少数の売り手がいるような状況】【寡占】と呼ばれます。【独占のときと比べて寡占の分析は格段に難しくなります】。ライバルが出現した途端、いろいろなことが起こってしまったのもそのためです。というのも、【寡占】の場合には【独占のときにはなかった新たな要素、戦略的なやりとりが生じる】からです。自分が儲けるためには、相手がどう出てくるかを考えなければならない。相手がこう来たら自分はこうやる。しかし、相手もきっと自分がこのように考えてくることを予測して行動するだろうから、【相手がどうくるかは相手が自分の行動をどう読んでいるかに依存する】。だから、それを読みながら行動するが、【相手もそれをさらに考えて行動するはず】だ、という具合に、【戦略思考は限りなく続いていきます】

     残念ながらこのような複雑な状況を完全に分析して答えはこれだ、と結果をぴたっと予測してしまうような便利な理論はありません。しかし、それでは何も言うことはできないか、というとそんなこともありません。起こり得る状況とその論理的構造を知ることで理解は格段に深まります。【現代の経済学で重要な位置を占めるにいたったゲーム理論が捉えようとしているのは、まさにこの戦略的思考と行動決定の構造です】本書ではこれから戦略的思考とゲーム理論を中心にして経済学を考えていきます。ゲーム理論を用いた分析がどのようなものになるのか、てはじめに上で見た【価格切り下げ競争】を考えて見ましょう。』

    日の丸

    ロベルト・ミヘルスの “悲観的な大衆観” ~ ミヘルスって何様のつもり?


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、実際に大学生が教わる 「ミクロ経済学」 が、どういった考え方を学ぶものなのか、を一般的な教科書とはまったく違った形で記述されている正真正銘の教科書で、これまで 「ミクロ経済学」 に一度も触れたことがない人やもう一度勉強してみようという人にお勧めの書物になります。また、社会人で、論理的な思考を身に付けたいという方々にもお勧めで、論理的な思考である 「ゲーム理論」 の考え方が非常に分かりやすく理解できる良書になります。

    読書 4-96

    それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。

    (死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)

    ※(  )内は前回の数値

    okploooi.jpg
    Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE

    アメリカ : 599,023(598,546)÷33,433,367(33,422,193)=0.0179・・・(0.0179) 「1.79%(1.79%)」
    okploooi1.jpg

    イタリア : 126,924(126,855)÷4,241,760(4,239,868)=0.0299・・・(0.0299) 「2.99%(2.99%)」
    okploooi2.jpg

    日本 : 13,936(13,871)÷772,293(770,357)=0.0180・・・(0.0180) 「1.80%(1.80%)」
    okploooi3.jpg





















    egdusyed.jpg
    【日本語訳】 U.S. DEPARTMENT of STATE / Fact Sheet : Activity at the Wuhan Institute of Virology  (米国務省 / ファクトシート : 武漢ウイルス研究所での活動)

    さて、これまで、ドイツで生まれた「キリスト教神智学(Christian theosophy)」「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」出発点として、その後人為的に造り出された “幻想” であるところのマルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想を経て、ソ連崩壊とともに死滅したかに思われたものの現在に至るまで一貫して受け継がれていく “信仰” が存在していて、その根底にあるユダヤ・キリスト教的な 「贖罪(しょくざい)」 の意識により、さまざまな “アイデンティティ” を次から次へと粗製濫造することによって、「贖罪」の対象物として “罪” を創り出し自らの罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いを果たそうと躍起になっているそんな 「極左おパヨク」 に繋がる一連の系譜について確認して参りました。



    ここで御理解頂きたいのは、そんなおバカな 「極左おパヨク」 は、飽くまでも、ある連中が果たそうとしている、ある目的の達成のための道具でしかないということです。

    その目的とは、さまざまな “アイデンティティ” を意図的に粗製濫造することで、社会分断を行い到底達成不可能な目標である “平等 (equality)” を強要(←全人類の均一化・同質化などは不可能であることは自明です!)し、多くの人々に対して自己抑圧的な態度の徹底を促し(←これが、ポリコレw)、人々の “自由” を奪う極めて権威主義的な統制社会の再構築を目指す、というものです。

    では、なぜそれを目指そうとするのでしょうか?

    それは、「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」のもとである連中にとって非常にコントロールしやすい社会が構築できるからです。

    ポイント 女性



    さて、現在、ドイツ出身の社会学者・歴史学者であるロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)提唱した仮説である 『寡頭制の鉄則』 (iron law of oligarchy)について、一層理解を深めるために次の論文を参考にしながら考えているところになります。

    ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)
    ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)

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    『「寡頭制の鉄則」再考 : R・ミヘルスにおけるDemokratieとDemokratismus』 金山 準

    予め理論の概要について、Wikipediaから以下に転記させて頂きます。

    『 理論の概要

    ● あらゆる組織 ・集団 (共同体、団体) は、規模が拡大すれば必ず少数の指導者による支配が実現される。
    ● 組織 ・集団は、目的を実現するために多数の成員を集め、社会における発言権を強化しようとする。
    ● 成員が増加して規模が拡大していくにつれて、巨大な組織 ・集団の運営が複雑化 ・専門化していく (官僚制化)。
    ● 一般の成員は、複雑化 ・専門化した組織・集団を管理する技能を持たないため、少数の指導者たちに運営を任せ、依存するようになる。
    ● このことが少数の指導者たちが強大な権限を確保させ、一般成員の支配を可能とする。
    ● そして指導者たちは地位を保持するために自らを批判する者たちを排除しようとする (このことをミヒェルスはボナパルティズムと呼んでいる)。指導者らは自らが一般の成員から選ばれたことを根拠にして自らが民主制に則っていると主張するそのうえで批判する者を「反民主的」ないし 「反体制的」 「社会転覆を画策している」 などのように中傷する
    さらに一般成員からの批判に対しては指導者が辞意を表明して組織崩壊を暗示させることにより批判をねじ伏せその地位を強化していく
    ● たとえ、一般成員の批判によって既存の指導者たちが辞任に追い込まれても結局は指導部が入れ替わるだけで本質的に寡頭制のしくみ自体は変わることがない

    以上の事柄は巨大化した組織 ・集団が目的を実現するためには強い団結と統一した集団行動が必要不可欠となりその結果一般成員 (大衆) は少数の指導者に強大な権限を与えそれに服従しなければならなくなるということを示しているつまり民主主義・平等社会実現のために組織 ・集団内において民主主義 ・平等主義を捨て去らねばならないということである

    したがって少数者による支配はあらゆる組織 ・集団において貫徹される不可避の鉄則となるというのがミヒェルスの寡頭制理論の概要である。』


    女性 ポイント ひとつ

    それでは早速、続きを見て参りましょう。

    『 Ⅲ. デモクラシーと寡頭制

     前章で確認したミヘルスの分析の特徴、すなわち、(人間による自然支配の反転としての) 事物や自然による人間支配というモチーフは、彼のファシズムとの関係を考えるうえでも重要な特徴であり、その点は後段で触れる。本章の検討対象は、この分析の前提にあるデモクラシーならびに寡頭制概念の内実である。この点についての検討を通じ、前章で検討したミヘルスの現実認識に対する彼自身の態度を明らかにすることが目的である。

    1. 理想主義者 ?

     ミヘルスは、『政党』 第六部第三章 「最終考察」 の冒頭において、ルソー 『社会契約論』 第三篇第四章より以下の一節を引いている


     デモクラシーという言葉の意味を厳密に解釈するならば、真のデモクラシーはこれまで存在しなかったし、これからも決して存在しないだろう。多数者が統治して少数者が統治されるということは自然の秩序に反する。


     『政党』 冒頭でミヘルスは、自らが人民主権の問題を扱うことを宣言していた。つまりミヘルスは人民主権とデモクラシーを同一視しておりルソーのこの主張を人民主権の不可能性をルソー自らが述べたものとして引用していることは明らかである。これを受けてミヘルスを論じる者の大半がミヘルスをルソー的な直接デモクラシー論者であるとしてきたしかしそれは明らかに正しくない。もちろんそれは、ルソーが国家の場でのデモクラシーを論じたのに対し、ミヘルスが検討対象としたのは政党組織におけるデモクラシーである、という意味ではない。『政党』 においてミヘルスは、「組織」 であるという点において国家組織と政党組織とを根本的に区別していないからである。むしろ彼らの相違は両者のデモクラシー観の実質に関わる

     まずルソーについて確認すれば、そもそもルソーのデモクラシー概念は、彼の人民主権論とは次元を異にするものであった。彼の述べる 「民主政 Democratie」 ・ 「君主政 Monarchie」 ・ 「貴族政 Aristocratie」 とはあくまで、「主権者 Souverain」 に対置される意味での 「統治 Gouvernement もしくは最高行政 supremeadministration」 の分類でしかない。よってルソーが上掲の一節でデモクラシーの可能性を否定することは、彼自身にとっては自らの人民主権論を否定するものではまったくなかった。

     ミヘルスは意志決定の場における選挙制度を欺隔と見なす点ではたしかにルソーと同様であるしかし以上のように、ルソーにとっては執行と立法の分離は大前提であったそれに対してミヘルスの組織論 ・官僚制論は執行と意志決定の分離自体を執行機関の自立化によるデモクラシーの形骸化への一プロセスであるとして批判対象にするものだったはずである (本稿 ll-1 参照)。このような意志決定と執行の分立から生じるデモクラシーの形骸化に対する批判は社会主義者による議会制民主主義批判と軌を一にするといえるだとすればミヘルスは「人民の意志」 が貫徹されうるためのよりラディカルな政治体制 (例えば社会主義的デモクラシー観) をデモクラシーを論じる際の基準と考えていたのだろうかしかしそれもおそらく正確ではないそれは彼の悲観的な大衆観による

     ミヘルスの見る人民は、支配者によらず自らの意志を貫徹することをそもそも望んですらいない (自ら支配されることを望んでいる) ような大衆である大衆は公共の利益や政治問題に無関心であり彼らは自らに与えられた政治的権利を 「自らすすんで freiwillig」 放棄するこのような大衆観のもとでは「人民の意志」 をもってデモクラシーを論じること自体が困難であるのは明白である

     以上のようなミヘルスのデモクラシー論きわめて 20 世紀的問題状況を反映している点は、本稿 Ⅱで確認したとおりであり、そのようなルソーとの時代状況の差異が両者のデモクラシー観の違いにも現われているとは一応いいうる。

     しかし本稿の関心にとってより重要な点はミヘルスによるデモクラシーの (明らかに特異な) 論じ方である。そもそも以上の説明では、ミヘルスの理想がルソー主義的ないし社会主義的デモクラシーではないという点は明らかになったものの、彼のデモクラシー観の積極的内容はまったく明確になっていない。実際ミヘルスの議論の進め方は、望ましいデモクラシーが何であるか明確に定義した上でそこからの逸脱過程を分析するという方法ではないむしろ 『政党』 全体を通じてデモクラシーは何でないかという否定的な側面からのみ語られているしたがって『政党』 におけるデモクラシーと寡頭制の概念を個別に定義することは不可能である (寡頭制化はデモクラシーの崩壊として、デモクラシーは非寡頭制として語られる)そして非民主的 (寡頭制的) とされる徴候についての本書の分析は膨大かつ詳細でありありとあらゆる現象がデモクラシーの崩壊の徴候に組み込まれる結果ミヘルスの使用するデモクラシー概念はその内容を限りなく縮減させていく。ミヘルスはユートピア的なデモクラシシー観を理想とし、その非現実的に高い基準をもって現実のデモクラシーを断罪したと一搬的に評価される。しかしミヘルスはルソー主義者ではない以上に、(理想という語の意義を厳密に取るならば) 理想主義的デモクラシー論者とすら言えない。積極的な内容をもった理想 ・ユートピアや、デモクラシーの確固たるメルクマールの類は、本書ではほとんど語られていないからである。ミヘルスはデモクラシーという理念に強くコミットするのだが他方でそのデモクラシー概念自体は具体的内容をほとんど失っているこの点は『政党』 の構造を成す Demokratie と Demokratismus との関係を考える上できわめて重要な意味をもつ (本稿 IV-2 参照)。』


    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。











    続きは次回に♥




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