2021-06-20 (Sun)

本日のキーワード : 群集心理、大衆、自然
集団心理(しゅうだんしんり)とは、群集状況のもとで醸成される、群集に特有な心理のこと。群集心理ともいう。
群集研究は主として群集心理学として発展してきたといってよい。集合心理である点で、群集を構成する諸個人の精神や意識とは異なる次元の心理現象であるが、群集心理を個人の心理や意識を超越した、なにか神秘的な実体と考えるべきではない。群集心理は群集状況の場において個人間の心的相互作用の集合過程を通して発生し、形成されるのである。こうした意味合いにおいて、群集心理はけっして静態的、固定的な心理や意識ではなく、不安定で変化しやすい。
本日の書物 : 『ミクロ経済学 戦略的アプローチ』 梶井 厚志 松井 彰彦 日本評論社
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 それはある晴れた秋の午後でした。商店街の反対側のほうからかーん、かーんという鉄槌の音が町中に響き渡ると数週間後には 1 軒の店ができていました。看板を見ると 「べーかりー」 と書かれてあります。【ライバルが出現した】のでした。【ライバルは似たようなパンを 140 円で売り始めました】。
小さな町のことですし、【「べーかりー」 のパンが 10 円安い】という情報はたちどころに知れ渡って、「まちのパン屋」 ではたちまち閑古鳥が鳴きはじめました。【あわてた息子夫婦はパンの価格を 130 円に下げて客を呼び寄せようとしました】。小さな商店街でどちらのパン屋も似たような味のパンを売っていたものですから、【客は 2 つの店を両方のぞいて安いほうの店で買っていく】ようです。今度は 「べーかりー」 のほうががらがらになりました。すると【次の日には 「べーかりー」 が 120 円をつけてきました】。そして【 1 ヶ月後にはついに価格は 50 円という信じられないような低価格となってしまった】のです。
「まちのパン屋」 では笑い声も消え、食卓も毎日パンばかり食べるような始末。息子もあの威勢はどこへ行ったか、さすがにやつれた顔をしています。ある晩、食事で一家がパンをかじっているとき、息子が 「まさかこんなちっぽけな町に新参者がやってくるとは思わなかった」 とこぼすと、父親がぼそっと 【「いったい大学で何をしてきたんだか」】 とつぶやきました。息子はこの一言で完璧にきれてしまいました。おれはお父さんのために戻ってきてやったんじゃないか。いい就職先はほかにいくらでもあったのに、それをなんだ、と成績が悪くてゼミの教授にも見放されていたことなどすっかり忘れて怒鳴ります。そんならなんかいい知恵でもあるのか、大体こんな町なんか大嫌いだ、と訳もわからずわめいてしまって、妻がとりなそうとしても取りつく島もありません。』

ストライキや政治運動は自然に起こる???
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、実際に大学生が教わる 「ミクロ経済学」 が、どういった考え方を学ぶものなのか、を一般的な教科書とはまったく違った形で記述されている正真正銘の教科書で、これまで 「ミクロ経済学」 に一度も触れたことがない人や、もう一度勉強してみようという人にお勧めの書物になります。また、社会人で、論理的な思考を身に付けたいという方々にもお勧めで、論理的な思考である 「ゲーム理論」 の考え方が、非常に分かりやすく理解できる良書になります。

それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。
(死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)
※( )内は前回の数値

☆Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE
アメリカ : 598,546(598,598)÷33,422,193(33,400,766)=0.0179・・・(0.0179) 「1.79%(1.79%)」

イタリア : 126,855(126,767)÷4,239,868(4,237,790)=0.0299・・・(0.0299) 「2.99%(2.99%)」

日本 : 13,871(13,798)÷770,357(768,280)=0.0180・・・(0.0179) 「1.80%(1.79%)」


☆【日本語訳】 U.S. DEPARTMENT of STATE / Fact Sheet : Activity at the Wuhan Institute of Virology (米国務省 / ファクトシート : 武漢ウイルス研究所での活動)
さて、これまで、ドイツで生まれた「キリスト教神智学(Christian theosophy)」・「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」を出発点として、その後、人為的に造り出された “幻想” であるところのマルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想を経て、ソ連崩壊とともに死滅したかに思われたものの、現在に至るまで一貫して受け継がれていく “信仰” が存在していて、その根底にある、ユダヤ・キリスト教的な 「贖罪(しょくざい)」 の意識により、さまざまな “アイデンティティ” を次から次へと粗製濫造することによって、「贖罪」の対象物として “罪” を創り出し、自らの罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いを果たそうと躍起になっている、そんな 「極左おパヨク」 に繋がる一連の系譜について確認して参りました。
ここで御理解頂きたいのは、そんなおバカな 「極左おパヨク」 は、飽くまでも、ある連中が果たそうとしている、ある目的の達成のための道具でしかないということです。
その目的とは、さまざまな “アイデンティティ” を意図的に粗製濫造することで、社会分断を行い、到底達成不可能な目標である “平等 (equality)” を強要(←全人類の均一化・同質化などは不可能であることは自明です!)し、多くの人々に対して自己抑圧的な態度の徹底を促し(←これが、ポリコレw)、人々の “自由” を奪う極めて権威主義的な統制社会の再構築を目指す、というものです。
では、なぜ、それを目指そうとするのでしょうか?
それは、「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」のもとで、ある連中にとって非常にコントロールしやすい社会が構築できるからです。

さて、現在、ドイツ出身の社会学者・歴史学者であるロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)が提唱した仮説である 『寡頭制の鉄則』 (iron law of oligarchy)について、一層理解を深めるために、次の論文を参考にしながら考えているところになります。

ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)

☆『「寡頭制の鉄則」再考 : R・ミヘルスにおけるDemokratieとDemokratismus』 金山 準
予め理論の概要について、Wikipediaから以下に転記させて頂きます。
『 理論の概要
● あらゆる組織 ・集団 (共同体、団体) は、規模が拡大すれば必ず少数の指導者による支配が実現される。
● 組織 ・集団は、目的を実現するために多数の成員を集め、社会における発言権を強化しようとする。
● 成員が増加して規模が拡大していくにつれて、巨大な組織 ・集団の運営が複雑化 ・専門化していく (官僚制化)。
● 一般の成員は、複雑化 ・専門化した組織・集団を管理する技能を持たないため、少数の指導者たちに運営を任せ、依存するようになる。
● このことが少数の指導者たちが強大な権限を確保させ、一般成員の支配を可能とする。
● そして指導者たちは、地位を保持するために、自らを批判する者たちを排除しようとする (このことをミヒェルスはボナパルティズムと呼んでいる)。指導者らは、自らが一般の成員から選ばれたことを根拠にして、自らが民主制に則っていると主張する。そのうえで、批判する者を「反民主的」ないし 「反体制的」 「社会転覆を画策している」 などのように中傷する。
● さらに一般成員からの批判に対しては、指導者が辞意を表明して組織崩壊を暗示させることにより批判をねじ伏せ、その地位を強化していく。
● たとえ、一般成員の批判によって既存の指導者たちが辞任に追い込まれても、結局は指導部が入れ替わるだけで、本質的に寡頭制のしくみ自体は変わることがない。
以上の事柄は、巨大化した組織 ・集団が目的を実現するためには強い団結と統一した集団行動が必要不可欠となり、その結果一般成員 (大衆) は、少数の指導者に強大な権限を与え、それに服従しなければならなくなるということを示している。つまり、民主主義・平等社会実現のために、組織 ・集団内において民主主義 ・平等主義を捨て去らねばならないということである。
したがって、少数者による支配はあらゆる組織 ・集団において貫徹される不可避の鉄則となるというのが、ミヒェルスの寡頭制理論の概要である。』

それでは早速、続きを見て参りましょう。
『 Ⅱ. デモクラシーの 20 世紀的諸条件
2. 群集心理 : 第二のアンチノミー
『政党』 におけるデモクラシー論のもう一つの重要な分析の視点は、「群集心理 (学) Massenpsychologie」 である。彼自身による上述の図示に従えば、その要素は 「大衆の無能」 ・ 「感謝の念」 ・ 「伝統の拘束性」 である。
第一の 「大衆の無能」 とはすなわち、一般党員の政治的な無能力 ・無関心である。少数の場合には理性的な議論が可能でも、多数の人間が一箇所に集まった場合、その集団はパニックや熱狂に容易に陥るため、そこでは理性的討議は不可能である。「多数は個人を消滅させ、それとともに、個性も責任感も失わせてしまう」。第二の 「感謝の念」 とは、「大衆の代表として苦しみに耐えてくれる人間」 のもつ、「一種の殉教者の栄光」 に対する帰依である。第三の 「伝統の拘束性」 とは、大衆のもつ保守的な性格である。「指導者に対する崇拝の欲求は、しばしば、大衆の世界観の変化にもかかわらず存続する唯一の永続的要素であるといえる」。この 「呪物 Fetisch 崇拝」 は、宗教的信仰においても政治運動においても全く同型であり、しばしば混在して現われる。
ミヘルスがG ・ル ・ボンやG ・タルドの名を挙げているとおり、群集心理学は 19 世紀後半から 20 世紀初頭のフランスにおいて発達した。ウェーバーからの影響が大きいと思われる組織論に対して、ウェーバーにない視点である群集心理学の導入は、ミヘルスにとって大きな意味をもった。本稿では二つの点に着目する。第一に、以下のようなミヘルスの議論に見られる 「自然」 の問題について。第一部 B 第二章では、
このような運動 〔ストライキや政治運動〕 は、少数の例外を除けば、すべて自然に naturlich、決して 「人為的 kunstlich」 にではなく、事態が展開していく。まず指導者が先頭に立っている運動ですら、自然的なのであって、たいていの場合、その指導者はみずから進んでではなく、周囲の諸事情に強いられて闘争運動に引っ張り出されるのだ。それと同様に、指導者を奪われると運動が崩壊してしまうのもまた、自然な過程なのである。
また他の著作でも同様に、
群集心理は社会主義者とナショナリスト、リベラルと保守においてほとんど同じである。集団の運動においては、稀な例外を除いてあらゆることが自然に進むのであり、「人為的」 にではない。人民が指導者に従うという事実はきわめて自然な現象なのである。
とされる。いずれの部分も群集心理を論じたものであるが、ここで 「自然」 による 「人為」 への支配という構図は明確である。組織と並び群集心理もまた、ミヘルスにとっての動かし難い与件であった。
第二に着目すべき点は、群集心理への着目と脱国法学的認識との関係である。「われわれは民主主義の分析においては、純粋に国法学的な問題の定式化から解放されなければならない」 というミヘルスの主張については既に述べた。同箇所において、ミヘルスは次のように述べている。
抽象的に設定された目的においてのみ、デモクラシーと寡頭制は互いに対立する。純粋に論理的な次元でのみ、それらは対極のものと考えることができる。しかし歴史的 ― 経験的にはこの対極は一つの虚構を含んでいる。・・・・・・。デモクラシーと寡頭制の隔たりはたしかにある、しかしそれはけっして抽象的諸前提とは対応していない。・・・・・・なぜなら、国家形態 Staatsform は群集心理の内容 Inhalt (慣習、世論、パレートの残基) と対応している必然性はないからである。・・・・・・われわれはしばしば、きわめて民主的な法規範ときわめて非民主的な精神構造が、ほとんど争いもせずに隣り合っていることを確認する。
これは直接的にはデモクラシーに対する批判であるが、問題はそれだけには止まらない。国家と社会の透明な (であるべき) 表現 = 代表関係という、政治的立場を問わず共有された観念を 19 世紀的なイデオロギーとするなら、その前提がもはやここでは崩れているからである。
マス ・デモクラシーの時代では、いかなる政治的運動も力をもつためには大衆運動となるほかはない。そもそも、そのような大衆運動の一形態としての政党組織を分析対象に据えたことが本書の大きな意義であった。「政党は、大部分の場合、多数の原理に基づき、またつねに大衆の原理を基礎としている」 (序論第一章)。しかし、いかなる政治運動であれ、それが大衆的運動であるかぎり、それはイデオロギーを問わず群集心理の法則に従わざるを得ない。ある理念なり目的へ向けての運動が訴えかける力 (すなわち大衆) によって、逆に運動そのものの性格が根本的に規定されてしまう (政体やイデオロギーという Form が何であれ、群集心理という Inhalt は一つである)。ここにもまた、20 世紀のデモクラシーをめぐる困難な 「アンチノミー」 が現われる。』
ということで、本日はここまでとさせて頂きます。
続きは次回に♥
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