2021-06-19 (Sat)

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本日のキーワード : 二律背反、アンチノミー、ベーメ神智学
二律背反(にりつはいはん、アンチノミー、独: Antinomie)とは、正命題、反命題のどちらにも証明できる矛盾・パラドックスのことである(しばしば勘違いされるが単なる矛盾・パラドックスではない)。字義通りには、二つの法則が現実的にであれ見かけ上であれ相互に両立しないことを意味し、これは論理学や認識論で使用される術語である。
本日の書物 : 『ミクロ経済学 戦略的アプローチ』 梶井 厚志 松井 彰彦 日本評論社
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 さて、売値が低すぎるということは息子にもわかりましたが、【いったいいくらくらいにしたら儲けが大きくなるのか】、にわかには測りかねます。たとえば値段を 200 円にするとマージンは 160 円と大きくなりますが、まだまだ米が主食のこの辺りでは高すぎて買ってくれる人が少なくなってしまいます。妻の経子 (けいこ) は活動的で頭も回る女でしたが、夫が悩んでいるのを見て、「そんなものは他所を調べればいいじゃない」 と言い、あくる日から店を休んでふっといなくなりました。数日して戻ってきた経子は夫に他の同じような規模の町を回ったところどうも【値段を 10 円上げるごとに販売量は 20 個くらいずつ減る】らしい、と告げました。
すなわち、【現在は値段と販売量がそれぞれ 80 円と 360 個】であるのに対し、値段を 100 円にすると販売量は 320 個、120 円にすると 280 個といった具合です。息子はかねがね妻の行動力と観察眼には一目おいておりましたから、その言葉を信じ、大体同じような状況でかれらの町でも成り立つと考えて表 1.1 を作りました。

この表を見て【一番儲かる値段は 150 円】だと一目瞭然です。要するに価格を上げていって利益の増えるのが止まったところが一番いいというわけです。このように、【多くの買い手がいる商品(財)を、一人だけの売り手が儲けが最大になるように価格をつけて売っている場合】を【独占】と言います。…
夫婦は顧客を刺激しないように翌日からパンの値段をまずは 120 円に、ついで半年後には 150 円にしたのでした。もちろん 「諸物価高騰のため」 と但し書きをつけて。
150 円にしたときには【隠居していた先代】が息子夫婦にさとすように
「おまえたち、あまりがめつくやりすぎると、【しっぺ返し】を食らうぞ」
と言いました。【息子】は
「そんなお父さんみたいなことを言ってたんじゃあ、いつまでたっても貧乏暮らしですよ。現に見てごらんなさい。120円にしたときだってちゃんと計画通り 280 個くらいコンスタントに売れてたじゃないですか」
と【父親の昔のやり方を暗に批判】しました。経子は夫のそでをひっぱりましたが、【それっきり父親は何も言いませんでした】。
それから数ヶ月、150 円とは高すぎると文句を言ってパンを買い控える者もおりましたが、息子夫婦の営業スマイルも功を奏して値上がりそのものが与えた悪印象はすぐになくなり、2 人の予想通りに一日に 220 個のパンが売れていきました。
【ある日あいつがやってくるまでは】。』

“組織” は、人間さえも支配することができる?
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、実際に大学生が教わる 「ミクロ経済学」 が、どういった考え方を学ぶものなのか、を一般的な教科書とはまったく違った形で記述されている正真正銘の教科書で、これまで 「ミクロ経済学」 に一度も触れたことがない人や、もう一度勉強してみようという人にお勧めの書物になります。また、社会人で、論理的な思考を身に付けたいという方々にもお勧めで、論理的な思考である 「ゲーム理論」 の考え方が、非常に分かりやすく理解できる良書になります。

それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。
(死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)
※( )内は前回の数値

☆Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE
アメリカ : 598,598(598,276)÷33,400,766(33,385,561)=0.0179・・・(0.0179) 「1.79%(1.79%)」

イタリア : 126,767(126,690)÷4,237,790(4,235,592)=0.0299・・・(0.0299) 「2.99%(2.99%)」

日本 : 13,798(13,705)÷768,280(766,068)=0.0179・・・(0.0178) 「1.79%(1.78%)」


☆【日本語訳】 U.S. DEPARTMENT of STATE / Fact Sheet : Activity at the Wuhan Institute of Virology (米国務省 / ファクトシート : 武漢ウイルス研究所での活動)
さて、これまで、ドイツで生まれた「キリスト教神智学(Christian theosophy)」・「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」を出発点として、その後、人為的に造り出された “幻想” であるところのマルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想を経て、ソ連崩壊とともに死滅したかに思われたものの、現在に至るまで一貫して受け継がれていく “信仰” が存在していて、その根底にある、ユダヤ・キリスト教的な 「贖罪(しょくざい)」 の意識により、さまざまな “アイデンティティ” を次から次へと粗製濫造することによって、「贖罪」の対象物として “罪” を創り出し、自らの罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いを果たそうと躍起になっている、そんな 「極左おパヨク」 に繋がる一連の系譜について確認して参りました。
ここで御理解頂きたいのは、そんなおバカな 「極左おパヨク」 は、飽くまでも、ある連中が果たそうとしている、ある目的の達成のための道具でしかないということです。
その目的とは、さまざまな “アイデンティティ” を意図的に粗製濫造することで、社会分断を行い、到底達成不可能な目標である “平等 (equality)” を強要(←全人類の均一化・同質化などは不可能であることは自明です!)し、多くの人々に対して自己抑圧的な態度の徹底を促し(←これが、ポリコレw)、人々の “自由” を奪う極めて権威主義的な統制社会の再構築を目指す、というものです。
では、なぜ、それを目指そうとするのでしょうか?
それは、「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」のもとで、ある連中にとって非常にコントロールしやすい社会が構築できるからです。

さて、現在、ドイツ出身の社会学者・歴史学者であるロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)が提唱した仮説である 『寡頭制の鉄則』 (iron law of oligarchy)について、一層理解を深めるために、次の論文を参考にしながら考えているところになります。

ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)

☆『「寡頭制の鉄則」再考 : R・ミヘルスにおけるDemokratieとDemokratismus』 金山 準
予め理論の概要について、Wikipediaから以下に転記させて頂きます。
『 理論の概要
● あらゆる組織 ・集団 (共同体、団体) は、規模が拡大すれば必ず少数の指導者による支配が実現される。
● 組織 ・集団は、目的を実現するために多数の成員を集め、社会における発言権を強化しようとする。
● 成員が増加して規模が拡大していくにつれて、巨大な組織 ・集団の運営が複雑化 ・専門化していく (官僚制化)。
● 一般の成員は、複雑化 ・専門化した組織・集団を管理する技能を持たないため、少数の指導者たちに運営を任せ、依存するようになる。
● このことが少数の指導者たちが強大な権限を確保させ、一般成員の支配を可能とする。
● そして指導者たちは、地位を保持するために、自らを批判する者たちを排除しようとする (このことをミヒェルスはボナパルティズムと呼んでいる)。指導者らは、自らが一般の成員から選ばれたことを根拠にして、自らが民主制に則っていると主張する。そのうえで、批判する者を「反民主的」ないし 「反体制的」 「社会転覆を画策している」 などのように中傷する。
● さらに一般成員からの批判に対しては、指導者が辞意を表明して組織崩壊を暗示させることにより批判をねじ伏せ、その地位を強化していく。
● たとえ、一般成員の批判によって既存の指導者たちが辞任に追い込まれても、結局は指導部が入れ替わるだけで、本質的に寡頭制のしくみ自体は変わることがない。
以上の事柄は、巨大化した組織 ・集団が目的を実現するためには強い団結と統一した集団行動が必要不可欠となり、その結果一般成員 (大衆) は、少数の指導者に強大な権限を与え、それに服従しなければならなくなるということを示している。つまり、民主主義・平等社会実現のために、組織 ・集団内において民主主義 ・平等主義を捨て去らねばならないということである。
したがって、少数者による支配はあらゆる組織 ・集団において貫徹される不可避の鉄則となるというのが、ミヒェルスの寡頭制理論の概要である。』

それでは早速、続きを見て参りましょう。
『 Ⅱ. デモクラシーの 20 世紀的諸条件
1. 組織 : 第一のアンチノミー
「組織 Organisation」 という問題は 19 世紀以降の社会理論で最重要の問題の一つであるが、『政党』 においてもこの問題はもっとも重要なテーマである。エリート主義的認識は古来より存在するが、『政党』 の大きな意義は、このきわめて現代的な現象に分析の焦点を絞った点にあるということはしばしば指摘されてきた。実際、19 世紀後半から 20 世紀前半は、政治過程における最も重要なアクターとして政党や労働組合などの組織が台頭してきた時代である。これを背景とした 「集団」 への着目は20世紀政治学の一つの特徴であり、またそのような視点は政治学の 「科学化」 を一挙に推進することにもなった。『政党』 はその先駆的な業績の一つである。
『政党』 の主たる分析対象はドイツ社会民主党 (SPD) である。ミヘルスがこの対象を選んだ理由は二点挙げられる。第一に、社会主義政党があらゆる政党の中でもっとも民主的な綱領を掲げている点。つまり、デモクラシーの価値を強く主張する唯一の組織たる社会主義政党においてすら寡頭制の事実が認められるとすれば、寡頭制は組織一搬の事実として認められるだろう、という論理である。第二に、SPDがマス・デモクラシー下において初めて登場した、近代的な大政党であった点。SPDは社会主義内部ではもちろん、ヨーロッパでももっとも巨大な政党組織であり、1914 年の時点で党員数 100 万を数え、1912 年の選挙では 400 万票を獲得しドイツ第一党の地位につく。
ウェーバーは 『職業としての政治』 において、貴族とその従者たちの個人的徒党、ブルジョア階級による名望家政党、そして大衆民主主義型政党 (近代的政党)、という有名な政党類型論を提示した。名望家政党が国会議員中心の、名誉職的政治活動に基づくものであるのに対し、近代的政党は職業政治家 ・官僚制 ・組織された多数の一般党員を備える。もちろんこの近代的政党は 19 世紀後半に達成された大衆 (労働者層) の政治参加の拡大を背景とするのであり、SPDはこのような近代的政党の代表的なものだった。
このような近代組織とデモクラシーとの関係が、『政党』 の根本的な問いであった。「組織の必要性」 と題された第一部 A 第一章によれば、
デモクラシーは、組織の存在なしには考えることができない。第一に、組織は大衆に統一性を与える。このテーゼの説明には多言を要しないだろう。
社会に対してある一定の要求をもち、みずからが果たしている経済的機能から生まれてくるイデオロギーと 「理念」 を実現しようとする階級は、経済的領域においても政治的領域においても、自らの総意を生みだす唯一の手段として、組織を必要とする。組織は、最小の力の支出、すなわちできる限りの力の節約の原理に立っているものであるが、これは強者との闘争において弱者に与えられた武器 〔である〕 ・・・・・・。
力の効率的使用を可能にする組織は、弱者にとっての武器であり、デモクラシー促進のために不可欠な条件である。しかしミヘルスにとって最大の問題は、その一方で 「組織の拡大に従って、デモクラシーは後退する。一般的に、指導者の権力は組織と正比例して増大するといえる」 という点であった。ここに、組織はデモクラシーを可能にする一方でデモクラシーを不可能にする、というアンチノミーが現われる。

ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)
組織がデモクラシーを後退させる過程は、組織が本質的に抱える技術的な要因から説明される。そもそもいかなる直接自治の制度 (たとえばスイスのような) も、何らかのかたちでの専門の事務職員なしには不可能である。なぜなら、そのような制度下においても、議題となる案件の整理や議事進行の記録などの仕事をする 「役所」 が必要となることには変わりないからである。そしてもちろん、管理的課題が増大すれば、少数の常勤的な専門職員が発生し、やがてそれは固定化する。そして、このような専門職員とその管理業務に対する民主的統制が後退するのは 「技術的な要請」 として不可避である。このように、「大衆の意志の執行機関でしかない指導者が、みずからを大衆から解放することによって、自立化」 し、意志決定自体を支配するに至る傾向は、「組織そのものの原理」 から生み出された 「寡頭制的一官僚制的特徴である」。
このように、人間に与えられた 「武器」 であったはずの組織が逆に人間を支配するという問題について、例えばS ・ウォーリンは以下のように整理している。ウォーリンによれば、「事物を支配する力としての組織」 は、19 世紀に社会思想上の問題として登場し、とくに 20 世紀にその意義を増すこととなる。「組織は、20 世紀の人間がその個人としての限界を超越する手段であると考えられた」。
ここでウォーリンは、ソレル・キェルケゴール・ニーチェなど 「組織化されない個人的行為のために何らかの位置を確保しようとする、絶体絶命の努力」 を試みた思想家や、官僚制を 「鉄の橿」 と捉えたウェーバーに対して、その種の 「ノスタルジア」 を完全に捨て去った者としてレーニンとミヘルスを挙げている。後二者の立場をとるならば、デモクラシーについては 「組織はどの程度までのデモクラシーを忍容することができるのかというのが問題なのであって、けっしてその逆ではありえない。・・・それゆえ、デモクラシーも組織およびエリート主義の要請により合致したかたちで、再定義されなければならなくなる」。ここでは組織は政治的手段によって対処しうる何らかの問題ではなく、政治にとっての揺るがし難い前提ないし与件である。
たしかに、ミヘルスにとって組織とは第一に人間に不可欠な力を与えるものであり、それを撤廃することは問題になっていない。その意味ではウォーリンの言う通り、組織のない状況への 「ノスタルジア」 はもはやない。例えばミヘルスは 『政党』 第二版序文で、コラーの立てた 「組織に対する個人の反抗」 という問題設定を明確に否定している。しかしその一方で、ミヘルスにとって組織は、事物のみならず人間をも支配するものである (その点でレーニンとミヘルスの認識は異なる)。このような態度が、組織とデモクラシーをめぐる彼のアンチノミーの背景にある、といいうる。』
ということで、本日はここまでとさせて頂きます。
続きは次回に♥
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