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    親子チョコ💗(500冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

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    インド人とシリコンバレー

    A storm is coming 4

    本日のキーワード : 篤志家、フィランソロピー



    フィランソロピーフィランソロフィー(英: Philanthropy)とは基本的な意味では人類への愛にもとづいて人々の「well being」(幸福、健康、クオリティ・オブ・ライフ(QOL)など)を改善することを目的とした利他的活動や奉仕的活動、等々を指すあるいは慈善的な目的を援助するために時間、労力、金銭、物品などをささげる行為のことである従来日本語では「慈善活動」「博愛」「人類愛」などとも呼んできたこの意味では「チャリティー」に近いまたは特定の活動や事業のために長い年月をかけて労力や資金を支援するようなこと

    フィランソロピーを実践している人はフィランソロピストと呼ばれる日本語で「篤志家(とくしか)」と呼んできたものでもある





    本日の書物 : 『すごいインド : なぜグローバル人材が輩出するのか』 サンジーヴ・スィンハ 新潮社



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 アメリカのインド人といえば、「シリコンバレー」のイメージが強くあります。シリコンバレーは伝説的な経営者、スティーブ・ジョブズ氏が創業したアップルを始め、IT産業の中核企業が数多く誕生した街として有名です。その【シリコンバレーでは、インド人が大きな役割を果たしてきました】

     シリコンバレーを代表する企業の1つ、サン・マイクロシステムズの共同創業者にはインド人のビノッド・コースラ氏が名を連ねています。コースラ氏を筆頭に、【シリコンバレーの企業のうち8社に1社はインド出身者が起業】してきました。

     そんな中に、【「シリコンバレーのゴッドファーザー」】と呼ばれるインド人がいます。IT企業「エクセラン」の創業者で、現在はベンチャー・キャピタリストとして知られる【カンワル・レキ】氏です。

    カンワル・レキ
    カンワル・レキ

     レキ氏はインドとパキスタンが分離独立する2年前の1945年、現在はパキスタン領となっている地域の生まれです。レキ氏やコースラ氏は、私にとっては【インド工科大学(IIT)】の先輩に当たります(ちなみにハーバードビジネススクール(HBS)学長のノーリア氏も)。【IIT】については後に詳しく述べますが、【インドの理系人材をアメリカへ数多く送り込んできた】ことでも知られる【名門大学】です。

     レキ氏はIITを卒業した後、60年代後半にアメリカへと渡りました。アメリカに活躍の場を求めたインドの理系人材として、レキ氏は第1世代に当たります。』

    日の丸

    戦前期日本の民間企業によるフィランソロピー活動


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、学校教育で教え込まれる “デタラメ” な 「中国」 のイメージに影響を受け「中国」 というものを正確に理解できない (=トンチンカンな幻想を抱く) 日本人が数多く存在している一方ほとんど学校教育では教えられない 「インド」 について無知な私たち日本人に 「インド」 「インド人」 がどのようなものであるのかを正しく理解させて下さる書物で、いわゆる 「中国人」 といわゆる 「インド人」 、そして、私たち 「日本人」 とを比較してみてどのような差異があるのかを考えることができる御薦めの良書になります。

    読書 4-55

    それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。

    (死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)

    ※(  )内は前回の数値

    ajybapndkrp.jpg
    Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE

    アメリカ : 590,586(590,141)÷33,151,903(33,134,618)=0.0178・・・(0.0178) 「1.78%(1.78%)」
    ajybapndkrp1.jpg

    イタリア : 125,501(125,335)÷4,197,892(4,194,672)=0.0298・・・(0.0298) 「2.98%(2.98%)」
    ajybapndkrp2.jpg

    日本 : 12,456(12,351)÷726,535(722,630)=0.0171・・・(0.0170) 「1.71%(1.70%)」
    ajybapndkrp3.jpg





    令和3年外交青書
    『令和3年版外交青書』外務省







    egdusyed.jpg
    【日本語訳】 U.S. DEPARTMENT of STATE / Fact Sheet : Activity at the Wuhan Institute of Virology  (米国務省 / ファクトシート : 武漢ウイルス研究所での活動)

    さて、これまで、「キリスト教神智学(Christian theosophy)」または「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」として知られる、ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)から始めて、それを受け継いできた人々についてその流れを追ってまいりました彼らが言っていたことを、簡単に表現したものを列挙致しますと、次のようになります

    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)
    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)

    世界は本来壊れているものであり、それを直すことができるのは正しい者だけである

    イマヌエル・カント
    イマヌエル・カント

    たとえ世界を直すことができなくても、私たちは常に世界を直すことができると仮定して行動しなければならない

    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル

    世界が固定されていたとしても、私たちは無意識のうちに分裂を起こし、世界が再び崩壊し始めることになる

    カール・マルクス
    カール・マルクス

    私たちには、世界を壊したいという衝動はない。もし私たちが世界を壊すとすれば、それは私たちが社会とその主人たちからそうすることを学んだからである。

    1895年のレーニン
    ウラジミール・レーニン

    われわれは、世界を固定するために、意識の統一を強行しよう

    W・E・B・デュボイス(1918年)
    W・E・B・デュボイス(1918年)

    世界のことは忘れて。 私はどうなるの?  私は二つ意識の一部です。 助けて!

    ヨシフ・スターリン(1915年)
    ヨシフ・スターリン

    ロシア人だけが世界を修正するのに十分な正義感を持っている。

    ルカーチ・ジェルジュ
    ルカーチ・ジェルジュ

    (人の言いなりになる)従順な者だけが世界を修正するのに十分な正義を持っている。

    毛沢東 5
    毛沢東

    中国人だけが世界を修正するのに十分な正義感を持っている。

    ポイント 女性

    御覧のように、その根底に存在しているのは、ユダヤ・キリスト教的な「贖罪(しょくざい)」の意識になります。キリスト教ならば、イエス・キリストが磔刑に処せられたことを以て、人類の罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いであるとし、人類に救いをもたらす(もたらした)とする、そんな意識です。ですから、これ明確に宗教的な思考・思想であり、これら一連の流れ・系譜は、なんらかの“ひとつの宗教”であると考えることでより一層理解し易くなります

    マルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想も、“とあるひとつの宗教”から生み出された「贖罪」の意識であり、それは“物質的”なものでしかありませんでした。だからこそ大失敗に終わったとも考えられるわけですが。。。

    女性 ポイント これ

    しかしその“とある宗教”の信者らは、大失敗のあとさまざまな“アイデンティティ”を次から次へと粗製濫造することによって、「贖罪」の対象物としての“罪”を創り出し自らの罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いを果たそうと躍起になることとなります。



    また、シカゴのコミュニティ・オーガナイザーとして有名な極左活動家ソウル・アリンスキーは次のようなことを言っていました。

    ソウル・デヴィッド・アリンスキー
    ソウル・デヴィッド・アリンスキー

    The job of the organizer is to maneuver and bait the establishment so that it will publicly attack him as a "dangerous enemy". The word "enemy" is sufficient to put the organizer on the side of the people, to identify him with the Have-Nots, but it is not enough to endow him with the special qualities his own power against the establishment. Here again we find that it is power and fear that are essential to the development of faith.

    (オーガナイザーの仕事は、エスタブリッシュメントが彼を「危険な敵」として公然と攻撃するように工作し、おとりとなることです。「敵」という言葉は、オーガナイザーを人々の側に置き、「持たざる者」と同一視するには十分であるが、オーガナイザーが体制側に対抗して自らの力を発揮する特別な資質を与えるには不十分である。ここでもまた、信仰の発展に欠かせないのは、権力と恐怖であることがわかる。)

    これを、もっと簡単に言い換えてみますと、次のようになります。

    上流階級を打ち負かすための鍵は、中流階級を誘惑することである。

    要するに、弱者(下流階級)に寄り添う素振りを見せつつ(つまり、単なる道具として用いることで)中流階級を惑わせてそれを誘導することで上流階級に勝つことができると主張しているわけです。

    女性 ポイント ひとつ

    で、この人物と非常に関係が深いのが、同じくコミュニティ・オーガナイザーだったバラク・フセイン・オバマ2世と、ソウル・アリンスキーの著書をもとに論文を書いたヒラリー・クリントンです。

    オバマ 56

    ヒラリークリントン

    ヒラリー クリントン 5

    そして、ソウル・アリンスキーの「過激派のルール」に沿って我が国で極左活動を続けているのが、あの「九条の会」となります。

    詳しくはこちらをご参照💗

    オバマと、アメリカ共産党と、ユダヤ人



    このコミュニティ・オーガナイザーの役割を、あたかもボランティアや慈善活動のように勘違いされている方々が非常に多いのですが、これは極左活動家がその目的を果たすために考え出した理論に基づくものであり本来あるべき弱者救済とは著しく異なる異質なものです。

    そこで、現在、そのような危険極まりない過激派の思想に惑わされることがないように本来あるべき弱者救済の在り方がどのようなものであるべきなのかを、次の論文を参考にしながら考えているところとなります。

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    『日本型「市民活動」の源流 1868 − 1951』 椎木 哲太郎

    それでは早速、見て参りましょう。

    『 本稿では比較制度分析の手法を援用し、日本の 「市民活動」 の源流を解明しようと試みた。市民活動の前史としての戦前期日本の民間社会事業 ・協同組合運動 ・企業フィランソロピー活動は、後発資本主義体制下での官僚機構による利用という側面を有しながらも「大正デモクラシー」 を契機に一定の内発的発展を遂げてきたしかし戦時体制下の統制によってほぼ完全に国家機構の末端に組み込まれてしまったそして戦後占領体制 (「1945年体制」) とともに復活を見た訳であるが、ニューディーラーの理想主義が日本的事情に合わせて若干の修正を加えられ占領終了後官僚統制とイデオロギー対立という戦前 ・戦中的側面を継承して定着した体制が戦後一貫して継続してきたと見ることができよう

    The paper deals with a tentative exploration of Japanese Citizen’s Voluntary Association’s Origin, based on the comparative institutional analysis. It has been frequently stated in the existing researches that private-based social works, co-operative movements, and philanthropy were developed as a consequence of Taisho Democracy whereas the state bureaucracy under the late coming capitalism which was seemingly inherent in Japan successfully capitalized on the voluntarism of these social organizations. However, they were politically embedded in the imperial regime as the total war systems were organized. The tradition of voluntary associations reemerged in the occupation period of allied nations, being modified by the New Dealers of GHQ. It may be concluded that there is a clear discontinuity between the prewar and postwar systems of voluntary associations in terms of the comparative institutional analysis.


    Ⅳ 戦前期企業家のフィランソロピー活動

     企業 (というよりむしろ企業家個人として) のフィランソロピー活動も戦前と戦後は大きく異なる戦前期の方がむしろ助成財団や寄付のスケールという点で上回っている。企業勃興 ・産業革命によって、多くの事業家が蓄財を背景に社会的影響力を持つようになり、軍備に大きな予算を割かざるを得なかった 「小さな政府」 の欠陥を機能的に補ったと見ることもできよう

     周知のように1896 (明治29) 年に制定され1898 (明治31) 年に施行された民法 34 条は 「祭祀、宗教、慈善、学術、技芸其他公益ニ関スル社団又ハ財団ニシテ営利ヲ目的トセサルモノハ主務官庁ノ許可ヲ得テ之ヲ法人ト為スコトヲ得」 と規定したが、ここに当時の非営利 ・公益活動概念が要約されている「祭祀、宗教、慈善、学術、技芸」 が当時の一般的な内容に他ならなかったのであり慈善と並んで教育や科学技術の振興が重視され貧困等家庭の事情で進学の許されない有能な青少年に奨学金を授与すべく多くの財団公益法人が設立された

     その後の公益法人の設立動向に関しては、大雑把な傾向であるが、兵庫県におけるケース ・スタディが存在している。それによると、民法施行後は年 1 件の割合で設立され、生活困窮者、農民、地域住民などの救済を目的とするものが大半を占め、次いで公衆衛生の向上や医療を目的とするものとなっている。大正期には 3 年に 1 件の割合で設立され、地場産業の発達、農民、漁民等福祉の増進、名所旧跡、道路、河川の維持管理を目的とするものが顕著である。昭和 10 年代に入ると尚武心と国防思想の普及、産業報国運動の進展を目的とするものが増加している。

     一方、林寿二氏は新たな重要公益法人関連立法の施行とともに、公益法人数の顕著な増加が見られることを明らかにした。即ち東京都主管の公益法人数は、民法施行の 1898 (明治31) 年から 1923 (大正 12) 年の間は年平均 2.8 件の設立であったのに対し、1923 年の中央卸売市場法の施行後 1924 (大正13) 年から 1927 年までは年平均 4.2 件、1927 年の公益質屋法の施行後 1928 (昭和3) 年から 1939年 までは 6.9 件、そして 1939 年の宗教団体法の施行後 1940 (昭和15) 年から 1944 (昭和19) 年までは11.8 件に上っている。立法需要、あるいは政府の政策的意図から立法が行われた訳であるが、1998 年の特定非営利活動促進法や 2000 年の介護保険法の施行がNPO法人の設立ブームを呼んだように、制度改正のもたらす行動様式の変化には注目すべきものがある。

     助成財団に焦点を合わせると、1920 (大正9) 年、原田二郎の 1,020 万円の寄付によって設立された原田積善会の 1935 (昭和10) 年における基金は 3,000 万円を超えていた。なお、1920 年の 1,020 万円は現在ではほぼ 510 億円に相当するが、今日でもそれに匹敵する規模の財団はわずかに 2 つであり、戦後資産総額 500 億円の財団が誕生するには、バブル経済の到来を待たねばならなかった。1934 (昭和9) 年に設立された三井報恩会の基本財産も 3,000 万円であったから、この時期に二つの大型財団に代表される「わが国の財団活動の黄金時代」とも言うべき時代の到来を見てとることもできよう。

     社会事業助成基金に限定してみても、原田積善会、1924 (大正 13) 年設立の恩賜財団慶福会など 16 団体が成立し、大正の終わりには年額 100 万円を支出するようになった。

     三井報恩会が 1934 年に設立されてから 1945 年までに支出した助成金は合計 1,250 万円であり、原田積善会が 1920 年の設立から 1945 年までに支出した助成金は合計 2,400 万円であったから、いずれもほぼ年平均 100 万円の規模に達し、1 民間団体の助成額が社会事業法による国庫補助額を上回っていた。当時の主な助成団体としては、ほかに恩賜財団慶福会、安田修徳会、服部奉公会、森村豊明会、中野財団などがあった。
     
     新興の資本家たちが社会問題の深刻化を憂いたことは明らかである。武藤山治に代表されるように、経営家族主義が唱えられ剥き出しの資本主義は修正の要ありとされた

     大原孫三郎は岡山孤児院を設立 ・運営した石井十次の事業を金銭的に支援し続け、大原社会問題研究所を設立した。彼の思想的基盤を形成したものは、キリスト教 (聖書) と二宮尊徳の報徳思想であった。

     ただ、すべての寄付行為が必ずしも高邁な理念から生まれた訳ではないことは言うまでもない。古河市兵衛は、足尾銅山鉱毒問題が大きな社会問題となると、キリスト教徒による慈善事業への寄付を行った。しかし、それは世間では自らの事業に対する批判をかわさんがための偽善としか映らなかった。大倉喜八郎は商業学校を設立したが、爵位欲しさの行為であるとして世評は芳しくなかったのである。』


    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。







    続きは次回に♥




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