2021-05-21 (Fri)

本日のキーワード : 純粋、日本人、日本、国民国家
純粋(じゅんすい) :
① まじりけのないこと。雑多なものがまじっていないこと。また、そのさま。「純粋な(の)アルコール」「純粋な(の)秋田犬」
② 邪念や私欲のないこと。気持ちに打算や掛け引きのないこと。また、そのさま。「少年の頃の純粋な気持ち」「純粋な愛」
③ そのことだけをいちずに行うこと。ひたむきなこと。また、そのさま。「学問に対する純粋な情熱」「純粋に真理を追い求める」
④ 哲学で、外的、偶然的なものを含まず、それ自体の内的な普遍性・必然性をさす。
⑤ 学問で、応用を考えず理論だけを追究する分野。純粋数学・純粋法学など。

本日の書物 : 『この厄介な国、中国』 岡田 英弘 ワック
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 19世紀にアメリカから開国を迫られたとき、【日本はすでに理想的な国民国家となる条件を備えていた】と言っても過言ではない。
明治維新以後、日本が目覚ましく成功したのも、このことが大きな理由であった。明治になって日本に【国民国家】というアイディアが導入されたとき、【日本人は誰もが、天皇イコール日本であって、それが国家であり、国民イコール大和民族だとただちに理解することができた】。事実はともかく、自分たちは純一無雑であり、国外にはただひとりの日本人もなく、国内にはただひとりの外国人もいないと、大多数の日本人が信じることができたのである。
考えてみれば、【これは信じられないくらい運のいいこと】なのだが、【日本人はそれを当たり前のように受け取ってきた】。しかも、欧米諸国はすでに国民国家へと転換を遂げていたため、【国家というものは、こういうものだと思い込んでしまった】のである。
だが、実のところを言えば、【欧米にも日本のような純粋度の高い国民国家は存在しない】のである。フランスにせよ、イギリスにせよ、アメリカにせよ、その中にはかなりの規模の少数民族を抱えているし、天然自然の国境線もない。【日本のように「日本列島の中に住み、日本語を話す人間が日本人」などというシンプルな原則が通用する国家は、どこにもない】のである。
【ところが、日本人の多くはそのことに気づいていない】。【日本のような国民国家が世界中に存在していると、つい想像する】。【そこが日本人の最大の弱点のひとつ】なのだが、こと【中国に対するとき、その“幻想”がもたらす害たるや、まことに深刻なものがある】。
つまり、【中国人は純一無雑の中華民族であり、歴史が始まって以来ずっと、周辺の民族と混ざり合うこともなく、みな血の繋がった兄弟のように過ごしてきたと、ついつい考えてしまう】のである。【この誤解が、日本の中国に対するすべての政策の失敗をもたらしている】、と言ってもいいほどである。』

アイデンティティのあり方
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、およそ20年前に出版されたものですが、そこから現在に至るまで相も変わらず、「中国」というものを正確に理解できない(=トンチンカンな幻想を抱く)日本人が数多く存在していて、開いた口が塞がらない状況にあるのですが、そのような方々に、まさに“打って付け”の内容となっており、是非とも正しい「中国」理解を広く一般国民に知らしめるべく、当ブログが自信を持ってお勧めする良書になります。学校教育で教え込まれる「中国」のイメージが、如何に実態とかけ離れているのかが、非常によく理解できると思います(笑)

それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。
(死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)
※( )内は前回の数値

☆Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE
アメリカ : 585,940(585,571)÷32,935,667(32,913,784)=0.0177・・・(0.0177) 「1.77%(1.77%)」

イタリア : 124,156(124,063)÷4,159,122(4,153,374)=0.0298・・・(0.0298) 「2.98%(2.98%)」

日本 : 11,471(11,424)÷685,131(679,870)=0.0167・・・(0.0168) 「1.67%(1.68%)」


☆【日本語訳】 U.S. DEPARTMENT of STATE / Fact Sheet : Activity at the Wuhan Institute of Virology (米国務省 / ファクトシート : 武漢ウイルス研究所での活動)
さて、これまで、「キリスト教神智学(Christian theosophy)」または「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」として知られる、ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)から始めて、それを受け継いできた人々についてその流れを追ってまいりました。彼らが言っていたことを、簡単に表現したものを列挙致しますと、次のようになります。

ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)
世界は本来壊れているものであり、それを直すことができるのは正しい者だけである

イマヌエル・カント
たとえ世界を直すことができなくても、私たちは常に世界を直すことができると仮定して行動しなければならない

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
世界が固定されていたとしても、私たちは無意識のうちに分裂を起こし、世界が再び崩壊し始めることになる

カール・マルクス
私たちには、世界を壊したいという衝動はない。もし私たちが世界を壊すとすれば、それは私たちが社会とその主人たちからそうすることを学んだからである。

ウラジミール・レーニン
われわれは、世界を固定するために、意識の統一を強行しよう

W・E・B・デュボイス(1918年)
世界のことは忘れて。 私はどうなるの? 私は二つ意識の一部です。 助けて!

御覧のように、その根底に存在しているのは、ユダヤ・キリスト教的な「贖罪(しょくざい)」の意識になります。キリスト教ならば、イエス・キリストが磔刑に処せられたことを以て、人類の罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いであるとし、人類に救いをもたらす(もたらした)とする、そんな意識です。ですから、これは明確に宗教的な思考・思想であり、これら一連の流れ・系譜は、なんらかの“ひとつの宗教”であると考えることで、より一層理解し易くなります。
マルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想も、“とあるひとつの宗教”から生み出された「贖罪」の意識であり、それは“物質的”なものでしかありませんでした。だからこそ、大失敗に終わったとも考えられるわけですが。。。

しかし、その“とある宗教”の信者らは、大失敗のあと、さまざまな“アイデンティティ”を次から次へと粗製濫造することによって、「贖罪」の対象物としての“罪”を創り出し、自らの罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いを果たそうと躍起になることとなります。
そこで現在、次の論文を参考にさせて頂きながら、その“アイデンティティ”について、果たしてそれは一体どのようなものであるべきなのかについて考えているところになります。

☆『アイデンティティ概念の再構築の試み : イタリア人アイデンティティという事例とともに』 宇田川 妙子
それでは早速、昨日の続きを見て参りましょう。
『 近代的なるものは、差異からアイデンティティを構成するのではなく、アイデンティティから差異を構成する。(クロスバーグ1998: 162)
自分にさわって自分の手を握りしめるたびに、そう、 「私」 と私は言った。しかし私は誰にそう言ったのだろうか。そして誰にとっての「私」なのか。私はひとりきりだった。(Pirandello 1992: 126)
関係は完全な全体性からではなく、完全性を構成することの不可能性から生じる。(ラクラウ&ムフ2000: 199)
4 イタリア人アイデンティティ
5 おわりに
・・・しかし問題は、これも繰り返しになるが、これまでのアイデンティティは、それがどんなものであれ、本質化を志向する語りへと回収されてしまう傾向が強かったという点である。たとえ別の語り方があるとしても、それはなかなか言説化されず、それゆえアイデンティティはなおさら本質化の呪縛に囚われていったのである。
このことは、現在のアイデンティティ問題の源泉にあるのは、本質的なアイデンティティ (あるいはそれ以外のアイデンティティ) が実在するか否かという従来の構築主義者が好んで立てたような問題ではなく、その語り方であるということを意味している。実際、前章で述べた関係性に開かれたイタリア人アイデンティティも、それが実体としてナショナル・アイデンティティと別個に存在しているわけではないことに注意しておきたい。そこでは本質化と脱本質化が互いに浸透しあっているとすでに述べたように、両者はイタリア人アイデンティティの実践における位相の違いである。とするならば、アイデンティティ問題が多くの混沌を抱えている今、我々はその語り方に注目し、それがどんな効果を生み出して機能しているのかを検討しつつ、その語り方こそを異化し、変えていく必要があるのではないだろうか。そしてそのためには、別の位相がたとえわずかな兆候であっても見出せるならば、それを積極的に評価し理論化していくことも大きな力となっていくに違いない。本稿は、こうした問題意識に立ち、その一例として、イタリア人アイデンティティに注目したのである。
もちろん近年のアイデンティティ論では、1 章でも述べたようにアイデンティティという言葉がこれまでもたらしてきた弊害や混乱がきわめて膨大なため、この言葉自体を棄却すべきであるという見解もある。また、そもそもアイデンティティの土台たるカテゴリー自体が虚構であるとして、その呪縛を逃れようとする向きもある。しかし、我々はみな社会のなかで存在している限り、そこで展開されているさまざまなカテゴリーなしに生きることはできず、それこそが現実であることを忘れてはならない。このため安易なアイデンティティ概念の拒絶は、そうした現実からの逃避であるとともに、その現実を生きて変えていく手段をも放棄することになってしまうだろう。アイデンティティは、先に詳しく述べたように、自己性と関係性の両側面を含み、その両側面が密接にかかわっている概念でもある。とするならば、アイデンティティ概念の再生の試みとは、従来の主体性 (自己性) という概念や自他の関係性の根本的な再考でもあり、その意味では、実は新たな社会のあり方の模索にもつながっていくのではないだろうか。
実際、こうした自他の関係性こそが、多文化主義、多元的共生、公共性等々の言葉の流布からも推察されるように、近年の最大の社会問題の一つであることはもはや言うまでもない。ここ数十年、これまで一方的に他者化されてきた人々が、十全な承認を求めて闘争を繰り広げてきた過程で明らかになってきたのは、一つには、自己が十全に自己足りうるには、他者による承認が必要だということである。人は、自分 (自分たち) だけではその生を十全に発揮することはできない。アーレントの言葉によれば、「リアリティというのは、人々が見られ、聞かれ、そして一般的に、仲間の聴衆の前に姿を現すことから生まれてくるもの」 (アーレント1994: 319) だからである。
ただし、その際、各自が自分の意図通りに承認されることだけを要求していくならば、相手との共約可能性を閉じ、さらなる闘争を生み出してしまうことも浮かび上がってきた。すなわち、他者との関係性を想定しない単なる自己主張としての承認は、かつての他者による一方的な表象化の営為となんら変わりはなかったのであり、とするならば、我々は今こそ、自己というものも、他者との関係というものも根本から再構築しなければならないのである。
アイデンティティは、今やこうした自他の関係性問題の元凶にすらなっていると言われる概念だが、だからこそ、その再生の試みは新たな社会像に向けた試行錯誤となるはずである。我々が今後もアイデンティティという問題に注目し続けていく最大の意義とは、この点にある。本稿も、そうした問題意識にのっとって、イタリア人アイデンティティという具体例に寄り添いながら、関係性という概念を重視するアイデンティティというあり方を浮かび上がらせてきたわけだが、それは出発点に過ぎない。今後もさらに考察を重ねて、アイデンティティを論じながらもそれを越えていくアイデンティティ論の模索を目指していきたい。』
ということで、本日はここまでとさせて頂きます。
続きは次回に♥
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