2021-05-20 (Thu)

本日のキーワード : 国民、日本人、国民国家、アイデンティティ
国民(こくみん、英語: Nationals)は、国の民を表す単語である。
本日の書物 : 『この厄介な国、中国』 岡田 英弘 ワック
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 【日本の明治維新】もまた、西欧列強に対抗するため【国民国家へと脱皮するためのシステムの大変革】であった。幕藩体制では西洋には太刀打ちできないとみた日本人は、倒幕運動を起こし、【明治政府を樹立】した。実はこれは、【ヨーロッパ以外の国が国民国家へと変身した最初の例】である。
だが、【それはけっして偶然がもたらしたものではない】。【日本】は、【すでに千二百年前から国民国家への下準備をすませていた】からである。
【日本の国民国家への歩みは、その建国にまで遡る】。前にも書いたように、【7世紀末の日本建国】は、【中国大陸に呑み込まれないための自衛手段】であった。つまり、【日本とは、もともと反中国的、排外主義的な国家である】。
その【建国以来】、1871年に清と日清修好条規を結ぶまでの何と【千二百年間】、【日本は外国との正式な国交をせず、ほぼ孤立を維持してきた】。【鎖国】は江戸時代だけでなく、事実上、【建国以来ずっとつづいていた】のである。
建国当初、日本列島は倭人と華僑とが混ざりあって生活しており、両者の間には共通に通じる言葉は存在しなかった。だが、【共通の言葉がなければ「日本」というアイデンティティーを形成することができず、中国という強大な国に対抗することもできない】。
そこで、【新たに日本人となった人々】は、漢文を基礎として、【自分たち独自の言語を人工的に作り上げた】のである。『万葉集』『古今和歌集』などの古典は、【日本語を確立するため】の試みの中から生まれたものであり、特に『古今和歌集』の「仮名序(かなじょ)」には、日本語の文体が確立する以前の、試行錯誤のあとが読み取れる。
こうして歴代の朝廷や詩人たちの努力によって、【日本語は独自の文体を確立させ、言語として完成されていった】。そして【この日本語の成立は、日本特有の文化や行動原理といったものも産み出してゆく】。
日本にとって幸運だったのは、その地理的条件である。日本はどの国とも海を隔てているため、大陸の国家とは違い国境が移動することがない。これは、【日本が日本人という民族意識を持つには、またとないお膳立て】であった。こうして千年以上もの間、狭い島国の中で外界から隔絶した状態にいたため、【独自の日本語の語彙と文体が成長】できた。つまり、【欧米諸国と接触する前に、「日本人」という国民が成立していたのである】。』

支那や朝鮮の人々とは、何から何まで違う ⇒ それが “日本人” アイデンティティ
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、およそ20年前に出版されたものですが、そこから現在に至るまで相も変わらず、「中国」というものを正確に理解できない(=トンチンカンな幻想を抱く)日本人が数多く存在していて、開いた口が塞がらない状況にあるのですが、そのような方々に、まさに“打って付け”の内容となっており、是非とも正しい「中国」理解を広く一般国民に知らしめるべく、当ブログが自信を持ってお勧めする良書になります。学校教育で教え込まれる「中国」のイメージが、如何に実態とかけ離れているのかが、非常によく理解できると思います(笑)

それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。
(死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)
※( )内は前回の数値

☆Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE
アメリカ : 585,571(585,073)÷32,913,784(32,883,624)=0.0177・・・(0.0177) 「1.77%(1.77%)」

イタリア : 124,063(123,927)÷4,153,374(4,146,722)=0.0298・・・(0.0298) 「2.98%(2.98%)」

日本 : 11,424(11,330)÷679,870(673,448)=0.0168・・・(0.0168) 「1.68%(1.68%)」


☆【日本語訳】 U.S. DEPARTMENT of STATE / Fact Sheet : Activity at the Wuhan Institute of Virology (米国務省 / ファクトシート : 武漢ウイルス研究所での活動)
さて、これまで、「キリスト教神智学(Christian theosophy)」または「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」として知られる、ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)から始めて、それを受け継いできた人々についてその流れを追ってまいりました。彼らが言っていたことを、簡単に表現したものを列挙致しますと、次のようになります。

ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)
世界は本来壊れているものであり、それを直すことができるのは正しい者だけである

イマヌエル・カント
たとえ世界を直すことができなくても、私たちは常に世界を直すことができると仮定して行動しなければならない

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
世界が固定されていたとしても、私たちは無意識のうちに分裂を起こし、世界が再び崩壊し始めることになる

カール・マルクス
私たちには、世界を壊したいという衝動はない。もし私たちが世界を壊すとすれば、それは私たちが社会とその主人たちからそうすることを学んだからである。

ウラジミール・レーニン
われわれは、世界を固定するために、意識の統一を強行しよう

W・E・B・デュボイス(1918年)
世界のことは忘れて。 私はどうなるの? 私は二つ意識の一部です。 助けて!

御覧のように、その根底に存在しているのは、ユダヤ・キリスト教的な「贖罪(しょくざい)」の意識になります。キリスト教ならば、イエス・キリストが磔刑に処せられたことを以て、人類の罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いであるとし、人類に救いをもたらす(もたらした)とする、そんな意識です。ですから、これは明確に宗教的な思考・思想であり、これら一連の流れ・系譜は、なんらかの“ひとつの宗教”であると考えることで、より一層理解し易くなります。
マルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想も、“とあるひとつの宗教”から生み出された「贖罪」の意識であり、それは“物質的”なものでしかありませんでした。だからこそ、大失敗に終わったとも考えられるわけですが。。。

しかし、その“とある宗教”の信者らは、大失敗のあと、さまざまな“アイデンティティ”を次から次へと粗製濫造することによって、「贖罪」の対象物としての“罪”を創り出し、自らの罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いを果たそうと躍起になることとなります。
そこで現在、次の論文を参考にさせて頂きながら、その“アイデンティティ”について、果たしてそれは一体どのようなものであるべきなのかについて考えているところになります。

☆『アイデンティティ概念の再構築の試み : イタリア人アイデンティティという事例とともに』 宇田川 妙子
それでは早速、昨日の続きを見て参りましょう。
『 近代的なるものは、差異からアイデンティティを構成するのではなく、アイデンティティから差異を構成する。(クロスバーグ1998: 162)
自分にさわって自分の手を握りしめるたびに、そう、 「私」 と私は言った。しかし私は誰にそう言ったのだろうか。そして誰にとっての「私」なのか。私はひとりきりだった。(Pirandello 1992: 126)
関係は完全な全体性からではなく、完全性を構成することの不可能性から生じる。(ラクラウ&ムフ2000: 199)
4 イタリア人アイデンティティ
5 おわりに
さて以上、通常はナショナル・アイデンティティとされるイタリア人アイデンティティの語りには、ナショナル・アイデンティティへと結晶化することなく、他者との関係性の生成にこそ重点を置いたアイデンティティの表出へと開いていこうとする位相も見てとれることを指摘してきた。もちろんその考察は、いまだわずかな事例に基づくものあり、不十分な点が少なくない。とはいえ、そこに浮かび上がってきた位相が、自他それぞれの本質化という機制ではなく、他者との関係性と、そこに自らを投企しようとする意味での自己性を原理としているという意味では、3 章で述べた新たなアイデンティティの語りの具体的な事例の一つとして評価できるだろうし、とするならば以上の試論は、たんにイタリア人アイデンティティの問題を超えて、今後のアイデンティティ論一般に対しても興味深い議論を喚起すると考えられる。
ゆえに、そのためにも筆者はイタリア人アイデンティティの考察を今後さらに続けていくつもりだが、もう一つ、この新たな位相は、イタリア人アイデンティティの事例に限定されるものではないことを最後に付け加えておく。
たしかにイタリアの場合、ナショナル・アイデンティティの語り自体にその弱さという言説が含まれているため、本質化に回収されないアイデンティティのあり方が比較的容易に表出しやすい土壌があるかもしれない。しかし、イタリアに限らず、我々の生活をそうした視線からあらためて振り返ってみると、実は、類似のアイデンティティの実践が身近にあまた浮かび上がってくる。それは、たとえば日本人アイデンティティの実践に見出すことも可能だろうし、性、民族、階層などの他のカテゴリーに関しても同様である。我々はそれらのアイデンティティを、常に自他の本質化だけを念頭にして表出しているわけではなく、他者との関係の創出の契機としてもしばしば用いているだろう。その意味では、この位相はけっして新しいものはなく、むしろ当たり前であるという見方もできる。繰り返すが、そもそもアイデンティティとは差異をその構成原理とするものだからである。』
ということで、本日はここまでとさせて頂きます。
続きは次回に♥
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