2021-05-18 (Tue)

本日のキーワード : ナシオン、国民国家
Nation (university)
Student nations or simply nations (Latin: natio meaning "being born") are regional corporations of students at a university. Once widespread across Europe in medieval times, they are now largely restricted to the oldest universities of Sweden and Finland, in part because of the violent conflicts between the nations in university towns in other countries. Medieval universities were cosmopolitan, with students from many different domestic and foreign regions. Students who were born within the same region usually spoke the same language, expected to be ruled by their own familiar laws, and therefore joined together to form the nations.
( ナシオン (大学)
学生ナシオン、あるいは単にナシオン (ラテン語で natio は 「生まれた」 を意味する) とは、大学の学生による地域的な法人のことである。中世のヨーロッパでは広く普及していたが、現在ではスウェーデンやフィンランドの古い大学にほぼ限られており、それは、他国の大学都市では、国家間の激しい対立があったことも理由の一つである。中世の大学はコスモポリタンで、国内外のさまざまな地域から学生が集まっていた。同じ地域で生まれた学生は、たいてい同じ言葉を話し、自分たちの馴染みのある法律によって支配されることを期待していた。そして、そのような人々が集まってナシオンを形成した。)
本日の書物 : 『この厄介な国、中国』 岡田 英弘 ワック
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 18世紀末の【フランス革命】は、この【すべての所有者】である【フランス王】を【倒す】という、ただ一点の目的のために起きた【革命】であった。革命を起こした人々は、フランス王を処刑した後のプランをなにも持っていなかった。それでいざ革命が成功すると、人々はどうしていいか分からなくなった。
中でも特に問題になったのが、【王が所有していた財産】の処分であった。【全フランスの領地、領民】はいわば【宙ぶらりんの状態】となってしまったのである。
そこで、まずパリの市民たちが王様の財産の処分権を主張し、好き勝手に振る舞いはじめた。すると、今度は「バリの奴らだけに勝手なことをさせられるか」と、地方の連中も上京し、フランス革命後の大混乱が起こった。
そうして擦った揉んだの挙げ句、収拾策として泥縄式に考えられたのが【“ナシオン”】というものであった。この言葉は、もともと中世の大学で使われていた出身地方別の【学生互助団体のことを指す言葉】であったが、【このナシオンという単語を国民という概念に拡張した】のである。そして【「フランスは昔からひとつの国家として存在し、そこに住む人々はフランス国民であった」という神話を作り上げた】。つまり、【国民が国家の主人であり、所有者】なのだという考えがここで生まれたのである。
これが、いわゆる【国民国家】の誕生である。
むろん、【フランスが昔からひとつの国家であったなどというのは事実に反する】。革命以前のフランス王室が持っていた領土は飛び地だらけであった。たとえば、マリー・アントワネットの財産は、いまのフランス国内だけでなく、彼女が生まれたオーストリアにもあった。また、その一方でフランス国土の中にはイギリス王の領地が存在する時代もあった。【フランスという「ひとつづき大地」があったというのは“神話”でしかない】のである。』

あるイタリア人が示した、本物の“国民国家”に対する心からの敬意
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、およそ20年前に出版されたものですが、そこから現在に至るまで相も変わらず、「中国」というものを正確に理解できない(=トンチンカンな幻想を抱く)日本人が数多く存在していて、開いた口が塞がらない状況にあるのですが、そのような方々に、まさに“打って付け”の内容となっており、是非とも正しい「中国」理解を広く一般国民に知らしめるべく、当ブログが自信を持ってお勧めする良書になります。学校教育で教え込まれる「中国」のイメージが、如何に実態とかけ離れているのかが、非常によく理解できると思います(笑)

それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。
(死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)
※( )内は前回の数値

☆Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE
アメリカ : 584,276(583,558)÷32,841,406(32,808,521)=0.0177・・・(0.0177) 「1.77%(1.77%)」

イタリア : 123,745(123,544)÷4,139,160(4,131,078)=0.0298・・・(0.0299) 「2.98%(2.99%)」

日本 : 11,249(11,148)÷667,182(660,300)=0.0168・・・(0.0168) 「1.68%(1.68%)」


☆【日本語訳】 U.S. DEPARTMENT of STATE / Fact Sheet : Activity at the Wuhan Institute of Virology (米国務省 / ファクトシート : 武漢ウイルス研究所での活動)
さて、これまで、「キリスト教神智学(Christian theosophy)」または「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」として知られる、ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)から始めて、それを受け継いできた人々についてその流れを追ってまいりました。彼らが言っていたことを、簡単に表現したものを列挙致しますと、次のようになります。

ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)
世界は本来壊れているものであり、それを直すことができるのは正しい者だけである

イマヌエル・カント
たとえ世界を直すことができなくても、私たちは常に世界を直すことができると仮定して行動しなければならない

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
世界が固定されていたとしても、私たちは無意識のうちに分裂を起こし、世界が再び崩壊し始めることになる

カール・マルクス
私たちには、世界を壊したいという衝動はない。もし私たちが世界を壊すとすれば、それは私たちが社会とその主人たちからそうすることを学んだからである。

ウラジミール・レーニン
われわれは、世界を固定するために、意識の統一を強行しよう

W・E・B・デュボイス(1918年)
世界のことは忘れて。 私はどうなるの? 私は二つ意識の一部です。 助けて!

御覧のように、その根底に存在しているのは、ユダヤ・キリスト教的な「贖罪(しょくざい)」の意識になります。キリスト教ならば、イエス・キリストが磔刑に処せられたことを以て、人類の罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いであるとし、人類に救いをもたらす(もたらした)とする、そんな意識です。ですから、これは明確に宗教的な思考・思想であり、これら一連の流れ・系譜は、なんらかの“ひとつの宗教”であると考えることで、より一層理解し易くなります。
マルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想も、“とあるひとつの宗教”から生み出された「贖罪」の意識であり、それは“物質的”なものでしかありませんでした。だからこそ、大失敗に終わったとも考えられるわけですが。。。

しかし、その“とある宗教”の信者らは、大失敗のあと、さまざまな“アイデンティティ”を次から次へと粗製濫造することによって、「贖罪」の対象物としての“罪”を創り出し、自らの罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いを果たそうと躍起になることとなります。
そこで現在、次の論文を参考にさせて頂きながら、その“アイデンティティ”について、果たしてそれは一体どのようなものであるべきなのかについて考えているところになります。

☆『アイデンティティ概念の再構築の試み : イタリア人アイデンティティという事例とともに』 宇田川 妙子
それでは早速、昨日の続きを見て参りましょう。
『 近代的なるものは、差異からアイデンティティを構成するのではなく、アイデンティティから差異を構成する。(クロスバーグ1998: 162)
自分にさわって自分の手を握りしめるたびに、そう、 「私」 と私は言った。しかし私は誰にそう言ったのだろうか。そして誰にとっての「私」なのか。私はひとりきりだった。(Pirandello 1992: 126)
関係は完全な全体性からではなく、完全性を構成することの不可能性から生じる。(ラクラウ&ムフ2000: 199)
4 イタリア人アイデンティティ
4.3 もう一つのイタリア人アイデンティティ?
・・・1989 年 2 月 24 日、筆者は調査のためにローマの近郊の R 町 (仮称) に滞在していた。その日、ある用事で隣の P 町を訪れ、郵便局に立ち寄ったところ、入り口にイタリア国旗が半旗で掲げられているのに気づいた。イタリアまたは P 町にかかわるような弔事が何かあったのだろうか、少なくとも筆者には思い当たることはなく、同行していたイタリア人 (R 町住民) も分からないという返事だった。ただ、ふと思いついたのは、この日は日本で昭和天皇の大葬の礼が行われたはずだということだった。しかし、まさかそれが理由ではないだろうと思いながら、窓口で聞いて見ると、果たして 「今日は、あなたの国の天皇の葬式でしょう。だからです」 という答えが返ってきた。筆者はちょっと驚いて、イタリアでは外国の要人が亡くなると国旗を掲げるのか、それとも P 町だけのことなのか等々の質問を投げかけた。というのも、その日 R 町では半旗を見た記憶がなかったからである。
結局、そのやり取りのなかで分かったのは、この半旗掲揚が、その日の朝のニュースで大葬の礼を知った局長の発案で、この郵便局独自の判断で行われたということだった。ただし P 町または局長が、日本と何か特別な関係にあるわけではなく、P 町は、ローマ近郊とはいえ、日本人観光客が訪れることもほとんどなかった。そして最後に筆者が、「日本の天皇の葬式のために弔意を表していただけるとは感謝します」 旨を述べると、彼らの一人が、「当然のことです。あなた方の悲しみは、我々イタリア人にとっても非常に遺憾なことなのです」 と返答したのである。
もちろんこの事例も、日本とイタリアが第 2 次世界大戦時に同盟国同士であり、その記憶をもつ者も少なくないことを考えれば、ナショナル ・アイデンティティ的な論理で説明することも可能である。また、筆者は残念ながら確認することはできなかったが、少なくとも局長はそうしたナショナリズム的な政治信条を持ち、それに基づいて国旗掲揚に至ったのかもしれない。ただし、たとえそうであったとしても、ここで筆者の関心を引いたのは、筆者と話をした局員たちの対応であり、そのなかでの 「我々イタリア人」 という言葉であった。
実際、この言葉が発せられた場面そのものに注視するならば、その 「イタリア人」 とは、「我々イタリア人」 の本質へ回帰しようとする言葉であるというよりは、むしろ 「あなた方日本人」 との関係を生み出す言葉として機能していると言えるだろう。彼らは、この言葉を使うことによって、自分たちの問題ではなく、日本人への弔意という形の、他者との関係を生じさせていると考えられるからである。』
ということで、本日はここまでとさせて頂きます。
続きは次回に♥
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