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     >  支那 >  中国が未だに手に入れることができない「国民国家」という武器

    中国が未だに手に入れることができない「国民国家」という武器

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    本日のキーワード : 国民国家、中国、イタリア



    国民国家(こくみんこっか、英: Nation-state、仏: État-nation、独: Nationalstaat)とは国家内部の全住民をひとつのまとまった構成員(=「国民」)として統合することによって成り立つ国家領域内の住民を国民単位に統合した国家そのものだけではなくそれを主権国家として成立する国家概念やそれを成り立たせるイデオロギーをも指している





    本日の書物 : 『この厄介な国、中国』 岡田 英弘 ワック



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 つまり、【皇帝システムという面から見れば、たしかに中国は二千年以上、異民族をも呑み込んで、変わらぬ姿を保ちつづいてきた】と言えよう。

     ところがその皇帝システムが、19世紀末から20世紀初頭の【欧米列強のアジア進出】によって【大きく揺さぶられる】こととなった。1757年にインドのベンガルを植民地にしたイギリスは、ついでビルマのラングーン、マラヤのペナン、シンガポールを支配下におさめ、そのあとを追った列強諸国とともに、中国大陸に食指を伸ばしてきた。

     そして、ついに【清朝】がイギリスからのアヘンの輸入を禁止したことにより、1839年に【アヘン戦争】が起き、【敗れた清】は南京条約によって、イギリスへの香港割譲や、広東、上海など5港の開港の他、賠償金の支払いを課せられることとなった。さらに44年にはアメリカと望厦(ぼうか)条約、フランスと黄埔(こうほ)条約を結び、それぞれの国にイギリスと同様の権利を認めたのである。

     その後、上海をはじめとする開港都市に諸外国が租界を設け、その行政権を認めるに至って、【中国はあっという間に列強の半植民地状態となってしまった】



     なぜ、二千年もの間、いかなる侵入者をもその皇帝システムの中に呑み込み、「中国」としての歴史を保ってきた国が、【いとも簡単に欧米の力の前に屈してしまった】のだろうか

     たしかに【皇帝システム】は【これまでの侵入者に対しては、絶対の力を発揮した】だが【欧米列強はこれまでのものとはまったく異質の、最強の国家システムを持っていた】。それが【「国民国家」というシステム】である。』

    日の丸

    イタリアは国民国家?


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、およそ20年前に出版されたものですが、そこから現在に至るまで相も変わらず「中国」というものを正確に理解できない(=トンチンカンな幻想を抱く)日本人が数多く存在していて、開いた口が塞がらない状況にあるのですが、そのような方々にまさに“打って付け”の内容となっており、是非とも正しい「中国」理解を広く一般国民に知らしめるべく当ブログが自信を持ってお勧めする良書になります。学校教育で教え込まれる「中国」のイメージが、如何に実態とかけ離れているのかが非常によく理解できると思います(笑)

    読書 4-50

    それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。

    (死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)

    ※(  )内は前回の数値

    plmczbxsajs.jpg
    Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE

    アメリカ : 582,635(582,026)÷32,765,633(32,730,828)=0.0177・・・(0.0177) 「1.77%(1.77%)」
    plmczbxsajs1.jpg

    イタリア : 123,282(123,031)÷4,123,230(4,116,287)=0.0298・・・(0.0298) 「2.98%(2.98%)」
    plmczbxsajs2.jpg

    日本 : 11,044(10,931)÷653,245(647,003)=0.0169・・・(0.0168) 「1.69%(1.68%)」
    plmczbxsajs3.jpg















    egdusyed.jpg
    【日本語訳】 U.S. DEPARTMENT of STATE / Fact Sheet : Activity at the Wuhan Institute of Virology  (米国務省 / ファクトシート : 武漢ウイルス研究所での活動)

    さて、これまで、「キリスト教神智学(Christian theosophy)」または「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」として知られる、ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)から始めて、それを受け継いできた人々についてその流れを追ってまいりました彼らが言っていたことを、簡単に表現したものを列挙致しますと、次のようになります

    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)
    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)

    世界は本来壊れているものであり、それを直すことができるのは正しい者だけである

    イマヌエル・カント
    イマヌエル・カント

    たとえ世界を直すことができなくても、私たちは常に世界を直すことができると仮定して行動しなければならない

    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル

    世界が固定されていたとしても、私たちは無意識のうちに分裂を起こし、世界が再び崩壊し始めることになる

    カール・マルクス
    カール・マルクス

    私たちには、世界を壊したいという衝動はない。もし私たちが世界を壊すとすれば、それは私たちが社会とその主人たちからそうすることを学んだからである。

    1895年のレーニン
    ウラジミール・レーニン

    われわれは、世界を固定するために、意識の統一を強行しよう

    W・E・B・デュボイス(1918年)
    W・E・B・デュボイス(1918年)

    世界のことは忘れて。 私はどうなるの?  私は二つ意識の一部です。 助けて!

    ポイント 女性

    御覧のように、その根底に存在しているのは、ユダヤ・キリスト教的な「贖罪(しょくざい)」の意識になります。キリスト教ならば、イエス・キリストが磔刑に処せられたことを以て、人類の罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いであるとし、人類に救いをもたらす(もたらした)とする、そんな意識です。ですから、これ明確に宗教的な思考・思想であり、これら一連の流れ・系譜は、なんらかの“ひとつの宗教”であると考えることでより一層理解し易くなります

    マルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想も、“とあるひとつの宗教”から生み出された「贖罪」の意識であり、それは“物質的”なものでしかありませんでした。だからこそ大失敗に終わったとも考えられるわけですが。。。

    女性 ポイント これ

    しかしその“とある宗教”の信者らは、大失敗のあとさまざまな“アイデンティティ”を次から次へと粗製濫造することによって、「贖罪」の対象物としての“罪”を創り出し自らの罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いを果たそうと躍起になることとなります。



    そこで現在、次の論文を参考にさせて頂きながら、その“アイデンティティ”について、果たしてそれは一体どのようなものであるべきなのかについて考えているところになります。

    fxvcmnvbc.jpg
    『アイデンティティ概念の再構築の試み : イタリア人アイデンティティという事例とともに』 宇田川 妙子

    それでは早速、昨日の続きを見て参りましょう。

    『 近代的なるものは、差異からアイデンティティを構成するのではなく、アイデンティティから差異を構成する。(クロスバーグ1998: 162)

    自分にさわって自分の手を握りしめるたびに、そう、 「私」 と私は言った。しかし私は誰にそう言ったのだろうか。そして誰にとっての「私」なのか。私はひとりきりだった。(Pirandello 1992: 126)

    関係は完全な全体性からではなく、完全性を構成することの不可能性から生じる。(ラクラウ&ムフ2000: 199)


    4 イタリア人アイデンティティ

    4.3 もう一つのイタリア人アイデンティティ?

     さてこうしてみると、先ほどの疑問、すなわち、彼らはなぜ弱いと言われるイタリア意識を手放さず積極的に用いていることすらあるのかという疑問も、すでに氷解したかに見える弱いイタリア人意識という語りそのものも実はナショナル ・アイデンティティの語りとしての効果を発揮しうるからである。

     しかしここにはもう一つ別の問いも浮かび上がってくる。それは、そもそも彼らのイタリア人であるという意識はすべてナショナル ・アイデンティティに回収されてしまうものなのかあるいはそれを基準とする説明で済ませてしまってよいのかという問題である。ここで 2 章の議論に戻るならば、ナショナル ・アイデンティティとは従来型のアイデンティティ概念の典型として、国民国家というカテゴリーに即してその本質との異同を問うという概念であった。とするならばイタリア人アイデンティティをナショナル ・アイデンティティと見なすということは彼らがイタリア人であると述べる際にはそれとの本質的な同化を意識し志向していることを認めるわけだが果たして常にそう言えるのだろうか

     たとえば、彼らはしばしば類型的なイタリア人イメージに即しながら自らをイタリア人であると陳述していることは前節で述べたが、その際、彼らはそのイタリア人イメージに完全に同化している (しようとしている) とは考えられないに違いない。その場面では、彼らはしばしばイタリア人イメージを誇張したり自嘲的に述べたりしているように、イタリア人であることを演技していると言ったほうが適切である。このことは、たしかに彼らはイタリア人というカテゴリーを用いてはいるが、そのカテゴリーに同化することなく距離を取っており、ゆえにイタリア人の本質という問題にもそれほど拘束されていないことを意味する。したがって、そこには容易に違和感や拒否感も入り込みうるし、実際そうした場面が少なくないこともすでに指摘した。また、だからこそ、逆に類型的なイメージに抗議する場合も、それをイタリア人の本質をめぐる次元の反発と言い切ることはできず、彼らは自分で批判したはずのイタリア人イメージを別の場面では簡単に肯定したり模倣したりしているのである。』


    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。







    続きは次回に♥




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