2021-05-15 (Sat)

本日のキーワード : 太極図、儒教、道教、朱子学
太極図(たいきょくず、英: Yin Yang)は、太極を表すための図案。陰陽太極図や陰陽魚とも呼称される。
『易経』繋辞上伝にある「易に太極あり、これ両儀を生じ、両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず(易有太極、是生兩儀、兩儀生四象、四象生八卦)」に由来し、宋易(宋代から興起した朱子学系統の易学)や道教において重視された。

陰陽魚太極図

太極旗
本日の書物 : 『この厄介な国、中国』 岡田 英弘 ワック
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 さて、【魏の曹操】に【保護】された【五斗米道】は、【やがて道教と呼ばれる】ようになり、【唐代】に入ると【皇帝までが信者になった】わけだが、そもそも【秘密結社から始まった宗教】だから、【確たる教義があるわけではない】。【隋代】あたりから仏教や儒教の観念が流れ込んできた結果、【それは「新道教」と呼ぶべきものに変わった】ことは前に述べたとおりである。だが、話はそれで終わらない。何と【儒教徒】が【新道教を剽窃(ひょうせつ/他人の文章・語句・説などをぬすんで使うこと。)して、これを儒教と称するようになった】のである。つまり、【中身は道教】でありながら、【外側は儒教】というわけである。
この【「新儒教」を確立】したのが、【朱子学】の大成者・【朱熹(しゅき)】であった。【宋代】に誕生した【朱子学】は儒教の一派であると言われているが、それは事実ではない。その証拠に、朱子学では孔子が一度も語ったことのない【宇宙論、陰陽論が扱われている】。これはもともと【道教の思想】である。
しかし、朱熹はなにもイカサマをやろうとしたわけではない。当時においては、儒・道・仏の三教を厳密に区別する習慣はなかった。むしろ、この三教を同時に取り扱うのが当たり前だったのであり、儒教を歪めたという意識は彼らにはなかったことであろう。
現代に至り、純粋化されたと考えられている儒教にしても、道教的な要素がひじょうに大きく残っている。例えば【儒教の気の哲学】には、理と気の二つの原理があるとされているが、これも【道教が基本】になっている。また、陰と陽が混じりあっていることを示す【太極図】も【道教からきたもの】である。
このように、【儒教の基本的な体系と信じられていること】の【多くが、実は道教を起源としている】のである。』

ナショナル・アイデンティティ
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、およそ20年前に出版されたものですが、そこから現在に至るまで相も変わらず、「中国」というものを正確に理解できない(=トンチンカンな幻想を抱く)日本人が数多く存在していて、開いた口が塞がらない状況にあるのですが、そのような方々に、まさに“打って付け”の内容となっており、是非とも正しい「中国」理解を広く一般国民に知らしめるべく、当ブログが自信を持ってお勧めする良書になります。学校教育で教え込まれる「中国」のイメージが、如何に実態とかけ離れているのかが、非常によく理解できると思います(笑)

それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。
(死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)
※( )内は前回の数値

☆Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE
アメリカ : 582,026(581,696)÷32,730,828(32,698,929)=0.0177・・・(0.0177) 「1.77%(1.77%)」

イタリア : 123,031(122,833)÷4,116,287(4,111,210)=0.0298・・・(0.0298) 「2.98%(2.98%)」

日本 : 10,931(10,856)÷647,003(642,063)=0.0168・・・(0.0169) 「1.68%(1.69%)」


☆【日本語訳】 U.S. DEPARTMENT of STATE / Fact Sheet : Activity at the Wuhan Institute of Virology (米国務省 / ファクトシート : 武漢ウイルス研究所での活動)
さて、これまで、「キリスト教神智学(Christian theosophy)」または「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」として知られる、ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)から始めて、それを受け継いできた人々についてその流れを追ってまいりました。彼らが言っていたことを、簡単に表現したものを列挙致しますと、次のようになります。

ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)
世界は本来壊れているものであり、それを直すことができるのは正しい者だけである

イマヌエル・カント
たとえ世界を直すことができなくても、私たちは常に世界を直すことができると仮定して行動しなければならない

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
世界が固定されていたとしても、私たちは無意識のうちに分裂を起こし、世界が再び崩壊し始めることになる

カール・マルクス
私たちには、世界を壊したいという衝動はない。もし私たちが世界を壊すとすれば、それは私たちが社会とその主人たちからそうすることを学んだからである。

ウラジミール・レーニン
われわれは、世界を固定するために、意識の統一を強行しよう

W・E・B・デュボイス(1918年)
世界のことは忘れて。 私はどうなるの? 私は二つ意識の一部です。 助けて!

御覧のように、その根底に存在しているのは、ユダヤ・キリスト教的な「贖罪(しょくざい)」の意識になります。キリスト教ならば、イエス・キリストが磔刑に処せられたことを以て、人類の罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いであるとし、人類に救いをもたらす(もたらした)とする、そんな意識です。ですから、これは明確に宗教的な思考・思想であり、これら一連の流れ・系譜は、なんらかの“ひとつの宗教”であると考えることで、より一層理解し易くなります。
マルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想も、“とあるひとつの宗教”から生み出された「贖罪」の意識であり、それは“物質的”なものでしかありませんでした。だからこそ、大失敗に終わったとも考えられるわけですが。。。

しかし、その“とある宗教”の信者らは、大失敗のあと、さまざまな“アイデンティティ”を次から次へと粗製濫造することによって、「贖罪」の対象物としての“罪”を創り出し、自らの罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いを果たそうと躍起になることとなります。
そこで現在、次の論文を参考にさせて頂きながら、その“アイデンティティ”について、果たしてそれは一体どのようなものであるべきなのかについて考えているところになります。

☆『アイデンティティ概念の再構築の試み : イタリア人アイデンティティという事例とともに』 宇田川 妙子
それでは早速、昨日の続きを見て参りましょう。
『 近代的なるものは、差異からアイデンティティを構成するのではなく、アイデンティティから差異を構成する。(クロスバーグ1998: 162)
自分にさわって自分の手を握りしめるたびに、そう、 「私」 と私は言った。しかし私は誰にそう言ったのだろうか。そして誰にとっての「私」なのか。私はひとりきりだった。(Pirandello 1992: 126)
関係は完全な全体性からではなく、完全性を構成することの不可能性から生じる。(ラクラウ&ムフ2000: 199)
4 イタリア人アイデンティティ
4.2 ナショナル・アイデンティティとしての「イタリア人」
・・・しかし、こうした方向性は、他の国々と同様にその擁護へと向かう動きも生み出し、90 年代は、実はイタリアという国家の枠組や歴史をあらためて確認しようとする議論が大量に生産された時代でもあった。たとえば、北部同盟が 「パダーニャ共和国」 樹立を宣言した際には、多くの新聞雑誌は、その主張の根拠を覆すためにイタリアの歴史をわかりやすく解説する特集を行ったし、特に 19 世紀のリソルジメント (イタリア復興運動) やイタリア統一の歴史を再評価する論調が急激に増えた。研究書の類でも、イタリアの国民意識の創出を検証した 『記憶の場所』 シリーズ (Isnenghi ed.1996–97) をはじめとして、『統一イタリアの神話と歴史』 (Belardelli, Cafagna, Della Loggia & Sabbatucci 1999) や 『イタリア人アイデンティティ』 (Della Loggia 1998) など、国民形成をテーマとする書籍が矢継ぎ早に出版された。そして、イタリア国家の歴史にとってもう一つの核となるファシズムやレジスタンスに関しても、ファシズムこそ国民文化創出の時代と位置づけたデ・フェリーチェ (De Felice 1995) を嚆矢として、新たな視角からの議論が始まり、イタリアの近現代史研究は非常な活気を見せることになった (Davis 1994,Battente 2000–01,北原2002: 369–427)。
もちろんこれらの議論すべてが、イタリアという国家枠組を積極的に擁護 ・強化しているわけではなく、その議論もまだ途上であり、評価も簡単にはできない。しかし、ここで再度確認したいのは、イタリア人アイデンティティの弱さとは、それがいかに脆弱なものであれ、そう語られる際には常にナショナリズムとかかわってきたという点である。
とするならば、彼らのナショナル・アイデンティティは弱いというよりも、その言説自体がナショナル・アイデンティティの語りの一環であると考えられる。そしてその意味では、イタリアにおいても、ナショナル・アイデンティティという語りへの志向性自体はけっして希薄ではなかったのである。実際、たとえば北部同盟は、イタリアという国家枠組やイタリア人であることを拒否したとはいっても、ナショナル (エスニック) ・アイデンティティ的な語りそのものは拒否していたわけではなく、「パダーニャ共和国」 樹立に見られるように、むしろその語りに積極的に依拠したパフォーマンスを繰り広げた。また、以上のような弱いイタリア人アイデンティティとは、それこそをイタリアの特徴と見なす言説であると考えることもできるだろう。もちろん従来、その特徴は自嘲的にしか語られてこなかったが、特に多文化主義などに対する関心が国際的に高まっている昨今、多様性が無理なく共存している点こそ 「イタリア性 italianità」 であるという論調も出てきている。前述のイタリアの連邦化という議論も、単なる地方主義の発露ではなく、統一のなかの多様性という、ナショナリズムを土台とする主張であるという見方もある (Bull 1993: 82)。これもまた、時代の変化に合わせたナショナル ・アイデンティティの語り方の一つとしてみることができるかもしれない。』
ということで、本日はここまでとさせて頂きます。
続きは次回に♥
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