2021-05-14 (Fri)

本日のキーワード : 老子、道教、秘密結社、文字
老子道徳経(ろうしどうとくきょう) は、中国の春秋時代の思想家老子が書いたと伝えられる書。単に『老子』とも『道徳経』とも表記される。また、老子五千言・五千言とも。『荘子』と並ぶ道家の代表的書物。
本日の書物 : 『この厄介な国、中国』 岡田 英弘 ワック
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 では、【なぜ道教と老子が結び付くようになったのか】 ―― 実は、これもまた【言語問題】である。秘密結社が規模を拡大すると、やはり【言語の壁】にぶち当たる。各支部に指令を下したり、支部からの報告を受けるときには、必然的に文書のやりとりが行われることになるからである。
そこで【五斗米道(ごとべいどう)】が採用したテキストが『老子』であった。始皇帝の発想と同じで、【『老子』を読誦(とくしょう)させることで、文字とその使い方を覚えさせる】というのが真相であった。
ちなみに、ニ世紀以前に秘密結社らしきものが大規模に活動した形跡がないのも、おそらく【文字の問題】であろう。史料不足もあるかもしれないが、ニ世紀までは庶民レベルでは文字が普及せず、そのため全国的活動が不可能だったのである。民間の文字普及の原動力となったのは紀元一〇五年、宦官の蔡倫(さいりん)による紙の発明である。紙が作られるようになって、秘密結社のスケールが一挙に拡大していったと、私は解釈している。
話を戻せば、【『老子』を読誦するからといって、老子の自然・無為を貴ぶ思想が道教の主流になったわけではない】。『老子』が採用されたのは偶然であって、それは当時の後漢の支配階級の宗教であった儒教のアンチテーゼとして選ばれたにすぎない。
【五斗米道で『老子』がいかに解釈されたか】は、張魯の作とされる「想爾(そうじ)」と題する注釈が残っており、その実態がうかがわれるが、大体において『老子』の本文の片言隻句(へんげんせきく)をとらえて、それにかこ付けて五斗米道の教義を説いたものである。【『老子』の本来の意義は問題になっていない】。もともと注釈というのはそういう性質のものだが、『老子』の難解な、断片的な警句は、【信徒が大声で唱える呪文としては有効であったのかもしれない】。』

近代国家という「想像の共同体」
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、およそ20年前に出版されたものですが、そこから現在に至るまで相も変わらず、「中国」というものを正確に理解できない(=トンチンカンな幻想を抱く)日本人が数多く存在していて、開いた口が塞がらない状況にあるのですが、そのような方々に、まさに“打って付け”の内容となっており、是非とも正しい「中国」理解を広く一般国民に知らしめるべく、当ブログが自信を持ってお勧めする良書になります。学校教育で教え込まれる「中国」のイメージが、如何に実態とかけ離れているのかが、非常によく理解できると思います(笑)

それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。
(死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)
※( )内は前回の数値

☆Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE
アメリカ : 581,696(579,929)÷32,698,929(32,580,188)=0.0177・・・(0.0178) 「1.77%(1.78%)」

イタリア : 122,833(122,263)÷4,111,210(4,082,198)=0.0298・・・(0.0299) 「2.98%(2.99%)」

日本 : 10,856(10,566)÷642,063(622,265)=0.0169・・・(0.0169) 「1.69%(1.69%)」666


☆【日本語訳】 U.S. DEPARTMENT of STATE / Fact Sheet : Activity at the Wuhan Institute of Virology (米国務省 / ファクトシート : 武漢ウイルス研究所での活動)
さて、これまで、「キリスト教神智学(Christian theosophy)」または「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」として知られる、ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)から始めて、それを受け継いできた人々についてその流れを追ってまいりました。彼らが言っていたことを、簡単に表現したものを列挙致しますと、次のようになります。

ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)
世界は本来壊れているものであり、それを直すことができるのは正しい者だけである

イマヌエル・カント
たとえ世界を直すことができなくても、私たちは常に世界を直すことができると仮定して行動しなければならない

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
世界が固定されていたとしても、私たちは無意識のうちに分裂を起こし、世界が再び崩壊し始めることになる

カール・マルクス
私たちには、世界を壊したいという衝動はない。もし私たちが世界を壊すとすれば、それは私たちが社会とその主人たちからそうすることを学んだからである。

ウラジミール・レーニン
われわれは、世界を固定するために、意識の統一を強行しよう

W・E・B・デュボイス(1918年)
世界のことは忘れて。 私はどうなるの? 私は二つ意識の一部です。 助けて!

御覧のように、その根底に存在しているのは、ユダヤ・キリスト教的な「贖罪(しょくざい)」の意識になります。キリスト教ならば、イエス・キリストが磔刑に処せられたことを以て、人類の罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いであるとし、人類に救いをもたらす(もたらした)とする、そんな意識です。ですから、これは明確に宗教的な思考・思想であり、これら一連の流れ・系譜は、なんらかの“ひとつの宗教”であると考えることで、より一層理解し易くなります。
マルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想も、“とあるひとつの宗教”から生み出された「贖罪」の意識であり、それは“物質的”なものでしかありませんでした。だからこそ、大失敗に終わったとも考えられるわけですが。。。

しかし、その“とある宗教”の信者らは、大失敗のあと、さまざまな“アイデンティティ”を次から次へと粗製濫造することによって、「贖罪」の対象物としての“罪”を創り出し、自らの罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いを果たそうと躍起になることとなります。
そこで現在、次の論文を参考にさせて頂きながら、その“アイデンティティ”について、果たしてそれは一体どのようなものであるべきなのかについて考えているところになります。

☆『アイデンティティ概念の再構築の試み : イタリア人アイデンティティという事例とともに』 宇田川 妙子
それでは早速、昨日の続きを見て参りましょう。
『 近代的なるものは、差異からアイデンティティを構成するのではなく、アイデンティティから差異を構成する。(クロスバーグ1998: 162)
自分にさわって自分の手を握りしめるたびに、そう、 「私」 と私は言った。しかし私は誰にそう言ったのだろうか。そして誰にとっての「私」なのか。私はひとりきりだった。(Pirandello 1992: 126)
関係は完全な全体性からではなく、完全性を構成することの不可能性から生じる。(ラクラウ&ムフ2000: 199)
4 イタリア人アイデンティティ
4.2 ナショナル・アイデンティティとしての「イタリア人」
これまで弱いと言われてきたイタリア人アイデンティティは、先のダゼーリオの台詞が好んで引用されることに象徴的に示されているように、近代国家とのかかわりのなかで意識され醸成されてきたナショナル・アイデンティティとしてのそれである。そもそも近代国家とは、周知のとおり 「想像の共同体」 であり、その意味では、いかなるナショナル・アイデンティティも堅固な実体があるわけではなく想像の所産であり、その想像の強度と蓄積によって支えられている。たしかにイタリアの場合、近代国家の成立時の経緯などの理由から、その想像力を有効に働かせるための資源に欠け、十分な歴史的蓄積を重ねることはできなかった。それゆえ、相対的に強度の低いイタリア国民国家の本質に対しては、そこに同化することも難しく、彼らのイタリア人意識は相対的に脆弱にならざるをえなかったとも言える。こうした視角から近代国家やナショナリズムのあり方を分類 ・体系化し、そのどこかにイタリアの事例を位置づけることも可能だろうし、実際、そうした試みは歴史学・政治学を中心にすでに数多く行われている。しかしここからは、イタリア人アイデンティティを弱いとみなす言説とは、結局、ナショナル ・アイデンティティの論理を下敷きにして構成されてきたことが浮かび上がってくる。極言すれば、弱いという言説自体が、その強さを求めようとする方向性に裏打ちされているのである。
実際、既述のように、特に 1990 年代以降イタリアでも国民国家という枠組が急激に問い直されつつあるなか (Allen & Russo eds. 1997,Peri 2000)、彼らのイタリア人意識の弱さはさらに強まっていると見なされる一方で、ナショナリズムへの傾斜とも言える議論や動きも同時に出現していることは忘れてはならない。
ヨーロッパでは、周知のとおり、昨今の国民国家の枠組みの揺らぎは EU 化の動きと強く関連している。イタリアでも、通貨統合をはじめさまざまな次元で急速に整備された EU の機構が、彼らの日常生活にも実質的な影響力を増しつつあり、たとえばヨーロッパ社会基金のように、国家以外の選択肢の一つとしても機能しはじめている。ただしイタリアは、EU の発足以前から、その加入に賛同する者が他のヨーロッパ諸国に比べて圧倒的に多かったと言われ、その理由として、しばしば彼らのナショナリズムの低さが言及されてきた (Hine 1993: 286–7)。また、先に触れた近年の地域主義の高まりも、彼らのイタリア人意識の低さと絡めて説明されるが、なかでも北部同盟 (Lega Nord) の躍進はその典型と目されることが多い。彼らは 80 年代から活動をはじめていたが、90 年代に入ると、従来から大きな社会問題となっている南北格差を背景に反南部主義をかき立てて、イタリアという国家枠組を否定する一方で、12 世紀のロンバルディア同盟の歴史に基づく北部地域独自のアイデンティティを立ち上げて急成長した。そして 1996 年には 「パダーニャ共和国」 樹立という行動に打って出た)。それは、法的な裏付けをもたないパフォーマンスであり、まさに 「想像の共同体」 のカリカチュアにすぎなかったが、日本でもイタリア国家の分裂の危機として報道されるほど大きな衝撃をもたらしたのである (Cachafeiro 2002,Gold 2003)。』
ということで、本日はここまでとさせて頂きます。
続きは次回に♥
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