2021-04-12 (Mon)

本日のキーワード : 阿呆、痴呆
阿呆(あほう、あほ)とは、日本語で愚かであることを指摘する罵倒語、侮蔑語、俗語。近畿地方を中心とした地域でみられる表現で、関東地方などの「馬鹿」、愛知県などの「タワケ」、石川県・富山県・島根県出雲地方などの「ダラ」に相当する。行動の愚かさだけでなく、学のなさなどもさす。
「阿呆」は「馬鹿」とともによく使われる言葉だが、まったく同じ意味ではない。例えば、「学者馬鹿」というような、一本気さ、愚直さを表す用法は「阿呆」にはない、強調語として使う場合の「馬鹿」は「馬鹿でかい」「馬鹿にでかい」のように副詞的に使われるが、「阿呆」の場合は「阿呆ほどでかい」のように接続詞を伴う、などの用法の違いがある。

2 different administrations(2つの異なる管理体制)
本日の書物 : 『この厄介な国、中国』 岡田 英弘 ワック
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 話を戻せば、当時の状況において、【鄧小平(とうしょうへい)ら共産党幹部】にとって、【日本】は【一種のアキレス腱】であった。というのもこの問題が起こった1982年は、ちょうど日中国交樹立十周年目にあたり、それを記念して趙紫陽(ちょうしよう)が5月31日から6月5日まで日本を訪問していた。その様子は連日中国のマスコミによって報道され、当時、中国の街には「われわれは、いまに日本のようになるのだ」というスローガンが溢れていた。その【親日ムードを作っているのは、言うまでもなく鄧小平たち】である。経済改革を志向する共産党中央にとって【親中国の日本】は、【外交上きわめて重要な存在だった】。
そんな時期に「日本はいまだに軍国主義であり、中国に対する再侵略を計画している」と言えば、【誰がいちばん困るか】。言うまでもなく【鄧小平】である。そのような事実はないと言ったところで、こういう場合、弁解すればするほど、鄧小平の立場は苦しくなる。軍国日本というレッテルがすでに付けられている以上、その日本を弁護することは墓穴を掘るようなものである。
この【日本批判のキャンペーン】は見事に【成功】を収めた。【鄧小平の党内発言力は弱まり、一方の人民解放軍長老の発言力は増した】。
結局、【政府は軍に降伏する形】となり、その後に開かれた中央委員会第七回総会で「党中央軍事委員会を廃止しない」ということが決定された。【長老たちは勝った】のである。
人民解放軍の勝利が明白になると、中国メディアの日本批判は完全に消え失せた。【明らかに中国にとって、この教科書問題とは権力闘争の手段だったのである】。
ところが、【日本政府】は彼らのやり方、つまり【「指桑罵槐(しそうばかい)」が読めなかった】。そして、中国が日本に対して本気で怒っていると思ったらしい。そして、【あろうことか、当時の宮沢喜一官房長官はそれが誤報であると知っていたにもかかわらず、中国に対して謝ってしまった】。

宮澤喜一
しかも【「今後の教科書検定は近隣諸国の感情に配慮する」などという馬鹿げた談話まで出してしまったのである】。』

デュボイスのプロパガンダ
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、およそ20年前に出版されたものですが、そこから現在に至るまで相も変わらず、「中国」というものを正確に理解できない(=トンチンカンな幻想を抱く)日本人が数多く存在していて、開いた口が塞がらない状況にあるのですが、そのような方々に、まさに“打って付け”の内容となっており、是非とも正しい「中国」理解を広く一般国民に知らしめるべく、当ブログが自信を持ってお勧めする良書になります。学校教育で教え込まれる「中国」のイメージが、如何に実態とかけ離れているのかが、非常によく理解できると思います(笑)

それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。
(死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)
※( )内は前回の数値

☆Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE
アメリカ : 555,226(554,988)÷30,727,862(30,703,583)=0.0180・・・(0.0180) 「1.80%(1.80%)」

イタリア : 111,326(111,030)÷3,678,944(3,668,264)=0.0302・・・(0.0302) 「3.02%(3.02%)」

日本 : 9,227(9,210)÷486,753(485,175)=0.0189・・・(0.0189) 「1.89%(1.89%)」

↓↓↓【YouTubeによる“検閲”の実例】↓↓↓

☆【日本語訳】 U.S. DEPARTMENT of STATE / Fact Sheet : Activity at the Wuhan Institute of Virology (米国務省 / ファクトシート : 武漢ウイルス研究所での活動)

さて、これまでのところで、マルクスに至るまでの「ドイツ思想」に決定的な影響を与えた、「キリスト教神智学(Christian theosophy)」または「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」として知られる、ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)から始めて、その“悪”についてのベーメの思想の影響を受けたイマヌエル・カントとゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルについて確認して参りましたが、彼らが言っていたことを簡単に表現すると、次のようになります。

ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)
世界は本来壊れているものであり、それを直すことができるのは正しい者だけである

イマヌエル・カント
たとえ世界を直すことができなくても、私たちは常に世界を直すことができると仮定して行動しなければならない

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
世界が固定されていたとしても、私たちは無意識のうちに分裂を起こし、世界が再び崩壊し始めることになる
そして、この流れを受け継ぐカール・マルクスが言っていたことを簡単に表現すると、次のようになります。

カール・マルクス
私たちには、世界を壊したいという衝動はない。もし私たちが世界を壊すとすれば、それは私たちが社会とその主人たちからそうすることを学んだからである。
そして、ここから、さらに一歩踏み込んで積極的な態度へと転換させたのがウラジミール・レーニンで、彼が言っていたことを簡単に表現すると、次のようになります。

1895年のレーニン
われわれは、世界を固定するために、意識の統一を強行しよう

で、そのウラジミール・レーニンとは別の、もう一つの流れでもあるアメリカのウィリアム・エドワード・バーグハード・デュボイスが挙げられますが、彼が言っていたことを簡単に表現すると、次のようになります。

W・E・B・デュボイス(1918年)
世界のことは忘れて。 私はどうなるの? 私は二つ意識の一部です。 助けて!
そこで、現在はこのデュボイスが主張する「二重意識」なるものを確認するために、次の論文を参考にしているところとなります。

☆『W.E.B.デュボイスの"The prayers of God"における「認識」の瞬間と「二重意識」の概念』 富澤 理英子
それでは早速、昨日の続きを見て参りましょう。
『 4. 神の視線と「認識」
・・・デュボイスは “ Criteria of Negro Art ” というエッセイの中で、Art を
Thus all Art is propaganda and ever must be, despite the wailing of the pursuits. I stand in utter shamelessness and say that whatever art I have for writing has been used always for propaganda for gaining the right of black folk to love and enjoy.
(※このように、すべての芸術はプロパガンダであり、追求者たちの嘆きにもかかわらず、これからもそうでなければならない。私は全く恥知らずな立場に立って、私が書くために持っているどんな芸術も、黒人が愛し楽しむ権利を得るためのプロパガンダのために常に使われてきたのだと言う。)
と定義している。その “ the tools of the artist ” は “ truth ” であり、そして、
Again artists have used Goodness-goodness in all its aspects of justice, honor and right ― not for sake of an ethical sanction but as the one true method of gaining sympathy and human interest.
だといっている。 “ The Prayers of God ” がデュボイスの定義する “ Art ” の一つであり、一種の propaganda であるなら、白人である「私」を作品の前半で沈黙を持って「傍観する」神は “ truth, ” “goodness, ” “ justice, ” “ honor, ” “ right ” の基準そのものであり、「私」に、自らをこの基準によってはからせる役割として機能している事になろう。自分達の手を “ Palsied, our cunning hands ” と呼んだりするのも、神から自分たちへの視点にもとづいた呼ぴ方になっており、「認識」の瞬間もやはりこの視点の延長に訪れたと考えられるだろう。
もし、この詩の発表された当時の背景も考えるなら、“ The Prayers of God ” は「二重意識」の概念を変形(オリジナルの人種的構成を反転)させて、“ the tools of the artist ” に基づいた神の(必ずしもキリストに限らず)道穂的な視線を発信し、暴力を実践する者達に「神からどう見られるかを考えるように」促し、行動を正すメッセージが隠されていると考えられる。
詩の終盤、以下の連の 2 行目から 4 行目にかけてイ夕リツク体が使用される部分が “ Thou, ” “ needest, ” そして “ me ” の順にスライドしている。
Prayst Thou, Lord, and to me ?
Thou needest me ?
Thou needest me ?
Thou needest me ?
Poor, wounded soul !
Of this I never dreamed. I thought ―
4 行目の「自分が必要」であるという事実が最後になるのは、最も実感しにくい、あるいは一番大事なアピールとして強調されていると考えられる。この詩がプロパガンダであり、 “ me ” が作品中の「私」だけでなく、読者である可能性を考えると、神から「私」だけでなく、デュボイスから読者へのメッセージともとれ、次の連が、“ Courage, God, / I come ! ” であるからには人種的摩擦に関して何らかのアクションを促し読者の「認識」を促すものとも考えられる。マニング・マラブル( Manning Marable ) が “ Du Bois does not attempt to persuade or cajole his white audience ” と述べる通り、直接的な要求をアピールとして表明するのではなく、上記の意識の移行表現に見られるように、デュボイスは登場人物の意識構造自体をプロパゲートしたと考えられよう。』
ということで、本日はここまでとさせて頂きます。
続きは次回に♥
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