2021-04-08 (Thu)

本日のキーワード : 幻想、一衣帯水、同文同種
幻想(げんそう)とは、現実にはないことをあるかのように心に思い描くこと。また、そのような想念。「幻想を抱く」「戦争のない未来を幻想する」
本日の書物 : 『この厄介な国、中国』 岡田 英弘 ワック
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 一衣帯水(いちいたいすい)という言葉がある。一本の帯のように見える水という意味で、川や海の幅が狭いことを指す言葉である。この言葉は、日本と中国の関係を言うときに、よく使われてきた。それほど、日本と中国の関係は地理的にも精神的にも深いと言われている。
ところが、それほど親密な隣人であるはずの【中国人との付き合い】において、戦前にしてもそうだが、ことに戦後半世紀以上にわたって、【政府にしても、企業にしても、日本人はことごとく対応を誤ってきた】。「中国人のやることは分からない」これが少しでも中国人と付き合ったのとのある日本人の率直な感想だろう。いや、親しくなればなるほど分からなくなる、と言ったほうがいいかもしれない。
なぜこのようなことが起こるのだろう。私に言わせれば、【この一衣帯水、同文同種という言葉こそが、すべてのトラブルの源となる】。

このことは後で詳説するが、【中国および中国人を理解するためには、「書かれていること」より「書かれていないこと」のほうが重要】なのである。

私も東洋史学者のひとりとして、十代のころから無数とも言えるほどの【漢籍】 ―― つまり「書かれていること」と格闘して、中国の本質を理解しようとしてきた。自分で言うのもおこがましいが、こと漢籍の読書量に関しては、現在の東洋史学界において、私は誰にも引けを取らないと自負している。
だが、【いくら漢籍を読んでみても、中国の本質は分からない】 ―― 皮肉なことに、私が漢籍と格闘した結果、到達した結論はこれであった。【漢籍に「書かれていないこと」のほうが、実は中国理解にとって本質的に重要なのである】。
古来、日本人は「同文同種」の民族として、漢文を読み込むことで、中国を知ったつもりになってきた。しかし、それは、きわめて危険なことで、【日本人が中国および中国人を理解することに失敗してきた最大の原因】は、実はここにあるといっても過言ではない。
中国人を知ろうと思うなら、まず【同文同種、一衣帯水という幻想】から自由になる必要がある。「書かれていること」だけを読めば、さながら彼らは日本人の同胞であり、友人のように見える。
だが、それは違う。【中国人には、中国人独自の行動原理がある】。そして、【それらは日本人とは極端にかけ離れている】。だが、【それを理解しないかぎり中国人を理解することはできない】のである。』

デュボイスの「二重意識」と二元論と対立の構図
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、およそ20年前に出版されたものですが、そこから現在に至るまで相も変わらず、「中国」というものを正確に理解できない(=トンチンカンな幻想を抱く)日本人が数多く存在していて、開いた口が塞がらない状況にあるのですが、そのような方々に、まさに“打って付け”の内容となっており、是非とも正しい「中国」理解を広く一般国民に知らしめるべく、当ブログが自信を持ってお勧めする良書になります。学校教育で教え込まれる「中国」のイメージが、如何に実態とかけ離れているのかが、非常によく理解できると思います(笑)

それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。
(死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)
※( )内は前回の数値

☆Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE
アメリカ : 552,942(551,817)÷30,520,491(30,437,755)=0.0181・・・(0.0181) 「1.81%(1.81%)」

イタリア : 109,847(109,346)÷3,607,083(3,584,899)=0.0304・・・(0.0305) 「3.04%(3.05%)」

日本 : 9,173(9,155)÷477,172(474,566)=0.0192・・・(0.0192) 「1.92%(1.92%)」

↓↓↓【YouTubeによる“検閲”の実例】↓↓↓

☆【日本語訳】 U.S. DEPARTMENT of STATE / Fact Sheet : Activity at the Wuhan Institute of Virology (米国務省 / ファクトシート : 武漢ウイルス研究所での活動)

さて、これまでのところで、マルクスに至るまでの「ドイツ思想」に決定的な影響を与えた、「キリスト教神智学(Christian theosophy)」または「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」として知られる、ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)から始めて、その“悪”についてのベーメの思想の影響を受けたイマヌエル・カントとゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルについて確認して参りましたが、彼らが言っていたことを簡単に表現すると、次のようになります。

ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)
世界は本来壊れているものであり、それを直すことができるのは正しい者だけである

イマヌエル・カント
たとえ世界を直すことができなくても、私たちは常に世界を直すことができると仮定して行動しなければならない

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
世界が固定されていたとしても、私たちは無意識のうちに分裂を起こし、世界が再び崩壊し始めることになる
そして、この流れを受け継ぐカール・マルクスが言っていたことを簡単に表現すると、次のようになります。

カール・マルクス
私たちには、世界を壊したいという衝動はない。もし私たちが世界を壊すとすれば、それは私たちが社会とその主人たちからそうすることを学んだからである。
そして、ここから、さらに一歩踏み込んで積極的な態度へと転換させたのがウラジミール・レーニンで、彼が言っていたことを簡単に表現すると、次のようになります。

1895年のレーニン
われわれは、世界を固定するために、意識の統一を強行しよう

で、そのウラジミール・レーニンとは別の、もう一つの流れでもあるアメリカのウィリアム・エドワード・バーグハード・デュボイスが挙げられますが、彼が言っていたことを簡単に表現すると、次のようになります。

W・E・B・デュボイス(1918年)
世界のことは忘れて。 私はどうなるの? 私は二つ意識の一部です。 助けて!
そこで、現在はこのデュボイスが主張する「二重意識」なるものを確認するために、次の論文を参考にしているところとなります。

☆『W.E.B.デュボイスの"The prayers of God"における「認識」の瞬間と「二重意識」の概念』 富澤 理英子
それでは早速、一昨日の続きを見て参りましょう。
『 3. 能動的に聞き、察する姿勢と「認識」
・・・「二重意識」概念の二つの自己は前述の通り、 “ an American ” と “ a Negro ” であり、その “ two souls ” や “ two thoughts ” は “ two unreconciled strivings; two warring ideals in one dark body ” という対立の図式を有しているが、同時に一種の能動性の呼応の形式としても解釈できる。これは “ The Prayers of God ” において “ We murdered. / To build Thy Kingdom ” と述べる「私」の理想と、実際の「神」が「私」に望む理想や「祈り」との相克の構図と一致している。
しかし、「二重意識」の二つの自己の相互作用に関してもっと重要なのは前述の “ America has too much to teach the world and Africa ” と “ Negro blood has a message for the world ” の部分であろう。後者の “ the world ” が “ America ” を含むとすると、“ America ” と “ Negro blood ” 二者の一種の相互作用の図式になる。 “ The Prayers of God ” の「私」が「二重意識」概念の “ America ” で「神」が “ Negro blood ” だとすると、「二重意識」の “ Negro blood ” と “ The Prayers of God ” の「神(黒人)」がメッセージの発信者として共通の役割を持つのに対して、「二重意識」の “ America ” と “ The Prayers of God ” の「私」は異なる役割(機能)を見せていると言える。 “ America ” は “ teach ” する存在であり、「私」は相手の言葉を聞き取ろうと努める面を見せる。 “ teach ” という動詞の表す意味は多様に解釈できるが、“ too much ” という部分が抑圧的な white America に対するデュボイスの皮肉だとすると、この詩の「私」の「聞く」という姿勢は「二重意識」の描く “ America ” のベクトルに対する一種の対抗言説であり、「私」の大きな「認識」の瞬間をもたらしたものになる。
また、相手にコミュニケーションを求め、理解しようとする「私」の姿は「二重意識」概念の “ to merge his double self into a better and truer self ” という “ strife ” のベクトルと一致する。「二重意識」で二つの自己の “ merge ” を求めたのは黒人であるのに対し、“ The Prayers of God ” では白人である「私」が相手に歩み寄り、“ Is this Thy Crucifixion, God, ” と相手の痛みをメデイテートし、“ This pain ― is it Thine ? ” と、自己と他者の境界の揺らぎを見せるまで、近づく。最後の “ Courage, God, / I come ! ” が「二重意識」概念の “ to merge ” の象徴であるなら、この詩は白人である「私」が「二重意識」概念の黒人側の希求を体現していることになる。
デュボイスは 1903 年出版の The Souls of Black Folk の “ Forethought ” で、
HEREIN LIE buried many things which if read with patience may show the strange meaning of being black here in the dawning of the Twentieth Century. This meaning is not without interest to you, Gentle Reader; for the problem of the Twentieth Century is the problem of the color-line. I pray you, then, receive my little book in all charity, studying my words with me, forgiving mistake and foible for sake of the faith and passion that is in me, and seeking the grain of truth hidden there.
と述べているが、デュボイスのメッセージはメッセージの受信者も無関係でいられない問題であり、受信者はデュボイスが本文に込めた多くの事、また明らかに語られない事実、そして「ここに隠された真実の穀粒」を自分から能動的に行聞から探してほしいという論理である。 “ I pray you ” というこの部分同様、「祈り」という形で、“ The Prayers of God ” の神(黒人側)はメッセージを発信し、「私」はこのベクトルに押される形で語り、聞き、想像し、また読み取ろうとしている事になり、この点においてはデュボイスの望むコミュニケーションの一つの形がこの作品の中で実現していることになる。』
ということで、本日はここまでとさせて頂きます。
続きは次回に♥
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