2021-03-19 (Fri)

本日のキーワード : 煽戦家、レーニン、革命、戦争
『帝国主義論』(ていこくしゅぎろん)は、ロシアの
本日の書物 : 『あるユダヤ人の懺悔「日本人に謝りたい」(復刻版)』 モルデカイ・モーゼ 沢口企画
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 教科書的マルクス主義では、【レーニン主義】とは【マルクス主義を資本主義の最高段階、帝国主義の時代に適用、発展させたもの】ということになっている。建前論からすればそうともいえるだろう。しかし本質論はそんなことでは到底理解できないだろう。

【レーニン】というと、革命家と誰もが考えるだろう。しかし実際は、【煽戦家(せんせんか/戦いを煽る人)】というべきであろう。レーニンといえば【「帝国主義論」】である。あの「帝国主義論」というのは、本人も認めている如く、ホブソンの「帝国主義」の盗作というべきものであると思われている。しかし問題はそんなところにあるのではない。全文の中のただ一行、【「帝国主義諸国間の戦争は不可避である」】という点に注目しさえすればよい。レーニンが「帝国主義論」を書いた目的はただこの一点にあるのである。
その目的は、戦争というものがユダヤ民族の解放事業に最も有効な手段であるということにつきる。【19世紀のマルクスの持ち出した内部抗争による国家の転覆】という手段よりも、ずっと手っ取り早い手段が戦争なのである。戦争で国家が疲弊したどさくさが一番の変革、解放事業のチャンスであるということである。日本の戦後改革もこのパターンである。』

マルクスが理解できなかった基本の“キ”
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、「陰謀論」と「陰謀」とを区別が出来ず(あるいは知っていて加担している?)、ある連中にとって、非常に都合が悪いことを“十把一絡げ”に「陰謀論」だとレッテルを貼ってしまう「似非保守とおパヨク」とは違って、今現在起こっている出来事を、どのように見ていけば良いのかという“新たな視点”を提供して下さる書物で、一方通行の偏狭な物事に対する見方から抜け出し、より全体を俯瞰する見方を獲得するヒントが得られるお薦めの良書となります。

それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。
(死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)
※( )内は前回の数値

☆Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE
アメリカ : 534,794(533,671)÷29,428,075(29,362,038)=0.0181・・・(0.0181) 「1.81%(1.81%)」

イタリア : 102,145(101,881)÷3,223,142(3,201,838)=0.0316・・・(0.0318) 「3.16%(3.18%)」

日本 : 8,587(8,566)÷447,284(446,295)=0.0191・・・(0.0191) 「1.91%(1.91%)」


☆【日本語訳】 U.S. DEPARTMENT of STATE / Fact Sheet : Activity at the Wuhan Institute of Virology (米国務省 / ファクトシート : 武漢ウイルス研究所での活動)

さて、これまでのところで、マルクスに至るまでの「ドイツ思想」に決定的な影響を与えた、「キリスト教神智学(Christian theosophy)」または「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」として知られる、ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)から始めて、その“悪”についてのベーメの思想の影響を受けたイマヌエル・カントとゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルについて確認して参りましたが、彼らが言っていたことを簡単に表現すると、次のようになります。

ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)
世界は本来壊れているものであり、それを直すことができるのは正しい者だけである

イマヌエル・カント
たとえ世界を直すことができなくても、私たちは常に世界を直すことができると仮定して行動しなければならない

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
世界が固定されていたとしても、私たちは無意識のうちに分裂を起こし、世界が再び崩壊し始めることになる
そして、この流れを受け継ぐカール・マルクスが言っていたことを簡単に表現すると、次のようになります。

カール・マルクス
私たちには、世界を壊したいという衝動はない。もし私たちが世界を壊すとすれば、それは私たちが社会とその主人たちからそうすることを学んだからである。
そして、ここから、さらに一歩踏み込んで積極的な態度へと転換させたのがウラジミール・レーニンで、彼が言っていたことを簡単に表現すると、次のようになります。

1895年のレーニン
われわれは、世界を固定するために、意識の統一を強行しよう

そこで現在は、次の論文を参考にさせて頂きながら、カール・マルクスからウラジミール・レーニンへと受け継がれた流れを確認しているところとなります。

☆『マルクス社会理論の形成とその問題性 : 社会主義崩壊とマルクスの責任をめぐって』 神田順司
それでは早速、昨日の続きを見て参りましょう。
『 3. 「ヘーゲル法哲学批判」 におけるマルクスのヘーゲル把握
しかし実際マルクスはそのようなフォイエルバッハの論理を武器にヘーゲル 『法哲学』 に立ち向かう。 そのうえ彼は 「国内法」 という部分だけを予備知識もなくいきなり批判の対象に据えたのだから、その批判は混乱と苦渋に満ちたものとなる。 事実、マルクスの 「ヘーゲル法哲学批判」 を読むと、彼のヘーゲル理解の稚拙さが目に付く。 しかも初歩的なヘーゲル用語すら理解していないことが分かる。 たとえば 「理念」 とは、空虚な構想物ではなく、「概念とその現実態」 であると 『法哲学』 の冒頭に記されているにもかかわらず、マルクスはこれを、抽象的 「理念」 ないしは 「論理的理念」 と取り違え、それに基づいてヘーゲルを批判する。 たとえば 269 節において国家はひとつの有機的全体として、つまりそこで国家の 「概念」 が具現化し活動している全体として、すなわち 「理念」 としての法律や条例だけでなく、国家の諸権力や行政機構などの 「現実態」 が有機的に連動しなければならないと述べられている。 これに対してマルクスは、この 「理念」 を観念的構想物だと思い込んでいるために、「この理念がそれの分節化された姿に、つまり客観的な生きた現実に発展してゆく」 というヘーゲルの言明を捉え、あたかも観念としての 「理念」 が現実の制度に次々と化けてゆくものと誤解し、これこそ 「主語と述語の転倒」 に他ならないという。 彼は明らかにそのような誤解に基づいて断言する。 「したがって問題となっているのは政治理念ではなく、政治という場に姿を現す抽象的理念なのだ」 と。 このような初歩的な誤解があるかぎり 『法哲学』 は理解不可能である。

こうした誤解にさらに輪をかけて批判を混乱させているのが、法概念に関するマルクスの意外なほどの知識の欠如である。 このような基礎知識の欠如は、彼がベルリン大学法学部に在籍しながらも、法学についてまともに勉強もせず、ヘーゲル左派や三文文士の集う酒場に入り浸り、放蕩の毎日を過ごしていた事実を想起すれば、驚くには当たらない。 ヘーゲルは 『法哲学』 275 節から 279 節で君主権を国家主権との連関において定義し、それが 「憲法の“普遍性”」 と 「“特殊なもの”を普遍的なものに結びつける審議」 と、そして 「国家の“自決権”としての最終“決定”」 という三つの契機からなる総体を内に含み、それらを踏まえた意思決定の最終的な主体が 「君主」 であると述べている。 たしかにヘーゲルはこれに続く 280 節で、この君主が、国家意思という普遍的なものと 「直接的個体」 との統一体である以上、それにふさわしい家系に属する者でなければならないという世襲制に執着した屁理屈を述べてはいる。 しかしこの国家意思を体現する 「人格」 を抽象法にはじまる 「人格性」 の契機のもっとも発展した形態として捉える点で、彼は一貫して 「人格」 を基礎に据えた法思想を、すなわち国家法人説を展開している。 この 「人格」 は国家の意思決定の最終プロセスに 「諾と述べて」 決着をつけることによって、国家意思を表明すると同時に全責任を引き受けることになる。 そのような国家意思決定の形式をヘーゲルは描いている。 それは国家意思の形式的 「主体」 が君主であろうと大統領であろうと、あるいは議長であろうと書記長であろうと、同じ決断と帰責の形式なのである。 ところがマルクスには 「人格」 の持つこうした法的意味が分からない。 彼は明らかにフォイエルバッハが引いた 190 節の規定をもとに 「人格」 があくまで 「抽象法の主体」 だと思い込んでいるために、「人格」 による意思決定のより普遍的な段階へのこの発展過程が理解できない。 彼は、ヘーゲルが国家意思という高度な意思決定の最終責任主体として位置づけるこの 「人格」 に対して、それを前述のフォイエルバッハの批判に倣って 「ひと」 か 「人間」 程度と解しているために、ヘーゲルが君主というこの生身の 「『個別態』 を神秘的な 『存在』」 に祭り上げていると非難する。 国家意思決定の最終的主体としての 「人格」 をこう曲解してマルクスはいう。 「君主は 『人格化した主権』 つまり 『人間化した主権』 でああり、身体を持った国家意識である。 それによって他のすべての人間はこの主権から、人格性から、そして国家意識から排除されている」 と。』

ということで、本日はここまでとさせて頂きます。
続きは次回に♥
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