2021-03-17 (Wed)

本日のキーワード : 終末論、唯物史観、二元論
終末論(しゅうまつろん、英語: eschatology)は、歴史には終わりがあり、それが歴史そのものの目的でもあるという考え方。目的論という概念の下位概念。
社会が政治的、経済的に不安定で人々が困窮に苦しむような時代に、その困窮の原因や帰趨を、神や絶対者の審判や未来での救済に求めようとするのは、どこの文化でも宗教一般に見られ、ユダヤ教からキリスト教、イスラム教、ゾロアスター教といった一神教においてのみならず、仏教などの宗教などにおいても同様の考え方がある。しかし、終末ということの基準を、個々人の死の意味ではなく、民全体にとっての最後のとき、民全体に対する最後の審判と義人選別救済のとき、とするならば、終末論は本質的に一神教のものである。
本日の書物 : 『あるユダヤ人の懺悔「日本人に謝りたい」(復刻版)』 モルデカイ・モーゼ 沢口企画
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 さて、ここにはユダヤ的思考の最も大切な【二つの要素】が含まれている。
一つは、【メシア思想の基本パターン】である。選民たるユダヤ民族が、異教徒との葛藤に勝利を収め、至福千年王国を建設するという【終末論】である。【これが唯物史観の原型である】。【選民とはプロレタリアート】であり、【異教徒がブルジョアジー】である。
これこそユダヤ的思考法の【二元論の原型】である。これに宗教的倫理観が加味されるので、【善悪二元論】と呼ばれるわけである。
ロシアから亡命した哲学者ベルジャーエフはすでに、【マルクス主義】は出発点において【黙示録的性格を有する】と分析していたのであった。

ニコライ・ベルジャーエフ
また、日本では鈴木成高氏がその著書『歴史的国家の理念』において、「【唯物史観】はその最後の帰結においてプロレタリア独裁を想定し、歴史の弁証法的発展を止揚することによって、一種の【エスカトロギー(eschatology 終末について扱う学問)終末論】に陥っているといわなければならないのである。発展的力学な論理はそこにおいて停止し、階級対立の消滅、国家の解消とともに歴史もまた終止する。それは、ユダヤ的終末観とその外形において極めて酷似するものがあることを思わせる。すなわち、【プロレタリアートは神の選民に該当】し、【ブルジョアは異邦人に該当】する。歴史はエホバの代わりに、同じく人間意志と能力を超越した、経済的必然によって支配されるのである」と述べ、かなり克明に本質を突いている。日本では恐らく唯一人の仮説論者であろう。』

「市民社会」の概念を身に付けていなかったマルクス
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、「陰謀論」と「陰謀」とを区別が出来ず(あるいは知っていて加担している?)、ある連中にとって、非常に都合が悪いことを“十把一絡げ”に「陰謀論」だとレッテルを貼ってしまう「似非保守とおパヨク」とは違って、今現在起こっている出来事を、どのように見ていけば良いのかという“新たな視点”を提供して下さる書物で、一方通行の偏狭な物事に対する見方から抜け出し、より全体を俯瞰する見方を獲得するヒントが得られるお薦めの良書となります。

それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。
(死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)
※( )内は前回の数値

☆Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE
アメリカ : 531,654(529,849)÷29,320,580(29,172,422)=0.0181・・・(0.0181) 「1.81%(1.81%)」

イタリア : 101,564(101,184)÷3,175,807(3,149,017)=0.0319・・・(0.0321) 「3.19%(3.21%)」

日本 : 8,515(8,457)÷444,975(443,704)=0.0191・・・(0.0190) 「1.91%(1.90%)」


☆【日本語訳】 U.S. DEPARTMENT of STATE / Fact Sheet : Activity at the Wuhan Institute of Virology (米国務省 / ファクトシート : 武漢ウイルス研究所での活動)

さて、これまでのところで、マルクスに至るまでの「ドイツ思想」に決定的な影響を与えた、「キリスト教神智学(Christian theosophy)」または「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」として知られる、ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)から始めて、その“悪”についてのベーメの思想の影響を受けたイマヌエル・カントとゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルについて確認して参りましたが、彼らが言っていたことを簡単に表現すると、次のようになります。

ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)
世界は本来壊れているものであり、それを直すことができるのは正しい者だけである

イマヌエル・カント
たとえ世界を直すことができなくても、私たちは常に世界を直すことができると仮定して行動しなければならない

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
世界が固定されていたとしても、私たちは無意識のうちに分裂を起こし、世界が再び崩壊し始めることになる
そして、この流れを受け継ぐカール・マルクスが言っていたことを簡単に表現すると、次のようになります。

カール・マルクス
私たちには、世界を壊したいという衝動はない。もし私たちが世界を壊すとすれば、それは私たちが社会とその主人たちからそうすることを学んだからである。
そして、ここから、さらに一歩踏み込んで積極的な態度へと転換させたのがウラジミール・レーニンで、彼が言っていたことを簡単に表現すると、次のようになります。

1895年のレーニン
われわれは、世界を固定するために、意識の統一を強行しよう

そこで現在は、次の論文を参考にさせて頂きながら、カール・マルクスからウラジミール・レーニンへと受け継がれた流れを確認しているところとなります。

☆『マルクス社会理論の形成とその問題性 : 社会主義崩壊とマルクスの責任をめぐって』 神田順司
それでは早速、昨日の続きを見て参りましょう。
『 2. マルクスの理論的視座としてのフォイエルバッハ人間学
ヘーゲルの 『法哲学』 (『法哲学要綱』) は、以下で論ずるように、自由な権利主体であるはずの近代的個人が、市場メカニズムの中でたんなる欲求主体となり、他方で市場メカニズムのほうは、景気の変動や経済恐慌のように、個人の意図を超え、制御不可能な巨大な客体として現れる社会の矛盾を明らかにしている。 そしてこの矛盾を乗り越え、近代的個人を支える法権利が名実ともに機能し、市場経済を前提としながらも調和のとれた社会を形成するには、いかなる法体系や統治システムが必要かという、まさに近代最大の問題を扱っている。 その問題を彼は、法権利の主体としての個人から始め、契約、違法行為、モラル、家族、市民社会を経て、それらを統合的に包括する国家システムを展望することで解決しようとしている。 それは端的には、近代社会の特徴たる市場経済の横暴を法的規制によって抑え込み、個人を制度的に統合し保護する福祉国家のモデルであるといえるだろう。
このヘーゲル 『法哲学』 に対する批判的論評として書かれたマルクスの 「ヘーゲル法哲学批判」 は 『法哲学』 第 5 部第 3 節 「国内法」 のうち 261 節から 313 節を対象としている。 しかしながらマルクスはヘーゲル 『法哲学』 全体を通してその体系を検討し、そのうえで 「国内法」 に批判の的を絞ったのでは断じてない。 以下で論証するように、明らかに彼は 「国内法」 という関心の対象だけを予備知識もなく読み、評論を加えていった。 確かにかマルクスの叙述には 「抽象法」 や 「市民社会」 の一部への言及はある。 しかし、それれらでさえほとんどの場合ヘーゲルの参照指示にしたがって当該箇所だけを読んでいるにすぎない。 実際マルクスは、もしヘーゲル 『法哲学』 を体系的に読み進み理解したならば、けっして犯し得ない間違いを数多く犯している。 そのうえさらに驚きべきことに、彼は 303 節の批判で理論的破綻をきたした際にヘーゲルの指示にしたがって 「市民社会」 の一部を参照するまでは、「市民社会」 の概念すら身に付けていない有様である。 もちろん言葉としては 「市民社会」 は 303 節以前の彼の批判の中にも登場する。 しかしそれらはヘーゲルの叙述に引きずられるかたちで、しかも彼が最初の論理的破綻をきたす 280 節以前では、つねに 「家族」 と対になって、あるいは 289 節から 303 節にかけては主に 「国家と市民社会の対立」 という常套句の中に現れるにすぎない。 だから彼は、後述するように、具体的論証となると、「市民社会」 概念を駆使できずに、「非政治的国家」、「物質的国家」 などという彼の勝手な造語に頼らざるを得なかったのである。 そのような論評であるために、彼は各節を読み進むたびにしばしば批判の論点の変更を迫られ、また決定的な論理的破綻をきたすことになる。』

ということで、本日はここまでとさせて頂きます。
続きは次回に♥
ランキング参加中で~す^^ ポチっとお願いします♥
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村

人気ブログランキング


- 関連記事
-
- 東京オリンピックの “左翼じみて幼稚な” 基本コンセプトの出処は? (2022/01/09)
- インターナショナル ~ 国家と国家の間 (2021/03/23)
- そして再び、調和の保たれた時代へ (2021/03/22)
- ロシア革命(ロシア・クーデター)の本質 (2021/03/21)
- 一神教に典型的な“宗教的二元論”に他ならないマルクス主義 ~ 世の中はもっと多元的で多様なのですが(笑) (2021/03/20)
- レーニンは“革命家”ではありません! (2021/03/19)
- マルクスの『資本論』の根本思想 ~ 私有財産の奪取という思想 (2021/03/18)
- 「おバカ」な「おパヨク」の“奇妙な発想”の素 = 唯物史観、二元論、終末論 (2021/03/17)
- 国境廃止という考え方は、前近代の野蛮人の考え方そのものです(笑) (2021/03/16)
- 「真理(Truth)」そのものである現トランプ政権と、「真理」に背くバイデン&ハリス側の擬似政権 (2021/03/15)
- 秘密結社や陰謀に関わっていたブランキストに連なるのがウラジミール・レーニンです! (2021/03/14)
- ふたつの政権 ~ ペド・バイデン&カマラ・ハリス側のアメリカ社会が目指すもの (2021/03/13)
- わすか5年で1000万人の死者を生み出したレーニン、わずかひと月で10万人の死者を生み出したバイデン (2021/03/12)
- 「マルクス主義」 を都合に応じて “恣意的” に解釈した レーニン (2021/03/11)
- テロルによる恐怖支配・大量虐殺・強制収容所とウラジミール・レーニン (2021/03/10)
○○教徒にあらずば人にあらず、という考え方は、
「(A)でなければ、-(A)しかない」という両極論につながる気がします。
八百万の神を信じる日本人とは相容れなかったのでは。
日本の左翼に純粋日本人が少ないのも、それと関係あるのでしょうか。