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    親子チョコ💗(400冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  ユダヤ >  “からくり(karakuri)”に気付いていますか?

    “からくり(karakuri)”に気付いていますか?

    Corner Wall Coming Apart・・・

    本日のキーワード : からくり、戦前の日本、ユダヤの理想



    からくりとは、日本における古い時代の機械的仕組みのこと漢字では絡繰、唐繰、機巧、機関、機、械、関などさまざまに表記されるからくりが文化的に開花したのは江戸時代でその独自性によって国際的にも注目されている欧米のオートマタ(歴史的な自動装置・自動人形)研究においても日本語のまま「karakuri」とローマ字表記されるようになった語源については「糸を引っ張って動かす」という意味の「からくる」という動詞の連用形の名詞化といわれ16世紀後半頃から用例が確認されている





    本日の書物 : 『あるユダヤ人の懺悔「日本人に謝りたい」(復刻版)』 モルデカイ・モーゼ 沢口企画



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 日本にいていろいろと著作その他で活躍しているユダヤ人は、戦後の日本しか知らないのである。しかし、【真の日本の世界に冠たる長所】は、残念ながら戦後の日本にはもはやないのである。ということは、【戦前までの日本には存在した】ということである。

    SOROSANTIFA.jpg



     この事実を全く知らずに若いユダヤ人達は、日本でさも得意顔で日本のウィークポイントと思われることを槍玉にあげて優越感に浸っている。私が悲しむのは、これら若いユダヤ人達が自分達【ユダヤ人の理想とするものが何であるか】さえ知らないということだ。

     そのような状態であるから、彼らは自分達【ユダヤ人の真の理想とするもの】【戦前の日本にあった】ということなど全く知る由もない。日本人が黙って君たち若いユダヤ人の能書きを拝聴している理由が分かったことであろう。全く問題にしていないのである。反論するにも値しないということだ。

    グレタ・トゥーンベリ



     ただ例外は、日本にしばらくいたことのあるラビのマーヴィン・トケイヤーであろう。彼は『日本人は死んだ』という本を著わし、それは日本でベストセラーになったものであるが、この中でトケイヤーは【ユダヤ人の真に理想とするものが戦前の日本には多々あった】とし、それが戦後全く失われてしまったのを非常に悔んでいるのである。』

    日の丸

    カントの「悪の根拠」


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、「陰謀論」と「陰謀」とを区別が出来ず(あるいは知っていて加担している?)、ある連中にとって非常に都合が悪いことを“十把一絡げ”に「陰謀論」だとレッテルを貼ってしまう「似非保守とおパヨク」とは違って今現在起こっている出来事をどのように見ていけば良いのかという“新たな視点”を提供して下さる書物で、一方通行の偏狭な物事に対する見方から抜け出しより全体を俯瞰する見方を獲得するヒントが得られるお薦めの良書となります。

    読書6-70

    それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。

    (死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)

    ※(  )内は前回の数値

    twtwtwtw.jpg
    Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE

    アメリカ : 465,994(464,768)÷27,129,452(27,077,450)=0.0171・・・(0.0171) 「1.71%(1.71%)」
    twtwtwtw1.jpg

    イタリア : 92,002(91,580)÷2,655,319(2,644,707)=0.0346・・・(0.0346) 「3.46%(3.46%)」
    twtwtwtw2.jpg

    日本 : 6,601(6,507)÷408,545(406,975)=0.0161・・・(0.0159) 「1.61%(1.59%)」
    twtwtwtw3.jpg







    egdusyed.jpg
    【日本語訳】 U.S. DEPARTMENT of STATE / Fact Sheet : Activity at the Wuhan Institute of Virology  (米国務省 / ファクトシート : 武漢ウイルス研究所での活動)

    それでは、昨日に引き続きまして、次の論文を読み進めることで「社会主義」・「共産主義」の世界観について確認して参りたいと思います。

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    『社会主義・共産主義的世界観の特質と問題点 :剰余価値学説と唯物史観の批判的検討(4)』筒井正夫

    それでは早速見て参りましょう。

    『 社会主義・共産主義的世界観の特質と問題点

    剰余価値学説と唯物史観の批判的検討(4)

    おわりに

     以上識者には常識となっていることまでもあえて私の拙い思想遍歴を開示しながらマルクス主義の問題点とそれからの脱却のポイントを示してきたそれはこれだけインターネットが発達し学界の通説以外の諸情報を入手できる今となっても若い世代の中にさえ共産主義国家の蛮行の実態を知らずいまなおGHQの洗脳から抜けだせず「洗脳教育」によって植付けられた左翼的世界観のなかで日本に誇りを持てずただ既存政治や権力を批判するばかり共産主義の脅威が内外に横溢しているというのにその真の恐ろしさを直視せず国防に鈍感で無防備な者がいるからである

     彼らのなかには確信犯的に我国を中華人民共和国や北朝鮮のような社会に変えていこうとする者もいるが多くは国際金融資本と連携した共産主義者の「敗戦革命」路線やGHQの日本弱体化に向けた全社会的な洗脳政策についてまったく無知で私の知る優秀な若手の歴史研究者でさえ江藤淳の『閉ざされた言語空間』を知らない者がなお少なからずいるからである彼らは純粋に社会的矛盾に敏感で正義感が強くそれだけに社会主義・共産主義の表面的な理想主義に迷わされている何とか次代を担う彼らにこの歴史のカラクリに気づいてほしいそれが本稿執筆の大きな動機の一つであった



     現在資本主義先進諸国では労働問題よりも文化の領域に焦点が当てられて資本主義社会の格差や差別さらに歴史認識に焦点を当てて国民の素朴な愛国心を砕きその時々の時代状況を無視して「侵略国家」としてののしり自国の歴史を自ら侮蔑し卑下しやがて自ら破壊していくような心性に誘導することがフランクフルト学派の批判理論やグラムシの陣地戦の応用として実践されている

     「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」そして最近の「徴用工問題」等が、それを否定する幾多の実証的な研究が積み重ねられて提示されても、繰り返し日本 ─ 中共 ─ 韓国・北朝鮮そしてアメリカの左翼勢力が連携して、記念館や記念像を建設し映画やメディアさらに教育機関にまで拡散して宣伝を続けているのは、無垢で真実を知らされていない学生や市民そして企業人までも「洗脳」し日本の国と国民の尊厳を著しく貶めいわれのない贖罪意識を植えつけることによって道徳的・権威的に優位に立ち「これだけひどいことをしたのだから償いは当然」とばかりに経済支援や技術移転や補償を要求したり様々な経済交渉でも優位に立って条件闘争を勝ち取っていくためにほかならない。ここでも、戦勝国は敗戦国に何を主張しても許され逆に敗戦国から戦勝国への批判や反論は一切許さないような閉塞した秩序が、戦後長らく維持されてきたといってよい占領期の検閲はこうしてまだ生き続けているのである。』




    ヒトラー スターリン 毛沢東 

    さて、これまでに、マルクスに至るまでの「ドイツ思想」に決定的な影響を与えた「キリスト教神智学(Christian theosophy)」または「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」として知られる、ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)について確認してきましたが、

    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)
    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)

    カール・マルクス
    カール・マルクス

    それに続いて今度は、“悪”についてのベーメの思想の影響を受けたイマヌエル・カント“悪”についての思索を確認しているところになります。

    イマヌエル・カント
    イマヌエル・カント

    因みに、ベーメの言っていたことというのは、次のようなもので。。。

    〇 人類は、神の恵みの状態から、罪と苦しみの状態に堕ちた

    〇 悪の力には神に反抗した堕天使も含まれている

    〇 神の目標は世界を恵みの状態に回復させることである


    これが意味することは、世界は本来壊れているものでありそれを直すことができるのは正しい者だけである、ということになります。

    他方、カントの言っていたことというのは、次のようなものでした(→無学の靴職人が妄想したにすぎない“悪”)。

    たとえ世界を直すことができなくても、私たちは常に世界を直すことができると仮定して行動しなければならない

    ポイント 女性

    それでは、昨日に続きまして、次の論文を参照させて頂きカントが“悪”をどのように捉えていたのかを確認して参りましょう。

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    『カントと悪の問題』 小倉 貞秀 

    『 4.悪の根拠

     以上「人間の本牲における善への根源的素質」について述べられたのであるが、性善説の立場に立てば当然本性には生得的に悪が存するとは承認しえないであろうしたがって「悪」は自然素質とは異なって人間自身によって獲得され招かれたものとする以上は悪は人間の自由意志のなせる業でなくてはならない。人間の自由意志の向かう心情の内面に存するのはみずからの格率の採用である。「人間が悪であるとの命題の意味は次のようである。すなわち、人聞は道徳法則を意識していても、それなのにこうした法則からのその時折の背反をみずからの格率のうちに取りあげている、と」(Vl,32)。「ところでこうした傾向はそれ自身道徳的に悪であるとして、したがって自然素質としてではなく、人間にその責任が帰せられうるものとして見られるから、この傾向はしたがって随意志の反法則的格率のうちに当然存立することになる」(ib.)。こうした法則に反した格率を採用する存在者の悪の生じる根拠は何処に存しているのか。そこでまず悪の根拠が問題となる

     さて通常悪の生じる理由を述べるさい「人間の感性やそこから発生する自然的傾向性」のうちにそれを求めようとする見解があるがカントはそれを拒否するなぜなら「悪への傾向は主体の道徳性にかかわり、したがって自由に行為する存在者としての主体のうちに見いだされるからである」(Vl,35)。自由に行為する道徳的主体としての存在者である以上これを無視して感性のみの存在者を考えそれのみに悪の根拠を求めることはできないのである。「これら自然的傾向性は悪とは何ら直接の関係をもたない」しむしろ「自然的傾向性はそれ自身においてみれば善であり、すなわちそれらは拒否されえないものであり、そしてそれらを根絶しようとするのは、ただ無益で、あるばかりではなく、有害で、非難さるべきでもあろう」(VI,58)。


    フリードリヒ・シェリング
    フリードリヒ・シェリング

    バイデンとかハリスという“悪”の捨て駒

     カント以後のドイツ観念論哲学のうち人間的自由の問題に関して悪への自由を強調して「悪の根拠」について上にあげられたような「感性」にその原因を求める見解を拒否したシェリングに注目する必要があろうシェリングによれば「悪の唯一の根拠は感性 Sinnlichkeit に、あるいは動物性 Animalitat に、あるいは地上的原理に存する」という考え方は拒否されねばならない悪の根拠を感性的なものに求める考え方はシェリングにおいてさまざまな形において拒否されている「感性、すなわち外的印象に対する受動的態度が一種の必然性をもって悪しき行為を惹き起こすと仮定しでも、人間はこれらの行為においてそれ自身単に受動的にあるにすぎないであろう。すなわち、悪は人間に関しては、つまり主観的には何の意味をももたないであろう。そして自然のままの本牲の規定から結果するものは客観的にもまた悪くはありえないから、悪は全くどんな意味をももたないであろう。」 こうした悪の根拠を感性的原理に求める見解カント同様シェリングにおいても見られるわけであるが、しかしシェリングはカントの教説を次のごとく見なしているすなわち自由は感性的欲求や傾向性よりまさっての叡知的原理の単なる支配に存し、そして善は純粋理性より来たる」という教説であるこうした教説に対してシェリングは語る「悪は有限性の原理そのものから結果するのではなくして、中心との親和にもたらされた暗黒の原理、あるいは我性的な原理から結果する」と。ここには実在的原理と観念的原理との二元性がある人間においての意志の二元性がある「人間のうちには暗黒の原理の全力が存する。そしてまさしく同じ人間において同時に光の全力が存する。」 人間をして暗い根拠のうちに居らしめようとする暗黒の原理を光明の原理へと変貌させようとするとき精神は人間をして闇から光へと立ち昇らせようとするここでは「精神は光と闇とを支配している。」 つまりは暗黒の原理と光明の原理とを支配して両者を結合せしめて同一性を保持しておれば「永遠なる愛の精神」が支配するつまり両原理の同一性・保持において愛の精神の支配が認められるのである

     以上のようにシェリングは実在論と観念論との二元論を同一性によって捉えようとしているそして彼は両原理の統一点として「一つの本質 ein Wesen 」を考えているそれは「根元底 Urgrund 」とも言われるものであるがこうした究極点がつまりは両者の「無差別」からいかにして二元論が生じてくるのかそうした論理的究明はシェリングから聞くことはできなかった人間的自由の本質の究明において窮極的に神秘的な領域に陥らざるをえなかったシェリングにおける形而上的世界はやはりわれわれもカント的立場から見れば独断的と言わざるをえないであろう。以上シェリングと形而上学の問題については別稿において究明されるであろう。』


    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。









    続きは次回に♥




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