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    親子チョコ💗(400冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  ユダヤ >  ユダヤ・キリスト教的二元論を利用して私腹を肥やすのは誰?

    ユダヤ・キリスト教的二元論を利用して私腹を肥やすのは誰?

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    本日のキーワード : 二元論、悪



    二元論(にげんろん、dualism)とは世界や事物の根本的な原理としてそれらは背反する二つの原理や基本的要素から構成されるまたは二つからなる区分に分けられるとする概念のこと

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    本日の書物 : 『あるユダヤ人の懺悔「日本人に謝りたい」(復刻版)』 モルデカイ・モーゼ 沢口企画



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 日本における近ごろの【ユダヤブーム】の特徴は、比較文化論的にユダヤ人と日本人を【二元論的思考】で対置し、大抵の場合ユダヤ人は頭がいい民族である、日本人も学んだらどうかというパターンのようである。

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     そこでは、ユダヤ人がさも自慢げにタルムード(ユダヤ教の聖典)その他の宝典から都合のいいものを抜き出して得意然として高説をぶつというパターンが多いようである。これに対して日本人は、お説ごもっとも、と謹しんで拝聴しているが如くである。

     この光景を見ていると、ユダヤ人が先生であり日本人は常に生徒ということのようである。また同時に文化的歴史的思考的感覚的特徴を【二元論的に対置】して比較するほとんどのケースは【ユダヤ的なものを主役としている】ようである

     私から見た場合、日本にいる若いユダヤ人が以上のようなことで得意然となっているのであればわがユダヤ民族の将来も決して明るいものではないという気がする。と同時に黙って拝聴している日本人の謙虚深さにむしろ敬意を表さなければならないと思う。

     私は、逆に、【ユダヤ人こそ日本人から真に多くのものを学びとらねばならない】のだということを、若いユダヤ人に教える義務があると信ずるものである。』

    日の丸

    ユダヤ・キリスト教由来の「洗脳史観」


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、「陰謀論」と「陰謀」とを区別が出来ず(あるいは知っていて加担している?)、ある連中にとって非常に都合が悪いことを“十把一絡げ”に「陰謀論」だとレッテルを貼ってしまう「似非保守とおパヨク」とは違って今現在起こっている出来事をどのように見ていけば良いのかという“新たな視点”を提供して下さる書物で、一方通行の偏狭な物事に対する見方から抜け出しより全体を俯瞰する見方を獲得するヒントが得られるお薦めの良書となります。

    読書6-72

    それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。

    (死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)

    ※(  )内は前回の数値

    eydafff.jpg
    Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE

    アメリカ : 464,768(463,188)÷27,077,450(26,986,827)=0.0171・・・(0.0171) 「1.71%(1.71%)」
    eydafff1.jpg

    イタリア : 91,580(91,273)÷2,644,707(2,636,738)=0.0346・・・(0.0346) 「3.46%(3.46%)」
    eydafff2.jpg

    日本 : 6,507(6,424)÷406,975(405,758)=0.0159・・・(0.0158) 「1.59%(1.58%)」
    eydafff3.jpg











    egdusyed.jpg
    【日本語訳】 U.S. DEPARTMENT of STATE / Fact Sheet : Activity at the Wuhan Institute of Virology  (米国務省 / ファクトシート : 武漢ウイルス研究所での活動)

    それでは、昨日に引き続きまして、次の論文を読み進めることで「社会主義」・「共産主義」の世界観について確認して参りたいと思います。

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    『社会主義・共産主義的世界観の特質と問題点 :剰余価値学説と唯物史観の批判的検討(4)』筒井正夫

    それでは早速見て参りましょう。

    『 社会主義・共産主義的世界観の特質と問題点

    剰余価値学説と唯物史観の批判的検討(4)

    III マルクス主義そして閉ざされた 言語空間からの脱却

     ・・・しかもGHQのメンバーには、ルーズベルト政権下で働いたコミンテルン要員やユダヤ人が多数含まれており彼らはまさに「敗戦革命」路線に従って日本の武装解除と共に財閥解体・農地制度改正・新憲法制定・神道指令・皇室弱体化等の施策によって日本の国力を弱め労働組合の強化共産党の合法化大量の公職追放東京裁判等による旧支配権力の信頼失墜などを通して社会主義政権の実現を画していたことが明らかにされているこれは民主主義革命を遂行しその後急速に社会主義革命に移行するという戦前からコミンテルンの指示で日本共産党や講座派マルクス主義者らが主張していた「二段階革命」路線であった戦前講座派マルクス主義者の羽仁五郎に日本で薫陶を受けその後アメリカ等にわたって共産主義者となっていたハーバート・ノーマンは反日広報活動の拠点となっていた太平洋問題調査会で『日本における近代国家の成立』『日本における兵士と農民』を刊行してコミンテルン - 講座派マルクス主義史観で日本近代を描いたこれらノーマンの書はアメリカの対日観に大きな影響を与えノーマン自らもGHQの占領政策に加わって公職追放や戦犯指名に力を発揮した

    ノーマン 共産主義者

    エドガートン・ハーバート・ノーマン
    エドガートン・ハーバート・ノーマン

     だがその後、冷戦の激化とアジアにおける共産勢力の伸長を前に、GHQ内部の共産主義者やそのシンパは、約1万数千人が公職追放され(レッドパージ)、警察予備隊が創設されるとともにそれまで追放されていた者の復帰などが進んで、「敗戦革命」による社会主義実現は挫折した。

     しかし占領過程が、検閲による「閉ざされた言語空間」に反しない限りで「市民的自由」や「基本的人権」の伸長があり、小作人や労働者、財閥以外の中小企業家の勢力拡張が果たされたため、そうした市民層にもこの路線が受け入れられていった側面は否定できないだろう。

     レッドパージ以後も教育機関やマスコミ等には社会主義者・共産主義者及びそのシンパがなお多数残り占領期に宣伝されマルクス主義の歴史観と通底する「東京裁判史観」「自虐史観」が戦争の実態を知らない子供たち学生達に教育されていった占領が解かれても占領期の体制的洗脳政策言論空間全体への検閲と弾圧の事実は明らかにされ糾弾されることなく過ぎていったそれは江藤淳が言うようにその方針に協力し言論界教育界マスコミなどへ進出し今や戦後を牛耳る支配層となった者たちがGHQと共犯関係にあって秘匿しているタブーを守り続けたからにほかならないそして基本的に占領期の30に及ぶ検閲項目は今度はそうした人々によって自主的により隠微な形で行われ戦後の日本の言論・思想・学問空間を閉ざされたものにしてきたのである

    女性 ポイント ひとつ

     ごく普通の歴史好きの少年であった私は、高校生の世界史の授業で、おそらく無意識に占領政策に染まっていた教師から、本多勝一『中国の旅』を念入りに教えられ、大学では学生紛争が冷めやらぬなか、マルクス主義やいわゆる「戦後歴史学」に基礎を置く学問空間にほぼ全領域を囲まれる形で、知らず知らずのうちにそうした理論を信奉する研究者として成長していった。そして後に、こうした自己の拙い思想来歴そのものが実は戦後占領期以降の「洗脳」の歴史が作りだしたものであると知った時決定的にその「洗脳史観」から脱することができたのである。』




    ヒトラー スターリン 毛沢東 

    さて、これまでに、マルクスに至るまでの「ドイツ思想」に決定的な影響を与えた「キリスト教神智学(Christian theosophy)」または「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」として知られる、ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)について確認してきましたが、

    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)
    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)

    カール・マルクス
    カール・マルクス

    それに続いて今度は、“悪”についてのベーメの思想の影響を受けたイマヌエル・カント“悪”についての思索を確認しているところになります。

    イマヌエル・カント
    イマヌエル・カント

    因みに、ベーメの言っていたことというのは、次のようなもので。。。

    〇 人類は、神の恵みの状態から、罪と苦しみの状態に堕ちた

    〇 悪の力には神に反抗した堕天使も含まれている

    〇 神の目標は世界を恵みの状態に回復させることである


    これが意味することは、世界は本来壊れているものでありそれを直すことができるのは正しい者だけである、ということになります。

    他方、カントの言っていたことというのは、次のようなものでした(→無学の靴職人が妄想したにすぎない“悪”)。

    たとえ世界を直すことができなくても、私たちは常に世界を直すことができると仮定して行動しなければならない

    ポイント 女性

    それでは、昨日に続きまして、次の論文を参照させて頂きカントが“悪”をどのように捉えていたのかを確認して参りましょう。

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    『カントと悪の問題』 小倉 貞秀 

    『 3.善への根源的素質

     ・・・ここで問題とされるのは第二の根源的素質である。正確に言えば「生物であると同時に理性的存在者としての人間の人間性の素質」なのである。ここでわれわれの問題とするのは「理性的存在者」と「人間の人間性」という表現である。ここではわれわれの理性的存在者としての人間の有する「理性」の働きは既に述べられたように「自然的ではあっても、(それに理性が必要とされる)比較的自愛という一般的名称に移されうる」のであったり、前に引用されたように、「第二の素質は実践的ではあるが、他の動機にのみ役立ちうるだけの理性」を「根源として有する」のであった(ib.,28)。ここで言われている理性的存在者の働きは従来カントが批判的倫理学書において強調してきた「道徳的主体」としての存在者の意味が薄れているように思われるつまり従来の強調された「理性的存在者」は「人格」と呼ばれた(Grundl.,IV,428)。さらにまた「理性的本性は目的自体として存在する」と言われた(ib.,429)。しかも「人間性の理念」は「目的自体」として表現されてきた(ib.,429.u.passim)。こうした批判的倫理学的思想は『宗教論』において薄れているにしても彼は「人格性についての素質」を述べた箇所において「人格性そのもの」は「全く知性的に見られた人間性の理念」であると言っている(VI28)。ここでは「人格性」も「人間性」も既に道徳法則の主体と考えられているのである

     ところでカント上述の三つの素質『道徳の形而上学』において「二重の性質」として纏めている。一つはまず「感覚的存在者、すなわち動物種のひとつに属する人間」として、次には「理性的存在者」としてである。この後者の存在者は「理性的自然存在者(現象人 homo phaenomenon ) 」として「感性界における行為を為すことができるし、しかもこのさいには責任の概念はまだ考慮に入っていない」、「しかるに同ーの人間は、彼の人格性の上から見れば、すなわち内的自由を具えた存在者(可想人 homo noumenon )として考えられれば、責任能力ある存在者であり、しかも自己自身(自己の人格における人間性)に対して観察されてそうである」(M.d.S. VI 418)。カント晩年に至っても同一の人間を「現象人」と「可想人」との二元性において区別している特に「可想人」という表現は人間の本体人を意味しその表現は従来しばしば言われてきた「人間性」「人格性」という表現と同一の意味を表わしている

     しかしここで注意すべきことは「人間性」と「人格性」とが同一の意味を表わすといってもカントの『倫理学講義』(メンツアー編)あるいは『基礎づけ』において「人格性」という表現はけっして見いだされないことである。それに代って「人格のうちなる人間性 Menschheit in der Person 」という表現は頻繁に現われ道徳生活を律するための基準として用いられている。特に『倫理学講義』はカント晩年の倫理学体系とも言うべき『道徳の形而上学』を予想するものであり、その具体的内容において両者相覆う点が大いに見いだされる。特にカントにおける「人間性」概念の究明は極めて重要な意味をもつものである。既にわれわれの知ったようにカントは人間の本性における善なる素質において「動物性」としての人間と「理性的存在者」としての人間との区別を確立していたのであるが第三の素質として「理性的で、あると同時に責任能力あるものとしての人間の人格性についての素質」があげられたカント倫理学においては人間の本来的あり方として「人間性」概念の方が「人格性」概念よりもしばしば使用されているが「人格性」という語はスコラ哲学において問題とされてきた「ペルソナ persona 」概念に由来する。この語の歴史的形成については既に拙著において解明された。それによれば、ペルソナ概念はその語の発生からして神にも人間にも適用されるのであったが、特にボエティウスによって「ペルソナとは理性を付与された個的実体である」という定義が下されたカントの理論哲学に見られなかった「人格のうちなる人間性」という表現のうちには「理性を付与された存在としての人格」の伝統的意味が含まれているだからこの表現のうちには理性的存在者としての人問特に動物性の素質を超えた人間性が強調されているのであるカントは倫理学書の中で「人間および理性的存在者」という表現を使用するがそこには人間をもって「人格」とする見解が背景に存しているのである。』


    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。









    続きは次回に♥




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