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    親子チョコ💗(400冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  日本 >  乱世の今の時代、頼りになるのは、政治家や官僚ではなく「日本国軍」です!

    乱世の今の時代、頼りになるのは、政治家や官僚ではなく「日本国軍」です!

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    本日のキーワード : ユートピア、ディープステート、



    ユートピア(英: utopiaは、イギリスの思想家トマス・モアが1516年にラテン語で出版した著作『ユートピア』に登場する架空の国家の名前現実には決して存在しない理想的な社会として描かれその意図は現実の社会と対峙させることによって現実への批判をおこなうことであった

    ただし「ユートピア」という言葉を用いるときには時に注意が必要である現代人が素朴に「理想郷」としてイメージするユートピアとは違いトマス・モアらによる「ユートピア」には非人間的な管理社会の色彩が強く決して自由主義的・牧歌的な理想郷(アルカディア)ではないためである(第3節、第4節参照)。

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    本日の書物 : 『百田尚樹の日本国憲法』 百田 尚樹 祥伝社



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 平安時代が終わると、貴族が忌み嫌った【武士が実権】を握りました【史上初の武家政権】となる【鎌倉幕府】の誕生です。これは【日本にとって幸運でした】【元寇(げんこう)】、すなわち【二度にわたって襲来した元(げん)】に対して【武士団は死力を尽くして戦い、この国を守った】からです。もし平安時代が続いていたら、日本は元の領土になっていた可能性が高かったと思います。

     鎌倉幕府が開かれた12世紀後半、チンギス・ハンが建国したモンゴル帝国が勢力を広げていました。モンゴル帝国は西夏や金を滅ぼすと、ロシア、ペルシャに侵攻して手中に収めます。さらに南宋も滅ぼして、ドイツ・ポーランド連合軍を破るなど、ユーラシア大陸の大半を支配する大帝国となりました。

     モンゴル帝国はその後、チンギス・ハンの息子たちに分割・継承され、元、キプチャク・ハン国、チャガタイ・ハン国、イル・ハン国となります。そして、元の初代皇帝であり、チンギス・ハンの孫であるフビライ・ハンは、日本を支配下に置こうとしました。文永五(1268)年に高麗の使者を介して、武力制圧を仄(ほの)めかす国書を送りつけてきたのです。

     【鎌倉幕府】【執権】・【北条政村】は、この国難には御家人たちが団結して対抗するしかないと考え満62歳と高齢であったことから引退し【執権職】を北条得宗(とくそう)家(北条家嫡流で当主は執権となるだけでなく北条家支族を執権に任命する権限を持つ)の【時宗(ときむね)に譲ります】【この時、時宗は満16歳でした】。』

    日の丸

    『ユートピア思想』とディープステート


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、「マルクス主義」と同様に我が国を蝕みさらには日本国民の生命と安全を守らない口実を与える根拠となっている「THE・日本国憲法」の、どこがどう問題でなにがどれほど異常なのかが簡単に理解できる良書で、いわゆる「おパヨクの砦」である「THE・日本国憲法」廃止し本来あるべき「天皇陛下がしらす日本国の憲法」を新たに創設するためにも、知っておきたい事実が数多く紹介されているお薦めの良書となります。

    読書6-21

    それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。

    (死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)

    ※(  )内は前回の数値

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    Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE

    アメリカ : 359,784(356,228)÷21,213,347(20,981,023)=0.0169・・・(0.0169) 「1.69%(1.69%)」
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    イタリア : 76,877(76,329)÷2,201,945(2,181,619)=0.0349・・・(0.0349) 「3.49%(3.49%)」
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    日本 : 3,609(3,548)÷259,495(253,486)=0.0139・・・(0.0139) 「1.39%(1.39%)」
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    続いて、昨日に引き続きまして、次の論文を読み進めることで「社会主義」・「共産主義」の世界観について確認して参りたいと思います。

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    『社会主義・共産主義的世界観の特質と問題点 :剰余価値学説と唯物史観の批判的検討(2)』筒井正夫

    それでは早速見て参りましょう。

    『 社会主義・共産主義的世界観の特質と問題点

    剰余価値学説と唯物史観の批判的検討(2)

    Ⅱ 唯物史観とその問題点

     ここでは剰余価値学説とともに社会主義・共産主義的世界観の根幹をなす今一つの柱である唯物史観について、その概要をまず示しその上で問題点を検討しよう。・・・

    2 問題点

     以上、唯物史観の内容を概説し未曾有の影響力を持ちえた理由の一端を考察してきただがこの唯物史観は多大な問題をはらんでいる次にそれを、1)・2)・3) の内容に即して検討していこう

    (1)下部構造の上部構造規定論について

     ・・・エンゲルスの国家論のなかに公共的な機能をみとめた熊野の論も、マルクス・エンゲルスの階級社会論に立脚しているために、階級社会ではすべての社会的なことが階級的なこととしてあらわれ、近代国家では、全社会を代表したと称し、実際にも代表する形式を整えた国家が、公共の名において、この国家に代表される国民の一部すなわちある階級にたいする抑圧をこととしている、とされ、階級国家論のなかに収斂されてしまっている。だが社会は階級搾取ですべてが覆われているわけではなく様々な階層地域のレベルで公的な事業が存在し国家がそれらの統括と調整に係わっているのである。

     エンゲルスは、たしかに国家形成の段階においては、国家の公共機能について触れているが、上記引用 3) に見るように資本主義が株式会社や国家的所有の形態を増してゆく段階においては国家は「ますます現実の総資本家となり、ますます多くの国民を搾取するようになる。」と指摘するのみで、そこに公共機能の拡充やそれを果たす国家の多様な利害調整機能等については言及していないしたがって社会主義革命以後に階級搾取や階級対立が消滅すれば国家はその本来の存在意義を失って消滅していくと説いたのである。

     だが近代以降資本主義国家では社会の公共的領域は古代とは比べものにならないくらい拡大して複雑になりマックスウェーバーが強調したように工場大学・研究所軍隊国家機構において専門分化と官僚制が進展しそれらを司る専門職員と官僚機構が肥大化していく。したがって、社会主義革命において階級搾取が廃止されたとしても膨大な公共機能は現存するし、社会主義経済体制の建設のためにもそれらを専門に担う国家の官僚機構は残存拡大していくであろう。したがって国家はエンゲルスのいうように階級支配が消滅したとしてもけっして死滅しないのである。』


    さて、昨年の11月の米大統領選挙以降次々と想像を絶するような出来事が続発しておりますが、一体何が起こっているのかということを理解するためには、いま一度、「社会主義」と「共産主義」について知って頂く必要があります。



    上の論文の記述にありましたように、エンゲルスは、「社会主義革命以後階級搾取や階級対立が消滅すれば、国家はその本来の存在意義を失って消滅していくと説いた」わけですが、それをさらに強調したのがレーニンでした。一昨日の論文中の記述を再掲させて頂きますが、重要なのは「社会主義国家」が消滅するとしている点です。

    1895年のレーニン
    1895年のレーニン

    『 ・・・レーニンは、『国家と革命』のなかで「被抑圧階級を搾取する道具としての国家」として階級抑圧機関論を展開し、これがマルクス・レーニン主義の国家論として強い影響力を有してきたさらにレーニンはエンゲルスの説いた「国家の死滅」論に関してもそれが資本主義国家の死滅ではなくあくまで階級対立が消滅したあとの社会主義国家についての指摘であることに注意を促すとともに資本主義国家を倒す社会主義革命における「プロレタリアートの独裁」による「暴力革命」の意義を繰り返し強調している

     レーニンは、1870年代のドイツ社会民主主義者がその綱領的要求として掲げ、エンゲルスも一時是認した「自由な人民国家」というスローガンも、「ブルジョア民主主義の粉飾を表現していただけでなく、一般にあらゆる国家にたいする社会主義的批判の無理解をも表現していた」とし、続けて「われわれは、資本主義のもとでのプロレタリアートにとっての最良の国家形態として、民主共和制に賛成であるが、しかし、もっとも民主的なブルジョア共和制においても、賃金奴隷制が人民の運命であることを忘れる権利はわれわれにはない。さらに、あらゆる国家は被抑圧階級を「抑圧するための特殊権力」であるだから“あらゆる”国家は“非”自由で“非”人民的な国家である。」としてレーニン国家論の核心を述べているこうしたブルジョア国家の本質を確認した上で「ブルジョア国家がプロレタリア国家(プロレタリアートの独裁)と死滅の道を通じて交替することは“不可能であり”、それは、通常、暴力革命によってのみ可能である。」と強調している

     そしてブルジョアジーの打倒は、ブルジョアジーの不可避的で絶望的な反抗を抑圧して、新しい経済制度のために“すべての”勤労被搾取大衆を組織する能力をもつ“支配階級”にプロレタリアートが転化することによってはじめて実現されうる。プロレタリアートには国家権力すなわち中央集権的な権力組織暴力組織が必要であるが、それは搾取者の反抗を抑圧するためにも、社会主義経済を「組織」する事業において膨大な住民大衆すなわち農民小ブルジョアジー半プロレタリアートを“指導”するためにも必要なのである。」と明言している。』


    ここで、補助線をひとつ引いておきますと、マルクス(そしてエンゲルス)までは、少なくともユダヤ教・キリスト教的思想が根底にあり神さまの力(パワー)への畏敬の念あるいは権威・権力への畏れまたは恐怖といったものが存在しています。

    カール・マルクス
    カール・マルクス

     In the social production of their existence, men inevitably enter into definite relations, which are independent of their will, namely relations of production appropriate to a given stage in the development of their material forces of production. The totality of these relations of production constitutes the economic structure of society, the real foundation, on which arises a legal and political superstructure and to which correspond definite forms of social consciousness. The mode of production of material life conditions the general process of social, political and intellectual life. It is not the consciousness of men that determines their existence, but their social existence that determines their consciousness.

    ( 人間は、その存在の社会的生産において、必然的に、自分の意志から独立した明確な関係、すなわち、生産の物質的な力の発展のある段階に適した生産関係に入る。これらの生産関係の総体は、社会の経済構造を構成し、その上に法律的・政治的な上部構造が生じ、社会意識の明確な形態に対応する真の基盤となる。物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、知的生活の一般的なプロセスを規定する。人間の存在を決定づけるのは、人間の意識ではなく、人間の意識を決定づけるのは、人間の社会的存在である。)

    上のマルクスの言葉は、一見すると、非常に難解な言い回しとなっているのですが、要するにわれわれ人間にはその社会(または世界)を破壊したいという衝動はそもそもないがもしわれわれ人間がその社会(または世界)を破壊するのであればそれはその社会(または世界)およびその主人からそうすることを学んだからだと言っているわけです。

    ところが、レーニンは違います。ユダヤ教・キリスト教を排した無神論的思想であり、神さまの力(パワー)への憎悪の念あるいは権威・権力への嫌悪または怒りといったものが存在しています。

    1895年のレーニン
    1895年のレーニン

     Workers of the world, unite! - Uneven economic and political development is an absolute law of capitalism. Hence the victory of socialism is possible, first in several, or even in one capitalist country taken separately. The victorious proletariat of that country, having expropriated its capitalists and organised its own socialist production, would stand up against the rest of the world, the capitalist world.

    ( 世界の労働者よ、団結せよ - 不均等な経済的・政治的発展は、資本主義の絶対的な法則である。それゆえ、社会主義の勝利は、最初に、いくつかの資本主義国で、あるいは、ただ一つの資本主義国でさえ可能である。その国の勝利したプロレタリアートは、その国の資本家を収用し、独自の社会主義生産を組織して、世界の残りの部分、資本主義世界に対して立ち上がるであろう。)

    要するに社会(または世界)を社会主義、そしてその後の共産主義へと固定化するために積極的に意思統一を図って強行しようと言っているわけです。

    マルクス(そしてエンゲルス)のスタンスからさらに一歩進んでいることが御理解頂けますでしょうか?

    そして昨日も書かせて頂きましたように、彼らの思想・イデオロギーの根底には『ユートピア思想』が存在していて、その“ユートピアの実現”は実際に可能なものでありそれは自分たちの手によってこそ現実化できるとまさに宗教のように本気で信じている連中が、いわゆる「ディープステート(deep state)」中核を形成している、と当ブログでは考えております。

    さらに申し上げますと、それは表面的な相違がみられる「右派」とか「左派」とかで分類できるものではなく、むしろ、そのどちら側にもその影響力を行使しながら常に一貫して“ユートピアの実現”へと邁進していた(そして現在も邁進している)のではないでしょうか?

    ヒトラー スターリン 毛沢東 

    『 さらに塩川伸明もエンゲルス・レーニン=悪玉、マルクス=善玉論を批判してこう書いている。「マルクスの思想の中には<1国1工場>的な、組織化の極致ともいうべき集権的なイメージと<自由な生産者の自由な結合体>という自主管理的協同組合の連合を思わせる分権的なイメージの双方が混在していた。レーニンにも同様の揺れがあ{る}。(中略)そうした幅があるとはいえ、社会主義は、経済体制を全体的に変革しようという目標をもち、その決定的な第一歩として国家権力の奪取とそれを梃子(てこ)とした全般的改造という道をとるため、究極目標はともあれ、現実的に着手する政策としては指令経済を基本とせざるを得ないというのが歴史の現実だった。<自由な協同組合の連合>という分散的イメージは、ユートピア構想としては社会主義思想の中に一定の位置を占めたが、特定のデザインに依拠して社会全体を改造しようとする以上、中央集権的な組織化をとりあえずの媒介として利用する以外の道はなかった。換言すれば、社会主義は理念としては指令経済に尽きるものではないが、現実的に推進される改造政策とその所産としての体制においては指令経済を基本とせざるを得なかったのである」(『現存した社会主義』 前掲書、110ページ)。同書の「注32」で和田春樹の「レーニン=国家主義派、ブハーリン=分権派」とする解釈を、善玉・悪玉論的な図式である、と批判し、「一方を国家主義者、他方を反国家主義者と単純に振り分けるのではなく、原則として反国家主義的理念をもちながら、現実の政策において国家主義的たらざるをえなかったディレンマ」を考えるべきであるとする(前掲書、212ページ)。エンゲルスが国家社会主義であることは原理上ありえないのである。マルクスにとってもエンゲルスにとっても、定義上、国家は階級抑圧の機関である。それゆえ階級対立のなくなった未来社会で国家が存在することは論理的にありえないのである。過渡期について言えば、マルクスもエンゲルスも、レーニンもトロツキーもスターリンも、誰だって(アソシエーション主義者も)、「一定のデザインに依拠して社会全体を改造しようとする以上」、国家社会主義者になるほかないのである。』

    マルクス主義と希少性
    『マルクス主義と稀少性』堀川哲

    それでは本日はここまでとさせて頂きますが、昨日の最後に少し触れさせて頂きました、マルクスが生まれる約200年ほど前の時代、私たちの日本で言えば、戦国時代から江戸時代初期にかけての時代に生き、その後の「ドイツ思想」に決定的な影響を与えた「キリスト教神智学(Christian theosophy)」または「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」として知られる、ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)について、

    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)
    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)

    ヤコブ・ベーメと神智学の展開 

    次の論文を参照しながら書かせて頂きたいと思います。

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    『「自分は自分である」ことと「我性」への「想像/構想」:西谷啓治によるヤコブ・ベーメの思想への理解とその射程』板橋 勇仁

    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。





    続きは次回に♥




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