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    親子チョコ💗(500冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  日本 >  過去に何度もあった外国からの侵略

    過去に何度もあった外国からの侵略

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    本日のキーワード : 刀伊の入寇、外敵、侵略



    刀伊の入寇(といのにゅうこう)寛仁3年(1019年)に女真族(満洲民族)の一派とみられる集団を主体にした海賊が壱岐・対馬を襲い更に筑前に侵攻した事件刀伊の来寇ともいう

    9世紀から11世紀に掛けての日本は記録に残るだけでも新羅や高麗などの外国の海賊による襲撃・略奪を数十回受けており特に酷い被害を被ったのが筑前・筑後・肥前・肥後・薩摩の九州沿岸であった

    本日の書物 : 『百田尚樹の日本国憲法』 百田 尚樹 祥伝社



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 平安時代になると国内の政情は安定し、藤原道長の時に摂関政治は最盛期を迎えます。平和な時代は約二〇〇年間続き、国風文化が花開きました。しかし、舒明二(630)年から続けていた【遣唐使】を寛平六(894)年に【廃止】して以降、国外の情報が入ってこなくなり、【徐々に国際感覚を失っていきました】。また長らく異国の脅威はなく、【国全体が「平和ボケ」の時代】に入ります。

     ところが、道長の息子・頼道の時代に、予期せぬ危機が訪れます。寛仁三(1019)年、【約50艘余りの賊船】【北九州などを襲い、老人や子供を殺して農作物を奪った】のです。いわゆる【「刀伊の入寇(といのにゅうこう)」】です。【刀伊】とは、高麗が蛮族とした【女真族(のちに金、清を興した満洲族)】に対して使用した【「東夷(とうい)」に、この字をあてたもの】です。

     刀伊を撃退したのは、大宰権師(だざいのごんのそち/大宰府の長官である大宰師に代わって実際の政務を執る長官代理)の【藤原隆家】です。隆家は叔父の道長との折り合いが悪く、若い頃に左遷されて出世できませんでした。荒くれ者として数々の逸話を残しており、【清少納言の『枕草子』にも登場】しています。今で言う“はみだし者”です。

     隆家は賊が侵入すると直ちに朝廷に通報。同時に、自ら兵士を率いて戦い約一週間で退散させましたしかし朝廷では褒賞の指示が出される以前に戦闘が終了していたことを理由にほとんど恩賞を与えませんでした。乱の終了後に大宰権師を辞して京都に戻った隆家に対し、朝廷は大納言や大臣に昇進させることなく隆家は生涯中納言のままでした。侵略者を撃退した英雄に対し、なんとも低い評価です。』

    日の丸

    文明人を野蛮人から区別する点


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、「マルクス主義」と同様に我が国を蝕みさらには日本国民の生命と安全を守らない口実を与える根拠となっている「THE・日本国憲法」の、どこがどう問題でなにがどれほど異常なのかが簡単に理解できる良書で、いわゆる「おパヨクの砦」である「THE・日本国憲法」廃止し本来あるべき「天皇陛下がしらす日本国の憲法」を新たに創設するためにも、知っておきたい事実が数多く紹介されているお薦めの良書となります。

    読書6-19

    それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。

    (死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)

    ※(  )内は前回の数値

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    Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE

    アメリカ : 352,620(351,233)÷20,739,217(20,566,479)=0.0170・・・(0.0170) 「1.70%(1.70%)」
    khcom1.jpg

    イタリア : 75,680(75,332)÷2,166,244(2,155,446)=0.0349・・・(0.0349) 「3.49%(3.49%)」
    khcom2.jpg

    日本 : 3,472(3,429)÷248,576(245,254)=0.0139・・・(0.0139) 「1.39%(1.39%)」
    khcom3.jpg














    さて、カール・マルクスユダヤ人に対する偏見・ヘイトから生じたイデオロギーである「マルクス主義」は、その後も表向きの形を変ながら現代においても“辛うじて”生き残っていますが、


    今回の「2020年米大統領選」を廻る混乱も、中国共産党(CCP)が「中華式革命の輸出」を過去何十年にもわたって行ってきたことで生じているものになります(自由民主主義国で全体主義を推し進める悪玉は誰???)。

    その証左が、アメリカで推し進められてきた“ポリコレ”「ポリティカル・コレクトネス(political correctness)」で、そのそもそもの生みの親こそが、中国共産党(CCP)の毛沢東でした。

    毛沢東 5
    毛沢東



    そして、その“ポリコレ”を助長してきたのがアメリカのメインストリーム・メディア(MSM、mainstream media)でした。



    で、私たち一人ひとりにとって大切なことは、「社会主義社会」の後にやってくるものこそ「共産主義社会」であると妄信しひたすらその実践を宗教的ドグマ(教義)として試み続けている危険極まりない連中が存在しているという現実(もはや隠そうともしてませんがw)を幅広く認識する必要があるということです。


    以上のことを踏まえた上で、「社会主義社会」と「共産主義社会」の違い理解できる非常に参考となる動画がこちら(↓)になりますので、ぜひ御覧下さいませ💗



    それでは、昨日に引き続きまして、次の論文を読み進めることで「社会主義」・「共産主義」の世界観について確認して参りたいと思います。

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    『社会主義・共産主義的世界観の特質と問題点 :剰余価値学説と唯物史観の批判的検討(2)』筒井正夫

    それでは早速見て参りましょう。

    『 社会主義・共産主義的世界観の特質と問題点

    剰余価値学説と唯物史観の批判的検討(2)

    Ⅱ 唯物史観とその問題点

     ここでは剰余価値学説とともに社会主義・共産主義的世界観の根幹をなす今一つの柱である唯物史観について、その概要をまず示しその上で問題点を検討しよう。・・・

    2 問題点

     以上、唯物史観の内容を概説し未曾有の影響力を持ちえた理由の一端を考察してきただがこの唯物史観は多大な問題をはらんでいる次にそれを、1)・2)・3) の内容に即して検討していこう

    (1)下部構造の上部構造規定論について

     ・・・レーニンは、『国家と革命』のなかで「被抑圧階級を搾取する道具としての国家」として階級抑圧機関論を展開し、これがマルクス・レーニン主義の国家論として強い影響力を有してきたさらにレーニンはエンゲルスの説いた「国家の死滅」論に関してもそれが資本主義国家の死滅ではなくあくまで階級対立が消滅したあとの社会主義国家についての指摘であることに注意を促すとともに資本主義国家を倒す社会主義革命における「プロレタリアートの独裁」による「暴力革命」の意義を繰り返し強調している

    1895年のレーニン
    1895年のレーニン

     レーニンは、1870年代のドイツ社会民主主義者がその綱領的要求として掲げ、エンゲルスも一時是認した「自由な人民国家」というスローガンも、「ブルジョア民主主義の粉飾を表現していただけでなく、一般にあらゆる国家にたいする社会主義的批判の無理解をも表現していた」とし、続けて「われわれは、資本主義のもとでのプロレタリアートにとっての最良の国家形態として、民主共和制に賛成であるが、しかし、もっとも民主的なブルジョア共和制においても、賃金奴隷制が人民の運命であることを忘れる権利はわれわれにはない。さらに、あらゆる国家は被抑圧階級を「抑圧するための特殊権力」であるだから“あらゆる”国家は“非”自由で“非”人民的な国家である。」としてレーニン国家論の核心を述べているこうしたブルジョア国家の本質を確認した上で「ブルジョア国家がプロレタリア国家(プロレタリアートの独裁)と死滅の道を通じて交替することは“不可能であり”、それは、通常、暴力革命によってのみ可能である。」と強調している



     そしてブルジョアジーの打倒は、ブルジョアジーの不可避的で絶望的な反抗を抑圧して、新しい経済制度のために“すべての”勤労被搾取大衆を組織する能力をもつ“支配階級”にプロレタリアートが転化することによってはじめて実現されうる。プロレタリアートには国家権力すなわち中央集権的な権力組織暴力組織が必要であるが、それは搾取者の反抗を抑圧するためにも、社会主義経済を「組織」する事業において膨大な住民大衆すなわち農民小ブルジョアジー半プロレタリアートを“指導”するためにも必要なのである。」と明言している。』




    資本主義・社会主義11

    それでは本日の最後になりますが、昨日に続きまして、アイザイア・バーリンが提唱した「消極的自由」(~からの自由)「積極的自由」(~への自由)について語った、1958年10月31日にオックスフォード大学での就任講演の内容を御紹介させて頂きたいと思います。

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    アイザイア・バーリン
    アイザイア・バーリン

    自由論【新装版】 

    これ 女性

    『 二つの自由概念

    一と多

     ・・・かれら 〔 事実を尊重するひとびと 〕 がその実現に努めている「消極的」自由は訓練のよく行届いた大きな権威主義的構造のうちに階級・民衆・全人類による「積極的」な自己支配の理想を追求しているひとびとの目標よりもわたくしにはより真実でより人間味のある理想であるように思われるより真実であるというのはそれが人間の目標は多数でありそのすべてが同一単位で測りうるものでなく相互にたえず競いあっているという事実を認めているからである一切の価値が一つの尺度の上の目盛りとしてあらわされうる、したがってただ最高の価値を決定するための検査が問題なのだと想定することは自由な行為者としての人間に関するわれわれの知識を誤謬に導き道徳的な決断を原理的には計算尺でできるような運算と考えることである。まだ実現されてはいないが、究極において万事を調整・和解させてしまう綜合の状態にあっては義務はそのまま利益で“あり”個人的自由は純粋なデモクラシーあるいは権威主義的国家であるというようことを口にするのは自己欺瞞か故意の偽善かそのいずれかに形而上学的ヴェールをかぶせることであるまたより人間味があるといったのはそれが(体系家たちのするように)ある高遠なとりとめのない理想の名において人間からかれらの人間としての生活に欠きえないと思われる多くのものを奪い去ることをしないからである要するに人間は究極的な諸価値の間で選択をする人間がそのように選択をするのはかれらの生活や思想がその基礎的な身体的構造と同様にかれらの存在や意識的思考や自己同一性の感覚などの一部分であるところの基本的な道徳的カテゴリーや概念によって決定されているからなのである

     欲するがままに生きる自由という理想 ―― 及びそれに関連する価値の多元論(プルラリズム) ―― 没落しつつある資本主義文明末期の所産にすぎないのかもしれない。この理想は遠い昔の時代や原始社会には知られていなかったものであり、後世はまたこれを好奇心、さらには共感を持って見るではあろうが、ほとんど理解はすまい。それはそうかもしれない。しかしそこからなにも懐疑的な結論は出てはこないのではあるまいか。原理の神聖性というものは、その持続性が保証されないからといって減少するわけのものではない。それに、現代の諸価値がある客観的な天国において永遠且つ安全であることの保証を求めることは、たんに幼年時代の安固さ、あるいは過去の未開時代の価値の絶対性を渇望するようなことにすぎないかもしれないのだ。現代のある尊敬すべき著者は書いている「自己の確信の正当性の相対的なものであることを自覚し、しかもひるむことなくその信念を表明すること、これこそが文明人を野蛮人から区別する点である。」






    これ以上のものを要求することはおそらく人間の不治なる深い形而上学的要求というものであろうしかしながらこの形而上学的要求に実践の指導をゆだねることは同様に深いそしてはるかに危険な道徳的・政治的未成熟の一兆候なのである。』


    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。







    続きは次回に♥




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