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    親子チョコ💗(400冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  世界史 >  米民主党バイデン陣営が推し進めていた“エセ・デモクラシー”

    米民主党バイデン陣営が推し進めていた“エセ・デモクラシー”

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    本日のキーワード : デモクラシー



    民主主義(みんしゅしゅぎ、英: democracyデモクラシー)または民主制(民主政)とは人民が主権を持ち行使する政治





    本日の書物 : 『日本人に忘れられた ガダルカナル島の近現代史』 内藤 陽介 扶桑社



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 1919年2月13日、【日本全権の牧野伸顕】は、新たに設立される【国際連盟】【規約】に、「人権あるいは国籍いかんにより法律上あるいは事実上何ら差別を設けざることを約す」という【人種差別撤廃の条項を入れるように提案】。ちなみに、【国際会議において人種差別撤廃が明確に主張されたのは、これが最初のこと】とされている。

     この提案は、アジア・アフリカに多くの植民地を抱える列強諸国の反発を招いたが、【白豪主義を国是としていたオーストラリア】は、これを、【自国を解体しかねない“劇薬”として特に激しい反発を示した】

     そもそもヒューズは、選挙演説において「我々の主たる綱領は、もちろん白いオーストラリアだ。これに関しては妥協の余地はない。働き者の有色人種の兄弟は去れ。戻ってくるな」などと公言してはばからない人物だったから、【日本の提案に激昂】し、【この条項が盛り込まれれば、オーストラリアは国際連盟に参加しないとまで言い放つ】

    ビリー・ヒューズ 1
    ビリー・ヒューズ

     結局、4月11日の最終委員会で、【日本】【連盟規約前文】【「国家平等の原則と国民の公正な処遇を約す」】との文言を盛り込むという【修正案を提出】。この修正案に関しては、当初英国は賛成の意向を示していたが【ここでもオーストラリアが、日本の提案は移民政策を拘束するもので内政干渉にあたるとして、頑としてこれを受け付けようとはしなかった】。また、【のちにアパルトヘイト国家として国際世論の非難を浴びることになる南アフリカ連邦もこれに同調する】。』

    日の丸

    マルクスの労働価値説の矛盾


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、かつての大日本帝国がその地政学上の重要性を理解していた南太平洋の島々に対してもはや全世界共通の敵となった中国共産党(CCP)が現在どのような工作を行っているのかが理解できる良書になります。

    読書 女性 3-16

    それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。

    (死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)

    ※(  )内は前回の数値

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    Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE

    アメリカ : 297,501(293,633)÷16,014,839(15,721,790)=0.0185・・・(0.0186) 「1.85%(1.86%)」
    zzzzpldfig1.jpg

    イタリア : 64,036(63,387)÷1,825,775(1,805,873)=0.0350・・・(0.0351) 「3.50%(3.51%)」
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    日本 : 2,462(2,445)÷178,207(175,170)=0.0138・・・(0.0139) 「1.38%(1.39%)」
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    目に見えぬ侵略 中国のオーストラリア支配計画 

    さて、カール・マルクスユダヤ人に対する偏見・ヘイトから生じたイデオロギーである「マルクス主義」は、その後も表向きの形を変ながら現代においても“辛うじて”生き残っていますが、


    今回の「2020年米大統領選」を廻る混乱も、中国共産党(CCP)が「中華式革命の輸出」を過去何十年にもわたって行ってきたことで生じているものになります(自由民主主義国で全体主義を推し進める悪玉は誰???)。

    その証左が、アメリカで推し進められてきた“ポリコレ”「ポリティカル・コレクトネス(political correctness)」で、そのそもそもの生みの親こそが、中国共産党(CCP)の毛沢東でした。

    毛沢東 5
    毛沢東

    ポリコレ全体主義1

    ポリコレ全体主義2

    ポリコレ全体主義3

    ポリコレ全体主義4



    そして、その“ポリコレ”を助長してきたのがアメリカのメインストリーム・メディア(MSM、mainstream media)でした。



    で、私たち一人ひとりにとって大切なことは、「社会主義社会」の後にやってくるものこそ「共産主義社会」であると妄信しひたすらその実践を宗教的ドグマ(教義)として試み続けている危険極まりない連中が存在しているという現実(もはや隠そうともしてませんがw)を幅広く認識する必要があるということです。


    以上のことを踏まえた上で、「社会主義社会」と「共産主義社会」の違い理解できる非常に参考となる動画がこちら(↓)になりますので、ぜひ御覧下さいませ💗



    それでは、昨日に引き続きまして、次の論文を読み進めることで「社会主義」・「共産主義」の世界観について確認して参りたいと思います。

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    『社会主義・共産主義的世界観の特質と問題点 :剰余価値学説と唯物史観の批判的検討(1)』筒井正夫

    それでは早速、昨日の続きを見て参りましょう。

    『 社会主義・共産主義的世界観の特質と問題点

    剰余価値学説と唯物史観の批判的検討(1)

    Ⅰ 剰余価値学説とその問題点

    2 問題点

    1)小泉信三説

     ここで前掲二著作から小泉のマルクス批判を要約して示しておこう。

     マルクスは前述のように、労働者に支払われた賃金はその実際の労働に対してではなく労働者の持つ労働力に対して支払われたと説くその労働力の価値は他の原材料等と同じくその生産に社会的に必要な労働時間によってすなわち労働者及びその家族の生活に必要なる物品の生産に必要な労働時間によって決まるとされる

     この理解の前提となっているのがマルクスの労働価値説であって、商品の価値はそれを生産するための社会的に必要なる労働量によって定まるとされるこの場合「社会的に必要なる労働量」という言葉をマルクスはその商品を生産するため社会的に ─ 平均的条件の下に ─ 必要な労働量という意味で用いているが、その場合生産技術上必要なる一定の労働量はその商品に対する社会の需要の程度と無関係に常に同一の価値を造るということになってしまいこれは直ちに現実と衝突ししたがって労働価値説は成り立たないこととなる。

     他方マルクスは、この用語を需要と供給とを比例せしむるために必要という意味にも用いておりそれを突き詰めて考えれば結局商品の価値はその費やされた労働量とは関係なくその需要供給の関係によって定まることを認めることとなるこのことを労働力の価値に適用すると労働力の価値は労働力を作る生活費によって定まるのではなく労働力に対する需要供給の関係で決まる賃金によって定まることとなる

     ここで注意すべきは、マルクスは資本家は労働者から労働力を購入するといっているが人格の自由が承認されているところで労働力の売買は行うことはできずそれは「労働力の使用」を購入するというべきである。したがって支払われる賃金はこの「労働力の使用」に対する給付ということになりなんら支払われざる不等価交換の下での搾取の概念ではないということである

     ではなぜ価値どおりに労働者を雇い生産手段を購入して生産した製品の販売額はそれら生産費を上回って剰余価値を生むのか。この問いに対しても小泉は需要供給の関係から説明する。すなわち、「生産物に対する需要は、常にそれを生産する労働そのものに対する需要よりも強く、したがって一切の生産物の価格合計は当然、一切の生産物を造る労働賃金合計を超過し、而してこの超過額が利子利潤を構成する・・その理由は・・将来においてはじめて生産物と化すべき労働そのものは、労働そのままの状態では、すでに出来上がった生産物ほどには人の欲望を充たしえないからである」と説明するのである。

     こうして商品の価値も剰余価値も正当な需要供給関係から生み出されたものであり、そこには搾取は理論上見いだせないというわけである。だが、ここに今一つ説得力の面で迫力を欠くのは、労働そのものの需要を上回るような需要を産む生産物が、搾取によらずにどのように生み出されたのかこの点についての積極的な説明が見られない点である。この点まで踏み込んでさらに突っ込んだマルクス批判を展開しているのが佐野學である。』




    資本主義・社会主義11

    それでは本日の最後になりますが、昨日に続きまして、アイザイア・バーリンが提唱した「消極的自由」(~からの自由)「積極的自由」(~への自由)について語った、1958年10月31日にオックスフォード大学での就任講演の内容を御紹介させて頂きたいと思います。

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    アイザイア・バーリン
    アイザイア・バーリン

    自由論【新装版】 

    これ 女性

    『 二つの自由概念

    自由と主権

     ・・・ふつうにひとはあれこれの支配者 〔 統治者 〕 たちが抑圧的であるといって抗議するけれども抑圧の真の原因ひとえに権力の集積という事実それ自体のうちにあるそれはいつどこで起ころうとも同じことだ、なぜなら自由は絶対的な権利そのものの存在ということによってすでに危険にさらされているのだから、というのがかれの主張であった。


    バンジャマン・コンスタン
    バンジャマン・コンスタン



    「悪いのは腕ではない」と、かれは書いている。「武器の方があまりに重すぎるのだ。いくばくかの重量は、人間の手で支えるにはあまりに重すぎる。」 デモクラシーは、ある寡頭制、ある特権的な個人ないし一群のひとびとを武装解除しはするだろうけれども、このデモクラシーとてやはり依然として以前の支配者と同様に容赦なく個人をおしつぶすことはできるのだ。



    抑圧 ―― あるいは干渉 ―― の権利の平等は、自由と同意義ではない。自由の喪失にみながひとしく同意したとして、それがみんなの同意によるからといって、奇蹟的にもせよどうにか自由が維持されるということはない。わたくしが抑圧されることに同意を与えたとしたら、あるいはわたくしが自分の状態に超然と、またはアイロニカルに、黙従したとしたら、わたくしの抑圧される度合いが軽減されるであろうか。わたくしがみずから奴隷に自分を売ったのであれば、わたくしの奴隷である程度が少なくなるであろうか。わたくしが自殺をしたとすると、それが進んで自分の生命を絶ったのだからという理由で、死はより小さな死となるであろうか。』

    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。







    続きは次回に♥




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