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    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  世界史 >  中国共産党(CCP)の南太平洋への侵略

    中国共産党(CCP)の南太平洋への侵略

    ソロモン諸島

    本日のキーワード : ソロモン諸島、ガダルカナル、侵略



    ソロモン諸島(ソロモンしょとう、英: Solomon Islands)南太平洋のメラネシアにある島嶼群でありまたその島々を国土とする国家であるただし地理的にはソロモン諸島に属するブーゲンビル島は国家の領域的にはパプアニューギニアに属す

    オーストラリアの北東パプアニューギニアの東に位置する北にはナウル東にはツバル南東にはフィジー南にはバヌアツがあるイギリス連邦の一員にして英連邦王国の一国首都であるホニアラはガダルカナル島に位置している

    本日の書物 : 『日本人に忘れられた ガダルカナル島の近現代史』 内藤 陽介 扶桑社



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 いわゆる歴史認識問題をめぐって日本と近隣諸国の間で摩擦があることは周知のとおりである。もちろん、同じ国民でも歴史認識は人それぞれだから、異国間になれば認識の齟齬(そご)が拡大するのは避けられない。ましてや、直近の戦争の勝者(の継承者)と敗者という立場の差があればなおさらであろう。

     【中華人民共和国政府】は、しばしば、1937年の南京事件などを持ち出して【戦前の日本軍国主義を非難し、現在の日本政府もその原罪を負うことを要求】している。もちろん、支那事変も戦争の一種だから、日本軍の南京占領時に相当の犠牲者が生じたことは事実だろうが、【中国の主張する事件の概要】(犠牲者数が30万人以上という認定など)には【明らかな誇張や歪曲も少なからず含まれており、客観的な歴史的事実として鵜呑(うの)みにはできない】



     【中国側の主張する歴史的“事実”の誤り】については、【さまざまな論者が縷々(るる)指摘している】が、【中国】(とその主張に賛同する人々)【彼らの歴史認識に少しでも疑義をさしはさむ者を“歴史修正主義者”として非難し、「歴史を学べ」と威圧するのが常である】。このため、【中国から「歴史を学べ」といわれるとは片腹痛い】と反応する論客も多いのだが【視点を変えると、実は、現在の中国政府は“歴史を学ぶ”ことにかなり熱心なことがわかる】



     2014年に【習近平】政権が始めた【一帯一路政策】では、【中国】は【新興国】のインフラ建設に対して【返済困難な過剰融資を行い】新興国を【“債務の罠”に陥(おとしい)れてその影響下に置き】その国の港湾などを長期間にわたって【“租借”することが横行】している。これなどは、まさしく19世紀から20世紀初頭にかけて【西洋列強諸国が盛んに行い、清朝から中華民国にかけての中国中央政府が苦しめられてきた植民地主義を忠実に再現したもの】にほかならない



     こうした中で、昨年(2019年)9月16日、南太平洋の島国、【ソロモン諸島】【台湾と断交】し、【中国と国交を樹立】した。ソロモン諸島という国名にはなじみがなくても、同国の最大の島がかつての激戦地、【ガダルカナル島】だといえばイメージしやすいのではないか。』

    日の丸

    モンペルラン協会の自由主義的ルール


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、かつての大日本帝国がその地政学上の重要性を理解していた南太平洋の島々に対してもはや全世界共通の敵となった中国共産党(CCP)が現在どのような工作を行っているのかが理解できる良書になります。

    読書 女性 16

    それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。

    (死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)

    ※(  )内は前回の数値

    ndhcbxgs.jpg
    Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE

    アメリカ : 274,648(273,835)÷13,993,296(13,924,956)=0.0196・・・(0.0196) 「1.96%(1.96%)」
    ndhcbxgs1.jpg

    イタリア : 58,038(57,045)÷1,664,829(1,641,610)=0.0348・・・(0.0347) 「3.48%(3.47%)」
    ndhcbxgs2.jpg

    日本 : 2,174(2,141)÷155,928(154,198)=0.0139・・・(0.0138) 「1.39%(1.38%)」
    ndhcbxgs3.jpg

















    目に見えぬ侵略 中国のオーストラリア支配計画 

    さて、ここからは昨日の続きになりますが、カール・マルクスユダヤ人に対する偏見・ヘイトから生じたイデオロギーである「マルクス主義」は、その後も表向きの形を変ながら現代においても“辛うじて”生き残っていますが、


    デヴィッド・ハーヴェイ
    デヴィッド・ハーヴェイ

    新自由主義―その歴史的展開と現在 

    例えば、デヴィッド・ハーヴェイマルクス主義の地理学者で、いわゆる「新自由主義」を誤った解釈に基づいて批判した人物で、

    官僚たちが、民間企業の活動をあれこれと指図する「規制」は、本当に必要ですか?



    以前にも書かせて頂きましたが(→「新自由主義」の本質が理解できない人々の主張 → 「弱肉強食」「大きな政府から小さな政府への展開」「ハイエクガー」)、「全体主義の脅威」を目前にした自由主義体制側の“自由主義再生の潮流”こそが「新自由主義」と呼ばれるもので、それは「国家の法的介入」に関心を寄せた自由主義体制側の変革になります。このデヴィッド・ハーヴェイ定義するところの「デヴィッド・ハーヴェイの新自由主義」「マルクス主義」から生じているものであり(→日本の官僚たちの理想は、「行政国家」です! ~ 「官僚の、官僚による、官僚のための政治の実現」)、より正確に言うとレフ・トロツキーが批判していたものと同じであり(→“自由全体主義” ~ 新自由主義(ネオリベラリズム)のはじまり )、トロツキー以後の西欧の「トロツキー主義左翼(反スターリン主義的マルクス主義者)」がほぼ共有する考え方になります(→現代の“ハルマゲドン” ~ 「おパヨク」 V.S. 「自由」)。

    女性 ポイント ひとつ

    で、「デヴィッド・ハーヴェイの新自由主義」ではない本来の「新自由主義」について、次の論文を読み進めることで確認して参りたいと思います。

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    『マネタリズムと新自由主義』山田久

    それでは早速、昨日の続きを見て参りましょう。

    『 モンペルラン協会

     ・・・第二次世界大戦後社会主義の台頭に一貫して警鐘を鳴らしてきたこの協会の考え方の正しさは1980-90 年代の社会主義の崩壊市場経済化の進展によって歴史的に証明されたといえます。世界の市場経済化の必要性を社会主義が台頭したその時代から徹底して主張し続けレーガン・サッチャー両政権による経済政策を支え社会主義の崩壊を理論的に主導してきました。筆者は立教大学の学生時代に、ヤン・ティンバーゲン(JanTinbergen、 1903-1994、 1969 年に第一回ノーベル経済学賞をラグナー・フリッシュと共同受賞)の『新しい経済』を読んだときにモンペルラン協会についての記述があるのに驚いた記憶があります。ティンバーゲンは次のように述べています。

     「 ロシアの経済制度は非常に悪いものであるから、自動的に崩壊するだろう、と何十年も考えられてきた集中的計画社会というものは不可能であるということは、モン・ペラン・ソサイティ(ハイエクが創立した自由主義的な学者や政治家の団体)を結成しているような高名な著述家によって科学的に証明された不可能ではないにしろ少なくとも極度に非能率である

     モンペルラン協会はノーベル経済学賞の受賞者が多いことでも有名です。亡くなられた方も含めると、ノーベル経済学賞受賞者は、F. A. Hayek(1974)、 Milton Friedman (1976)、 George J.Stigler (1982)、 James M. Buchanan (1986)、Maurice Allais (1988)、 Ronald Coase (1991)、Gary S. Becker (1992)、 Vernon L. Smith (2002)の 8 名に上ります。

     筆者とモンペルラン協会の本格的な関わりは、世界経済調査会の専任研究員になってからですが、モンペルラン協会の名前は学生時代から知っていました。前述したように米国から来日された経済学者は皆さん協会員でした。またフリードマン先生(1970-1972 年 )、 ベ ッ カ ー 先 生(1990-1992年)、西山先生(1980-1982 年)は会長経験者です。デューク大学での恩師,ブロンフェンブレンナー先生も古くからの会員でした。

     2 年に 1 回総会が開かれ、毎年のように地域集会が開催されます。日本では 1966 年 9 月に東京地域集会が、1988 年 9 月に東京・京都総会が、2008 年 9 月に東京総会が開かれました。筆者が本格的に会合に参加できたのは、1986 年 9 月のイタリア総会(St. Vincent、 Italy)でした。世界経済調査会理事西村光夫先生の鞄持ちでイタリア総会に連れて行っていただきました。会合に参加するには会員からの推薦が必要です。西村先生には推薦していただいた上に先生のポケットマネーで連れて行っていただきました。

     正式に会員になるためには複数会員の推薦と事前に会合に出席していることが必須です。会員になるために、1997 年 9 月のバルセロナ地域集会(Barcelona、 Spain)、1998 年 9 月のワシントン総会(Washington DC、 USA) に 参 加 し て、2000年 11 月のチリ総会(Santiago、 Chile)で入会を許可されました。

     2008 年 9 月、モンペルラン協会東京総会の運営・実行委員として活動しました。2008 年 9 月 7日から 12 日まで、ホテルニューオータニで、モンペルラン協会 60 周年記念総会が 20 年ぶりに東京で開かれ、現代社会の技術にかかわる諸問題と自由市場、自由主義の関わりについて討議がなされました。

     テーマは「技術と自由」であり、今日世界が当面する様々な問題に、次のような切り口から接近しました。

     1. 地球温暖化、環境と自由市場
     2. 人類の技術、倫理、自由市場
     3. 自由における医療
     4. IT の自由とコミュニケーションにおける影響
     5. アジアの経済成長―自由市場はいかに重要であったか?
     6. 技術の国際的波及
     7. デジタル・デバイド・貧困、所得格差、教育

     この 7 つのテーマごとに午前中に 2 セッションが設定され、各々のセッションで 3 人の報告者が論文を提出しました。午後は、これらの報告者の問題提起を受けてテーマごとに分かれて討論するグループ・セッションが開かれました。

     モンペルラン協会での議論の内容本人の承諾なしには公開できません。したがって、発言者は自分の発言に対して何の拘束も咎めも受けないルールとなっています。これこそがモンペルラン協会で発表される理念の純粋性独創性を保証するものでありまたそれだからこそ出席者は心からの満足感をもって会議終了とともに再会を約束して各自のスケジュールに戻っていくのです。通常、会としての議論の要約もましてや決議や共同宣言の発表などは一切行われません協会は決してプロパガンダのグループではなく自由社会の維持と改良に貢献することを目的とし相通じる理想と考えを持つ仲間と意見を交換する場なのです。』




    資本主義・社会主義11

    それでは本日の最後になりますが、昨日に続きまして、アイザイア・バーリンが提唱した「消極的自由」(~からの自由)「積極的自由」(~への自由)について語った、1958年10月31日にオックスフォード大学での就任講演の内容を御紹介させて頂きたいと思います。

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    アイザイア・バーリン
    アイザイア・バーリン

    自由論【新装版】 

    これ 女性

    『 二つの自由概念

    地位の追求

     ところで、ここでの問題に対する歴史的に重要なもう一つのアプローチがある。それは、自由対概念である平等と博愛自由と混同することによって同じく自由主義的でない結論に到達するものである。』



    『・・・温情的干渉主義が専制的であるのは、それが非開明的で残虐な、むき出しの専制よりも、より抑圧的であるからというのでも、またたんにそれがわたくしの内なる超越的理性を無視するからというのでもない。そうではなくて、温情的干渉主義は、自分が一個の人間 ―― 自分の生活を自分自身の目的(それは必ずしも理性的なものでも博愛的なものではない)にしたがって形成してゆくべき人間、なかんずくそのような存在そして他から認められる資格をもった人間 ―― であるという考えに対する侮辱であるからなのだ。なぜならもしわたくしがそのような人間として認められないならばわたくしは自分をそのようなものとして認めることができないかもしれないし完全に独立な人間存在でありたいという自分の要求に懸念を抱くかもしれないから。わたくしがなんであるかは、大部分、わたくしが感じ考えることによって決定されている。そしてこのわたくしが感じ考えることは、自分が属している社会に広く行われている感情や思想によって決定されている。わたくしは、バークのいった意味で、社会の孤立的な一原子ではなく、社会的パターンの一成分(この暗喩は危険ではあるが使わないわけにはゆかない)なのだから。わたくしは一個の自己支配的な個人的存在として認められていないという意味で自由でないと感ずるかもしれない。けれども、自分がある認められていない集団、ないしはじゅうぶんな顧慮を払われていない集団の一員として自由でないと感ずることもあるであろう。その場合には、わたくしは自分の階級全体、国民全体、民族全体あるいは同業者全体の解放を願い求めることになる。この願望・欲求はきわめて強大なものとなりうるから、烈しく地位を熱望するあまりわたくしは、とにかく自分を一個の人間として、競争相手として ―― つまり同等のものとして ―― 認めてくれるのであれば、自分の民族なり社会階級のうちのあるひとびとによっていじめられ悪性を施されるのであっても、その方が、自分をそうありたいと願うようなものとして認めてくれない上位の関係うすいグループのひとびとによって寛大に手あつく扱われるよりもよいとするかもしれないのである。これこそが、個人ならびに集団のいずれの側からも発せられる承認 〔 認知 〕 要求の声、また現代では職業や階級、国民や民族から発せられるその要求の核心をなすものである。たとえ自分の社会の諸成員の手によって「消極的」自由の獲得が妨げられたにしても、かれらがわたくしと同じ集団の成員であり、わたくしがかれらを理解するように、かれらがわたくしを理解してくれるのであれば、この理解はわたくしのうちに、自分もこの世界においてなにものかであるのだという感覚を生み出すわけである。このような相互的承認 〔 認知 〕 への欲求によって、時としていかに権威主義的なデモクラシーであっても、その方が、いかに開明的であれ寡頭独裁制よりはよしとされるのである。また新しく解放されたアジア・アフリカ諸国の成員が今日、自分の民族ないし国家の成員によって粗野な扱いを受けても、外部からの慎重・公正・上品・善意の行政官によって統治されていたときよりも不平をいうことが少ないということにもなるのである。この現象が理解されるのでなければ、ミルの言った意味において基本的人権を剝奪されているひとびと、しかもこれらの権利をより広汎にもっていたときよりも、ずっと大きな自由を享受していると真剣に語るひとびとの理想や行動は、不可解なパラドクスとなってしまう。

     しかしながらこのような地位と承認 〔 認知 〕 への欲求を自由 ―― 「消極的」な意味においても「積極的」な意味においても ―― と同一視することはなかなか容易ではない。たしかにそれは、人間によって自由と同じく切に必要とされ、烈しく戦い求められてくるものであり、自由に近いあるものではあるが自由そのものではない。』


    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。





    続きは次回に♥




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