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    親子チョコ💗(400冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  国際 >  中国人にとっての「平和」という言葉の意味と、日本人にとってのそれはまったく異なっているんです(笑)

    中国人にとっての「平和」という言葉の意味と、日本人にとってのそれはまったく異なっているんです(笑)

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    本日のキーワード : 馬列学院



    マルクス・レーニン主義研究所マルクス=レーニン主義研究所(マルクス・レーニンしゅぎけんきゅうじょ)は、マルクス・レーニン主義の研究および普及を目的とした組織ML研究所などと省略される冷戦時代に各国においてマルクス・レーニン主義に関する文献の編纂・翻訳・出版に携わった

    本日の書物 : 『米中ソに翻弄されたアジア史 カンボジアで考えた日本の対アジア戦略』 江崎 道朗、福島 香織、宮脇 淳子 扶桑社



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『江崎 : 【中国共産党】は日中国交正常化前、【1950年代の半ば】に、北京に【馬列(マーリエ/マルクス・レーニン)学院】という【日本人の工作員を養成するための教育機関をつくっている】のです。【約2000人の工作員】をそこでつくって、彼ら彼女らを【日本に送り込み】【学園紛争を起こさせた】【60年安保闘争のとき】です

    安保闘争

     【中国共産党】【日本に拠点】をつくったのはさらに古くて、満洲事変より2年前の【1929年】です。【日本の主要大学に対日工作拠点ができ】て、中国国民党の国費留学生として日本に来ている【中国人留学生たちが次々に中国共産党員に勧誘されていきました】




    宮脇 : 江崎先生の一連のお仕事は、そういうことを明らかにすることですものね。日本の大学では絶対に研究してくれない。この本でも、戦後の日本とカンボジアの政治的な関係を、江崎先生が親しかった只熊さんという人を通して、語ってくれていますものね。

    江崎 : ベトナム共産党、つまり北ベトナムを打倒するために、南ベトナム・反共ベトナム側の人間が日本に亡命政権の支部をつくりました。その支部は品川にあって、只熊さんたちも応援していました。私もこの支部の会合に何回か連れて行ってもらいました。

     もう一つ、印象的な話をします。僕は天安門事件があったときに、中国の民主化運動に関わる人たちが中国に帰ることができず、日本に亡命するのを支援してきたことがあるのです。彼らは研究者でしたから、コンピューターなどを必要としていました。それで、パソコン会社に勤める知人に相談して、当時、30万円以上もしたパーソナル・コンピューターを無償で援助してもらったりしました。ずいぶんと感謝されて、酒を飲んで話をしたとき、「江崎さん、【われわれ中国人が『平和』という言葉をどういう意味で使っているか】知っていますか?」と訊(き)かれたのです。

     【日本人にとっての「平和」】というのは、【英語の「Peace」に近い】ですよね。ところが【中国人にとっての平和】【「和をもって、相手を平らげる」】という感じだと。【仲よくしつつ、相手を支配する】。「じゃあ、英語でいう“Peace”はないの?」と訊いたら、「言葉としてはあります。でも、語感としてないです。【相手を平らげてはじめて、紛争のない世界ができる、というのがわれわれの考え方】なのだ」と。それなら、【どうしたらあなた方は共存を認めるのか】と尋ねると、【「自分たちはかなわないと思わされるなら、日本と共存ができる。それ以外の道はない」】と。』

    日の丸

    “似非”保守が渇望しているのが、地位と承認 〔 認知 〕です(笑)


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、いわゆる東南アジアの大陸側の近現代史に焦点をあてた書物で、特にカンボジアを中心に、その周辺地域を含めた「インドシナ」における歴史の大まかな流れを理解することができ、また、今回のアメリカ大統領選挙の混乱からも分かるようにソ連・コミンテルンとその下部組織である中国共産党(CCP)がこの地域において如何に水面下で暗躍していたのか理解できるお勧めの良書となります。

    読書3-38

    それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。

    (死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)

    ※(  )内は前回の数値

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    Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE

    アメリカ : 269,192(267,438)÷13,605,981(13,457,294)=0.0197・・・(0.0198) 「1.97%(1.98%)」
    fedfsgdp1.jpg

    イタリア : 56,361(55,576)÷1,620,901(1,601,554)=0.0347・・・(0.0347) 「3.47%(3.47%)」
    fedfsgdp2.jpg

    日本 : 2,109(2,075)÷150,976(148,945)=0.0139・・・(0.0139) 「1.39%(1.39%)」
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    目に見えぬ侵略 中国のオーストラリア支配計画 

    さて、ここからは昨日の続きになりますが、カール・マルクスユダヤ人に対する偏見・ヘイトから生じたイデオロギーである「マルクス主義」は、その後も表向きの形を変ながら現代においても“辛うじて”生き残っていますが、


    デヴィッド・ハーヴェイ
    デヴィッド・ハーヴェイ

    新自由主義―その歴史的展開と現在 

    例えば、デヴィッド・ハーヴェイマルクス主義の地理学者で、いわゆる「新自由主義」を誤った解釈に基づいて批判した人物で、

    官僚たちが、民間企業の活動をあれこれと指図する「規制」は、本当に必要ですか?



    以前にも書かせて頂きましたが(→「新自由主義」の本質が理解できない人々の主張 → 「弱肉強食」「大きな政府から小さな政府への展開」「ハイエクガー」)、「全体主義の脅威」を目前にした自由主義体制側の“自由主義再生の潮流”こそが「新自由主義」と呼ばれるもので、それは「国家の法的介入」に関心を寄せた自由主義体制側の変革になります。このデヴィッド・ハーヴェイ定義するところの「デヴィッド・ハーヴェイの新自由主義」「マルクス主義」から生じているものであり(→日本の官僚たちの理想は、「行政国家」です! ~ 「官僚の、官僚による、官僚のための政治の実現」)、より正確に言うとレフ・トロツキーが批判していたものと同じであり(→“自由全体主義” ~ 新自由主義(ネオリベラリズム)のはじまり )、トロツキー以後の西欧の「トロツキー主義左翼(反スターリン主義的マルクス主義者)」がほぼ共有する考え方になります(→現代の“ハルマゲドン” ~ 「おパヨク」 V.S. 「自由」)。

    女性 ポイント ひとつ

    で、「デヴィッド・ハーヴェイの新自由主義」ではない本来の「新自由主義」について、次の論文を読み進めることで確認して参りたいと思います。

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    『マネタリズムと新自由主義』山田久

    それでは早速、昨日の続きを見て参りましょう。

    『 世界経済調査会

     1984 年に帰国しました。西山先生から、まず米国の錆を落とせと言われて、木内信胤先生を紹介されました。日本で「新自由主義」の影響を最も早く受けその中心となったのは木内信胤先生でした。筆者は木内先生の「世界経済調査会」で専任研究員になりましたが、実態は研究生のようなものでした。

     木内先生は、横浜正金銀行、大蔵省終戦連絡部長、外国為替管理委員会委員長等の職をへたのち、1955 年から 1993 年に逝去されるまで世界経済調査会理事長の職にありました。先生は 1958 年に、ハイエクの勧めによって「モンペルラン協会」に入会し、それ以後ハイエクに傾倒しハイエクの理論にならった「新自由主義」熱心に説いてこられました。』


    資本主義・社会主義11

    それでは本日の最後になりますが、昨日に続きまして、アイザイア・バーリンが提唱した「消極的自由」(~からの自由)「積極的自由」(~への自由)について語った、1958年10月31日にオックスフォード大学での就任講演の内容を御紹介させて頂きたいと思います。

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    アイザイア・バーリン
    アイザイア・バーリン

    自由論【新装版】 

    これ 女性

    『 二つの自由概念

    地位の追求

     ところで、ここでの問題に対する歴史的に重要なもう一つのアプローチがある。それは、自由対概念である平等と博愛自由と混同することによって同じく自由主義的でない結論に到達するものである。』



    『・・・わたくしは肉体から遊離した理性であるのではない。また、ただひとりで自分の島にいるロビンソン・クルーソーでもない。わたくしの物質的な生活が他のひとびとの相互作用に依存している、あるいはわたくしが社会的諸力の結果として現にこのようなわたくしであるというにとどまらず、わたくし自身に関するわたくしの観念のあるものおそらくはそのすべて ―― 特に自分の道徳的・社会的自己同一性の感覚 ―― わたくしがそのなかの一要素である社会のネットワーク(この暗喩[メタファー]はあんまり遠くまで押しひろげられてはならないが)からしてのみ理解することができるのである。あるひとなり、ある国民なりが欺いている自由の欠如が、結局は 〔 他のひとなり他の国民なりによる 〕 正当な承認 〔 認知 〕の欠如に帰結するということは、しばしばあることだ。

    ジョン・スチュアート・ミル
    ジョン・スチュアート・ミル

    わたくしが求めているのはミルによってわたくしが求めるであろうと期待されていたもの、つまり、強制をうけないこと勝手な拘留とか虐待とか行動の機会の剥奪とかから免れることあるいは自分の動作に対して誰にも法的な責任を負う必要がない場所などではないのかもしれない。同様にまた、わたくしは社会生活の理性的な計画とか情念に動かされない賢者の自己完成といったものを求めているのではないかもしれない。おそらくわたくしが避けようとするのはたんに無視されたり恩人ぶられたり軽蔑されたり、あまりにも当然と思われたりすることにすぎないのだ。要するに、一個人としての取扱いを受けないこと、自分の独自性がじゅうぶんに認められないこと、あるなんの特徴もない混合体の一員として、とくにきわだった人間的特徴もなく独特の目的もない統計上の一単位として、類別されてしまうことなのである。わたくしが戦っているのは、このような人間としての品位の低減に対してである。法的な権利の平等とかしたいことをする自由とかではなく(これらをも欲しはするけれども)、自分が一個の行為者として ―― たとえ自分がかくあり、かく選択したことによって攻撃され迫害されるにしても、その資格あるものとして自分の意志が考慮される、そういう行為者として ―― 取扱われるがゆえに自分が存在することを感知できるという状態をこそわたくしは求めているのだ。これ地位と承認 〔 認知 〕への渇望である。』




    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。









    続きは次回に♥




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